![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/05/99fa0bdafc2dfbcd2bacfea379a4ac97.jpg)
■メイン写真
快晴の玉置山の山頂から、熊野灘を眺める
■今回のコース
玉置神社駐車場→玉置神社→勧業山記念碑→宝冠ノ森→勧業山記念碑→玉置山→
玉置神社駐車場
玉置山は、大峰奥駈道の南部にあたり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、
熊野那智大社)の奥ノ院に位置づけられる玉置神社が山頂直下に鎮座する、
奈良県、いや関西、いや日本で屈指のパワースポットといえる。
玉置山へは、大峰奥駈道の縦走途中に登るほかは、十津川村の折立などからの
登路が一般的だが、京阪神から日帰りでその頂を踏もうとすると、玉置神社の
駐車場までクルマで上がらざるを得ない。
今回は、手抜き登山と言われようが、その手でアプローチし、代わりに
玉置神社から、天然記念物の巨杉をみて、磐座信仰の跡が残る宝冠ノ森を往復し、
神秘的な世界を感じてきた。玉置山は、本当に久しぶりである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/6e/bbe90720a95a85fd6571477fd3bd4f97.jpg)
駐車場の売店の先に、神社へ向かう鳥居がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9f/ccbc8b87351540248158e9dfffac8b8a.jpg)
枕状溶岩(天然記念物)だというが、海底火山だったのか。
地質に疎いもので、ただ険しい岩壁としか見えない。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/41/7e4ed348f7179c303dd78a2e1ffa416f.jpg)
神代杉の横を通る。樹齢3000年というから、本当に神代からあったんだ。
この樹こそ、神が宿っていそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/cb/e71843463d5d9fbffddd787a056477b7.jpg)
奈良県下最大と言われる大杉。胸高幹囲は8.7m、樹高は40mに達する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/cf/9320b2729d631d27bf8d16477a2cb284.jpg)
玉置神社の本殿。
神武東征の折、熊野の浜辺から大和をめざす途上、玉置山で安全を祈願し
「十種の神宝」を奉じたとか、第10代崇神天皇が、天下安泰、悪魔退散を
祈願し創建したとも。
祀られているのは天祖神・国常達尊(クニノトコタチノミコト)、
イザナギ尊、イザナミ尊というから、とにかく気の遠くなる歴史を感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b7/b702ba7f2f3a5cb5c43a26a5a7828304.jpg)
本殿裏にある夫婦杉。金剛山の夫婦杉より二回りほどデカい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/ca/5f2f14f84149c253e2f1fe3479cf2b76.jpg)
社務所前には、お神酒がセルフサービスになっている。
銘柄は「神代杉」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/0d91564bbe1b69d1fe6a8667d10983c1.jpg)
宿坊のすぐ横には、浦杉がある。少し小さめとはいえ、これもすごい。
今回は廻らなかったが、このほかに名前がある巨杉に、常立杉、磐余杉がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/48/fd8324555704020e5160f8ddf0cc528a.jpg)
三柱社のおいなりさんは、狐というより、ほぼニホンオオカミの顔をしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/71/886a8717f109b5603f3a10ed9da8b36d.jpg)
神社の右手に進み、この分岐から宝冠ノ森をめざす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b5/eace5a7d3b5caaf9e9d8a8defd1b2431.jpg)
緑がきれいだ。日本アルプスでは紅葉がたけなわというのに、紀伊半島はまだ
青々としている。
尾根に出ると、急に向こうから風が通り抜けてきて寒い。
ここに、十津川の歴史がしのばれる二つの石碑が立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/1e/abe308d84ca5a74f6a70021606650fa0.jpg)
上平主税(かみだいら・ちから)の碑。
十津川の野尻の出身で、江戸時代末期から明治時代前期の人。
医者であり、国学者であり、勤皇運動に奔走。キリスト教信者の殺害を首謀した
咎で伊豆の新島に流されるが、そこで医師として島民に種痘を施し、尊敬と
感謝を集める。恩赦で十津川に戻り、玉置神社の祠官として一生を終えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b5/016c095667a1d86b8975c8a2fb6b68c3.jpg)
その向かいに立つのは、勧業山記念碑。
十津川郷士による勤皇運動で、維新後、村は窮乏したため、明治15年に更谷喜延らが
