山陽地方と山陰地方とを結ぶ鉄道を陰陽連絡線と表現することがあります。伯備線、山口線、美祢線などが該当します。
ただ、JR西日本が公表している資料「2022 年度区間別平均通過人員(輸送密度)について」を参照すると、陰陽連絡線には平均通過人員数が低い路線が多く、芸備線の東城駅から備後落合駅までの区間が20、木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間が56、芸備線の備後落合駅から備後庄原駅までの区間が75、同じく芸備線の備中神代駅から東城駅までの区間が89となっています。路線バスでも採算が合わないであろうと思われる数値が並んでいる訳で、JR西日本がどうにかしたいと考えることも理解できますし、インターネットの世界で廃線こそが妥当という意見が多いのも当然です。
私自身、沿線自治体の態度には怒りを感じる部分さえあります。「今更」感が拭えないからです。有名なYouTuberである鉄坊主さんなどの動画では何故か言及されていないことが多いのですが、最近存廃論議の対象となった鉄道路線には、1980年代の国鉄改革において特定地方交通線に指定される可能性が高かったものの、除外要件に該当したために存続したというものが目に付きます(例、留萌本線、日高本線、津軽線、久留里線、芸備線、木次線)。40年前の議論が(多少とも形は変わっているものの)再燃したと言えるでしょう。
「これまで道路整備に力を入れて鉄道など見向きもしなかったくせに、今さら廃線反対なんて叫ぶのかよ!」
「廃線協議には応じられないなんて、どの面を下げて言っているんだ?」
「おまえたちに文句を言う資格はないだろう!」
全てという訳ではないのですが、これまで存廃協議の対象となった鉄道路線について、上記のように感じられる所は少なくないでしょう。
さて、今回は木次線の話です。山陰本線の宍道駅(島根県)から芸備線の備後落合駅(広島県)まで、営業キロが81.9の路線となっていす。
この路線については、沿線自治体も存続に向けた努力をしていたようです。しかし、そもそも人口が少ない地域であり、陰陽連絡線の一つとされていても、その役割はとうの昔に終わっています。2022年度の平均通過人員をみると、出雲横田駅から備後落合駅までの区間は既に紹介したとおりであり、宍道駅から出雲横田駅までの区間でも237、全線で171となっており、鉄道で残されていることが奇跡的である、とまでは言えないまでも、鉄道路線として残すことのほうが困難であると評価することは可能でしょう。
そして、「ついに」と記すべきでしょうか、JR西日本は木次線の今後について議論を行いとの意向を2024年5月23日に明らかにしました。ここでは、山陰中央新報デジタルに2024年5月23日21時25分付で掲載された「【図表】JR西 『木次線のあり方』奥出雲町など沿線自治体と協議の意向 丸山知事『廃止前提であれば応じられない』」(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/579818)、同じく山陰中央新報デジタルに2024年5月24日4時0分付で掲載された「白紙強調も自治体反発 唐突な表明、広島側はJR批判 木次線在り方協議意向」(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/579946)、および、朝日新聞社のサイトに2024年5月24日10時30分付で掲載された「JR西、利用低迷の木次線のあり方議論を 首長ら、廃止前提なら拒否」(https://www.asahi.com/articles/ASS5R43PLS5RPUUB002M.html)を参照します。
5月23日、JR西日本山陰支社長が、定例記者会見の場で木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間について、上記山陰中央新報デジタル23日付記事の表現を借りるならば「沿線自治体と公共交通の在り方を協議する意向を示し」ました。その理由としては、やはり利用の低迷があげられています。前述のように、この区間の平均通過人員が56で、地域公共交通活性化再生法に基づく法定協議会の対象になっている芸備線の東城駅から備後落合駅までの区間の20に次ぐ低さですから、やはり上記山陰中央新報デジタル23日付記事の表現を借りるならば「大量輸送を目的とする鉄道の特性を発揮できていない」ということになります。残りの区間でも237なので十分に協議の対象となりうるはずですが、外したのは観光列車の存在の故でしょうか。
平均通過人員のデータを見る限り、木次線が沿線住民の足として十分に機能していないことは明白で、JR西日本山陰支社長もその旨を語っていました。前提を置かないで議論をしたいという発言の真意はさておき、通勤および通学のための利用がかなり限られていることは事実です。また、JR西日本がこれまで木次線の維持に努力してきたことも事実でしょう。但し、同社のローカル線の区間では合理化の名の下に設備保守が省略されていることもよく知られており、福塩線の一部区間などで最高速度15km/hに制限される箇所があるなど、およそ鉄道の役割が放棄されているとしか思えない部分も見受けられます。
