なんか同じ格好に見える岩政と鈴木優磨
甲府1 鹿島0 アップセットな夜。
試合後、鹿島の鈴木優磨が甲府の浦上仁騎に言ったそうだ。
「優勝しろ」
ふたりは同郷で同学年。
小学生時代からトレセンで競い合ったライバルで、実家にも遊びに行く仲だそう。
想像するとグッとくる。 いい話だ。
※ 新聞だとこれに、鈴木=エリート 浦上=苦労人 みたいな物語が付く。
が、鈴木の「優勝しろ」の前では、それも余計なことに思える。
後半5分過ぎあたりから真剣に観始めた。
というか、どんどん画面に惹き寄せられていった。
久々の感覚。
というのも、まあ観ないんだ、最近。
甲府の試合というより、Jリーグを観なくなった。 自慢か?
大谷翔平の試合は観るくせに・・・うーん、申し訳ない!
Jリーグタイム? 今もそう? ダイジェストさえスルーな日々。。。申し訳ない!
年をとるとねえ、根気がつづかんのよ~~
でもWEは観るし、
なでしこはアンダーのカテゴリーまで真剣に見るくせに。 申し訳ない!
なんでしょうね、この状態は。。。 知らんがな
結局、前半に宮崎純真が奪ったゴールが決勝点になった。
いやあ素晴らしいゴール。
背後からのボールを完璧なトラップ、からのGKを抜いて流し込む・・・
アタッカーなら誰もが羨む、夢見る、理想的なゴールだった。
宮崎純真 写真! 高校時代! くりっくり! 他にないのか!
後半の後半からロスタイムまで、
交代で出てきた鳥海やリラがプロフェッショナルな仕事をした。
クラブ史上に残る大失態、と岩政は言っているが、
それは戦う前から自分たちのほうが格上であると言っているのと同義。
そういう思い込みが失態といえば失態かもしれんが、
彼らの失態ではなく、甲府が素晴らしいゲームをしたというのが正解でしょう。
平日の夕方、鹿島までバス5台で200人!
吉田監督がまずサポーターに言及したのは当たり前だが正しい。
ほんと頭が下がる。
さむっ とか言いながらココア飲んでる場合か?
もうアベちゃんを語ることもあるまい。
あんたが語ってるわけじゃないじゃん(笑)
ああ、せいせいした。
さあ、記憶から抹殺しよう っと。
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日刊ゲンダイ 臨時特別号より
検証 安倍晋三②
政策で失敗しながら
選挙という「人気投票」で政権にとどまる
寄稿 内田 樹(思想家)
国際社会にビジョンを示せなかった没落の10年
この10年間で日本の国力は劇的に衰えた。
経済力や学術的発信力だけではなく、報道の自由度、ジェンダーギャップ指数、
教育への公的支出の対GDP比ランキングなどは「先進度」の指標だが、
そのほとんどで日本は先進国最下位が久しく定位置になっている。
だが、「国力が衰えている」という国民にとって死活的に重要な事実そのものが
(報道の自由度の低さゆえに)適切に報道されていない。
安倍時代が残した最大の負の遺産は「国力が衰微しているという事実が隠蔽されている」ということだろう。
国力はさまざまなチャートでの世界ランキングによって近似的に知られる。
1995年は世界のGDPのうち日本は17.6%だったが、現在は5.6%である。
89年の時価総額上位50社のうち日本企業は32社だったが、現在は1社。
経済力における日本の没落は顕著である。
だが、日本のメディアはこの経年変化についてはできるだけ触れないようにしている。
だから、多くの国民はこの事実そのものを知らないか、軽視している。
それどころか、政権支持者たちは安倍政権下でアベノミクスが成功し、
外交は見事な成果を上げ、日本は世界的強国であるという「妄想」のうちに安んじている。
安倍時代における支配的なイデオロギーは新自由主義であった。(今もそうである)
すべての組織は株式会社のような上意下達組織でなければならない。
「選択と集中」原理に基づき、生産性の高いセクターに資源を集中し、
生産性の低い国民はそれにふさわしい貧困と無権利状態を甘受すべきだ。
そう信じる人々たちが法案を作り、メディアの論調を導いてきた。その結果がこの没落である。
だが、誰も非を認めない。
すべては「成功」したことになっている。それは政権与党が選挙に勝ち続けたからである。
安倍元首相は6回の選挙に勝利した。しばしば圧勝した。この結果が