政府に勧業資金の貸付を請願した。5年後に貸与された3万円を元手に、近隣の山に
植林が行われたというもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/f9/126344e9165996514401e8b640d92bc8.jpg)
尾根はブナ、カエデ、ヒメシャラなどの美林。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/80/3f7952824c925dbf88f3565012a73869.jpg)
ブナの実がたくさん落ちていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/8e/82efc313c05844a3dc6b13edc88b8fdc.jpg)
小ピークから、南東、鷲ノ巣山、鵯山などが見渡せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/d8/846d2215058ea642af5333fb1144db18.jpg)
と思ったら、足元はスパッと切れ落ちた鎖場になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/0d/612679bcf904d104f5598c138432f023.jpg)
ここは狭い岩稜のキレットになっていて、迫力バツグン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f2/e0bc22615dd7e68046374de3e5825177.jpg)
登り返しも、鎖が張られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4e/f9bd05e5ec45b2e54ec75d90e4aa6b97.jpg)
その先では、新宮市の飛び地あたりが見える。北山川の超・蛇行部分だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/46/6c4cb9f6deb558bfaa41ea0134c9d7d7.jpg)
はるか昔に人の手で加工された跡がみられるヤセ尾根や、短い鎖場を経て、
宝冠ノ森に到着。大峯奥駈行の行所でもある。
その昔、この磐座のピークは、権現垂迹の聖地とされ「大毘盧遮那嶽」とも
称されていたという。
なるほど、鎖場を幾つも越えてこないと行けない特別な場所というわけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c0/6add2d4d085280cf130e3b18d75a9cde.jpg)
宝冠ノ森のすぐ先からは、大展望が広がる。
すぐ東には、西ノ峯(1123m)がそびえる。
目線を少し右へ移動させると、少し霞んでいたが、太平洋が彼方に見えた。
真南には子ノ泊山、大雲取山、そして手前に甲森のピークと、なんとも贅沢。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/5e/c5b03ea57964292bff7603482fca0247.jpg)
秋の空のように澄みきった気持ちになり、もとの道を戻る。
途中、薄いガスが消え去り、青空が広がって、より心地いい。
ふと見上げれば、シラキなど一部の樹種で紅葉が始まりかけている。
勧業山記念碑から尾根道を登ると、間もなく石楠花の群生を抜け、
ひょんと広場に出たら、そこは玉置山の山頂だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/69/c3799158cf7f7e5b9e595da654a8cbc9.jpg)
別名・沖見岳といわれるだけあって、熊野灘が見下ろせる。
青く見える山々は、一族山から子ノ泊山、烏帽子山などにかけての山々だろう。
山頂には沖見地蔵尊の祠と、一等三角点がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/06/8ff913eebd0f02309cfa99b58ce616d2.jpg)
北側を振り向けば、石楠花群の向こうに電波塔が建つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7a/0594bfa730c15302ef3fd2ffb2e4bd8a.jpg)
電波塔の横を抜け、花折塚への分岐で左に下ると、駐車場の横に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/00/2392b4f550f059847ba5b964ab1312c1.jpg)
駐車場からは、今度は西側の展望が見事だ。
左から、大塔山、法師山、百間山のひと塊、真中に果無山脈、右に鉾尖岳、
護摩壇山、伯母子岳まで、紀伊半島・和歌山の名山たちがズラリである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/81/35b75ef44b6aa9ad438d522da25d3cd0.jpg)
なお、かつえ坂の北には、世界遺産の石碑と、板張りの展望デッキが
あるが、デッキは板の一部が腐食して抜けており、立入禁止になっていた。
こういうの、ちゃんと早く修理してね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/03/388148681e8e23148c24d0a23e0093d2.jpg)
帰りに、道の駅十津川郷の足湯で休憩していたら、前を通りかかった
ライトバンから呼ぶ声が。
なんと同じガイド協会に所属するTガイドだった。彼もこの日、玉置山に
登ってきたという。なんという偶然。
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!