私が注意を向けたいのは、JR西日本山陰支社長の「これまでも問題提起はして」いるという言葉です。木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間についての意向は、定例記者会見の場で初めて明らかにされたと記してもよい状況でした。上記山陰中央新報デジタル24日付記事によると、「JR西から沿線自治体の担当課長レベルに事前の連絡があったのは同日午前。ただ、詳細は知らされず、情報把握に追われた」とのことでした。備後落合駅は芸備線と木次線の接続地点であり、どちらの線も末期的な状況(強すぎるでしょうか?)であるだけに、JR西日本としては「当然、木次線についても意見や態度を既に示している」と言いたいのでしょう。
早速、沿線自治体の首長のコメントが上記各記事に掲載されています。島根県知事は、JR西日本の以降に対し、廃止前提であれば応じられない旨を述べています。理解はできます。現在、島根県と広島県とを直接結ぶ鉄道路線は木次線しかないからです(2018年までは三江線もありました)。また、島根県と山陽地方とを直接結ぶ鉄道路線は、他に山口線しかありません(山陰本線もあるではないか、と言われるかもしれませんが、山口県の日本海側は広義の山陰地方と言えます)。鉄道ネットワークの面からすれば、木次線も重要な要素であり、それが島根県知事のコメントにもうかがわれます。しかし、島根県は、どの程度まで鉄道利用促進の努力を具体的にしていたのでしょうか。むしろ、自動車専用道路の整備にこそ全力を注いでこなかったのでしょうか。
また、奥出雲町長は、島根県知事と同じく、出雲横田駅から備後落合駅までの区間の「廃止を前提とするものであれば応じられない」とコメントしています。奥出雲町には、木次線の出雲八代駅、出雲三成駅、亀嵩駅、出雲横田駅、八川駅、出雲坂根駅および三井野原駅があります。しかも、出雲坂根駅の構内には有名な2段スイッチバックがあります。廃止されるとなれば、観光にも痛手かもしれません。ただ、現在の木次線の観光列車「あめつち」は出雲横田駅から備後落合駅までの区間を走りませんので、あまり関係がないとも言えます(キハ40系が使われているので、性能的に問題があるからでしょう)。また、記事には書かれていませんが、仮に出雲横田駅から備後落合駅までの区間が廃止されるならば、残りの宍道駅から出雲横田駅までの区間についても連鎖的に利用客が減少し、ついには全線が廃止されるかもしれないと考えられているのかもしれません。
以上のように引用などをした上で、敢えて私は記しておきますが、木次線についての議論は、本当に唐突なものであったのでしょうか。むしろ、JR西日本の沿線自治体への伝達に多少の問題があったという程度であり、十分に予想されたことであったはずです。平均通過人員のデータは繰り返し公表されていますし、木次線の活性化の取り組みが長くなされていて、「あめつち」、その前の「奥出雲おろち号」と観光列車が運行されていたのですから、沿線自治体が現状を知らないはずがありません。JR西日本を責める前に、沿線自治体が動くべきであったでしょう。結果的には予測を外して惨憺たる結果になったものの、現在の北海道知事が夕張市長であった時代に同市長が石勝線夕張支線について「攻めの廃線」を提唱したのは、立派なものであったとも評価しえます。少なくとも、問題提起にはなっていたからです。
もう一つ記しておきますと、木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間について、沿線自治体の首長の発言と、住民の意見とは同じなのかという疑問が湧きます。乖離があるのではないかとしか思えません。より明確に記せば、沿線住民の本音は「いらない」というものではないでしょうか。鉄道の乗客がいないということは、住民が鉄道を不要と考えているからでしょう。意思が口に出されないだけであり、態度で十分に示されているのです。
今後のために、或る意味で炎上覚悟で記しておきます。よく、ローカル線について「地域のために必要であるから残して欲しいけれども、自分は乗らない、利用しない」というようなことが書かれています。このように意味のわからない言葉も、そうは多くないでしょう。一目見て矛盾していることが明らかですし、「乗らない」、「利用しない」というのであれば、必要がないのです。より厳しい表現を許していただけるならば、無責任な発言です。JR西日本の株主や利用者は、沿線自治体などから出されるこのような発言を許してはならないでしょう。
仮に住民アンケートで「必要だけど、自分は利用しない」という意見が多ければ、廃止に賛成であると理解すべきです。「乗らない」、「利用しない」と解答する人は、本当に「乗らない」、「利用しない」のであり、必要性など感じていません。この点は強調しておくべきでしょう。そもそも、こんな選択肢をアンケートに記すこと自体、無意味とも言えるはずです。