ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2012年3月6日、恩田駅

2020年01月22日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第480回:「東急田園都市線途中下車(番外編1) 恩田駅」(2012年3月6日撮影。2012年5月29日〜6月4日掲載)

 誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 まだ、東急田園都市線途中下車シリーズは完結していません。それなのに番外編をお届けするというのはどうなのか、とは思っています。しかし、田園都市線の沿線を歩くのであれば、支線的な存在であるこどもの国線を外す訳にはいきません。また、同線の恩田駅とこどもの国駅は青葉区にありますし、恩田駅のそばには、東急全線と非常に深い関係にある、いや、より精確に表現すれば、東急全線の運行を支える施設が存在します。そこで、番外編の第1弾をお届けすることといたしました。

 上の写真を御覧になって、「立派な駅ではないか?」と思われるかもしれませんが、大規模な駅ではありません。単線のこどもの国線の途中駅で、列車交換ができるというに過ぎません。

 恩田駅が開業したのは、20世紀最後の年である2000(平成12)年の3月29日です。東急線では最新の駅ということになりそうですが、実は東急線の駅ではありません(理由は後に記します)。純粋な東急線の駅で最も新しいのは中央林間で、1984(昭和59)年4月に開業しています。こどもの国線が東急線の一路線として扱われることが多いため、恩田駅およびこどもの国駅も東急線の駅として扱われることも多いのですが、どちらの駅も正式には横浜高速鉄道の駅です。

 駅の正面です。こじんまりした改札口で、自動券売機と自動改札機が設置されていますが、無人駅です。改札を抜けるとすぐに階段があり、ホームに行くこととなります。エレベーターも設置されています。

 こちらには「東急電鉄」と「横浜高速鉄道」とが並んで書かれています。既に記したとおり、恩田駅とこどもの国駅は横浜高速鉄道に所属する駅です。多くの場合に東急線の駅として扱われており、実際に東急の一日乗車券や株主優待乗車券などを利用することも可能ですが、こどもの国線だけは運賃体系が全く別です。これらは、同線が少し変わった歴史をたどっているためです。

 元々、こどもの国線は長津田駅から田奈弾薬庫までの引き込み線でした。軍事路線であった訳ですが、いつ開通したのか、またいつ廃止したのかについては、手元に資料がないのでよくわかりません。戦後、アメリカ軍に接収されていたとのことです。

 その後、1959(昭和34)年、当時は皇太子であられた今上天皇が成婚され、1965(昭和40)年、その御成婚を記念する施設が田奈弾薬庫の跡に開設されました。これがこどもの国です。運営は財団法人こどもの国協会が行いました。しかし、当初はバスしか交通機関がなかったので、引き込み線を利用して新たな鉄道路線が建設され、1967(昭和42)年4月28日に開通しました。こどもの国線です。

 開通時から長らくの間、こどもの国線は、特殊法人化されていたこどもの国協会が所有しており、同協会が東急に運行などを委託していました。そのため、同線の専用とされた車両は東急のマークを外し、こどもの国のシンボルマークを付けていました。完全にこどもの国の利用客を前提とした路線で、8時台に始発、18時台に終電、休園日(通常は月曜日でした)には非常に本数が少なくなるというダイヤで、通勤通学路線として機能していなかったのです。東急各駅にはこどもの国の開園日・休園日を知らせる案内表示が改札口などに置かれていました。1981年、こどもの国協会は社会福祉法人となります。

 国鉄の民営化、JRグループの発足と同時に鉄道営業法が施行され、施設を保有するこどもの国協会は第三種鉄道事業者、運行などを委託されている東急は第二種鉄道事業者となります。1989(平成元)年からワンマン運転が行われています。これは東急線としては初の例です。

 田園都市線の利便性が向上するとともに、沿線にも住宅が増えてきました。通勤通学はバスが担当していたのですが、人口が増えればそれでは足りなくなります。利便性を求める声が増えたため、こどもの国線を通勤路線化することとなりました。しかし、通勤路線の保有となると社会福祉法人こどもの国協会の存在目的から逸脱します。そこで、同協会は、横浜高速鉄道に第三種鉄道事業免許を譲渡します。通勤路線とするには、列車交換ができなければ本数を増やせず、話になりません。既に長津田車両工場があった場所に、列車交換が可能な駅が設置されました。それが恩田駅です。

 改札口の横に、こんな案内表示があります。こどもの国線のみの利用であれば150円均一であるためか、東京23区内、川崎市内、横浜市内で実施されている前乗り前払い方式のワンマンバスと同じような利用方法になっています。また、長津田駅には東急の改札口がありますが、こどもの国線の改札口はありません。

 本来は横浜高速鉄道の駅ですが、東急線の各駅と同じような仕様の自動券売機が置かれています。他の私鉄ではPASMOを利用できない機械も置かれていることがありますが、東急の場合は駅の全ての機械でPASMOを利用できます。

