■2011年8月15日(月)
キャンセル続きのマッターホルンへの登頂許可であるが、最後のチャンスで
ある15日となった。
昨日、現地代理人からツェルマットのアルパインセンターに連絡を
とってもらっており、天気は上々の見込みだという。
最終的には明日の朝に、山行の諾否が正式に決まるのだが、どうやら期待できそうだ。
ともちゃんは、一昨日は気力不足というより、視界がブラウン系のモノトーンになり、
肺の形が分かるくらいに呼吸が苦しかったとのことで、高山病の症状が出ていたという。
マッターホルンは、もう無理だということで、Mr.Dash独りの挑戦となる。
早々に朝食を済ませ、アルパインセンターに連絡をとると、今日は決行できるとのこと。
いよいよ最後の最後になって、チャンスがめぐってきた。
シャモニのホテルはあと2日予約してあったが、これを捨て、8:43のシャモニ発の
電車に飛び乗る。直前のキャンセルなので宿泊料金は返ってこないが、ここまできたら
何でもやる。
13:52、ツェルマットに着く。
17:00までにヘルンリ小屋に来いとのことだったが、できるだけ早く着きたい。
駅から電気自動車のタクシーで、ロープウェイの駅に向かう。
ともちゃんは、Mr.Dashを見送ってから、今日のホテル探しをするが、
基本的に、もともと泊まっていた、勝手知ったるDERBYにしようと決めていた。
Mr.Dashは、14:30にシュワルツゼー駅に着いた。順調だ。
既に、ヘルンリ小屋までは下見しているのでなんの心配もない。
前を歩く登山者に追いついた。Sさんという日本人で、ただいま、クライミングに夢中だという。
広告代理店から有名IT企業に転じ、さらに転職が決まり、今ちょうど、その合間の
休暇を利用して来たのだという。
途中、小雨がパラついたが、すぐにやんだ。
下山してくるおじさんが歓声をあげているので振り返ったら、見事な虹がかかっていた。
吉兆か、これで運を使い果たしたか。
(Sさん撮影:小屋へ向かうMr.Dash)
Sさんと話をしながらゆっくり登る。ヘルンリ小屋には16:40に着いた。余裕である。
小屋では、Sさんのほかに4人の日本人と会えた。
下見のときにすれ違った71歳のMさんに再会。
やはり、それ以降チャンスにめぐり合えず、同じ明日に、チャレンジするという。
Kさんは仙台の山岳会の31歳。出身は大阪。小屋には泊まらず、ガイドも雇わず、
すぐ下のテン場で幕営しているという。3年続けて、独力でマッターホルンに挑んでおり、
昨日もチャレンジしたが、ルートを外れてしまい、かなり危険な浮石の岩壁を
たどって、途中のソルヴェイ避難小屋まで8時間かかってしまい、断念したという。
Hさんは30歳前後。なかなか強そうだとみた。
Fさんは31歳、東京出身で、最近、大阪に転勤したという。彼も強そうな感じ。
いずれにせよ日本人がたくさんいるというのは心強い。
小屋では紅茶一人分が4スイスフランするが、1リットルだと8フランだという。
1リットル買って、皆で分けて飲みながら山談義に盛り上がった。
(寝床はなかなか快適そう)
19:00に夕食。
メニューはコスミーク避難小屋と似ていて、野菜スープたっぷり、チキンカレー、
カスタードクリームのデザート。
夕食後、担当ガイドが始めて紹介される。大柄で若いトミーという青年にあたった。
ここでは、ガイドと客は1:1なのである。その代わりガイド料も目玉が飛び出るほど高い。
早速、持ち物すべてをチェックされる。
ピッケルも救急品も、3層の手袋も不要とのことで、とにかく徹底的に軽量化されてしまった。
代理店から指定され用意してきた、スパッツもゴーグルもバラクラバは小屋に置いていく。
結局、身に着けるものは、シャツ2枚、タイツ、ズボン、ヘルメット、ヘッ電、
ハーネス、薄手の手袋、時計、サイフ、ハンカチのみ。
ザックには、アイゼン、サングラス、毛糸の帽子、カメラ、GPS、昼食、
テルモス、ヤッケ、羽毛のベスト、日焼け止めのみ。
2段ベッドの下段をあてがわれ、早々に就寝。他の日本人4人も一緒だ。
Mr.Dashの隣は、フランス語を話す、うら若い金髪美女だったが、
なんのコミュニケーションもなく残念。
キャンセル続きのマッターホルンへの登頂許可であるが、最後のチャンスで
ある15日となった。
昨日、現地代理人からツェルマットのアルパインセンターに連絡を
とってもらっており、天気は上々の見込みだという。
最終的には明日の朝に、山行の諾否が正式に決まるのだが、どうやら期待できそうだ。
ともちゃんは、一昨日は気力不足というより、視界がブラウン系のモノトーンになり、
肺の形が分かるくらいに呼吸が苦しかったとのことで、高山病の症状が出ていたという。
マッターホルンは、もう無理だということで、Mr.Dash独りの挑戦となる。
早々に朝食を済ませ、アルパインセンターに連絡をとると、今日は決行できるとのこと。
いよいよ最後の最後になって、チャンスがめぐってきた。
シャモニのホテルはあと2日予約してあったが、これを捨て、8:43のシャモニ発の
電車に飛び乗る。直前のキャンセルなので宿泊料金は返ってこないが、ここまできたら
何でもやる。
13:52、ツェルマットに着く。
17:00までにヘルンリ小屋に来いとのことだったが、できるだけ早く着きたい。
駅から電気自動車のタクシーで、ロープウェイの駅に向かう。
ともちゃんは、Mr.Dashを見送ってから、今日のホテル探しをするが、
基本的に、もともと泊まっていた、勝手知ったるDERBYにしようと決めていた。
Mr.Dashは、14:30にシュワルツゼー駅に着いた。順調だ。
既に、ヘルンリ小屋までは下見しているのでなんの心配もない。
前を歩く登山者に追いついた。Sさんという日本人で、ただいま、クライミングに夢中だという。
広告代理店から有名IT企業に転じ、さらに転職が決まり、今ちょうど、その合間の
休暇を利用して来たのだという。
途中、小雨がパラついたが、すぐにやんだ。
下山してくるおじさんが歓声をあげているので振り返ったら、見事な虹がかかっていた。
吉兆か、これで運を使い果たしたか。
(Sさん撮影:小屋へ向かうMr.Dash)
Sさんと話をしながらゆっくり登る。ヘルンリ小屋には16:40に着いた。余裕である。
小屋では、Sさんのほかに4人の日本人と会えた。
下見のときにすれ違った71歳のMさんに再会。
やはり、それ以降チャンスにめぐり合えず、同じ明日に、チャレンジするという。
Kさんは仙台の山岳会の31歳。出身は大阪。小屋には泊まらず、ガイドも雇わず、
すぐ下のテン場で幕営しているという。3年続けて、独力でマッターホルンに挑んでおり、
昨日もチャレンジしたが、ルートを外れてしまい、かなり危険な浮石の岩壁を
たどって、途中のソルヴェイ避難小屋まで8時間かかってしまい、断念したという。
Hさんは30歳前後。なかなか強そうだとみた。
Fさんは31歳、東京出身で、最近、大阪に転勤したという。彼も強そうな感じ。
いずれにせよ日本人がたくさんいるというのは心強い。
小屋では紅茶一人分が4スイスフランするが、1リットルだと8フランだという。
1リットル買って、皆で分けて飲みながら山談義に盛り上がった。
(寝床はなかなか快適そう)
19:00に夕食。
メニューはコスミーク避難小屋と似ていて、野菜スープたっぷり、チキンカレー、
カスタードクリームのデザート。
夕食後、担当ガイドが始めて紹介される。大柄で若いトミーという青年にあたった。
ここでは、ガイドと客は1:1なのである。その代わりガイド料も目玉が飛び出るほど高い。
早速、持ち物すべてをチェックされる。
ピッケルも救急品も、3層の手袋も不要とのことで、とにかく徹底的に軽量化されてしまった。
代理店から指定され用意してきた、スパッツもゴーグルもバラクラバは小屋に置いていく。
結局、身に着けるものは、シャツ2枚、タイツ、ズボン、ヘルメット、ヘッ電、
ハーネス、薄手の手袋、時計、サイフ、ハンカチのみ。
ザックには、アイゼン、サングラス、毛糸の帽子、カメラ、GPS、昼食、
テルモス、ヤッケ、羽毛のベスト、日焼け止めのみ。
2段ベッドの下段をあてがわれ、早々に就寝。他の日本人4人も一緒だ。
Mr.Dashの隣は、フランス語を話す、うら若い金髪美女だったが、
なんのコミュニケーションもなく残念。