川崎市高津区には高津駅がありますが、区の中心駅は溝の口駅(東急田園都市線)・武蔵溝ノ口駅(JR南武線)です。その溝の口駅の西口からであれば1分もかからない所、武蔵溝ノ口駅の北口からでも1分か2分歩けば、溝の口駅西口商店街があります。そばの大山街道踏切から撮影してみました。
溝口2丁目には、今でもこのような場所があります。戦後の闇市の雰囲気を今も残すと言われていますが、川崎市内でもこのような場所はほとんど残っていないはずです。東京都内でも見かけないのではないでしょうか。私は川崎市高津区出身ですのでこの商店街は見慣れているし歩き慣れていますが、そうでなければ「田園都市線の駅前にこんな場所があるなんて!」と思うかもしれません。南武線の沿線としても、1970年代であればともあれ、2020年代でこのような場所を見られる駅前など、ここしかありません。
何となく想像が付くかもしれませんが、この商店街の中は飲み屋ばかりです。そのため、昼よりも夜のほうが活気があります。私のような50歳代前半の世代には信じられないかもしれませんが、若い女性が一人で、あるいは女性ばかり数人で、七輪を前にして肉などを焼いて食べながらビールなどを飲んでいたりします。私自身は何の抵抗もないのですが(だから牛丼屋にもよく行きます)、1980年代に東京で学生生活を送った女性なら、こういう場所で飲食をするのには抵抗があるのではないかと思います。これは偏見でも何でもなく、学部生・院生時代の経験です。あの頃ならブランド志向のようなものがあったからです。今の20代の女性のほうが当時よりよほど合理的で、見栄を張ったりしていないような気がします(男も同じですが)。それは、学生が持っているバッグなどでわかります。バブル期の学生であったら、デイバックなど馬鹿にされていたでしょう。しかし、今の大学生であれば性別を問わずよく見かけます。
話がそれました。私が学部生および大学院生であった1990年代には、溝の口駅西口商店街には肉屋、和菓子屋、クリーニング屋(何故か菓子パンも販売)、帽子屋、本屋、古本屋、定食屋などもありました。大学院生時代には都の西北からの帰り道によく寄ったものです。
この写真では手前の方になりますが、昼間は八百屋、夕方から焼き鳥屋という店があります。日本広しと言えども八百屋と焼き鳥屋を兼ねている店はほとんどないでしょう。少なくとも、私が歩いたことのある街(川崎市に限らず)では溝の口駅西口商店街だけです。2020年まで、こんな場所に明誠書房という古本屋があり、私は時々行っていました。高津駅の近くにあった小松屋書店に次いで面白い古本屋で、お固めのところから柔らかめまで、また1970年代のLPまで売られていました。今、このような古本屋というと武蔵小山駅の西口の古本屋しか思い浮かびません。池尻の江口書店とも違うのです。
1990年代に進められた再開発より前、溝の口駅西口商店街は現在よりもう少し長く、パチンコ屋の日拓の辺りまで伸びていました。トタンかビニールの波板による屋根は、結構長く続いていました。アーケード商店街の屋根とは全く違いますが、似たような役割を果たしていたのです。
再開発によって商店街の距離が縮められてからも、独特の雰囲気は残っていましたが、2007年に火事が発生し、駅の近くのほうは大きく変わってしまいました。私が時々行っていたハセガワという定食屋もなくなってしまい、バラックが残るのはほんの僅かとなっています。高層ビルばかりの殺風景な街など、歩いたところで面白くも何ともなかったりするので、今でも時々歩いては、西口に限らず、再開発より前の賑やかな商店街を思い出しています。
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