「国民の過半は安倍政権が適切な政策を行ってきたと判断した」ことを証し立てていると政府は強弁した。
株式会社ではトップに全権が与えられる。
トップのアジェンダに同意する社員が重用され、反対する社員ははじき出される。
それが許されるのは経営の適否についてはただちにマーケットがあやまたず判定を下すと信じられているからである。
「マーケットは間違わない」というのはビジネスマンの揺らぐことのない信仰である。
社内的にどれほど独裁的な権力をふるう権力者であっても、収益が減り、株価が下がれば、ただちに退場を命じられる。
国の場合は「国際社会における地位」が株価に相当するだろう。
経済力、地政学的プレゼンス、危機管理能力、文化的発言力などで国力は表示される。
その点でいえば、「日本株式会社の株価」は下落を続けている。
しかし、安倍政権下で経営者は交代させられなかった。
もし、経営が失敗し、株価が急落しているにもかかわらず、
経営者が「すべては成功している」と言い続け、
それを信じた従業員たちの「人気投票」で経営者がその座にとどまり続けている株式会社があったとすれば(ないが)、
それが今の日本である。
新自由主義者たちは「マーケットは間違わない」と言い張るが、
彼らが「マーケット」と言っているのは国際社会における評価のことではなく、選挙結果のことなのである。
選挙で多数派を占めれば、それはすべての政策が正しかったということなのだ。
だが、選挙での得票の多寡と政策の適否の間には相関はない。
亡国的政策に国民が喝采を送り、
国民の福利を配慮した政策に国民が渋面をつくるというような事例は枚挙にいとまがない。
政策の適否を考慮する基準は国民の「気分」ではなく、客観的な「指標」であるべきなのだが、
安倍政権下でこの常識は覆された。
決して非を認めないこと。
批判に一切譲歩しないこと。
すべての政策は成功していると言い張ること。
その言葉を有権者の20%が(疑心を抱きつつも)信じてくれたら、
棄権率が50%を超える選挙では勝ち続けることができる。
人間は騙せても、ウイリスに嘘は通じない
安倍政権が最終的に終わったのはパンデミック対策に失敗したからである。
人間相手なら「感染症対策に政府は大成功している」と言って騙すことはできるが、ウイリスに嘘は通じない。
科学的に適切な対策をとる以外に感染を抑制する手だてはないからだ。
だが、安倍政権下で政権担当者たちは「成功すること」と
「成功しているように見えること」は同じことだと本気で信じ始めていた。
だから、「どうすれば感染を抑えられるか」よりも、
「どうすれば感染対策が成功しているように見えるか」ばかりを気づかった。
菅政権下の東京五輪の強行にしても、「感染症が効果的に抑制されているように見せる」ことが優先された。
それを有権者が信じるなら、それ以上のことをする必要はないと思っていたのだ。
今の岸田政権もそう思っている。
パンデミックについても、気候変動についても、東アジアの地政学的安定についても、
人口減少についても、トランス・ナショナルな危機に対してこの10年間、
日本はついに一度も国際社会に対して指南力のあるビジョンを提示することができなかった。
司馬遼太郎は日露戦争から敗戦までの40年間を「のけて」、
明治の日本と戦後の日本をつなぐことで敗戦後の日本人を自己嫌悪から救い出そうとした。
その風儀にならうなら、
安倍時代という没落の時代を「のけて」、10年前まで時計の針を戻して、そこからやり直すしかない。
あれ? 玉ちゃん出てねぇじゃん・・・
羽鳥のモーニングショー、玉ちゃん出場禁止だと。
じゃ、見る価値ないじゃん。
玉ちゃんへの1発レッド? なぜに?
アヘの葬儀の際、
ガースーが切々と読んだらしい弔辞に「電通がからんでる」的な発言をしたから、だと。
ワハハ、からんでるだろ! とーぜん
あんな文章、ガースーひとりで書けるわけがない。
インテリは嫌いなんだから、やつは。
と思っていたら、
なんのことはないアヘのフェイスブックからのコピペじゃね?疑惑が(笑)
このタイミングでてめえの息子を首相秘書官にしてしまう岸田といい、、、終わったな、この国は
もうとっくに終わってるって? それをいっちゃーおしめえよ。
てなわけで、アヘの功罪を忘れないようにコピぺしておこう!
