■2011年8月16日(火)
早朝3:40、起床。身支度を整える。
ふと気づくと、隣で寝ていた若いおねえちゃんが、暗がりではあるが完全に
トップレスになって着替え始めた。
吉兆か、これで運を使い果たしたか。
あとで聞けば、これには日本人全員が気づいていたが、いやあ、フランス人はすごい、
ということで決着した。
4:00、朝食準備が完了。簡素な、パンとジャムのみのメニュー。
4:20、食堂のメインホールに集合し、準備ができた者から出発する。
トミーとMr.Dashは、割合、てきぱきと準備でき、アンザイレンして4:25に出発。
暗い中、いきなり垂直に近い、20mほどの岩壁をロープを頼りに登る。
しかし、ここまでは下見しているので戸惑いもない。
トミーには、「英語は苦手だからゆっくり話せ。登るのもゆっくりだから急がせるな」
と言っていたが、あまり聞き入れてもらえなかったようだ。
それもそう。標高4003mのソルヴェイ小屋(畳8畳程度)まで3時間以上かかると、
その時点でガイドは、客に下山命令を出すらしいのだ。
ヘルンリ小屋は標高3260mにあるから、標高差800m近くある。
つまりは、ソルヴェイ小屋まではとにかく急ぐべし、なのである。
登り始めて10分ほどで、例のフランス人のおねえちゃんを抜いた。
狭い稜線、どちらに落ちても氷河の一部となってしまうだろう。
一旦、稜線を離れ、左にトラバース。
そこから何ピッチか登り、徐々に、元の稜線に近づいていくようだ。
ただし暗いのでよく分からない。
ただ、ほぼ満月だったので、ヘッ電の灯りのほかに、なんとなく周囲が見えたのは幸運だたった。
ところでトミーはまったく休まずに、どんどん先行者を抜いていくので
ついていくので精一杯である。薄着なのに汗だくである。
微妙なスラブ帯が出てきた。あとで調べなおしたら3級程度のスラブで、
15mほど。「モズレイ・スラブ」と呼ぶそうだ。スタンスが細かいが面白い。
ただし下りは恐怖だろうな。
結局、1時間50分ほどで、ソルヴェイ小屋に着いた。上出来のタイム。
1時間に400mの標高差を登り続けた計算になる。
当然、下山命令はなかった。「You're good climber」と言ってくれた。
お世辞でも、やる気になるから不思議だ。
ソルヴェイ小屋は、日本の投入堂までとは言わないが、
よくこんなところに建てたなと思えるような僅かなテラスに鎮座。
10人も寝られたら上々という狭さである。
当然、小屋には入らずに、その脇でしばし休息。
この先、新雪が残っているのでアイゼンをつけるという。
狭い隙間を左側に抜け、後半戦が始まる。
相変わらず、ほとんどクライミング状態が続く。
最初に飛ばしすぎているのは分かっていたが、薄くなる空気、奪われつつある体力に
自分でも分かるくらいペースダウンしている。高所障害の症状はないが、肩で息をしている。
もう、このあたりでは抜ける先行者もなく、抜かれるような人影も追ってこない。
トップではないことは分かっているが、自分は早いほうであるはず。
いったい、何番目を歩いているのだろうか。
いや、競争ではないのだ。これは自分自身の登山であり、そんなことで調子を乱しては
ならない。安全に、一歩ずつ行けば、そこに成功がある。
アイゼンが岩に取られて嫌な音を立てる。
トミーは「Concentrate!」と叫びながら、グイグイとザイルを引っ張る。
「I know!」まったく、お前が急き立てるから足さばきが乱れるのだ。
頂上直下には、100mほどはあると思われた(多分実際はその半分くらいか?)フィックス
ロープが垂れ下がった壁がある。
ここは両手でゴボウ状態で攀じ登っていかねばならない。
まるで「筋肉番付」か「サスケ」かのようだ。
既にかなり体力を消耗している。下半分を勢いで登ると、後が続かない。
少しパンプ気味である。片手ずつフリーにし、ぶらぶらさせて回復を試みる。
