ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2012年3月29日、こどもの国駅

2020年01月23日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第500回:「東急田園都市線途中下車(番外編2)  こどもの国駅(その1)」(2012年10月30日〜11月11日掲載)

 第504回:「東急田園都市線途中下車(番外編2)  こどもの国駅(その2)」(2012年12月11日〜18日掲載)

 第505回:「東急田園都市線途中下車(番外編2)  こどもの国駅(その3)」(2012年12月17日〜24日掲載)

 いずれも、写真撮影日は2012年3月29日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 前回で「東急田園都市線途中下車」シリーズを終了いたしましたが、番外編が残っていました。横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者となっているこどもの国線です。東急線の一部として扱われることが多く、東急の路線でもそのように扱われているのですが、正しくは横浜高速鉄道の路線です(東京メトロ半蔵門線の車両ではそのように案内されています)。2012年5月29日に第480回として恩田駅を取り上げましたので、第500回となる今回は番外編2として、こどもの国線の終点であるこどもの国駅およびその周辺の様子を紹介いたしましょう。但し、今回は第1弾です。

 こどもの国駅に、こどもの国線専用の横浜高速鉄道Y000系の第1編成が停車しています。単線に一面だけのホームです。この駅に来たのは、おそらく小学生時代以来30余年ぶりですが、基本的な構造は変わっていません。

 Y000系は、長津田とこどもの国を、デハY010形とクハY000形の2両編成で往復していますが、多客時には4両編成で走ることもあるようです。ワンマン運転に対応していますが、いわゆる都市型ワンマン運転のため、運賃箱や整理券発行機などはありません。

 1999(平成11)年に登場したY000系は横浜高速鉄道が所有する車両ですが、東急の長津田検車区に所属し、運転や整備なども東急が行っています。目黒線用の2代目3000系とデザインの基本的な部分を同じくしていますが、3扉車であること、帯の色が異なること、側面の行先表示機がないこと、などの違いがあります。また、こどもの国線の長津田駅付近に急カーブがあるため、防音車輪を採用しています。車内には広告がないため、非常にシンプルです。

 こどもの国駅の駅舎です。この駅は1967(昭和42)年4月28日に開業しました。その2年ほど前にこどもの国が開業しています。駅舎の位置とホームの構成には変化がないのですが、駅舎は改築されています。所在地は横浜市青葉区奈良町995-1で、無人駅ですが、自動券売機と自動改札機が備えられています。

 こどもの国線は、元々がこどもの国協会所有の路線で、名前の通り、こどもの国への交通機関でした。そのため、通勤・通学は全く考慮されておらず、始発が8時台、終電が18時台で、しかも休園日の月曜日となるとさらに本数が少なくなっていました。

 しかし、この辺りにも住宅が増えたことなどから、2000(平成12)年3月29日に通勤・通学路線に変身することとなります。これを受け、施設の所有はこどもの国協会から横浜高速鉄道に変わります(1997年のことです)。みなとみらい線の場合は横浜高速鉄道が第一種鉄道事業者ですが、こどもの国線の場合は横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者で東急が第二種鉄道事業者です。もっとも、みなとみらい線の運転業務も東急が行っています。

 実はこの駅の近くを自動車で何回か通っているのですが、駅の周辺が大きく変わっているので驚きました。駅の前にはコンビニエンスストアがあり、そのすぐそばには新興住宅地が展開しています。こどもの国の最寄り駅とは思えない風景です。それもそのはずで、こどもの国線がこどもの国協会から横浜高速鉄道へ移管されたのと同じ年に、奈良町の一部が奈良一丁目~五丁目に分離されています。そして、分離したほうに団地などが建設されているのです。

 そうかと思うと、駅のすぐそばには畑があります。青葉区と都筑区は、横浜市でも屈指の農業地域を抱えており、こどもの国線の沿線にはこのように農地が多く点在しています。実際に、青葉台東急スクエアS1本館地下1階のレ・シ・ピ青葉台では、青葉区産や都筑区産の野菜が売られています。奈良町や恩田町でとれた青菜などが商品として並べられているのかもしれません。この辺りには、都筑郡奈良村→田奈村であった頃の雰囲気が、僅かながらとはいえ残っていると言えるでしょう。

