MY LIFE AS A FOOTBALL

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エル・マヒコ伝説

2019年01月09日 | 木曜日のボール

あまりに素晴らしいので、
前回のマヒコ・ゴンザレス!!! に加筆しましょう。
テキストは西部謙司の「ゴールのあとの祭り」から引用しまくりです。

マラドーナがオレ以上と言ったとか言わなかったとか・・・
マラドーナ、どう転がっても「オレ以上」とは言わんなぁ^^

正確には
「ホルヘ・ゴンザレスはサッカー史上最高の選手の一人」だと言ったそう。

・・・マラドーナにしては最高のホメ言葉でしょう。

エル・マヒコこと、ホルヘ・ゴンザレスは、
1982年のスペインワールドカップにエルサルバドル代表として出場。
1次リーグでハンガリー、ベルギー、アルゼンチンに3連敗。
初戦のハンガリー戦は1-10の大惨敗!(確か最多失点記録)

 


 ↑↑↑ この試合で2点入れたチボール・ニラシ ハンガリーのキャプテンだったと思う。
    長身のストライカーで足元もうまかった。ニラシ・・・名前からして上手そうだ。
    ※ この写真の雑誌は懐かしの「イレブン」
       ’78アルゼンチン大会の観戦ガイドで増刊号らしい。 デイナがいるもんね

’82スペイン ハンガリー対エルサルバドル
あの試合かぁ~ 観たぞ そーか、エルサルバドルだったのかぁ
今日の今日まで、ハンガリーが10点取った相手はアフリカのチームだと思い込んでいた。
エルサルバドルの1点もマヒコじゃないから、記憶に残ってないのか・・・

さて、ここからが驚きだ。
その大敗した試合のマン・オブ・ザ・マッチがエル・マヒコだったんだと!!!
ありえんしょ! 10点くらったチームからマン・オブ・ザ・マッチが出るかぁ?!
しかも、しかも、
大会後にはベスト・イレブンにも選出された !!!!!!!!!!! (!マークも11個^^)

スペイン’82大会ベスト11
ツートップのもひとりが、優勝国イタリアは太陽の子、パオロ・ロッシ。
なんてヤツだっ! エル・マヒコ  凄すぎる。。。
う~ん、にしても記憶にないなぁ
エルサルバドル、完全にノーマークだったもの。
今更ながら偏見はダメだなぁ、こんなヤツ見逃すって・・・

ワールドカップ終了後、エル・マヒコはスペインのカディスへ移籍。
同じタイミングでマラドーナはバルサへ。
 ※ そう、あの時期はみんな動いたんだった。  
   ジーコはウディネーゼ(18点取って2位。4試合多いプラティニが20点で得点王)
   ソクラテスとパサレラがフィオレンティーナでチームメイトになったはず・・・

リーガでエル・マヒコを見たマラドーナ
あまりのテクに驚き、フェイントをマネしようとして出来なかった。
マラドーナにできないなら、他の誰にもできるはずもなく
「皆、練習の時に真似しようとして地面に転がっていた」(^^)

そのフェイントが先のYouTubeで見られる(画像がキツいが)
“エラシコ”と言っていいと思うけど、ボールは宙にあったりする^^

カンプノウでのバルサ戦で、2ゴール2アシストで逆転勝利のヒーローとなる。
マラドーナがいたく気に入り、推薦してバルサの南米遠征に帯同させる。
フルミネンセ相手にエル・マヒコ2点、マラドーナ1点で勝利。
これでバルサ移籍が決定的になるも、
泊まったホテルで娼婦と戯れていたことがバレてチャラ^^ ご破算になる と。

エル・マヒコ そんなことは気にせず夜遊び三昧。
酒とバラの日々を楽しく過ごす^^(当然、全盛期は短い)
ジョージ・ベストにも通じるが、キャラが明るい。悲壮感ゼロ。

さあ、おおまとめじゃ・・・(西部謙司さんの)

生まれた国がエルサルバドルではなくブラジルだったら、
せめてメキシコだったら、彼の人生は違ったものになっていたかもしれない。
カディスではなくバルサだったら、世界は天才を発見していたかもしれない。

けれども、本人が「後悔はない」と言っているのだから、
たぶんこれでいいのだ。そーなのだ!
ただ楽しむだけにプレーした天才が1人くらいいたっていい。その通り!

※この6行でワタシの分は そーなのだ!と、その通り! だけです^^


さて、エル・マヒコの今は?
エルサルバドルに戻って、念願だったバル(BAR)のオーナーになっているとか。
日本でいう還暦だけど、きっと酒とバラの日々を送っているはずだ。
それでいいのだ。