ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

今年も神田神保町は古本まつり

2014年11月01日 01時28分37秒 | まち歩き

秋、神田神保町では古本まつりが開かれます。今年も10月25日から11月3日まで開かれています。専大前交差点から神保町交差点まで、会場を歩いてみました。

 私が自宅から本務校へ向かうためのルート、つまり通勤経路には、一時期を除いて神保町駅が含まれています。様々な理由がありますが、やはり、神田神保町で書籍を買うことが多いためです。新刊書、古書を問いません。やはり、この街でないと見つからないということが多いのです。

 六本木と神田神保町は、いずれも私が高校生時代から通い始めた場所ですが、ちょうどバブル景気最盛期に半蔵門線が三越前まで延長した際に学部生活を送っていた私は、溝の口駅から一本で来られるようになったために通う頻度を高めました。大学院時代には、神保町に寄りやすいようにするために通学ルートを九段下乗り換えとしたくらいです(溝の口⇔三軒茶屋⇔渋谷⇔九段下⇔早稲田ということになります)。

 しかし、その学部生時代に、地価の高騰により、古本屋街は衰退の道をたどります。1970年代後半には、周辺の神田小川町、西神田、三崎町なども含めて300軒以上はあったという古書店などですが、現在は100軒を切っているはずです。1980年代後半、専大前交差点から俎橋まで、つまり神田神保町三丁目の靖国通り沿いにも何軒も古書店がありましたが、あっという間に壊滅状態になりました。

 ここ5年くらい、また減少のスピードが速くなったようで、その傾向はすずらん通りなどではっきりと出ていました。そして、このところ、靖国通りやすずらん通りなどを歩いていても古本屋ではなくて食い物屋ばかりが目立つようになりました(昔から多い所ですが、地元の店ではなく、チェーン店などの増加が目立つのです)。学生よりもサラリーマンが多くなったからかもしれませんが、むしろ、読書離れなどのためなのでしょう。危険な歩きスマホをやる連中が多い世の中です。

 神田神保町と言えば、最近ではカレー激戦区なのだそうです。30年も神田神保町へ行き続けている私は、このことを知らなかったのでした。今もかなりの違和感を覚えます。食べることは大事ですが、グルメとなると話が違ってきます。食料生産の維持や増産に関心を向けることと、享楽のための食事への関心の増大は、全く別の次元の話なのです。古本屋の減少と飲食店の増加を見続けていると、神田神保町は、日本の知的レベルの低下、学力低下を縮図的に表現しているのではないでしょうか。

 こんなことを考えながら歩いていると、岩波ホールと岩波ブックセンターとの間の道に入っていました。メイン会場である神保町交差点の真裏です。上の写真の奥、右側には巌南堂書店がありましたが、今はありません。

 このブログでも取り上げたことがある『植草甚一コラージュ日記 東京1976』(平凡社ライブラリー)には、植草氏が通っていた古本屋が何軒も登場します。岩波ブックセンターのそばに泰文社という洋書専門の古書店があり、氏がとくに愛用していたそうですが、現在はありません。

 11月初旬の連休中には、神田神保町一丁目のすずらん通りでも、歩行者天国を活用したイベントが開かれます。ブックフェスティバルです。何度か行ったことがありまして、出版社の倉庫に置かれていた書籍を格安で入手することもできました。最近でこそ違ってきていますが、日曜日・祝日には古書店などが閉まっていることが多く、すずらん通りも閑散とするのですが、このイベントの時ばかりは違います。

 メイン会場の神保町交差点付近です。岩波ホールのある岩波神保町ビル1階にあるスーツセレクトの前、ということになります(余談ですが、スーツセレクトになる前は銀行の支店でした。現在もATMコーナーが置かれています)。

 神田神保町は、一丁目から三丁目まで、靖国通りの南側に奇数の番地、北側に偶数の番地が置かれています。古本まつりの会場は靖国通りの南側です。


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