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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東急池上線の7700系(初代7000系の改造車)

2011年12月13日 22時27分23秒 | 写真

 2012年春に東急車輛の歴史が終わってしまいますが、その東急車輛は、日本で最初にステンレスカー(スキンステンレスカー)を製造し、日本で最初にオール・ステンレスカーを製造した会社です。1958(昭和33)年、東京急行電鉄東横線に3両編成で登場した5200系が、日本で最初のステンレスカーであり、1962(昭和37)年、やはり東急東横線に登場した7000系が、日本で最初のオールステンレスカーです。5200系は1980年代に東急線から離れ、上田交通(当時)別所線に移りました。これに対し、7000系は多くの中小私鉄に譲渡されてもいますが、東急に残された車両がVVVF制御化および冷房化の改造を受け、7700系となりました。

 7700系は、1987(昭和62)年に登場し、当初は大井町線で6両編成として運用され、その後は目蒲線などでも運用され、現在は池上線と東急多摩川線で3両編成として運用されています。初代7000系からの改造車ですから、50年近くも運転されている車両が存在することになります。もっとも、7700系も一部が十和田観光電鉄に譲渡されていますし、また一部は廃車・解体されています。2代目7000系の登場により、今後も数を減らしていくでしょう。

 

 この写真は、池上線旗の台駅2番線で撮影しました。初代7000系時代には正面の赤帯がなかったのですが、7700系に改造された車両にはこのような細い赤帯が巻かれました。その後、初代7000系にも太い赤帯が巻かれました。7700系にはいわゆる歌舞伎色(中央部分が黒、その周囲が赤)などのスタイルも存在します。これは改造時期の違いなどによるもので、他にも側面の行先表示機の有無など、細かいところで違いがあります。

 最近では7200系を改造した7600系を見る機会も少なくなりました。私は、仕事の関係などで時々池上線を利用するのですが、ここ数年、7600系を見たことがありません。7600系、7700系は、あと数年で東急線から完全に姿を消す可能性もありますので、早めに撮影したいものです。

 ただ、幼い頃から東急線を利用することの多かった私でも、7200系は一番なじみが薄く、見る機会が少なく、乗る機会はさらに限られました。7600系についても同様です。東急7200系もいくつかの地方私鉄に譲渡されていますが、とくに豊橋鉄道渥美線には30両ほどが譲渡され、1800系として活躍しています。年末に豊橋へ行ってみようか、などと考えています。

 東急車輛は、日本最初のワンハンドルマスコン車を製造しています。1969(昭和44)年、東横線にデビューした8000系です。これも今は東急線から離れてしまいましたが、伊豆急行で活躍しています(2010年末に乗りました)。そして、日本最初の軽量ステンレスカーも東急車輛が製造しています。1980(昭和55)年、東横線にデビューした8090系です。こちらは現在、大井町線で運用されている他、一部が秩父鉄道に譲渡されています。

〔以上、2011年12月13日に掲載。〕

 動画を追加しました。まずは、上の写真と同じ編成です。


YouTube: 池上線旗の台駅に到着する7700系7907F

 次は、7910Fです。


YouTube: 東急7700系7910F

 

〔以上、2012年2月26日に追加〕

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皆既月食

2011年12月11日 00時22分12秒 | 写真

 2011年12月10日の夜、首都圏でも皆既月食を観察することができました。

 この日の夜、19時からのNHKラジオ第一放送のニュースで皆既月食のことを知り、23時もかなりまわってから、様子を見ました。日食を観察したことはあるのですが、月食はまだなかったので、Sony NEX-5を取り出し、撮影してみました。

 カメラに付属していたレンズで、最大限の望遠機能を使いましたが、まだ足りません。レンズは結構高くて、どうかするとカメラ本体と同じかそれ以上の値段を出さなければなりませんが、天体を撮影するには望遠レンズを購入するか、天体望遠鏡に接続できるような装置を手に入れなければなりません。

 それでも、上の写真では月の左側の色が茶色に変わっていることがわかると思います。

 日付が変わって12月11日になったばかりの頃、月食はさらに進み、月の一部のみが光り、残りの部分は完全に地球の影に隠れていました。写真を撮ったのですが、月のほんの一部がダイヤモンドの指輪のような形になって光っている様子が上手く写っていません。仕方がないので、肉眼でしっかりと見ておきました。

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川崎市高津区溝口 旧大山街道散歩 その4

2011年12月10日 12時11分06秒 | まち歩き

 旧大山街道は、私の散歩道でもあり、時には通勤経路ともなります。また、買い物などへ行くための道でもあります。今回は、高津駅から高津図書館まで歩いてみましょう。

 二子玉川~溝の口の複々線化により、高津駅は大きく変わり、東口の改札口が新設されました。その東改札口を出たところです。上の写真ではまだ工事中ですが、現在は居酒屋の「はなの舞」が営業しています。

