ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2010年5月5日、三軒茶屋駅

2019年12月13日 00時00分00秒 | まち歩き

  最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

  第363回:「東急田園都市線途中下車(1) 三軒茶屋駅(その1)」(2010年5月16日〜23日掲載)

  第364回:「東急田園都市線途中下車(1) 三軒茶屋駅(その2)」(2010年5月23日〜29日掲載)

 いずれも、写真撮影日は2010年5月5日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 2004年4月に大分大学教育福祉科学部から大東文化大学法学部に移り、東急目黒線・都営三田線を通勤のために利用してきました。そのために、この「待合室」では「東急目黒線途中下車」シリーズと「都営三田線途中下車シリーズ」を、不定期ながら続けてきました。およそ6年間、東急目黒線・都営三田線を利用してきましたが、2010年4月に転居し、現在は東急田園都市線の沿線に住んでおります。そこで、「東急田園都市線途中下車シリーズ」を始めることとします。「都営三田線途中下車シリーズ」が途中で終わる形となるのは残念ですが、仕方がありません。

 田園都市線を通勤路線としてから、まだ1か月ほどしか経っていません。しかし、1992年4月から1997年3月までの5年間、私は通学路線として田園都市線を利用してきました。当時は渋谷~二子玉川園が新玉川線、二子玉川園~中央林間が田園都市線でしたが、実質的には一体の路線として扱われてきました。 学部生時代より、神保町などへ行く際には田園都市線を使うことが多く、また、梶が谷、鷺沼、たまプラーザ、藤が丘、青葉台などには小学校高学年の時代から何度も行っていたこともあって、私にとっては目黒線よりも親しみの湧く路線でもあります。

 「田園都市線途中下車シリーズ」を始めると言っても、渋谷~中央林間の田園都市線は東急で最長の31.5キロメートル、駅の数は27あり、全てを取り上げるのは難しいのですが、順不同に、気の向くままに、私なりに沿線を紹介していきます。

 さて、第1回をどこにしようかと考えました。これまでにも何回か取り上げた溝の口駅が順当かもしれませんが、たまたま、5月の連休中に妻と三軒茶屋に行きましたし、或る意味で田園都市線を特徴付ける場所は三軒茶屋でもあるので、第1回は三軒茶屋とします。学部生時代から何度も行った場所でもあるので、今後も取り上げる機会があると思っています。

 三軒茶屋は、現在の三軒茶屋交差点、国道246号線(大山街道)と世田谷通りとが分岐する場所の辺りに三軒の茶屋があったことから名付けられたとも言われています。昭和44年までは東急玉川線と現在の世田谷線が分岐する駅でした。現在は田園都市線と世田谷線の乗換駅で、勿論、急行停車駅です。

 その三軒茶屋交差点から、もう一本の道路が分岐します。茶沢通りで、名前の通り、三軒茶屋と下北沢を結びます。道路の幅は決して広くありませんが、下北沢から三軒茶屋を通る小田急バスが通ります。上の写真は、ちょうど西友(昔は緑屋)のある交差点です。自転車が多いことがわかります。

 私たちが訪れたのはゴールデンウィーク、5月5日でした。ちょうど、ちょっとした街角無料コンサートが行われていました。スティールドラム、マリンバ、ドラムの3人編成で、なかなかの演奏でした。全てが打楽器で編成されるバンドというのも、それほど多くないはずです。

 奥のほうに首都高速3号線と国道246号線の立体交差が見えます。その下が三軒茶屋の交差点で、ここで国道246号線(大山街道)から世田谷通りが分岐します。田園都市線はその地下を通っています。田園都市線は、ほぼ全線にわたって国道246号線と並行するように走っており、渋谷駅から駒沢大学駅の先、新町交差点辺りまでは国道246号線の真下を通ります。桜新町駅と用賀駅は国道246号線から少し離れた場所にありますが、これは東急玉川線の跡をなぞるように通っているためです。

 西友の南側です。人々が左のほうを向いているのは、無料コンサートのためです。奥のほうに進むと世田谷線の三軒茶屋駅があるキャロットタワーがあります。また、手前のほうに横丁があります。飲み屋などが集まっていて、その横丁を進むと世田谷通りがあり、再開発の前には世田谷線の三軒茶屋駅がその横丁の辺りにありました。

無料コンサートの会場の隣でバザーが行われていました。

三軒茶屋と言いますが、この町名は三軒茶屋交差点の東側および南側にあります。北側は太子堂で、田園都市線の三軒茶屋駅は太子堂2丁目、世田谷線の三軒茶屋駅は太子堂4丁目にあります。

 現在の東急世田谷線三軒茶屋駅です。既に記したように、私が学部生、そして大学院生の頃には、三軒茶屋駅は世田谷通りに近い場所にありましたが、キャロットタワーが完成したため、その1階に移転しました。そのため、世田谷線の距離は少し短くなっています。ただ、駅は広くなりました。移転前の世田谷線三軒茶屋駅は、改札口もホームも狭かったはずです。

 世田谷線三軒茶屋駅は、線路が一本しかなく、ホームは乗車専用と降車専用とに分かれています。これは、玉川線廃止後から続くスタイルで、終点の下高井戸駅も同様の構造です。