トミーが不安そうに上の支点でビレイしている。
この場面で強制下山を食らった日本人女性がいたことも聞かされていた。
こんなところで落ちてたまるか。
何度も「ウオー」と雄たけびをあげながら、少しずつ登っていった。
登りきると、両腕の感覚が麻痺している。自分の腕ではないようだった。
しかし、これを過ぎると、山頂まではわずかだった。
最後はあっけなく、山頂に飛び出した。
山頂には3パーティいた。
屈強な白人男性と、美しいフランス人の女性と、そして日本人Fさん。
まずトミーと、続いてFさんと握手。フランス人女性の隣に座り、健闘をたたえあう。
標高4478m。尖った三角形の夢の頂に、今、確かに自分がいる。
時刻は8:15。後半、確かに少し時間が余計にかかっていた。
しかし、ヘルンリ小屋からほぼ4時間というのは、上出来ではなかろうか。
虎の子のドリンクゼリーを腹に満たす。
テルモスの中のスポーツドリンクはもう殆どカラになっていたが、
最後に喉を潤せた。
山頂からの眺めは最高だった。
あっちがモンブランの方角で、お、あった。逆がモンテローザで…
360度すべてが見渡せた。
それでも山頂にいられたのは10分程度。トミーはもう下りるという。
往路を忠実に、下山するのだが、あの傾斜を下るのは、確かに並大抵ではない。
登りよりも時間がかかるのではないか。
頂上直下で、日本人Hさんとすれ違った。「あと少しですよ!」
「登られたんですね!」お互い笑顔で別れた。
結局、下山中にすれ違ったのは4-5名しかなく、彼ら全員が登頂したとしても、
当日宿泊していた40名ほどのうち、4分の1ほどしか登頂に成功できなかったことになる。
Sさんは、難所を少し下ったところで、彼が下山しているところを追い抜いた。
アイゼン歩行の経験が少なく、ガイドから下山命令が出たという。
Mさんと、単独のKさんには、最後まで会えなかった。
下山は、懸垂下降の連続である。確かにこれなら速い。
要所に鉄製の支点がつけてあり、トミーはこれをiron(アイアン)と呼んでいた。
すばやくビレイしてくれる。
下の支点では、先に下りたMr.Dashが仮固定するルール。
当初、Mr.Dashがこの動作をできるのか、トミーは不安そうだったが、
できると分かると、かれはかなり大胆に下りてくるので、却ってこちらが焦った。
ところでソルヴェイ小屋で再び休憩する直前、ここで小さなハプニングに見舞われた。
ふだんはともちゃんが愛用している赤いREIのザックを使っていたのだが、
ジッパーの下側が岩に擦れたのか、知らない間に破損していたようで、
突然、カランカランと音を立てて、何かが足元を落下し、氷河の方向に消えていった。
一瞬の出来事だった。
「Rock!」と叫んだら、トミーは「お前の荷物だ」と言う。
とにかくソルヴェイ小屋まで下りてから確認したら、テルモスがない。
あとは、カロリーメイトと日焼け止めのリップクリームを入れておいた袋もない。
トミーが自分のザックからペットボトル入りのコカコーラを取り出し、
「気の毒に、これをやるから飲め」と差し出してくれた。
優しい奴だが、この標高で、この疲労の中で炭酸飲料を差し出すなよ。
(でも美味かった。ありがとう)
何千年か後に、氷河の下から出てくるのだろう。
もはや取りに行く術もない。
この時点で、かなり体力も消耗しており、一歩一歩により慎重さが求められていた。
愛用品たちは、自分の身代わりとなって、アルプスの地に果ててしまったのか。
一つ間違えたら自分がああなってしまう。
過去500人以上の命を飲み込んだ山に、自分はまだいるのだ。
ここは朝、暗いうちに通ったので覚えていない、という箇所が増えてきた。
相変わらず懸垂下降を連発する。
アイゼンは着けたままだが、気温の上昇で、雪が腐っている。
今まで痛くなったことがない左ひざが、きしんで痛み始めた。
これはやばい。
そんなことで限界を超えつつあったが、トミーの尽力で、無事、12:05、