 ここには、電車とバスの博物館の別館というべきものがあり、玉川線の人気者であったデハ200形(通称「ペコちゃん」)の204編成が置かれていました。現在、電車とバスの博物館は宮崎台駅の高架下にあり、204編成もそこにあります。

 こちらが、新設された東口です。長らく、高津駅の高架下には電車とバスの博物館があり、この改札口の場所は本館と別館を結ぶ通路の出口でした。当時の入場料は大人も子どもも10円で、自動改札機が置かれ、入場券を機械に通していました。私も、高津駅にあった頃には何度も足を運んだものです。

 改札口を出て、高架に並行する道路から一歩脇に入ると、御覧のように、幅の狭い道路があり、住宅地になっています。この辺りの道路は非常に入り組んでいて、しかも曲がっていてわかりにくくなっています。自動車で走ろうとすると訳がわからなくなるかもしれません。歩く際にも注意が必要です。

 高津駅は二子四丁目にありますが、すぐに溝口四丁目を通ることとなります。現在はJR武蔵溝ノ口駅やノクティなどのあるところが一丁目となっているのですが、かつての溝口一番地は現在の四丁目にあります。駅前の交差点のところにあるマクドナルドの場所が、その一番地なのです。

どこかのテレビ番組にある路地裏探検のようになっていますが、田園都市線の沿線にもこんなところがあるということを示したいという訳です。

 道路が複雑に入り組んでいます。高津区は、武蔵新城駅に近い千年、新作、末長の、それぞれ一部地域を除くと、ほとんどといってよいほど区画整理がなされていません。溝口もそうです。所々に、車で通行できない道路があったり、自動車では途中で行き止まりになっているという道路もあります。車の運転を上達させたかったら高津区内を走り回ると良いかもしれません。

 私の小学生時代、川崎市内の小学校で使用された社会科の副読本で、区画整理が行き届いた場所の例として示されていたのが、武蔵新城駅の南口、とくに下新城で、逆として示された例が、同じ武蔵新城駅の北口から少し歩いたところにある中原区上小田中でした(そこの小学校へ、私は通っていました)。上小田中も、自動車で入り込んだら大変なことになるような箇所が多いのですが、溝口もその点では負けていないかもしれません。但し、溝口の場合はポイントとなる場所・道路さえ踏まえておけば、道に迷うようなことは少ないでしょう。

 旧大山街道に出ました。高津図書館入口交差点のそばにある、タナカヤという服屋さんです。高津駅から旧大山街道にかけては、田中屋という名前の店が非常に多く、私が知る限りでも写真屋、はかり屋、葬儀屋、氷屋があります。他にもあるかもしれません。

 上の写真を改めてみても、いかにも古くからある建物という感じがします。実際、この建物は明治時代に築造されています。

 タナカヤの前にある案内板です。既に写真でおわかりかもしれませんが、蔵造りなのです。このような建物は、旧大山街道沿いでも非常に少なくなっており、私が知る限りでは他に灰吹屋の旧本店(高津交差点の近く)くらいしかありません。

 タナカヤの斜め向かいは、工事中でした。現在はマンションが建っているはずです。奥へ進めば二子橋で、そこに至るまで、かつては古い建物が多かったのですが、最近は鉄筋や鉄骨の建物が多くなりました。それだけに、蔵造りの建物は貴重なのです。

 また、この道を進むと二子二丁目公園があります。そこに大貫病院がありました。あの著名な芸術家、岡本太郎の母親である岡本かの子の生家であった所です(但し、かの子自身は東京青山の別邸で生まれています)。そのため、この辺りには岡本かの子を記念するものが点在しています。高津図書館の入口には歌碑があり、二子神社には岡本かの子文学碑があります(彫刻は岡本太郎が製作したものです)。

 以前、「川崎市高津区溝口  旧大山街道散歩  その3」で国木田独歩碑を取り上げました。独歩、かの子。明治、大正の日本文学を担った人々が、この高津区に浅からぬ縁を持っていたことは、高津区に生まれ育った私にとって少しばかりの誇りでもあります。

 高津図書館と同じ敷地にある溝口緑地です。入口のそばにひときわ目立つ大木があり、その下に国木田独歩碑が置かれています(http://blog.goo.ne.jp/derkleineplatz8595/d/20111104)。

 右が溝口緑地、奥が高津図書館です。「川崎市高津区溝口  旧大山街道散歩  その3」でも記しましたが、ここには文教大学の付属小学校がありました。1980年代、図書館が現在の溝口三丁目から移転してきました。私のホームページに掲載している、大学院修士課程1年生の時の論文「川崎市市民オンブズマン条例についての考察」を書くために、この図書館に何度も来ました。川崎市の市政に関する資料などが置かれているからです。夏休みに利用したこともあって、受験生などで席は占領されていました。朝早く行き、開館を待つ人の列に入ったことも何度かあります。

