川崎市に生まれ育った私にとって、東京で一番なじみのある街は、やはり渋谷ということになります(他に恵比寿、自由が丘、二子玉川、三軒茶屋、神田神保町、六本木をあげておきます)。東急線を利用される方ならおわかりだと思うのですが、買い物などをする際、大体のことは渋谷で間に合うため、新宿や池袋に足を伸ばすことは少ないのではないでしょうか。新宿までなら行くとしても、池袋に行く必要性を感じる人は少ないと思われます(勤務先が池袋周辺にある人は別ですが)。私自身は、幼少の頃から新宿には時折行っていましたが、よく行くようになったのは大学に入ってからで、それでも渋谷で止まることが多かったのです(むしろ、六本木、神田神保町、大手町方面のほうが行きやすいということもあります)。池袋に至っては、大東文化大学法学部に着任するまでわずか4回しか行ったことがなく、現在も、講義期間中であれば毎週1回、乗換駅として使うだけで、池袋の街を歩いたことはほとんどありません。
そういうことで、私にとっては渋谷という街が身近に感じられます。2004年6月からは、買い物だけでなく、仕事の場所にもなりました。今回も、その仕事場所の近所になります。
東急東横線・田園都市線渋谷駅から東の方角、西麻布・六本木のほうへ歩いて行きます。もう少しで港区という所には、青山学院、国学院大学などの有名な学校が並んでいますし、日本コカコーラの本社もこのあたりにあります。首都高速3号線が通っているだけに、交通量が多い所ですが、少し脇に入ると閑静な住宅街です(渋谷区渋谷、同区東、同区広尾、港区南青山、同区西麻布です)。
2004年12月4日、仕事の関係で国学院大学へ行きました。その日の午後には青山学院大学で日本租税理論学会が行われることになっていました。青山学院の敷地自体は、国道246号線から首都高速3号線および六本木通りを超えて広がっています。そのため、道さえ知っていれば国学院大学から青山学院大学まで歩いて行けます(早ければ10分くらい)。直通のバス路線はなく、短い距離でバス代に370円も支出するのはもったいないし、せっかくなので、昼食後の腹ごなしも兼ねて歩くこととしました。
国学院大学の正門から東の方へ進みます。常陸宮邸の手前にマンションがあり、その敷地の中に、上の写真の案内板があります。
現在の渋谷区東は、港区南青山の一部(七丁目)などとともに常盤松町という地名でした(常盤松小学校は東一丁目にあります)。その由来が書かれています。隣に常陸宮邸があることからも推測しうるのですが、このあたりには皇室の御料乳牛場があったそうで、その中に樹齢約400年という松の木がありました。それが常盤松です。
上の写真の解説文にもあるように、常盤については、源義朝の妾である常盤御前(源義経の母)であるという説、この渋谷などを支配していた豪族の世田谷城主吉良順康の妾の常盤であるという説があります。また上の解説文を引用すると、近所に渋谷城があったようで、その一族の金王丸(現在は金王坂として名前が残されていますが、1979年までは町名としても残されていました)が源義朝と源頼朝に仕えていたそうです。
これが常盤松の碑です。かなり字が薄くなっていますし、現在の字体ではなく、隷書体か何かで書かれていますので、私には読めません。そこでまた案内板を見ますと、かの島津家がこのあたりの土地を所有していたことがあるそうで、島津藩士によってこの碑が作られたとのことです。各地に名木とされる松がありますが(大審院判例で、現在でも民法の教科書などに登場する信玄公旗掛松事件というものがあるくらいです。ちなみに、この松は蒸気機関車の排気によって枯れてしまいました。それが事件となった訳です)、常盤松も相当の名木だったことでしょう。
しかし、現在は常盤松を見ることができません。いつ伐採されたのか、それとも枯れてしまったのか、そのあたりのことはよくわかりません。それとも、どこかに移植されたのでしょうか。
道路の反対側から撮影してみました。気がつかなければ見落としてしまいそうです。私も、たまたま歩いていたから気づいたようなものでした。
常盤松があったという証拠にはなると思われる風景です。右隣は常陸宮邸の敷地です。裏のほうに首都高速3号線と六本木通りがありますが、このあたりを歩いていると、とてもこの二本の道路がすぐそばにあるとは思えません。
なだらかな坂を下ります。この道路にはハチ公バスが通っていますが、本数が少ないので注意が必要です。また、渋谷駅を出てから色々な所をまわりますので、かえって時間がかかるかもしれません。初めての方は、都営バスの学03系統に乗り、国学院大学前(ペルー大使館前)バス停を降り、すぐ目の前に見える交差点を左折するとよいでしょう。
奥は常陸宮邸の敷地で、手前のほうに国学院大学や常盤松小学校、奥のほうに進むと広尾や南青山に出ます。恵比寿駅に出ることも可能です(少し歩きますが、東四丁目からバス路線があります)。 それにしても、もったいないことをしたものです。渋谷区東なんて、そっけもないし、わかりにくい。常盤松あるいは常盤松町のほうがわかりやすいし、風情があります。渋谷区には良い地名も多いのですから、常盤松の地名を復活して欲しいと思うのですが、そんなことを考えるのは私だけなのでしょうか。後で聞いた話では、住居表示を実施する際に常磐松町の住民と氷川町の住民が地名を巡って対立したために東という新地名にしたそうですが、それならば無理に統合する必要もなかったように思います。
坂を下り、恵比寿駅から六本木通りに出る道路との交差点の近くです。常陸宮邸の入口です。撮影はまずいかと思いましたが、緑の多い風景であるということでお許し下さい。喧騒の渋谷駅周辺を少し離れると、こういう静かな場所があるのです。渋谷駅から六本木通りを歩けば、この近所に出られますので、渋谷から六本木や恵比寿への散歩としてお奨めしたいルートです。
この後、六本木通りを渡り、高樹町の付近を通り、元の常盤松町である港区南青山の住宅地を通って、青山学院大学に出ました。国学院大学と青山学院大学は距離的にかなり近いのですが、敷地に入った瞬間に雰囲気の違いを感じます。