“罪”ばっかしだけど。
ちなみに僕にとってアヘの存在は、「生理的に無理!」 これに尽きる。 ギャルか^^
甘ったれなボンボン特有な舌っ足らず加減。カ行もサ行もタ行も気持ち悪い。
プラス、ミャーミャー聞こえる喋り方。。。きもっ
これだと、これで終わってしまう。 はやっ
なので、信頼に足るおふたりによる安倍晋三賛歌を2回にわたって載っけてしまおう。
両方とも日刊ゲンダイの臨時特別号からほぼほぼコピペしました。 許されよ。
日刊ゲンダイ 臨時特別号より
検証 安倍晋三①
政治一家に生まれた平凡な人 寄稿 青木 理
空虚な器にジャンクな
右派思想を注ぎ込まれた
※ 安倍晋三の評伝を書かないか?との提案を断った青木理ではあったが・・・
今も昔も人物評伝はノンフィクションの華だが、それが成立するには不可欠の条件がある。
対象が善人だろうと悪人だろうと、政治家だろうと犯罪者だろうと、その人物が頭抜けた磁力を発し、
そうした人格を形作った逸話や物語に彩られていること。
それがなければ、いくら取材を尽くしても面白い評伝など書けはしない。
そして安倍晋三という人物に、それほど魅力的な逸話や物語があるようには微塵も思えなかった。
だが、しばらくして
「安倍晋三のような政治家がなぜ生まれたのか、ルーツにまで遡った評伝なら食指は動かないか」
という提案があった。
なるほど、と思った。
今さら記すまでもなく、晋三の父は安倍晋太郎、母方の祖父は岸信介。
父方の祖父・安倍寛もまた戦中に衆議院議員を務め、眩いほどきらびやかな政治一家だが、
そうした家に生まれていなければ、晋三が政治家になることはなかった。
現代日本に蔓延する政治世襲への問題意識も抱いていた私は、
それならば取材執筆の価値は十分あると考え提案を受けた。
つまり、政治一家としての地平を切り開きながら実像があまり知られていない安倍寛を起点とし、
晋太郎、晋三へと連なる安倍家3代の系譜を追えば、
現代日本政治を俯瞰しつつ、問題点も照射できるのではないか・・・
そう考えて完成させたのが「安倍三代」(朝日文庫)である。
成果は拙著をお読みいただきたいが、軍部ファッショの嵐が荒れ狂った先の大戦中、
軍部の圧力を受けながら翼賛選挙を非推薦で勝ち抜いた寛は、強烈な魅力を発する反骨の政治家だった。
息子の晋太郎は所詮2世の“プリンス”ではあったが、山口の寒村で父の支持者に囲まれて育ち、
大戦末期には志願した特攻を辛うじて生きのび、存外に魅力的逸話の多い政治家ではあった。
だが、やはり晋三は違った。
東京で生まれ育ち、小学校から大学までを成蹊学園で過ごし、いくら取材しても語るに値する逸話がない。
同級生や恩師、あるいは大学卒業後にコネ入社した神戸製鋼の上司や同僚など、何十人もの関係者に話を聞いたが、
後の政治姿勢につながるエピソードさえ出てこない。
それどころか、晋三の口から政治的な発言を聞いたことのある者すら皆無・・・
決して大げさではなく、1人たりともいなかった。
晋三は大学時代、地方自治を専門とするゼミに所属したが、当時を知る教員は、
「彼が卒論で何を書いたかも覚えてないし、ゼミで何かを積極的に発言した記憶もない」と振り返るのだった。
かといって悪(ワル)でもなく、成績はごく平凡。あえて等身大に評すれば、
名門政治一家に生まれはしたものの、可もなく不可もないボンボンのおぼっちゃま。
そんな晋三がなぜゴリゴリの右派に変貌したのか。神戸製鋼所時代の上司は当時の晋三を
「要領がよくて、みんなに好かれていましたよ。たとえて言えば、まるで子犬」と評し、
のちの政治姿勢についてはこう指摘している。
「周りに感化されたんでしょう。子犬が狼の子と遊んでいるうちに、あんなふうになってしまった」
おそらくはその通りだったのだろう。
戦後日本政治おける右派の巨頭・岸の孫として生まれた晋三を、永田町内外の右派勢力はサラブレッドとして育てた。