 世田谷線は東急唯一の軌道線です。そのため、路面電車スタイルの電車が走っており、料金も他の東急線とは全く異なります。

 現在、大手私鉄で軌道線は非常に少なく、2005年3月末日を最後に名古屋鉄道岐阜市内線・美濃町線・田神線が廃止されてからは、路面電車スタイルの電車が走るのは東急世田谷線だけとなりました。ただ、世田谷線は、ほぼ全線が専用軌道であり、道路の上を走るのは環状7号線を横断する若林踏切だけです。この点は都営荒川線と異なります。

 短いながらも楽しい世田谷線の旅は、三軒茶屋から始めることをおすすめします。

 

「東急田園都市線途中下車シリーズ」 と言いながら、田園都市線ではなく、世田谷線のほうを取り上げています。しかし、三軒茶屋となれば世田谷線を取り上げない訳にはまいりません。

 世田谷線の300系です。2両編成の連接車で、1999年に第1編成が登場し、2001年に全10編成が揃いました。そのため、70形、80形、150形は廃車されました。これらの車両は非冷房で、床が木であるなど、なかなか味のある車両ではありましたが、やはりサービス面では問題があったようです。300系は冷房車で低床車でもあるため、サービスに貢献しています。

 東急というとステンレス車で、鉄道線は5200系(日本最初のステンレス車)および6000系がスキンステンレス車、旧7000系以降はオールステンレス車ですが、世田谷線は鉄道線ではなく軌道線であるためか、1999年に300系が登場するまでは緑色の普通鋼製車だけでした。300系はセミステンレス車です。10編成のそれぞれが独自の色を持っていて、上の306編成は黄色です。

 踏切から西太子堂側を撮影しました。三軒茶屋駅は線路が一本しかないという構造で、これは移転前と同じです。また、下高井戸駅もほぼ同様です。駅を出発するとポイントを通過して複線になります。

 世田谷線は若林踏切以外で道路の上を走りませんが、現在も軌道線ですので、信号機が軌道線のものとなっています。矢印が進行を意味します。

 世田谷線に乗ってみることとしました。301編成です。元々は緑一色で、前面にサザエさんの顔のステッカーを貼っていましたが、かつての東急玉川線を走っていた連接車デハ200形(ペコちゃんなどのあだ名もある)にちなんだカラーリングに変更されています。到着したばかりで、左側の乗車ホームには女性のアテンダント(車掌ではありません)がいます。

 下高井戸側の301-Aです。既に運転士が乗り込んでいます。前の扉はプラグドアの両開きです。300系はバスのような料金箱を備えており、車内に段差がありません。世田谷線の場合は、ホームのかさ上げを行い、バリアフリー化しました。301編成は、当初、車椅子乗降装置を備えていました。

 路面電車スタイルの電車ですが、運転台は東急らしくT型ワンハンドルマスコンです。もっとも、軌道線である世田谷線では、ワンハンドルマスコンは300系が最初の採用例でして、70形、80形および150形の運転台は左側にマスコン(力行)、右側にブレーキ弁という構造でした。鉄道線では、1969年にデビューし、2008年に東急から完全に引退した8000系(日本最初のワンハンドルマスコン採用車)以来、現在に至るまでT型ワンハンドルマスコンが採用され続けています。それだけに、同じ東急でも軌道線では21世紀になるまでツーハンドル車が活躍し続けたというのも、やや意外な印象を受けます。

 光の反射の関係で、あまりよくない写真になりました。300系は2両編成ですが、連接車と言われる構造で、A(下高井戸側)とB(三軒茶屋側)を連結する形で台車が設置されています。東急では200形以来の構造となりますが、200形は一軸台車による連接構造を採用していました(現在は宮崎台駅高架下の「電車とバスの博物館」に保存されています)。

 70形、80形および150形はロングシートを採用していましたが、300系のうち、上の301編成はバスのような一人がけのシートを採用しており、A(下高井戸側)は一部を除いて下高井戸側を、B(三軒茶屋側)は一部を除いて三軒茶屋側を向いています。また、70形、80形および150形の運転台は左側にありましたが、300系の運転台は中央より右側にあります。そういえば、70形、80形および150形は冷房装置を備えていなかったので、正面の窓も開けられるようになっていました。

 前回、今回と三軒茶屋駅の周辺を取り上げてきましたが、田園都市線の話題はほとんど取り上げられないままに終わりました。

 上の写真に登場するのは、世田谷線の駅があるキャロットタワーです。この中に世田谷線の駅があります。かなりの高さのビルですが、私には、これが三軒茶屋の街に不釣合いな気がするのです。三軒茶屋の魅力が半減したような気すらします。私が三軒茶屋によく行ったのは学部の4年生の時から大学院博士後期課程在学時までで、その頃にはキャロットタワーが建設されていません。その頃は、歩道の上にアーケードがかけられていて、いくつもの商店が並んでいました。少々雑然としたような印象も受けましたが、そのほうが三軒茶屋らしくて好きでした。

 今回は妻と行ったこともあって若林のほうには向かわなかったのですが、世田谷通りを若林のほうへ、上の写真で行けば左側のほうに歩くと私が大学院生時代によく通った古本屋がありました。太雅堂書店です。植草甚一のエッセイを読んで知り、学部4年生の時に初めて行き、大学院生時代にはよく買いに行ったのですが、大分大学に就職してからは行く機会を失いました。インターネットの情報によると閉店したようです。法律学や歴史学の古書で良いものがあっただけに、残念です。三軒茶屋駅付近の映通社は健在です。三宿交差点付近の江口書店はどうでしょうか。


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