「第1部:租税法の基礎理論 第04回:課税要件」において、課税要件(Steuertatbestand)について記してきたが、若干の補充をしておきたい。
課税要件には、①課税主体(課税権者)、②納税義務者、③課税物件、④課税標準、⑤税率、⑥租税所属関係および⑦租税帰属関係の7種がある(このうち、①および⑥はあげられないこともある)。所得税、法人税、相続税、消費税、印紙税など多くの租税については、この7つの要件を使って説明することが可能である。
しかし、課税物件および課税標準を想定することが不可能である、とは言えないまでも極めて困難な租税も存在する。人頭税がその代表である。
人頭税は、簡単に言えば国民・住民1人あたり何円という租税である。しかも、その何円は基本的に人の相違によらず同額である。現代の日本では道府県民税個人均等割(地方税法第23条第1項第1号および同第38条を参照)および市町村民税個人均等割(同第292条第1項第1号および同第310条を参照)といった均等課税が近いと言えるであろう。また、森林環境税及び森林環境譲与税に関する法律に定められる森林環境税も同様である(やはり均等課税である。同第5条を参照)。
人頭税や均等課税については、課税主体および納税義務者を予め決定しておくことは必要であるが、課税物件および課税標準を決定することは困難である。不要であると言い換えたほうがよいかもしれない。
課税物件とは、課税の対象となる物、行為または事実である。所得税などであれば所得という事実、固定資産税などであれば土地や固定資産という物、消費税などであれば課税資産の譲渡や外国貨物の引き取りという行為である。
しかし、道府県民税個人均等割、市町村民税個人均等割および森林環境税の場合、課税の対象となるのは何らかの物でもなければ行為でもなく、事実でもない。否、日本国に居住するという事実、神奈川県に居住するという事実がある、という声も聞こえる。たしかにそうとも言いうるが、所得を想起すれば明らかであるように、課税物件という概念で想定される事実は何らかの経済活動によって産み出された経済的な結果としての事実である。居住それ自体は経済的な結果でなく、生存の結果である。その意味において、人頭税や均等課税には課税物件がないと考えざるをえない。
あるいは、敢えて課税物件を見いだすとするならば、つまり、日本国に居住するという事実、神奈川県に居住するという事実を課税物件の概念における事実に含めるならば、課税物件=納税義務者である。これでは納税義務者自身を経済取引の対象と想定することになってしまい、憲法第13条および民法第3条と矛盾するが、法律学的思考によればこのように理解せざるをえなくなる。
課税物件が決まらなければ課税標準も決まらない。従って、人頭税や均等課税に課税物件がないと考えるならば、課税標準など存在しないこととなる。これに対し、課税物件=納税義務者と考えるのであれば、例えば1人は1年あたり1,000円と決定することも可能になる。しかし、人頭税や均等課税においては、通常、1人1年あたりの金額は税率または税額として決定される。そうすると、課税標準=税率(税額)ということになり、結局のところは課税標準、税率のいずれかの概念が不要になる。課税標準を想定するならば、1人1年あたりの生涯なり生活なりを一律に金額という数量的基準で評価することとなる。
以上のように考えるならば、人頭税や均等課税には課税物件および課税標準が存在しえない、と理解すべきであろう。
また、人頭税や均等課税は、支配者が国民・住民を人としてではなく物または道具として扱う(権力的)発想に基づくものと評することが可能である。そこに国民主権または民主主義の根底をなす支配者と被支配者の自同性という思想は存在しない。人頭税や均等課税は、出現形態ばかりでなく、根本から不平等であり不公平なのである。
▲第3版における履歴:2019年10月9日掲載。
▲第2版における履歴:なし。