ヘルンリ小屋に戻ることができた。
小屋のすぐ上で、観光客らしいフランス人の母子が祝福してくれた。
小屋で、ようやく人心地がつけた。
Sさんから昨夜もらったブリックパックのピーチ味の紅茶を飲み、
小屋に置いてある荷物を整えた。
ほどなくとミーが認定書を持ってやってきた。登り4時間、下り3時間45分、
あなたが確かにマッターホルンに登ったことを証明する、といった内容である。
これをツェルマットのアルパインセンターに持参し提示すれば、記念Tシャツが
もらえるという。
12:55、小屋を出る。あとはトレッキング道を下山するだけだ。
途中で、さっき祝福してくれた母子に追いつく。
陽気でかわいらしい、ハイティーンとおぼしき娘が、いろいろ質問してきた。
しばらく片言の英語で答えつつ歩いていたら、いつしか母親が歩行ペースに
ついてこれなくなった。
娘は「ママを休憩させるわ。楽しかった。ありがとう」と言って立ち止まった。
14:10、シュワルツゼー着。
14:40、Tシャツを受け取ろうと、アルパインセンターの前を通ったが昼休みだった。
14:45、ホテル「DERBY」で、ともちゃんが宿泊していることが判明したが、
本人は外出中。グリンデルワルトまで観光に出かけていたそうだ。
部屋に入って、まず風呂。
皆バーのオレンジジュースを飲んで、靴、靴下、手袋をベランダに干した。
そうこうしていたら、ともちゃんが帰ってきた。
17:00以前に戻ることは、まずないだろうと予想していたという。
じっとしているのも退屈なので、夕方、アイスクリームフェアをしていた
ツェルマット市街を散歩し、アルパインセンターで記念Tシャツをもらった。
夕食は「DERBY」のレストラン。イタリアで修行したという自慢のシェフの
特製ショートパスタは、トマト、ズッキーニ、チーズの絶妙のハーモニーであった。
部屋に戻り、ビールとワインで乾杯すると、さすがに睡魔が襲ってきた。
20:30にはもう寝ていた。
早朝3:40、起床。身支度を整える。
ふと気づくと、隣で寝ていた若いおねえちゃんが、暗がりではあるが完全に
トップレスになって着替え始めた。
吉兆か、これで運を使い果たしたか。
あとで聞けば、これには日本人全員が気づいていたが、いやあ、フランス人はすごい、
ということで決着した。
4:00、朝食準備が完了。簡素な、パンとジャムのみのメニュー。
4:20、食堂のメインホールに集合し、準備ができた者から出発する。
トミーとMr.Dashは、割合、てきぱきと準備でき、アンザイレンして4:25に出発。
暗い中、いきなり垂直に近い、20mほどの岩壁をロープを頼りに登る。
しかし、ここまでは下見しているので戸惑いもない。
トミーには、「英語は苦手だからゆっくり話せ。登るのもゆっくりだから急がせるな」
と言っていたが、あまり聞き入れてもらえなかったようだ。
それもそう。標高4003mのソルヴェイ小屋(畳8畳程度)まで3時間以上かかると、
その時点でガイドは、客に下山命令を出すらしいのだ。
ヘルンリ小屋は標高3260mにあるから、標高差800m近くある。
つまりは、ソルヴェイ小屋まではとにかく急ぐべし、なのである。
登り始めて10分ほどで、例のフランス人のおねえちゃんを抜いた。
狭い稜線、どちらに落ちても氷河の一部となってしまうだろう。
一旦、稜線を離れ、左にトラバース。
そこから何ピッチか登り、徐々に、元の稜線に近づいていくようだ。
ただし暗いのでよく分からない。
ただ、ほぼ満月だったので、ヘッ電の灯りのほかに、なんとなく周囲が見えたのは幸運だたった。
ところでトミーはまったく休まずに、どんどん先行者を抜いていくので
ついていくので精一杯である。薄着なのに汗だくである。
微妙なスラブ帯が出てきた。あとで調べなおしたら3級程度のスラブで、
15mほど。「モズレイ・スラブ」と呼ぶそうだ。スタンスが細かいが面白い。
ただし下りは恐怖だろうな。
