(2008年9月20日付で、私のホームページに掲載した雑文を、ここに再び掲載いたします。)
先日のことである。
某所で様々な年代の人が集まる機会があった。ぼくもメンバーになっているから、その集まりに参加しなければならなかった。
あれこれと話が進む。そのうち、メンバーのうちの誰かが近所の洋菓子屋へ行ってケーキの類を買ってきた。その日、30歳の誕生日を迎えた人がいたからである。
その場にいた全員でケーキの類を食べ、誕生日を祝ったのであるが、ぼくには非常に気になることがあった。
この人(どちらの性別であるかは忘れた)が「自分がもう30歳になってしまった」などと、驚きの中に失望が入ったような調子で語ったのである。
それに続いて、先ほどとは別の性の人が「私もあと●●で30歳になるんですよ」と、それがあたかも自分にとってはショックであるかのように話した。●●の部分は、多分あと何ヶ月かとか何週間とか何日とかと言ったのだろうが、覚えていない。
冗談か本気かは知らないが、冗談としても半分は本気であろうから、30歳になることがよほど何かの意味を持っていたのだろう。
この二人の言葉が、ぼくには非常に気になったし、驚かされた。
すぐ後に、ぼくはこう言いたかった。
「おれが30歳になった時には、そんなことを考えている暇もなかったね。」
本当に、講義の際に出す音量で口に出しそうになったが、言わなかった。雰囲気を壊したくはなかったからである。
しかし、ぼくの口からもう少しで漏れ出しそうになった言葉は、ぼく自身の本当の気持ちである。反発も覚えたし、以前、「若さ」で記したことを瞬時に思い出した。
よく考えてみると、たしかに、30歳になるということは、20代ではなくなるということである。20代から抜け出さざるをえなくなったことが、彼らにとってはよほどショックであるらしい。或る程度は悲しみもあるのだろうか。体感的には理解できないが、頭では理解できることである。
でも、ぼくが見れば30歳なんて十分に若い。むしろ、これからが大事な時期である。30代になってたくさんのことを経験したりして、大きくなることができる。仕事にもよるが、30代は修行の時代であったり、飛躍の時代でもある。あるいは、20代が基礎的な能力をつける時期、30代が技量を発展させる時期ともいえるかもしれない。つい最近まで30代だったぼくは、その10年間にあれやこれやの事象に遭遇した。その意味では、大変ではあったが一番楽しい時期でもあった。
いや、あるいは、とも考える。 もしかしたら、ぼくが鈍感なだけかもしれない。あるいは或る種のオブセッションに囚われているのかもしれない(それが何かはわかっているが、ここには記さない)が、そのオブセッションはぼくにとって必要なものでもある。
10歳になったばかりの子どもが「もう10代になっちゃった」などと思うことはまずないと思うが、20歳になった人が「ああ、もう10代じゃなくなっちゃったよ」と思うことは、むしろ普通なのかもしれない。「若さ」で記した学生の件は、まさにこのパターンであろう。
しかし、1年間浪人して大学に入り、1年生の時に20歳になったぼくには、20歳になったからと言って特別な感情などは一切浮かばなかった。せいぜい、「これでおれも選挙権を行使できるな」とか「これで、悪いことをやったらおれの名前が新聞やテレビなどに出ちゃうから気をつけないと」などと考えたくらいで、それも、誕生日から少し経ってからのことである。
それから10年経ち、大分大学教育学部の講師2年目という生活を送っていて、30歳の誕生日を迎えた。それでも、特別なことは何もない。元々、友達を含めて他人から誕生日を祝ってもらうという習慣などが、ぼくにはない。その必要もない。経験はあるが、それは数回しかない。
満30歳となった1998(平成10)年7月5日の日曜日も、いつものように、当時は既に第二の自宅と化していた研究室へ行って仕事などをしている。本当に、特別なことは何もない。講義の準備やら何やらという仕事をしなければならなかったし、読書をしたりインターネットをしたりで、あれやこれやの情報を仕入れたり考えたりしていた。また、その頃は、ぼくが担当していた学生が教育実習に行っていたし、後に「地方目的税の法的課題」という論文を作成するきっかけとなる研究会に参加することになっていた。もっと重要なことがあった。当時は教育学部の改組問題で大変な状況になっていた。周囲にあれこれのことがあった。
ぼくが30歳になったという実感を持ったのは、およそ4ヶ月ほど後、或る人と川崎駅付近で酒を飲んだ時のことだった。日記にも、12月になってからそのように書いている。しかし、それが何か特別な意味を持っていたのかと自問しても、肯定の答えが見つからない。多分、ただそう感じたというだけであろう。日記を書いていた時点では別の印象が浮かんでいたのかもしれないが、とうの昔に忘れている。
今もぼくは、毎日のようにあれこれと考え事をしていて、東急目黒線・都営三田線の電車の中では読書を欠かさないし、「今度はこんなことをやってみたい」などと思い続けている。しばらく中断しているDTMもやりたいし、マスターしてみたいこともある。そして、様々なことに挑戦してみたいと思っている。
考え事ができなくなるくらい、ぼくにとってつらいことはない。だから、常に前進するしかない。そのためには「もう20代前半を卒業だよ」とか「もう40代になっちまったよ」などとは考えない。自分の能力や性格に照らして、やれることをやるしかない。
いつものとおり、何のまとまりもない駄文のままに終わることとなることをお許し願いたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます