私のホームページで、2002年から現在まで「待合室」というコーナーを設けています。その第36回(2003年2月8日~14日)で、鉄道敷設法別表第117号路線の起点となる幸崎駅の写真を掲載したことがありました。そこで、今回はその第36回の内容を再現することといたします。あくまでも、2003年2月の時点における内容であることに御注意ください。なお、写真の撮影は1997年7月27日です。
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大分大学に就職したばかりのころ、講義の準備にばかり追われました。しかし、今より忙しくなく、九州、とくに大分県内のことをよく知らなかったこともあって、時間を見つけては県内の各市町村を回っていました。今回は、大分大学教育学部の講師となって3ヶ月ほど経ったころの写真です。たしか、この時に初めて北海部(きたあまべ)郡佐賀関(さがのせき)町を訪れたはずです。まだデジタルカメラを所持しておらず、一眼レフも持っていなかったので、二眼レフで撮影したものです。
大分駅から日豊本線の普通電車に乗り、しばらくすると坂ノ市駅に着きます。ここが大分市内で最後の駅になります。次の駅が幸崎(こうざき)で、佐賀関町では唯一の駅となります。大分市と佐賀関町との境界も幸崎駅の近くにあります。この駅を出ると、かなりの距離を走って臼杵市に入り、無人駅の佐志生(さしう)に到着します。幸崎駅も、夜間には駅員がいなくなります。以前、この駅に留置されている電車に酔った若者がよじ登り、感電したという事件がありました(日豊本線は交流2万ボルト、60ヘルツです。ちなみに、東海道本線や山陽本線など、そして西鉄や東急などの大手私鉄を初めとする多くの私鉄は直流電化で、1500ボルトです)。
駅名は幸崎なのですが、地名は神崎です。同じ読み方ですが字が違います。
ここで、駅に住み着いている燕を見つけました。
そう言えば、ここを通過する特急にちりんシーガイアも、かつては鹿児島本線を走る特急つばめ号の車両(787系)を使っていました。
私は、佐賀関という名前を知っていました。鉄道ファンを初めとして、佐賀関と言えば「製錬所」を思い出す人は多いはずです。実際、関あじ・関さばというブランドが有名になったのはごく最近のことでして、私自身も大分大学に就職して初めて知りました(刺身で食べるもので、間違っても焼いてはいけません)。
上の写真を御覧になればおわかりのように、幸崎駅には今でも「佐賀関製錬所幸崎駅専用線」の敷地があります。ここから佐賀関町の中心地まで、日本鉱業佐賀関鉄道(軽便鉄道)が通っていました。昭和21年に専用鉄道として開業し、昭和23年に地方鉄道となったのですが、昭和38年に廃止されました。終点の日鉱佐賀関駅の建物は、そのままバスの待合所として使用されています。おそらく、日豊本線の線路に近いところ(上の写真では左側)に駅があり、貨物などを積み替えていたのでしょう。
幸崎駅のある佐賀関町も、大分県の市町村合併推進要綱で大分市との合併案が示されており、今、大分市との合併に向けて動いています。近い将来、佐賀関の町名も消え、大分市の一部となります。
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