 駅前にはこどもの国の駐車場があります。何台駐車できるのかはわかりませんが、かなり広い面積です。すぐそばを奈良川が流れており、神奈川県道139号線真光寺長津田線が通っています。

 駅から並木が続いています。実はこれが廃線跡です。こどもの国線は軍事路線で、横浜線長津田駅から陸軍の弾薬施設(弾薬庫)までの引き込み線でした。いつ廃止になったのかは明らかでないのですが、この引き込み線が利用されて鉄道が復活しました。こどもの国の内部には、弾薬施設であったことを示す痕跡が目立つ形で残っていました。

 神奈川県道139号線を横断するとこどもの国です。今回は中に入りません。東急バス、横浜市バス、小田急バスが到着し、青葉台駅、市が尾駅、鶴川駅などに向かいます。有名なTBS緑山スタジオに行くには、ここからバスに乗っていくことになります。

 私の小学生時代には、ここが遠足の行先となっていました。田園都市線溝の口駅1番線で待っていると、初代5000系(渋谷駅前のハチ公前交差点のそばに置かれている緑の電車)が回送としてやってきて、停車した途端に団体専用になり、遠足へ行く小学生たちを乗せて、こどもの国まで直通したのです。その数年後、やはり私が通っていた小学校でこどもの国へ遠足で行ったのですが、その日が定休日であった、という出来事もありました。

 駐車場の奥が住宅地となったことがわかります。後の高層マンションが時代の流れを感じさせます。いつ頃から宅地化が始まったのでしょうか。この辺りは、横浜市とは言っても北西の外れ、すぐ近くに東京都町田市との境界があります。青葉台までならよく足を伸ばす私も、奈良を通ることはあまりありません。

 神奈川県道139号線を歩いてみることとしました。こどもの国から奈良北団地、鶴川の方向へ進みます。奈良一丁目~五丁目と奈良町とでは、時間の流れ、あるいは速さが違うような気がします。これが横浜市青葉区や緑区の面白さの一つでもあります。

 そんな中、おそらくはこの地に長く生活の根拠を置かれているのではないかと思われる民家がありました。入口が立派です。幼い頃から「このような家(うち)に住みたいな」と思っていましたし、今も変わりませんので、撮影させていただきました。

 川崎市高津区でも僅かに残ってはいますが、見る機会は少なくなっています。

 道路沿いの小高い丘に、春の息吹が鮮やかに映し出されていました。この美しい色彩を目にしながら、奈良町を歩き続けます。かつてここに軍事施設があった時でも、この辺りの風景はそれほど変わらなかったのでしょうか。

 

前回まで三重県四日市市に飛び、近鉄内部線・八王子線に乗りましたが、また横浜市青葉区に戻ります。こどもの国駅のある奈良町を歩いている途中です。

 今年(2012年)の3月も終わりになろうとしている頃ですから、春らしい、暖かく、穏やかに晴れ渡る日でした。神奈川県道139号線を歩いていると、こどもの国の周囲、奈良町側には緑が多く、和みます。桜が咲き、春の訪れを知らせてくれます。

 

 

今は、このような波板もあまり見られなくなりました。

 

 こどもの国西側の交差点を左折します。すると、先程とは全く違う光景が目に飛び込んできます。奈良町ではなく、奈良五丁目の住宅地です。1997年、奈良町から奈良一丁目~五丁目が分離しました。

 こどもの国線に沿って流れる川に架かる奈良中央大橋の上から、こどもの国駅方面を撮影してみました。かなり住宅地が多くなっていますが、農地も残っていることがわかります。何十年前かの田園都市線の沿線でよく見られたような風景が、ここに広がっています。

 下を流れるのは奈良川で、玉川学園の敷地内にあるという奈良池を源とし、恩田川に合流します。さらに、恩田川は緑区内で鶴見川に合流します。

 奈良五丁目交差点の右側に団地が見えてきました。奥のほうにある横浜モンテッソーリ幼稚園は手元の地図にも書かれているのですが、この団地の名称は記されていません。この先、右側にはルクサージュあおば山の手台、青葉山手台クローバーヒルズ、ヴェルディール奈良と続きます。

