東急田園都市線⇔東京メトロ半蔵門線⇔東武伊勢崎線・日光線の直通運転が始まったのは2003年3月のことですから、もう11年5ヶ月が経過しています。しかし、川崎市に生まれ育った私にとって、東武線は縁の薄いものの一つで、伊勢崎線を初めて利用したのが5、6年ほど前のことでした。今も、まだ浅草(または押上)⇔草加しか利用したことがありません。もし、2004年に大東文化大学法学部に移籍しなければ、東上線を利用することもなかったでしょう。昨年の9月、亀戸へ行く際に亀戸線に乗りましたが、都内では伊勢崎線の西新井から一駅だけの支線、大師線が残っていました。そこで、西巣鴨からバスに乗り、大師前駅に行ってみることとしました。
都バスの西新井大師バス停を降り、環状7号線から北へ、少し脇に入った所に、東武大師線の終点、大師前駅があります。ビルとなっており、いくつかのテナントも入っていますが、23区内では珍しい無人駅です(都電荒川線や東急世田谷線の電停などを除きます)。自動券売機もなければ自動改札機もありません。つまり、ここから電車に乗るには、切符を買うことも何もせず、そのまま乗ることとなります。一応は改札口がありますが、御覧の通り、駅員はいません。23区内でこのような改札口を備えている駅もほとんどなくなってしまったので、或る意味で貴重な存在とも言えます。
出札窓口もありますが、シャッターで閉じられています。写真中の「お願い」にも書かれているように、切符を持たなくともそのまま電車に乗ることができますが、隣の西新井駅の構内に大師線専用の自動改札機などが設置されています。たった一駅だけしか走りませんし、伊勢崎線に直通する訳でもないので、これでよいのです。
大師線のようなシステムをとる路線は、他に名鉄築港線(大江⇔東名古屋港)、JR山陽本線和田岬支線(兵庫⇔和田岬)があります。
起点の西新井駅が地上にあるのに対し、この大師前駅は高架駅です。1番線しかないのですが、かなり広い幅のホームとなっています。エスカレーターなども設置されています。写真の左側に、ホームも何もないのに黄色いブロックが並べられていますが、聞いた話によると、実は左側にもホームがあるのですが、蓋をされているとのことでした。
ところで、大師線はたった一区間しかない路線であり、あたかも西新井大師への参拝客のための路線であるかのように思われています。実際にそのような機能を持たされています。しかし、歴史をひもとくと違う姿が見えてきます。
そのヒントは、伊勢崎線・日光線の系統と東上線の系統が離れており、まったく接続していないことです。
大師線は、西新井から東上線の上板橋までを結ぶ西板線の一部として建設されました。大正時代に路線の免許が与えられ、昭和6年(西暦1931年)に、西新井から大師前までが開業しました。大師前から先は鹿浜などを通る予定であったそうです。ところが、免許が与えられる前に関東大震災が起こっており、まだ復旧が進む最中であったことなどの事情があり、1932年に、大師前から上板橋までの区間については未着工のまま廃止となりました。
なお、東上線には、中板橋と上板橋との間にときわ台という駅がありますが、この駅こそ、西板線計画の産物と言えるものです。より正確に記せば、常盤台という住宅地が西板線計画の産物です。
日本において、国鉄・JRを除いた鉄道会社では最大の製造両数を誇る8000系が到着しました。亀戸線と同じく、2両編成のワンマン運転です。実際に、大師線と亀戸線については、共通の車両が運用されているそうです。歴史的にみても東武鉄道の本筋は伊勢崎線・日光線ですが、半蔵門線・田園都市線への直通電車が10両編成、日比谷線への直通電車が8両編成、それ以外の電車は6両編成や4両編成などと、東上線より短い傾向があります。東武で最も乗降客が多い駅は東上線の池袋なので、当然とも言えます。ちなみに、東上線系統では、東上線の小川町⇔寄居と越生線でワンマン運転が行われていますが、どちらも4両編成です。
東武では、ワンマン運転というと8000系なのでしょうか。栃木県や群馬県の路線を利用したことがないのでよくわからないのですが、大師線、亀戸線、越生線、東上線の小川町⇔寄居を利用した限りでは、ワンマン運転=8000系という印象を受けます。越生線でワンマン運転が始められたのは2008年6月のことですが、それまでは10030系も運用されていたのです。
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