平成24年度の野球殿堂の表彰者が17日に東京ドーム内にある野球殿堂博物館で発表され、競技者表彰のプレーヤー部門には日米通算201勝の野茂英雄氏(45)、日米通算381セーブの佐々木主浩氏(45)、現役時代は西武とダイエーでプレーし、現在福岡ソフトバンクホークスの監督を務めている秋山幸二氏(51)の3名が選出されました。
記者による投票で、野茂氏は267票、秋山氏257票、佐々木氏255票を獲得。いずれも有効投票(324票)の75%(当選必要数243票)を上回りました。野茂氏は史上最年少となる45歳4カ月での殿堂入りを果たし、候補者資格1年目での選出は、スタルヒン氏、王貞治氏に次いで史上3人目。また、野茂氏と佐々木氏は共に メジャーリーグ経験者初の殿堂入りとなりました。
野茂氏は1990年に近鉄バファローズにドラフト1位で入団し、1年目に18勝を挙げて最多勝、最多奪三振などのタイトルを総なめにし、その年のパリーグ新人王、ベストナイン、MVP、沢村賞を受賞。近鉄での5年間で78勝を挙げ、95年にロサンゼルス・ドジャーズに移籍し、13勝6敗でナショナルリーグ新人王獲得。メジャー12年間で123勝を挙げ、ノーヒットノーランを2度も達成(96年と2001年)。2008年に現役引退し、引退後は解説者の一方、社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」のオーナーとして、アマチュア野球に力を入れています。
佐々木氏は1990年に横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)入団当初から抑え役を務め、「ハマの大魔神」と呼ばれました。1998年には45セーブを挙げ、チームの38年ぶりの日本一に大きく貢献し、セリーグMVPを受賞。2000年にシアトルマリナーズに移籍し、メジャー4年間で129セーブ。2005年に横浜に復帰するも、その翌年に現役を退きました。
秋山氏は現役時代は走攻守3拍子揃った外野手で、西武ライオンズ時代には清原和博氏、渡辺久信氏、伊東勤氏らと共に「西武黄金時代」を支え、94年に福岡ダイエーホークスに移籍すると、ダイエーでもチームの主軸として活躍。2000年には2000本安打を達成し、プロ22年間で通算2157安打、437本塁打、本塁打王1回、ゴールデングラブ賞を11回も獲得。2009年からはソフトバンクの監督に就任し、リーグ優勝2回、日本一1回経験しました。
野茂投手が資格1年目で日本の野球殿堂入りを果たす快挙が話題になってますが、秋山監督が殿堂入りした事もホークスファンとしては嬉しい限りです。野茂さんといえば「日本人メジャーリーガー」の先駆者的存在。野茂さんをきっかけに、佐々木さん、イチロー選手、松井秀喜さんなど数多くの日本人選手が大リーグに挑戦しました。佐々木さんもメジャーで100セーブ以上をマークし、メジャーでも成功を収めました。現在は競走馬の馬主としての活動が中心だから、古巣に戻る可能性は少ないかな?秋山さんは選手としても監督としても日本一を経験。秋山監督がホークスに来なかったら、99年の日本一も無かったし、毎年優勝争いに絡むチームになっていなかったと思います。秋山監督、殿堂入りおめでとうございます。