最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。
第486回:「東急田園都市線途中下車(24) つくし野駅(その1)」(2012年7月13日〜21日掲載)
第487回:「東急田園都市線途中下車(24) つくし野駅(その2)」(2012年7月21日〜7月28日掲載)
第488回:「東急田園都市線途中下車(24) つくし野駅(その3)」(2012年7月28日〜8月4日掲載)
いずれも、写真撮影日は2012年3月27日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。
また、長津田駅については、既にこのブログの「2003年12月30日の長津田駅周辺」(2015年11月26日0時30分33秒付)などで取り上げています。
昨年(2011年)が田園都市線の溝の口~長津田の開業45周年で、今年(2012年)が、現在は田園都市線の一部である新玉川線の開業35周年です。そして、来年(2013年)、つくし野駅の開業45周年を迎えることとなります。今回は、そのつくし野駅を取り上げることとします。駅ナンバリングはDT23です。なお、急行も準急もこの駅には停まりません。
渋谷から田園都市線に乗ると、池尻大橋から二子玉川までは東京都世田谷区ですが、二子新地から神奈川県川崎市に入り、たまプラーザから横浜市に入ります。そして、長津田を出ると横浜線を越えて大きく左に曲がり、再び東京都に入り、町田市の東南の端のほうを走ります。つくし野は、町田市に入ってからの最初の駅です。
上の写真は2番線、つまり上りホームの駅名標です。「つくし」を漢字で書くと土筆ですので、中国語では簡体字で書かれています。駅名標には8500系の姿が反射しています。
この駅は1968(昭和43)年4月1日に開業しました。それから4年間、田園都市線の終点でした。同年10月1日、つくし野発の快速が運行を開始します。途中停車駅は長津田、青葉台、たまプラーザ、溝の口、二子玉川園、二子玉川園~大井町の各駅で、朝、上りのみの運行だったようです。私は実物を一度も見たことがありませんが、写真も残っているようです。
1972(昭和47)年にすずかけ台駅が開業し、つくし野駅は途中駅となります。しばらくの間、長津田~すずかけ台は単線でした。つくし野駅は、開業時はホームが一本しかなく、すずかけ台駅まで延長した際にホームが二本になりました。
小規模な駅ですが、駅舎は大きな屋根を備えています。この駅舎の下にホームがあるので、橋上駅舎となります(正確には掘割の上に設置した駅舎と言うべきでしょうか)。御覧のように、駅舎の壁には土筆が描かれています。もっとも、つくし野という地名が最初からあった訳ではなく、公募によって駅名が決まり、地名もそれに合わせたようです。
駅前に大きな楠があります。開業に合わせて植えられたものでしょうか。この駅の周囲には高い建物がないこともあって(それには理由があります。後に触れることとします)、非常に目立ちます。
楠の下に「つくし野市街案内図」があります。よく見ると、つくし野駅とすずかけ台駅が描かれていることがわかります。つくし野駅の所在地は町田市つくし野4丁目、すずかけ台駅の所在地は町田市つくし野南3丁目です。
また、この案内図を見ると、横浜市緑区に近いこともわかります。田園都市線は都県境の近くを走っているのです。
このあたりがつくし野スクエアで、東急ストアなどが入っています。
左側がつくし野スクエアの東急ストアで、右側が駅前広場です。ここは東京都町田市ですが、神奈川中央交通バスの営業領域となっています。田園都市線の中でも乗降客が少ないほうであることと、国道246号線から離れていることもあり、実に閑静な住宅街です。この静けさは田園都市線でも随一でしょう。
反対側、すずかけ台駅方面を撮影してみました。田園都市線の沿線に典型的な景観とも言えますが、やはり他の駅とは空気が違います。美しが丘三丁目やあざみ野南と似ている部分もあるのですが、何かが異なるのです。
田園都市線の溝の口~中央林間は、ニュータウンとして開発された地域であるため、ともするとどの駅でも同じようなものと思われている節がなくもないのですが、実は駅によってかなり雰囲気が異なります。東横線・目黒線の田園調布駅に最も近い匂いの場所はどこかとたずねられたならば、私は迷わずつくし野と答えます。
つくし野駅の周辺に高層建築物が存在しないのは、上の写真にある「つくし野の憲章」、およびそれに基づく建築協約のためである、と言われています。第二の、あるいは第三の田園調布を目指したとも言われるつくし野の住民が持つ自治意識の高さが現れている、と評価できます。実際、この辺りを歩いていると、敷地面積などでは田園調布に及ばないものの、高級住宅地の名に相応する街づくりを感じることができます。
