MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

高校サッカー選手権を語る?

2020年01月21日 | 木曜日のボール

Number誌の高校サッカー選手権特集・「怪物伝説」を購入。

表紙は大迫勇也。

準々決勝・滝川二戦の自分が映っているタブレットをこちらに向けている。
そう、ご存知「大迫、ハンパないって」を生んだ試合だ。
表紙にはその発言の主、滝川二の主将、中西隆裕も写り込んでいる。

大迫の写真は表紙も含めて6枚載っている。(破格の扱い)
1枚は1ページまるまる使って現在の私服姿でのポートレート。
決勝後の表彰式で2位のメダルを外したところが1枚。
残りの4枚は試合中のもので、もれなく中西がついてくる^^ 中西、ハンパねぇ

その4枚は、中西がいかに大迫に張り付いていたかを証明している。
10年以上が経って、老舗のスポーツ誌の日本を代表する選手たちの特集に、
とにもかくにも、6枚中4枚に写り込んでる中西、ハンパないって! 拍手を送ろう。

ちなみに大迫、今はお嬢さんから「パパ、半端ないって」と言われるとか。

★★★ 中西君の写真はこーゆーやつが多い。
    ちゅーか、大迫の写真だけど^^

 


後にサッカーマガジンの記者になる石倉利英の記事も面白い。

島根県代表・松江東高校の主将として選手権の抽選会に臨んだ石倉。
抽選箱から取り出した番号札を、司会の日テレのアナウンサーに渡す。
渡されたアナ、石倉を見てニヤリと笑ってから叫ぶ、

「2番!」

会場、どよめく。

よりによって引き当てた初戦の相手とは、
前回大会優勝校、連覇を目指す東海大一高だった。
相手の主将はノボリこと、あの澤登正朗。

壇上でノボリとのツーショット撮影を待っていると、
帝京の主将、あの磯貝洋光がノボリに歩み寄って・・・

「お前、ラッキーだっだな」 と笑った と。

石倉は思う。
お、お、お、オレが目の前にいるのに、、、なんて失礼なヤツだ! と。
クーッ 島根だからって・・・誰も知らんと思って・・・

 ※ 正直、ワタシがノボリや磯貝だったら、、、やっぱそう思っただろう m(__)m

ところが、天才・磯貝の失礼極まりない予言は見事に当たる。
前後半4点づつくらい、0-8の歴史的惨敗・・・。
石倉少年、帰郷して録画を観ながら力なく笑った と。


ここは 天才・磯貝の片鱗を ↓↓↓


礒貝洋光さん(元ガンバ)のクールなFK



実はワタシ、サッカー好きは誰にも負けないつもりですが、
選手権に限らず、高校生大会にはそれほど興味はありません。 いまさら?
高校生当時でさえ、目の前の大会の名称が何であるかも気にしてませんでした。
なんせ新人戦のベスト8が最高でしたから。
ま、早い話 弱かったんだけど^^

そんなワタシでも記憶に残る選手がいます。

本山雅志と石塚啓次です。


雪の中の本山。
ついに登場した石塚。

国立の空気を一変させた石塚の登場シーンを鮮明に覚えています。
5歳違いのふたりが、代表の中心になることを夢想したもんです。
世の中、そうそう上手くはいかんのね・・・

 

第71回全国高校サッカー 超高校級MF 石塚啓次 登場


改めて観る石塚啓次、いやぁ カッコいいなぁ

引く手あまた、争奪戦になるはず。
そう予想をしていたヴェルディの強化担当は、あの小見幸隆。 あのが多いぞ
んが、競合することなくすんなり獲得。
それどころか、同業者から「よく獲ったね」と皮肉られたそうだ。

茶髪、ピアス、指輪、ファッショナブルで早熟な表現者に、
従順性を第一義とする時代が追いつくはずもなかった。。。

石塚が国立に降臨したのが1992年。
そう、Jリーグ開幕の1年前だ。

そりゃもう圧倒的だったヴェルディが、最も苦戦したのが紅白戦だったそう。
石塚と、後々セレソンになるアモローゾのサブ組が、よくトップチームをくったそうだ。

選手権後、
石塚を観たのはヴェルディのリーグ戦で1回だけだったと思う。
ちょっと痩せた彼は、途中出場してゴールしたんだと思う。
ヒーローインタビューで、

「僕をもっと使ってください・・・」

とか、ボソボソ言ったのを覚えている。

時代はまだ彼に追いついていなかったのか、
追い抜いちゃったのか。。。

事情を知らないから何とも言えないが、ちょっとくやしい。
もっと観たかったなぁ と。

 



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