ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

史跡橘樹官衙遺跡群 橘樹歴史公園

2025年01月06日 00時36分35秒 | まち歩き

今回は、川崎市高津区千年(ちとせ)にある、次の写真の場所です。

 川崎市の大部分は武蔵国橘樹(たちばな)郡でした〔都筑(つづき)郡に属していた麻生(あさお)区の一部を除きます〕。その橘樹郡の中心地であったのが、この橘樹官衙(かんが)遺跡群の辺りなのです。

 中原街道(神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線)にある影向寺バス停から細い脇道に入り、北のほうに進むと、御覧のような真新しい案内板を見ることができます。ここが橘樹官衙遺跡群で、実は2024年5月18日にオープンしたばかりの公園です。

 別の案内板には千年伊勢山台遺跡と書かれています。縄文時代から中世までの遺跡が集まっているということです。縄文時代の石器や土器などが見つかったかどうかはこの案内板にも書かれていませんが、飛鳥時代にはこの地に郡家(「ぐうけ」と読みます。郡衙と呼ばれることもあります)が設置されたのでした。つまり、当時の郡の役所が置かれた訳です。飛鳥時代の後半に律令制が始められ、郡も設置されました。現在は丘の上となっているこの千年伊勢山台の地に郡家が置かれたのは、当時の多摩川の流路とも関係があったのかもしれません。また、当時の海岸線も考慮する必要があるでしょう。

 橘樹官衙遺跡群はこの千年伊勢山台遺跡の他、西に少しばかり離れた宮前区野川本町3丁目にある影向寺(ようごうじ)遺跡も含みます。影向寺は、奈良時代に開創されたと伝えられてきましたが、実際には飛鳥時代の後半(白鳳時代)、西暦に直すと7世紀後半にまで遡ると、川崎市教育委員会による影向寺の記事に書かれています。そして、影向寺は橘樹郡の郡寺と位置づけられることとなります。律令制度が廃れていき、いつしか官衙もなくなりましたが、影向寺は現在に至るまで野川本町3丁目(現在の住居表示によります)に続いているのです。

 公園の中には、御覧のように一棟だけ、郡家の正倉、つまり倉庫が復元されています。手前などに柱の一部が復元されていますが、かつては4棟の正倉が建てられていたということなのでしょう。郡庁などが何処に置かれていたのかはわかりません。周囲は住宅地ですから、工事などで掘り起こされたのかもしれません。

 

公園の北側にはこのような石碑があります。いつから設置されていたのかはわかりません。

 ここが国史跡に指定されたのは、意外に思われるかもしれませんが最近のことです。しかも、川崎市では初の出来事でした。やはり川崎市教育委員会による「橘樹官衙遺跡群の第1期整備が始まりました!!」という記事には、次のように書かれています。

 「平成27年3月10日に、『7世紀後葉から10世紀にかけての古代地方官衙の成立から廃絶までの推移を知る上で、全国的にも貴重な遺跡である』と評価され、川崎市初の国史跡に指定されました。

 平成29年度に『国史跡橘樹官衙遺跡群保存活用計画』、平成30年度には『国史跡橘樹官衙遺跡群整備基本計画』(以下、「整備基本計画」)を策定し、保存管理・整備・活用等の基本方針等について定めました。

 その後、令和元年度から「整備基本計画」短期計画第1期に基づく取組みを進め、この度、『たちばな古代の丘緑地』及びその隣接地の史跡公園整備工事に着手しました。」

 なお、「たちばな古代の丘緑地」が橘樹歴史公園のことです。

 橘樹官衙遺跡群から細い道を南の方に歩くと、神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線に出ます。我々地元民は中原街道と呼んでいます。この中原街道も歴史のある道路で、後に東海道が整備されるまでは主要な街道でした。起源はわかりませんが、橘樹官衙があったということからすれば、現在とは多少とも違うルートであった可能性が高いとはいえ、飛鳥時代には存在していたはずです。なお、中原街道は中原区小杉御殿町および小杉陣屋町を通っています。徳川将軍家に縁のある所に伸びていた訳です。

 御覧のように、周囲は住宅地です。ただ、道路の幅が狭いので、自動車を使うとなると少々面倒かもしれません。また、鉄道の駅から離れています。最寄り駅はJR南武線の武蔵新城駅ですが、1キロメートル以上離れています。バスを使うのが現実的ですが、そうとなればJR南武線の武蔵中原駅か武蔵小杉駅、東急田園都市線の宮前平駅か鷺沼駅でしょう。また、本数は少なくなりますが横浜市営地下鉄グリーンラインの東山田駅から行くことも可能です。 

 なお、川崎市は「たちばなの散歩道」を設定しています。詳細はサイトにある絵図を御覧いただきたいのですが、ここでコースだけを記しておきましょう。スタートは東急田園都市線の梶が谷駅で、梶ヶ谷第一公園、梶ヶ谷第三公園、市民プラザ、野川神明社、影向寺、能満寺、橘樹神社、子母口貝塚、子母口バス停、富士見台古墳(たちばなふれあいの森、たちばな古代の丘緑地)が経由地となっています。距離は約5キロメートルで、高津区末長、同区梶が谷、同区新作、宮前区野川本町、高津区千年、高津区子母口,高津区北野川を歩くこととなります。


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1 コメント

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武蔵中原 (ボッケニャンドリ)
2025-01-08 12:14:02
川崎に住んでた頃は地名にそれほど興味は無かったと思います。
中原街道のことを調べたら、
武蔵中原の中原が平塚の中原由来だとは意外でした。
ここ
ちなみに武蔵新城駅からならバスを待つ間に歩いた方がと考えちゃいます。
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