結局、1時間50分ほどで、ソルヴェイ小屋に着いた。上出来のタイム。
1時間に400mの標高差を登り続けた計算になる。
当然、下山命令はなかった。「You're good climber」と言ってくれた。
お世辞でも、やる気になるから不思議だ。
ソルヴェイ小屋は、日本の投入堂までとは言わないが、
よくこんなところに建てたなと思えるような僅かなテラスに鎮座。
10人も寝られたら上々という狭さである。
当然、小屋には入らずに、その脇でしばし休息。
この先、新雪が残っているのでアイゼンをつけるという。
狭い隙間を左側に抜け、後半戦が始まる。
相変わらず、ほとんどクライミング状態が続く。
最初に飛ばしすぎているのは分かっていたが、薄くなる空気、奪われつつある体力に
自分でも分かるくらいペースダウンしている。高所障害の症状はないが、肩で息をしている。
もう、このあたりでは抜ける先行者もなく、抜かれるような人影も追ってこない。
トップではないことは分かっているが、自分は早いほうであるはず。
いったい、何番目を歩いているのだろうか。
いや、競争ではないのだ。これは自分自身の登山であり、そんなことで調子を乱しては
ならない。安全に、一歩ずつ行けば、そこに成功がある。
アイゼンが岩に取られて嫌な音を立てる。
トミーは「Concentrate!」と叫びながら、グイグイとザイルを引っ張る。
「I know!」まったく、お前が急き立てるから足さばきが乱れるのだ。
頂上直下には、100mほどはあると思われた(多分実際はその半分くらいか?)フィックス
ロープが垂れ下がった壁がある。
ここは両手でゴボウ状態で攀じ登っていかねばならない。
まるで「筋肉番付」か「サスケ」かのようだ。
既にかなり体力を消耗している。下半分を勢いで登ると、後が続かない。
少しパンプ気味である。片手ずつフリーにし、ぶらぶらさせて回復を試みる。
トミーが不安そうに上の支点でビレイしている。
この場面で強制下山を食らった日本人女性がいたことも聞かされていた。
こんなところで落ちてたまるか。
何度も「ウオー」と雄たけびをあげながら、少しずつ登っていった。
登りきると、両腕の感覚が麻痺している。自分の腕ではないようだった。
しかし、これを過ぎると、山頂まではわずかだった。
最後はあっけなく、山頂に飛び出した。
山頂には3パーティいた。
屈強な白人男性と、美しいフランス人の女性と、そして日本人Fさん。
まずトミーと、続いてFさんと握手。フランス人女性の隣に座り、健闘をたたえあう。
標高4478m。尖った三角形の夢の頂に、今、確かに自分がいる。
時刻は8:15。後半、確かに少し時間が余計にかかっていた。
しかし、ヘルンリ小屋からほぼ4時間というのは、上出来ではなかろうか。
虎の子のドリンクゼリーを腹に満たす。
テルモスの中のスポーツドリンクはもう殆どカラになっていたが、
最後に喉を潤せた。
山頂からの眺めは最高だった。
あっちがモンブランの方角で、お、あった。逆がモンテローザで…
360度すべてが見渡せた。
それでも山頂にいられたのは10分程度。トミーはもう下りるという。
往路を忠実に、下山するのだが、あの傾斜を下るのは、確かに並大抵ではない。
登りよりも時間がかかるのではないか。
頂上直下で、日本人Hさんとすれ違った。「あと少しですよ!」
「登られたんですね!」お互い笑顔で別れた。
結局、下山中にすれ違ったのは4-5名しかなく、彼ら全員が登頂したとしても、
当日宿泊していた40名ほどのうち、4分の1ほどしか登頂に成功できなかったことになる。
Sさんは、難所を少し下ったところで、彼が下山しているところを追い抜いた。
アイゼン歩行の経験が少なく、ガイドから下山命令が出たという。
Mさんと、単独のKさんには、最後まで会えなかった。
下山は、懸垂下降の連続である。確かにこれなら速い。
要所に鉄製の支点がつけてあり、トミーはこれをiron(アイアン)と呼んでいた。
すばやくビレイしてくれる。
下の支点では、先に下りたMr.Dashが仮固定するルール。
当初、Mr.Dashがこの動作をできるのか、トミーは不安そうだったが、
できると分かると、かれはかなり大胆に下りてくるので、却ってこちらが焦った。
ところでソルヴェイ小屋で再び休憩する直前、ここで小さなハプニングに見舞われた。
ふだんはともちゃんが愛用している赤いREIのザックを使っていたのだが、
ジッパーの下側が岩に擦れたのか、知らない間に破損していたようで、
突然、カランカランと音を立てて、何かが足元を落下し、氷河の方向に消えていった。
一瞬の出来事だった。
「Rock!」と叫んだら、トミーは「お前の荷物だ」と言う。
とにかくソルヴェイ小屋まで下りてから確認したら、テルモスがない。
あとは、カロリーメイトと日焼け止めのリップクリームを入れておいた袋もない。
トミーが自分のザックからペットボトル入りのコカコーラを取り出し、
「気の毒に、これをやるから飲め」と差し出してくれた。
優しい奴だが、この標高で、この疲労の中で炭酸飲料を差し出すなよ。
(でも美味かった。ありがとう)
何千年か後に、氷河の下から出てくるのだろう。
もはや取りに行く術もない。
この時点で、かなり体力も消耗しており、一歩一歩により慎重さが求められていた。
愛用品たちは、自分の身代わりとなって、アルプスの地に果ててしまったのか。
一つ間違えたら自分がああなってしまう。
過去500人以上の命を飲み込んだ山に、自分はまだいるのだ。
ここは朝、暗いうちに通ったので覚えていない、という箇所が増えてきた。
相変わらず懸垂下降を連発する。
アイゼンは着けたままだが、気温の上昇で、雪が腐っている。
今まで痛くなったことがない左ひざが、きしんで痛み始めた。
これはやばい。
そんなことで限界を超えつつあったが、トミーの尽力で、無事、12:05、
ヘルンリ小屋に戻ることができた。
小屋のすぐ上で、観光客らしいフランス人の母子が祝福してくれた。
小屋で、ようやく人心地がつけた。
Sさんから昨夜もらったブリックパックのピーチ味の紅茶を飲み、
小屋に置いてある荷物を整えた。
ほどなくとミーが認定書を持ってやってきた。登り4時間、下り3時間45分、
あなたが確かにマッターホルンに登ったことを証明する、といった内容である。
これをツェルマットのアルパインセンターに持参し提示すれば、記念Tシャツが
もらえるという。
12:55、小屋を出る。あとはトレッキング道を下山するだけだ。
途中で、さっき祝福してくれた母子に追いつく。
陽気でかわいらしい、ハイティーンとおぼしき娘が、いろいろ質問してきた。
しばらく片言の英語で答えつつ歩いていたら、いつしか母親が歩行ペースに
ついてこれなくなった。
娘は「ママを休憩させるわ。楽しかった。ありがとう」と言って立ち止まった。
14:10、シュワルツゼー着。
14:40、Tシャツを受け取ろうと、アルパインセンターの前を通ったが昼休みだった。
14:45、ホテル「DERBY」で、ともちゃんが宿泊していることが判明したが、
本人は外出中。グリンデルワルトまで観光に出かけていたそうだ。
部屋に入って、まず風呂。
皆バーのオレンジジュースを飲んで、靴、靴下、手袋をベランダに干した。
そうこうしていたら、ともちゃんが帰ってきた。
17:00以前に戻ることは、まずないだろうと予想していたという。
じっとしているのも退屈なので、夕方、アイスクリームフェアをしていた
ツェルマット市街を散歩し、アルパインセンターで記念Tシャツをもらった。
夕食は「DERBY」のレストラン。イタリアで修行したという自慢のシェフの
特製ショートパスタは、トマト、ズッキーニ、チーズの絶妙のハーモニーであった。
部屋に戻り、ビールとワインで乾杯すると、さすがに睡魔が襲ってきた。
20:30にはもう寝ていた。