 長津田駅周辺、恩田駅周辺、そしてこどもの国駅周辺と歩いていますが、駅が違うとこれほどまでに街並みが違うものかと驚かされます。しかもこの辺りは町田市との境界、つまりは神奈川県と東京都との境界に近い訳で、随分と大きく景色が変わったものだ、と思いながら歩いていました。

 しかも、この辺りはこどもの国駅から近いのに、駅前とはまるで異なる場所のような感じさえ受けます。もう少し歩いて、駅に戻ろうと思っています。

 

 こどもの国駅から奈良町を歩き、奈良五丁目に入りました。駅の西側に広がる新興住宅地を、もう少し歩いてみることとします。

 こどもの国の近くにこのような住宅地が展開しています。最近までよく知りませんでした。隣の緑区にある長津田みなみ台に少しばかり似ているような気もしますが、やはりこの風景は横浜市青葉区の田園都市線沿線のほうに属するのでしょう。ただ、具体的にどこと似ていると言いうるまで詳しくもありません。

 こどもの国線の唯一の途中駅、恩田駅の前に広がるあかね台とは、かなり雰囲気が違います。

 2012年3月29日、桜が咲いていました。場所は、スーパー三和の裏のほうにある公園です。既に満開です。購入してから2か月弱しか経っていないCanon EOS Kiss X5を持ち歩いていますので、撮影してみました。

 これも、同じ公園にて咲いている桜の花を、Canon EOS Kiss X5で撮影してみたものです。初心者向け、あるいは家族向けであるとはいえ、一応はデジタル一眼レフカメラですので、コンパクトデジタルカメラとは違う風味の写真をとることができたのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。

ちょうど春休みの時期です。子供たちが遊んでいます。

 奈良一丁目にあるこの公園の入口です。ここから見ただけではよくわからないのですが、かなり大きな公園であるようです。青葉区のサイトによると1997年3月31日に開園しており、面積は3万8178平方メートルとのことです。青葉区内では最も広い公園で、3万平方メートルを超える面積の公園は同区でここと鴨志田公園(鴨志田町。3万6500平方メートル)、桜台公園(桜台。3万5798平方メートル)しかありません。

 

 こどもの国駅の西側にロータリーがあります。すぐそばに駅があるのですが、電車を降りて改札口を出た瞬間には、このようなロータリーがあるとは気づきません。1990年代にこの辺りを訪れたことがなかったので、あまりの変貌ぶりに驚かされました。

 クシー乗り場が写っていますが、バス停もあります。但し、多くのバスはここではなく、こどもの国正門の前に発着するようです。東急バス、小田急バス、横浜市営バスはこのロータリーに発着しません。神奈川中央交通のバスのみがここに発着するようです。

 さて、そろそろこどもの国駅を離れようと思います。元々は軍用路線、その後はこどもの国協会が保有していた路線であるだけに、東急の他の路線とは全く性格が違います。横浜高速鉄道に移管されて通勤通学用の路線となってからでも、こどもの国線そのものの雰囲気はあまり変わっていません。しかし、1990年代、こどもの国駅の周辺は大きく変化しました。それより前から奈良北団地などがあり、住宅化は進んでいたのですが、1990年代に加速し、奈良町から奈良一丁目ないし五丁目が分離したことで、この地域の性格は大きく変わったと言えます。およそ5年半ぶりにこどもの国線に乗ったのですが、前回は1990年代に新設された恩田駅で降りてしまいました。そのため、こどもの国駅を利用するのは30余年ぶりとなりました。この、確実に経過した時間は、決して短くありません。

 こどもの国線の電車に乗ってもよいのですが、青葉台駅に行きたかったので、東急バスに乗ることとしました。正門前のバス停で待つこととします。

 今回で、東急田園都市線途中下車シリーズは、番外編の横浜高速鉄道こどもの国線も含めて、全て終了します。2年以上もかかりましたが、全駅を取り上げることができました。勿論、今後も、気になるものがあったら撮影し、ここに掲載しようと考えています。


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