快晴の玉置山の山頂から、熊野灘を眺める
■今回のコース
玉置神社駐車場→玉置神社→勧業山記念碑→宝冠ノ森→勧業山記念碑→玉置山→
玉置神社駐車場
玉置山は、大峰奥駈道の南部にあたり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、
熊野那智大社)の奥ノ院に位置づけられる玉置神社が山頂直下に鎮座する、
奈良県、いや関西、いや日本で屈指のパワースポットといえる。
玉置山へは、大峰奥駈道の縦走途中に登るほかは、十津川村の折立などからの
登路が一般的だが、京阪神から日帰りでその頂を踏もうとすると、玉置神社の
駐車場までクルマで上がらざるを得ない。
今回は、手抜き登山と言われようが、その手でアプローチし、代わりに
玉置神社から、天然記念物の巨杉をみて、磐座信仰の跡が残る宝冠ノ森を往復し、
神秘的な世界を感じてきた。玉置山は、本当に久しぶりである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/6e/bbe90720a95a85fd6571477fd3bd4f97.jpg)
駐車場の売店の先に、神社へ向かう鳥居がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9f/ccbc8b87351540248158e9dfffac8b8a.jpg)
枕状溶岩(天然記念物)だというが、海底火山だったのか。
地質に疎いもので、ただ険しい岩壁としか見えない。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/41/7e4ed348f7179c303dd78a2e1ffa416f.jpg)
神代杉の横を通る。樹齢3000年というから、本当に神代からあったんだ。
この樹こそ、神が宿っていそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/cb/e71843463d5d9fbffddd787a056477b7.jpg)
奈良県下最大と言われる大杉。胸高幹囲は8.7m、樹高は40mに達する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/cf/9320b2729d631d27bf8d16477a2cb284.jpg)
玉置神社の本殿。
神武東征の折、熊野の浜辺から大和をめざす途上、玉置山で安全を祈願し
「十種の神宝」を奉じたとか、第10代崇神天皇が、天下安泰、悪魔退散を
祈願し創建したとも。
祀られているのは天祖神・国常達尊(クニノトコタチノミコト)、
イザナギ尊、イザナミ尊というから、とにかく気の遠くなる歴史を感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b7/b702ba7f2f3a5cb5c43a26a5a7828304.jpg)
本殿裏にある夫婦杉。金剛山の夫婦杉より二回りほどデカい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/ca/5f2f14f84149c253e2f1fe3479cf2b76.jpg)
社務所前には、お神酒がセルフサービスになっている。
銘柄は「神代杉」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/0d91564bbe1b69d1fe6a8667d10983c1.jpg)
宿坊のすぐ横には、浦杉がある。少し小さめとはいえ、これもすごい。
今回は廻らなかったが、このほかに名前がある巨杉に、常立杉、磐余杉がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/48/fd8324555704020e5160f8ddf0cc528a.jpg)
三柱社のおいなりさんは、狐というより、ほぼニホンオオカミの顔をしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/71/886a8717f109b5603f3a10ed9da8b36d.jpg)
神社の右手に進み、この分岐から宝冠ノ森をめざす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b5/eace5a7d3b5caaf9e9d8a8defd1b2431.jpg)
緑がきれいだ。日本アルプスでは紅葉がたけなわというのに、紀伊半島はまだ
青々としている。
尾根に出ると、急に向こうから風が通り抜けてきて寒い。
ここに、十津川の歴史がしのばれる二つの石碑が立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/1e/abe308d84ca5a74f6a70021606650fa0.jpg)
上平主税(かみだいら・ちから)の碑。
十津川の野尻の出身で、江戸時代末期から明治時代前期の人。
医者であり、国学者であり、勤皇運動に奔走。キリスト教信者の殺害を首謀した
咎で伊豆の新島に流されるが、そこで医師として島民に種痘を施し、尊敬と
感謝を集める。恩赦で十津川に戻り、玉置神社の祠官として一生を終えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b5/016c095667a1d86b8975c8a2fb6b68c3.jpg)
その向かいに立つのは、勧業山記念碑。
十津川郷士による勤皇運動で、維新後、村は窮乏したため、明治15年に更谷喜延らが
政府に勧業資金の貸付を請願した。5年後に貸与された3万円を元手に、近隣の山に