晋三にも、それが時代の潮流だと読む計算程度はあったのか、少なくとも自らを溺愛した祖父・岸への憧憬を抱いていた。
そうして空虚な入れ物に、ジャンクな右派思想ばかりが注ぎ込まれた。
一方で皮肉を込めて記せば、晋三には政治家としての「強み」があった。
まずは強運。戦後生まれ初の宰相となった第一次政権は短期で投げ出したが、
民主党政権の瓦解を経て、政権に復帰すると、今度は7年8か月もの「一強」を維持した。
第一次政権の蹉跌に学んだところもあったにせよ、しかしそれは真に「一強」だったか。
各種世論調査では常にそこそこの内閣支持率を維持し、選挙も連勝したが、
支持理由の最多は終始一貫「ほかに適当な人がいない」。
政権が高く屹立したのではなく、政権交代の失敗に人々が失望し、
しかも野党が四分五裂し、周囲が総陥没した結果としての「一強」。
国にとっては不幸だが、政治の貧困ゆえに長期政権を担えたその強運。
もうひとつ、最大の強みが晋三にはあった。
私にそれを教えてくれたのは、晋三の母校・成蹊大学の恩師でもある加藤節(成蹊大名誉教授 政治学)。
「安倍三代」の取材でインタビューした際、加藤は安倍政権の顕著な特徴を「ふたつのムチ」
___すなわち「無知」と「無恥」に集約されると辛辣批判した。
もちろん加藤は、改憲を訴えるのに憲法学の泰斗だった芦部信喜すら知らないと言い放つかつての教え子を難じる文脈でそう語ったのだが、逆にいえばこれは強烈な「強み」でもあると私は感じた。
「無知」で「無恥」な人間はある意味で最強である。
先人が積み重ねてきた知に疎いのに__いや、疎いからこそ、ルール違反の横紙破りも平然としでかし、
しかも「無恥」ならば批判や諫言も暖簾に腕押し、糠に釘、批判が刺さらず、なんの痛痒も感じない。
世襲の運命にのみ込まれた最期
だからこそ、いち内閣の閣議決定で憲法解釈を覆し、
そのための内閣法制局長官をすげ替え、日銀総裁やNHK会長にお友達を送り込む掟破りもいとわない。
支持者や提灯持ちには利益誘導を繰り返し、
その一端が「モリカケ桜」問題として噴出しても嘘、詭弁を連ねて知らぬ顔。
「桜」問題だけで118回も国会で嘘を吐き、
「森友」では自らの開き直りで公文書を改ざんされ、真摯な公務員の命が絶たれ、
多少たりとも廉恥の情があれば耐えられない状況でも平気の平左、
「日教組、日教組!」と口をとがらせて野党にヤジを飛ばす。
これも首相が行政府の長であるという知に立脚すれば、
国権の最高機関でヤジを飛ばすのは禁忌だが、すべては「無知」と「無恥」の成せる術。
「安倍三代」には記さなかったが、
毎日新聞で晋太郎の番記者だった故・岸井成格が生前教えてくれた逸話も思い出す。
晋太郎は晋三を岸井に紹介した際、苦笑しつつこう漏らしたのだという。
「こいつはね、出来は悪いが、言い訳をさせたら天才的だ」と。
そうやって「無知」と「無恥」、そして「言い訳の天才」という“才”を武器に
「憲政史上最長」政権を成し遂げたボンボンが、病でも政治テロでもなく、
カルト宗教に人生を破壊された男に手製銃で撃ち抜かれてしまったのは、
最後の最後に世襲政治家としての運命にのみ込まれてしまったようにも思える。
繰り返しになるが、世襲政治一家に生まれなければ晋三が政治家になることはなく、
その空虚な器にジャンクな右派思想を注ぎ込まれることもなかった。
だが、いまさら記すまでもなく旧統一教会が日本で勢力を伸ばす端緒を開いたのは祖父の岸信介。
以後3代続いた教団との蜜月が汚れた澱を深く重く沈殿させ、
ついにはそれが強烈な遺恨となって3代目の胸を貫いてしまったのである。
「安倍三代」の系譜を取材した者として、唯一心残りなのは、晋三が岸ではなく、寛に共感を寄せていれば、
その政治姿勢も随分違ったものになったろうし、このような最期を迎えることはなかったのでは、という点だが、
空虚な器にジャンクな右派思想を満たしてしまった3代目にそのようなことを言っても、もはや詮ない。
なにより当の3代目がもうこの世にいないのだから。