ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

なかなか見られない東急2000系(1)

2011年11月29日 22時22分59秒 | 写真

 田園都市線を通勤路線として利用する私ですが、東急2000系を見る機会は少なく、乗る機会となるとさらに限られます。現在は同線に2編成しか入ってこない東武30000系のほうが、むしろよく見られるでしょう。

 その理由として、東急2000系が3編成しかなく、しかもその全ての編成が東武線に乗り入れないものであることがあげられるでしょう。どうしても運用が限られてしまうのです。東日本大震災後、東武線への乗り入れを中止していた時期には日中にも運用されていたのですが、再開後は、平日の朝夕ラッシュ時に限られる傾向が再び現れています。

 (撮影:2011年9月16日、高津駅4番線)

 2000系は田園都市線の輸送力増強のため、1992年に登場しました。上の写真は第3編成(2003F)で、これだけは翌年、8両編成で東横線に投入され、同年中に10両編成化されて田園都市線に移りました。

 前面のデザインは東横線を走る9000系と同じと言ってもよいほどで、実際、見ただけでは区別がつきません。ただ、屋根の上のクーラーキセの形が大きく異なりますし、モーターの音などは全く異なります。ちなみに、3000系からは集中式冷房装置を搭載しているため、東急で長らく続いてきた集約分散式は2000系で最後となりました。

 (2011年9月16日、高津駅4番線で撮影)

 1枚目が渋谷側1号車のクハ2003、2枚目が中央林間側10号車のクハ2103です。この編成は、最初から方向表示機がLED式でした(フルカラーとなったのは最近です)。残りの2編成は幕式でしたが、LED式に改造されています。

 既にこのブログでも記していますが、来年、東急車輛の車両製造部門がJR東日本に売却されます。初代5000系、日本最初のステンレスカーである5200系、日本最初のオールステンレスカーである初代7000系、日本最初のワンハンドルマスコン採用車である8000系など、東急で活躍してきた多くの車両が東急車輛で製造されただけに(他社でも南海のラピート用である50000系など、名車がたくさんあります)、今後はどうなるのか、非常に気になります。どこかで読んだ記憶がありますが、湘南型も東急車輛のアイディアだったとか。


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