2016年の夏、西台駅の高架下から次々に店舗、病院などが撤退しました。一部は移転先を見つけて営業を続けていますが、私が時々寄っていた書店、理髪店、ミニピアゴなどはそのまま閉店したようです。理由は、西台駅の耐震工事であるとのことですが、東口から西口にかけて、かなりの数の店舗が並んでいただけに、一斉になくなったのには驚きました。
私は、大学に行くために西台駅の西口を利用します。ここから東口まで、飲食店、理髪店、書店など、様々な店が並んでいました。9月になって、ほぼ全ての店舗が営業をやめましたが、構造物はしばらく残っていました。
このあたりのことについては、地元のタウン紙である高島平新聞2016年9月号の1面に掲載された「西台駅 耐震補強工事で街が混乱」という記事で取り上げられています。私も大東文化大学板橋校舎の生協で手にし、うちに持って帰って切り抜きました。この記事によると、8月31日が撤退期限であり、実際にその日を最後にほぼ全ての店が閉じられたとのことです。私は9月2日にミニピアゴが閉店していたことを知りました。
西台駅西口を出て、大学へ向かう途中です。このあたりには、ミニピアゴの他、歯科などの病院、不動産屋がありました。病院は比較的早く移転していました。
高島平新聞の上記記事によると、東京都交通局が立ち退きの対象となる店舗に対する説明会を開いたのは2014年10月でした。予定では耐震補強工事の終了後に再び建物を構築し、2018年度から入居を募集するとのことですが、2016年まで営業していた店がどこまで戻るかは不明です。この高島平は、とくに団地で少子高齢化が顕著であり、これまで何度か小学校が統合されています。西台駅の隣、志村車両研修所の真上に高島第四小学校があったのですが、21世紀に入ってすぐに高島平一丁目にある高島第六小学校に統合されています(現在も、西台駅西口の近くに高島第四小学校への通路の跡が残っています)。このような場所ですから、商店主の高齢化も考えられますし、後継者がいない、などの問題も考えられます。
高架下には駐輪場もありました。耐震補強工事のため、今年の1月1日から、予定では2019年3月まで閉鎖されます。高島平や、ダイエー西台店などがある蓮根(西台駅東口のそばを南北に通る道路の東側は蓮根です)は、標高が低く、平坦だからという理由だけではないでしょうが、自転車通行が多い地域です。駐輪場が、一時的であるとしてもなくなれば、様々な問題が生ずることでしょう。
もっとも、西台駅の開業時期を念頭に置かなければ不公平というものでしょう。1968年(奇しくも私が生まれた年)の12月27日に、都営6号線の巣鴨駅から志村駅(現在の高島平駅)まで開通しました。西台駅の開業も1968年12月27日です。当然、工事は開業以前に終わっていなければなりません。そのため、西台駅の基本構造は1960年代(あるいはそれより前)のものということになります。これまた当然のことですが、耐震基準は、いかに重い電車が走るとしても、現在のものより低かったはずです。2011年3月11日の大地震には耐えましたが、このあたりの震度は5強でした。より強くなければ、問題は大きくなる、ということでしょう。
手前にミニピアゴがあり、奥のほうに不動産屋などがありました。左奥は三田線の志村車両研修所です。
高島平のうち、一丁目と九丁目は旧志村西台町の地域です。このことは、飲食店に行き、飲食店組合などのプレートを見ればわかります。東京の特別区では、警察署、消防署、税務署、郵便局などの管轄地域を見れば歴史的なことがわかる場合が多いのですが、高島平の場合は話が違ってきます。
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