植林が行われたというもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/f9/126344e9165996514401e8b640d92bc8.jpg)
尾根はブナ、カエデ、ヒメシャラなどの美林。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/80/3f7952824c925dbf88f3565012a73869.jpg)
ブナの実がたくさん落ちていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/8e/82efc313c05844a3dc6b13edc88b8fdc.jpg)
小ピークから、南東、鷲ノ巣山、鵯山などが見渡せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/d8/846d2215058ea642af5333fb1144db18.jpg)
と思ったら、足元はスパッと切れ落ちた鎖場になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/0d/612679bcf904d104f5598c138432f023.jpg)
ここは狭い岩稜のキレットになっていて、迫力バツグン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f2/e0bc22615dd7e68046374de3e5825177.jpg)
登り返しも、鎖が張られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4e/f9bd05e5ec45b2e54ec75d90e4aa6b97.jpg)
その先では、新宮市の飛び地あたりが見える。北山川の超・蛇行部分だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/46/6c4cb9f6deb558bfaa41ea0134c9d7d7.jpg)
はるか昔に人の手で加工された跡がみられるヤセ尾根や、短い鎖場を経て、
宝冠ノ森に到着。大峯奥駈行の行所でもある。
その昔、この磐座のピークは、権現垂迹の聖地とされ「大毘盧遮那嶽」とも
称されていたという。
なるほど、鎖場を幾つも越えてこないと行けない特別な場所というわけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c0/6add2d4d085280cf130e3b18d75a9cde.jpg)
宝冠ノ森のすぐ先からは、大展望が広がる。
すぐ東には、西ノ峯(1123m)がそびえる。
目線を少し右へ移動させると、少し霞んでいたが、太平洋が彼方に見えた。
真南には子ノ泊山、大雲取山、そして手前に甲森のピークと、なんとも贅沢。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/5e/c5b03ea57964292bff7603482fca0247.jpg)
秋の空のように澄みきった気持ちになり、もとの道を戻る。
途中、薄いガスが消え去り、青空が広がって、より心地いい。
ふと見上げれば、シラキなど一部の樹種で紅葉が始まりかけている。
勧業山記念碑から尾根道を登ると、間もなく石楠花の群生を抜け、
ひょんと広場に出たら、そこは玉置山の山頂だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/69/c3799158cf7f7e5b9e595da654a8cbc9.jpg)
別名・沖見岳といわれるだけあって、熊野灘が見下ろせる。
青く見える山々は、一族山から子ノ泊山、烏帽子山などにかけての山々だろう。
山頂には沖見地蔵尊の祠と、一等三角点がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/06/8ff913eebd0f02309cfa99b58ce616d2.jpg)
北側を振り向けば、石楠花群の向こうに電波塔が建つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7a/0594bfa730c15302ef3fd2ffb2e4bd8a.jpg)
電波塔の横を抜け、花折塚への分岐で左に下ると、駐車場の横に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/00/2392b4f550f059847ba5b964ab1312c1.jpg)
駐車場からは、今度は西側の展望が見事だ。
左から、大塔山、法師山、百間山のひと塊、真中に果無山脈、右に鉾尖岳、
護摩壇山、伯母子岳まで、紀伊半島・和歌山の名山たちがズラリである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/81/35b75ef44b6aa9ad438d522da25d3cd0.jpg)
なお、かつえ坂の北には、世界遺産の石碑と、板張りの展望デッキが
あるが、デッキは板の一部が腐食して抜けており、立入禁止になっていた。
こういうの、ちゃんと早く修理してね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/03/388148681e8e23148c24d0a23e0093d2.jpg)
帰りに、道の駅十津川郷の足湯で休憩していたら、前を通りかかった
ライトバンから呼ぶ声が。
なんと同じガイド協会に所属するTガイドだった。彼もこの日、玉置山に
登ってきたという。なんという偶然。
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!