ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

桂川駅と原田駅(2006年9月3日撮影)

2013年09月08日 16時20分27秒 | 写真

 日本国有鉄道の各路線を引き継いだJR各社には、「本線」という言葉が付く名称の路線がいくつもあります。枝線を度外視すれば、現在、最も長い「本線」は山陰本線(京都⇔幡生)です。逆に、最も短い「本線」が筑豊本線です。起点の若松から終点の原田(はるだ)まで66.1キロメートルしかありません。しかも、現在は実質的に3分割されており、筑豊本線として一体化して捉えられないような路線となってしまいました。

 JR各社は、どこを問わず、訳のわからない、と記すと問題がありますが、正式な名称を蔑ろにするような愛称を付けたがります。東北本線の一部分に宇都宮線(東武宇都宮線と勘違いしそうです)、東海道本線の一部に京都線(阪急京都線と間違えます)、東海道本線・山陽本線の一部に神戸線(阪急神戸線と間違えます)、福知山線の一部に宝塚線(これまた阪急宝塚線と間違えます)、筑豊本線と篠栗線に福北ゆたか線( 「このネーミングは何なんだ?」)としているのが代表的な例です。

 今回取り上げるのは、その福北ゆたか線という、本当に訳のわからない愛称を付けられた、筑豊本線と篠栗線との分岐駅、桂川です。漢字だけを見て「かつらがわ」と読む方がおられるかもしれませんが、この駅は「けいせん」と読みます。

 筑豊本線は炭鉱に深い関係のある路線です。そのためか、この桂川駅も構内は広かったようです。

 桂川駅の2番線で、筑豊本線の原田行きの列車を待っています。この駅で篠栗線が分岐しますが、現在、この桂川から博多(正式には吉塚)までの篠栗線のほうが幹線であり、利用客も多いのです。筑豊本線で原田に出るよりも、篠栗線で博多に出るほうが、乗客の需要が多いことはすぐにわかります。そのためもあり、 飯塚を発車して桂川を通る列車のほとんどは篠栗線を経由して博多に向かいます。また、筑豊本線の筑豊本線の折尾~桂川と篠栗線は2003年に電化しましたが、桂川~原田は単線で非電化のままであり、私が訪れた時点では1日に7往復しかなかったのでした。なお、現在は9往復です。

 この日は、天神から地下鉄に乗って貝塚に出て西鉄宮地岳線に乗り、終点の津屋崎に行きました(2007年春に部分廃止され、線名も変更されています)。それから小倉に出て、日田彦山線に乗り、田川後藤寺で後藤寺線に乗り換え、新飯塚で筑豊本線に乗り換えて飯塚で降り、駅周辺を歩きました。時刻を見計らい、再び筑豊本線の普通電車博多行に乗って桂川にやってきました。飯塚から桂川までは私しか乗っていなかったのですが、車掌は律儀にアナウンスをしていました。

桂川駅の改札口を出てみようかと思ったのですが、見たところ、めぼしいものがなく、時間をつぶせないような所です。そこで、仕方なく、駅の中にいました。今度の原田行は18時54分発です。

 何の変哲もないような風景にも思えます。日本全国の駅を周れば、上の写真と似たような景色を見ることができる駅はたくさんあるでしょう。炭鉱華やかりし時代にどようであったかは知りませんが、今は郊外の住宅地という感じがします。埼玉県あたりの、東京からかなり離れた駅にも似ているような気がします。

 このディーゼルカーに乗り、桂川から原田まで移動しました。大分に住んでいた時に豊肥本線や久大本線でよく乗ったキハ31です。私は、大分に住み始めるまでディーゼルカーに乗ったことがほとんどなく(八高線の1回と片町線の1回だけ)、大分市に住み始めて最初に乗ったのがこのキハ31でした。もっとも、製造番号までは覚えていません。このキハ31 1は熊本のほうを走っていたものではないかと思われます(熊本駅で見た記憶があるのです)。

 京浜地区で生まれ育った者にとって、整理券方式は無駄に思えてきますし、いつまで経っても慣れることができません。このキハ31には整理券発行機が付けられており、初めて乗った時には「田舎のバスか?」と驚きました。東京都23区地域、川崎市、そして横浜市の大部分では、鉄道は勿論、バスでも整理券は発行されません。

 10人ほどの乗客を乗せて桂川を出発し、鹿児島本線との乗換駅、原田に到着しました。このキハ31が桂川まで戻ります。

 かつて、筑豊本線にも寝台特急あかつき号などが走っていました。しかし、桂川から原田までは、かつて特急が走っていたということが信じられないほどに寂しい路線でした。途中の駅は全て無人駅で、列車交換もありません (列車交換設備がないためです)。しかも、並行する片側2車線の道路を走る車に次々と抜かされます。冷水峠を越えるような路線だけに勾配が多く、気動車では自家用車にかなうはずがありません。ただ、筑前山家駅の手前あたりの長いトンネルからは下り勾配が続くようでかなり速度が出ていて、この駅に到着する前のかなり長い時間、ブレーキが掛かりっ放しになります。

 九州では、鉄道の沿線よりも道路沿いのほうが夜でも明るいということが多いようです。筑前山家(ちくぜんやまえ)駅周辺はその典型で、駅そのものと周りは真っ暗ですが、道路沿いからは明るい光が見えてきます。

 筑前山家駅を過ぎますと、西鉄天神大牟田線を越えます。筑紫駅が見えますし、三国が丘の近くにある東急ストアも見えました。しばらくして原田に到着します。

 原田は乗換駅ですが、ここも駅の周りが暗く、乗換駅にしては賑やかさも感じられません。ここで夕食を取ろうと思ったのですが、鹿児島本線で博多に出たほうがよいと判断しました。しかし、実際には二日市で特急と快速に抜かされ、快速に乗り換えたら南福岡でまた特急に抜かされました。 博多駅に出るまで、かなり時間がかかったような気がします。これならば、二日市で降りて西鉄二日市まで行くか、南福岡駅で降りて西鉄雑餉隈駅まで歩き、天神大牟田線に乗って天神に出たほうがよかった、と後悔しました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山形県庁が「無償ソフト使用... | トップ | JR東日本が改めて岩泉線の廃... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

写真」カテゴリの最新記事