つくし野駅から住宅地に入り、歩いてみることとしました。「つくし野の憲章」に書かれている通りで、ほとんどの民家は2階建てであり、アパートらしきものが見当たりません。従って、高層マンションも見当たりません。それが、この町の落ち着いた雰囲気を作っています。
実は、この町をゆっくりと歩くのは今回が初めてのことです(駅を利用するのもようやく2回目です)。穏やかに晴れ渡る日に、春の午後を楽しもうと考えています。
つくし野駅に来ています。これから駅の周辺を歩いてみます。東急ストアの南側に出て、そこから脇道へ入ります。すると、一瞬ですがどこの国の街を歩いているのかわからなくなるような光景に出くわします。
薬局や書店などが並んでいます。商店街ということになるのでしょう。シャッター通りなのか否か、にわかに判別がつきませんが、住宅地の延長という表現が正しいのでしょうか。比較的幅の広い道ですが、自動車を通さない構造になっています。
私の乏しい経験によれば、このような街は、首都圏でもあまりみかけません。いや、他ではみかけたという記憶もありません。ドイツにはこのような通りがいくつもあります。その意味では、日本的な街並みではないとも言えます。
右側には、建物の軒でアーケードのような雨除けができています。階段状になっていないので、歩きやすくなっています。
商店街の看板らしいものが見当たらず、住宅地の延長という感じの商店街(?)です。
脇道に入ると住宅街です。このような光景は田園都市線沿線の至る所で見られる、と思われるかもしれません。しかし、実際には違います。たとえば、元々は玉電の延長線として開業した二子玉川~溝の口は、田園都市線でも最も平らな場所ですし、宿場町であったため、商業施設が少なくありません。溝の口~中央林間のも、新しい区間にあるものの、駅によって周辺の街の様子が異なります。様々な条件の下に変わっていくものなのでしょう。
先程の小さな商店街の先に、「つくし野 四季のこみち」という字が彫られた石が置かれています。文字通り、ここが小径の入口です。公園のようなものでしょうか。早速、歩いてみることとしました。
やはり、小径、あるいは公園というところでしょうか。こじんまりしていますが、なかなか良い雰囲気の「四季のこみち」です。私が訪れたのは春、3月の下旬でしたが、夏、秋、冬、それぞれの季節に独自の姿を見せてくれるのかもしれません。
私が住んでいる川崎市高津区にも、ここまでのものではないのですが小径があります。大抵は公園の名称をつけています。歩くと、心が洗われる気がします。それでも、この「四季のこみち」はさらに素晴らしいものとなっていました。管理が行き届いているからでしょうか。
桜の花です。
本格的な春です。
花見の名所でなければ桜が美しくない、という訳ではありません。むしろ逆のことが言えるのかもしれません。
「四季のこみち」を歩き通し、つくし野駅の北側を通る道路に出ました。横浜線の成瀬駅の近くにも出られる道路です。そこに、広大な農地が開けていました。
田園都市線の沿線は丘陵地であり、農地などが多いところでした。現在も、横浜市青葉区や都筑区には農地が点在しており、両区は横浜市内でも農業生産額が高いほうに位置づけられています。町田市も同様かもしれません。近くのスーパーマーケットなどでは地元産の野菜が売られているのでしょうか。10年ほど前、長津田駅の近くに畑があり、その一角に無人の販売スタンドがありましたが、今はどうでしょうか。このつくし野では、販売スタンドを見かけていません。
「四季のこみち」を歩き通し、つくし野駅の北側を通る道路に出ました。住宅地の中に広がる広い農地に、春の証があふれています。
つくし野駅前に戻ってきました。
つくし野駅は、御覧のように橋上駅舎のような構造となっています。地形の関係もあるでしょうし、おそらく、線路の部分は掘割でしょう。右側が西口で、駅前広場も西口にあります。田園都市線の溝の口~中央林間には、同じような構造の駅が他にもいくつかあります。
つくし野駅の東口です。森村学園に向かうには、こちらから歩くこととなるでしょう。東のほうへ少し歩くと、東京都町田市から横浜市緑区長津田になります。森村学園は長津田にあります。国道246号線の旧道らしい道路の沿いにありますので、そのまま歩けば長津田駅前に出られます。
さて、これでつくし野駅前を歩き終えました。このシリーズも、残るのはあと3駅、すずかけ台、南町田、そして終点の中央林間です。