 この駅から、同じ横浜高速鉄道のみなとみらい線各駅までの乗車券を購入することはできないようです。もっとも、そのような乗車券を使う人がいるとも思えません。恩田またはこどもの国から横浜駅までの運賃が510円で、こどもの国線を東急線として扱うならば、東急では最も高額です。最も長い距離となるのは中央林間駅から横浜駅までなのですが、運賃は390円です。長津田駅から横浜駅まで東急線のみを使う(田園都市線、大井町線、東横線を乗り継ぐ)のであれば360円ということになります(JR横浜線ですと290円です)。

 ホームの様子です。おそらく、横浜高速鉄道としても東急としても、最も利用客が少ない駅でしょう。平日の午後のひと時、ホームには人がほとんどいません。長津田行き、こどもの国行きのどちらも、原則として20分に1本の割合となっています。奥には長津田車両工場が見えます。

 恩田駅とこどもの国駅には駅員がいません。このうち、こどもの国駅は、こどもの国線が横浜高速鉄道の路線となった際に無人駅となりました(それまでは東急の駅員がいました)が、時期によっては駅員が配置されるようです。これに対し、恩田駅は開業当初から無人駅です。時間帯などによっては駅員がいるかもしれませんが、両駅とも長津田駅から駅員が派遣されてくるのでしょう。

 駅名は恩田で、地名に由来しますが、現在、この駅の南側はあかね台という地名です。駅の所在地もあかね台です。分譲地であることが一目瞭然で、この道路がメインの一つとなっており、幅が広くなっていますが、脇に入るとかなり狭い箇所もあります。田園都市線沿線の分譲地と、基本的には同じような造りとなっています。なお、駅前には路線バスが乗り入れておらず、バス停もありません。但し、少し離れた所に、あかね台というバス停があり、東急バスの青55系統が発着します。

 あかね台、恩田、奈良町、青葉区の南方ともなると、横浜市と聞いて浮かべる多くの人のイメージとはかけ離れているように思われます。ここから少しばかり車で走れば、町田市との境界、つまり都県境に着きます。市の果てにある町の一つがあかね台です。くまなく歩いたり走ったりした訳ではありませんが、高層住宅などは見当たりません。鴨志田周辺では団地が多いのですが、それとは対照的な所です。

 また、あかね台から外へ出ると、農地などが広がっています。こどもの国線に乗ると、横浜市内でもおそらく(貨物線などを除けば)唯一であろう単線区間であること、さらに沿線の風景に驚かされることでしょう。もっとも、私にとっては、その風景こそが横浜市らしいと思っています。

 恩田駅のすぐそばに、東急の長津田車両工場があります。川崎市中原区今井上町に登記上の本店を有し(本社は宮前区東有馬)、工場も置いている東急テクノシステム(旧:東横車輌電設)の長津田工場も併設されています。ちなみに、川崎市中原区今井上町の工場はJR南武線の武蔵小杉駅と武蔵中原駅との間にあり、同線の車内からも見ることができます。

 東急および横浜高速鉄道の車両は、全てここで定期検査などを受けます。1972年、元住吉工場がここへ移転し、1973年から長津田車両工場となりました。何年か前に恩田駅を訪れた時には、工場の入換用車両として電気機関車のデキ3021、ED30 1、かつては荷電であったデワ3043を見ることができましたが、現在はいずれも配置されていません。

 今回は、5050系、9000系、1000系(クーラーキセからわかります)が置かれています。いずれも定期検査に入っているようです。

 5050系は5000系の東横線ヴァージョンというべき系列で、上のほうに東横線のラインカラーの帯が巻かれています。現在、同線は基本的に5050系に統一されています(本来は田園都市線用である5000系も何編成かが運用されています。また、横浜高速鉄道のY500系も走行しています)。9000系や1000系も走ってはいますが、9000系は大井町線への転属が進められていますし、1000系は日比谷線直通用で、しかもその日比谷線直通の本数が減っています。

手前は5050系、そのすぐ後が9000系です。5050系のほうは5155Fで8両編成ですが、工場の中では分割されています。9000系のほうはよくわかりません。

こどもの国線用の車両、横浜高速鉄道Y000系の2両編成がやってきました。こどもの国行きで、先頭はデハY013です。東急3000系と基本的な部分で設計を同じくしています。

クハY003です。目黒線を走る3000系が4扉であるのに対し、Y000系は3扉です。また、車内には広告がありません。3編成が製造され、全て東急の長津田検車区に配置されています。

 車両工場の入換機がありました。機械扱いですので、工場の外に出ることはありません。

 私が最初に恩田駅を訪れた時には、先に記したデキ3021、ED30 1、デワ3043が置かれていました。これらも車両ではなく、機械扱いとされていました。デキ3021は上毛電気鉄道に譲渡されています。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012年3月27日、中央林間駅 | トップ | 2012年3月29日、こどもの国駅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事