ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

懐かしのTORO-Q(キハ58 569とキハ65 36)

2013年07月08日 00時34分52秒 | 写真

 既にJRの路線からほぼ消滅していますが、気動車(ディーゼルカー)のキハ58系は、国鉄時代に総計で1823両が製造されました。これは気動車としては日本最多です(ちなみに、電車では103系が最多で、3447両が製造されました)。

 これだけ大量に生産されただけに、非電化路線を中心に日本全国でキハ58系を見ることができました。両数では103系に負けるものの、運用された線区の数と地方の範囲は103系に勝ります。しかし、製造年度が1961年~1971年であり、老朽化も激しくなっていたこと、急行列車が大幅に削減されたこと(その後は普通列車用としても活躍しましたが)、幹線などの電化が進められたことなどから、1980年代に入り、数を減らしました。また、国鉄時代の気動車の多くに共通することですが、エンジンがDMH17Hという旧態依然の性能のものであったことも、原因の一つでしょう(出力不足が大きな問題となっていたのです)。それでも、21世紀に入ってからも運用され続けました。

 2003年3月22日、私は、当時の大分県大分郡挾間町へ行きました。挾間町役場の北隣の未来館にて市町村合併の講演を行うためです。自動車社会の大分県に住み、何かと自家用車を運転していた私ですが、この日は豊肥本線と久大本線を乗り継いで会場へ向かいました。

 その仕事を終えて、取材の約束があるために大分駅に向かおうとしました。ローカル線であるだけに本数も少ないのですが、臨時の快速列車が走るといいます。ただ、大分県までの運賃の他に指定席料300円を払わなければならないので、迷いました。しかし、これに乗らなければ約束の時間に間に合いません。そこで、仕方なく、臨時快速に乗ることとしました。

 待っていたら、トロッコ列車TORO-Qが入ってきました。前日にも大分駅で見ています。特急ゆふいんの森号に合わせた緑色で、大分側がキハ58 569(上の写真)、久留米側がキハ65 36(下の写真)、中の3両は無蓋貨車を改造したトロッコ列車です。

 ワンマン運転が主流の久大本線ですが、このTORO-Qには車掌も乗務していました。

 キハ65系は、1969年から72年まで製造された急行用気動車で、キハ58系の改良版と言うべき存在です。当初から四国や九州で運用されており、近畿、東海、北陸でも運用されたようで、JR東海、西日本、四国、九州の各社に引き継がれました。最後まで活躍したのが九州地方で、現在もキハ65 36の車籍は残っているそうです。また、特急車両などに改造されたものもあり、九州では特急ゆふいんの森号用のキハ71系に改造されています。エンジンが大出力型のものに変更されていたことが理由として大きかったようです。

 当時、TORO-Qは、土曜日と休日に、次のように運用されていました。

 まず、9時23分に大分駅を発車します。快速として運転されましたので、途中、向之原と南由布にのみ停車しました。特急ゆふ号も停車する湯平駅に、快速は停車しなかったのです(逆に、当時、向之原駅に停車する特急は存在しませんでした。現在は停車します)。由布院駅に到着するのは10時51分です。

 それから、由布院駅と南由布駅の間を5回往復します。一駅しか走りませんから、当然、普通列車でした。また、全席自由席であったそうです。

 そして、15時14分に由布院駅を発車し、途中、南由布と向之原のみに停まり、16時51分に大分駅に着きます。快速列車なのですが、通常の普通列車よりも時間がかかります。それもそのはず、キハ58 569とキハ65 36との間に連結された3両のトロッコ車両は、二軸無蓋貨車を改造したものです。これでは速度を出せません。あまり乗り心地がよくないのです。しかも、トロッコ車両には、屋根こそあるものの、壁も窓もありません。夏ならよいのですが、3月下旬では冷たい風が容赦なく襲ってきます。4月以降からの観光向けの列車と言うべきでしょう。

 なお、TORO-Qは、2009年11月29日に最後の運転を終えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする