ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

アークヒルズのカラヤン広場

2013年08月27日 09時16分00秒 | まち歩き

 8月14日、六本木一丁目にあるホテルオークラ東京別館に初めて行きました。地下2階にあるアスコットホールで「モネ ユトリロ 佐伯と日仏絵画の巨匠たち フランスの美しき街と村の中で」という展覧会が開かれていたからです。きっかけは、11日の夜、NHKで放送されている「日曜美術館」の「アートシーン」を見たことです。モネの絵に好きなものがあるので、「これは見なければ!」と思いました。それで、妻とともに、少なくとも私には縁も所縁もなかった所へ行ったのです。

 このホテルオークラ東京ですが、公式には港区虎ノ門二丁目にあり、本館の場所もそこです。しかし、このあたりは虎ノ門二丁目、赤坂一丁目、六本木一丁目が交わるところで、大倉集古館の真向かいにあるアメリカ大使館公邸は赤坂一丁目、ホテルの別館は六本木一丁目で、近くにスペイン大使館があります。我々は虎ノ門駅から歩いたのですが、実際には六本木一丁目駅のほうが近いようです。

 今でこそ港区でまとめられていますが、虎ノ門は旧芝区、赤坂は旧赤坂区、六本木は旧麻布区ですので、ホテルオークラの辺りは旧区の境界があったということになるのかもしれません。

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 ホテルオークラからアークヒルズまでは、歩いて1分か2分くらいです。少し道がわかりにくいかもしれませんが、脇道を上手く利用すれば、アークヒルズの裏側から入ることができます。

 六本木六丁目の六本木ヒルズが完成してから、すっかり影も薄くなったような感もあります。事実、ここは赤坂一丁目と六本木一丁目にまたがりますが(これがアークの語源で、Aは赤坂、Rは六本木、Kはつなぎ目を意味するKnotです)、オープンしてから長らくの間、鉄道駅からは遠く、六本木駅からでも徒歩で10分以上を要しました。あまり利便性の高いところではなかったのです。それでも、日本教育テレビ(NET)時代から六本木六丁目に本社を構えていたテレビ朝日が、1986年、アークヒルズのオープンとともにここに本社を移したこともあり、全国的に有名となりました。

 それにしても、何故ここに「カラヤン広場」なのでしょうか。ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)と言えば、20世紀を代表する指揮者の一人で、私も幼少時からその演奏をレコードなどで聴いていましたが、理由がよくわからなかったのです。実は、カラヤンがアークヒルズ内にあるサントリーホールの設計の一部に携わったそうで、彼の生誕90周年である1998年に「アーク・カラヤン広場」と名付けられたそうです。ちなみに、カラヤンは1989年に亡くなっています。

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 右側にはテレビ朝日アーク放送センターがあります。2003年、テレビ朝日は本社を六本木ヒルズに移します。六丁目に戻ったという訳です。現在は、同社の一部の機能が残る他、テレビ朝日映像、テイクシステムズ(どちらもテレビ朝日の子会社)の本社が置かれています。

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 カラヤン広場の前にあるのがサントリーホールです。テレビ朝日アーク放送センターが六本木一丁目にあるのに対し、サントリーホールは赤坂一丁目にあります。現在は公益財団法人サントリー芸術財団が運営しています。元々、サントリーは大阪市に本拠を置く会社ですが、大阪にはクラシック音楽の本格的会場が似合わないという判断があったのでしょうか。何しろ、大阪には芸術音楽やオーケストラは要らない、などと府知事から言われるような土地柄です。

 クラシック音楽専門のホールで、日本でも有数の演奏会場なのですが、私は一度も入ったことがありません。ここと、渋谷の文化村オーチャード・ホールには、一度だけでも行ってみなければ、とは思っています。

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 カラヤン広場です。サントリーホールは右側にあります。左側はアークヒルズのアーク森ビルで、奥へ進むとANAインターコンチネンタルホテル東京です。

 現在、ここに最も近い駅は南北線の六本木一丁目駅で、六本木通りの谷町交差点から飯倉、麻布十番に向けて坂を少しばかり登るとすぐに見えます。ホテルオークラ東京へ行くにも、一番わかりやすいのは六本木一丁目駅から、ということになるかもしれません(日比谷線の神谷町駅からも行けますが、実際に行ってみたことがありません)。

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 私は、大学院博士後期課程に入学したばかりの1995年5月、アークヒルズに来たことがあります。当時、ここに留学生関係の特殊法人か公益法人が入居しており、28階にあるその事業所へ行ったのです。今回訪れたのは、実に18年3ヶ月ぶりのことです。

 お盆休暇のシーズンの平日とはいえ、異様な程に人が少ないのには驚かされました。先日訪れた、赤坂九丁目の東京ミッドタウンも、意外に人が少ない場所ではありますが、それ以上の閑散ぶりです。何度か、平日昼間の六本木ヒルズを訪れていますが、曜日に関係なく、いつも人が多いことに驚きました。大好きな店だった六本木WAVEがあった頃と比べても、六本木六丁目を歩く人は多いのです。六本木駅に直結しているという利便性の高さもあるでしょう。また、かつては渋谷駅からアークヒルズ行きのバスが多数出ていましたが、今はほとんどが六本木ヒルズ行きです。渋谷駅東口から東京ミッドタウン行きのバスもあるのですが、本数が多くありません。アークヒルズ行きに至っては、往時から比較にならないほどに減らされてしまいました。

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 アークヒルズ内にある店にも何軒か入りましたが、実に中途半端な感じでした。同じことは六本木ヒルズにも東京ミッドタウンにも、そして六本木全体にも言えるかもしれませんが、「また行ってみよう!」と思うようなところがないのです。何所にでもあるような大型チェーンの支店で、しかも大した規模でもなく個性的でもなければ、入る気にもなれません。

 私が六本木を初めて訪れたのは、高校1年生の夏休み最終日、1984年8月31日で、その日に初めて六本木WAVEに入りました。というより、この店に行くことが目的であったのです。それから、一時的な中断はあっても、少なくとも毎月1回は六本木に行っていましたし、必ずこの店に寄りました。1997年に大分大学に就職してからは、さすがに頻度は落ちましたが、川崎に帰る度に六本木へ行き、WAVEでCDを購入しました。最後に六本木WAVEに行ったのは1999年9月24日で、同年12月25日をもって閉店したのを知ったのは大晦日でした。

 2000年1月9日、六本木へ行き、閉店となった六本木WAVEの建物へ行きました。入口に閉店の挨拶が出ています。ミニシアターのシネ・ヴィヴァンも閉鎖されました。1983年に開店し、1999年に閉店していますから、16年とは短いものです。再開発地域となっていることは知っていましたので、そのための閉店であったこともわかっていましたが、復活して欲しかったのです。

 それから10年以上、私は六本木に足を向けなくなりました。2010年5月1日、結婚してまもない頃、妻と初めて六本木ヒルズに、ボストン美術館展を見に行って、再び六本木に行くようになりましたが、頻度はかなり落ちています。

 1999年12月25日を最後に六本木WAVEがなくなったことは、この街にとって大きな損失であったといえるかもしれません。そして、WAVEという会社自体にとっても計り知れない損失にして大誤算だったでしょう(詳しいことは記しませんが、ついに2011年8月6日、倒産してしまいました)。


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