 建物の手前、写真では右側のほうに岡本かの子の歌碑があります。写真ではわかりにくいものなので、掲載は見送りました。

 溝口緑地です。公園と表現するほうがよいかもしれません。もっとも、遊具らしいものはほとんどありません。

 高津図書館の建物の裏です。ようやく車一台が通行できるほどの幅しかありませんので、当然、一方通行です。

 この辺りにはイルミネーションがお好きな方がお住まいのようで、12月になると夜に何軒かのお宅からきれいなイルミネーションが輝きだします。クリスマス、ということなのでしょう。赤、青、黄色などの光が、この付近を照らします。最近では家庭用イルミネーションが流行っているようです。

 溝の口駅周辺などでも街灯のイルミネーションがなされますが、あれは街路樹を利用するので、樹木に悪い影響を与えるのではないかと思われます。それに対し、こちらのイルミネーションは民家の壁などを利用します。

 もう一度、溝口緑地です。手前の自転車などは、高津図書館を利用する人たちのものでしょう。この図書館には駐車場がないですし、道も狭いので、自動車を利用しないことをお勧めします。旧大山街道は、歩いて楽しむべきです。

 高津図書館の裏の住宅地です。ここから溝口五丁目、二子一丁目にかけて、道路は複雑に入り組んでおり、軽自動車でも通行できない箇所もあります。かつては田畑が広がっていたのでしょうか。

 高津図書館と高津小学校との境界の近くに、こんなものがあります。何の動物なのかわからないのですが、ラグビーボールのようなものを持っています。

 高津小学校の敷地には、川崎市教育総合センターの幼児教育センターが併設されています(総合センター自体は溝口六丁目の国道246号線沿いにあります)。また、川崎市立みぞのくち保育園、地域子育て支援センターたまご、ふれあい子育てサポートセンターたまごも、高津小学校の敷地に併設されています。

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MacBook Airを使い始めて

2011年12月07日 22時04分56秒 | デジタル・インターネット

 今年の8月21日、渋谷でMacBook Airを買いました。11インチの画面で、1.6ギガヘルツのデュアルコア、4ギガバイトのRAM、128GBのフラッシュ記憶装置です。それから3ヶ月以上が経過していますが、サブメインマシンとして、とくに外出時は専らMacBook Airを使っています。8月30日から9月8日までの、西南学院大学での集中講義の際に大活躍し、改めてその良さを実感しました。

 これまで、集中講義の時にはWindows機(ソニーのVAIO)を持って行ったのですが、深刻なトラブルに巻き込まれたことが何度かありました。また、今年の8月に福岡大学の集中講義を行った際には昨年の12月に購入したWindows機を持参しましたが、あまりに非力で何をやるにも時間を食い、使いづらいので困っていました。そこで、思い切ってMacBook Airを購入した訳です。メインマシンではないので、アップルストアでカスタマイズした上で購入するというようなことをしなかったのですが、想像以上に使い勝手がよく、やはりMac OS Xは素晴らしいOSであると思わざるをえません。Windows Vistaがひどかっただけに、強く感じるところです。

 私にとって、MacBook Airは3台目のMacです。大分大学教育福祉科学部の助教授になった2002年6月に、自宅の近くの大型家電店でiBook G3 600を買い、翌年にPower Book G4(15インチ)を買いました。

 今でこそWindows XPは高く評価されていますが、それはサーヴィスパックの2か3が出てからのことで、当初はひどいソフトでした。強制終了しなければならないような異常事態が頻発し、仕事にならなかったのです。安定したOSが欲しいと思っていた時、雑誌でMac  OS  10.2がよいという話を読みましたので、物は試しにということでiBookを買ってみたら非常に安定しており、大分大学での講義などにも活用していました。ちなみに、9年前に買ったiBookは現役のままです。

 その後、Windows XPは良くなってきました。元々、ワープロソフトや日本語入力の点ではWindowsのほうが上ですから、仕事ではXPを使用してきたのです。ところが、後継者たるべきVistaが、あまりに重くて使いづらかったのでした。起動して安定するまで「一体いつの時代のパソコンか?」と思わせるほどに遅く、CPUメーターがいつもレッドゾーンを示していました。世間的にもVistaは不評であったためにWindows 7になった訳です。今の私のメイン機(VAIO)もWindows 7です。ただ、これも使い勝手が良いのか悪いのか、よくわからないOSです。

 それで、昨年からMacBook Airの購入を検討してきました。私がパソコンを買う時は、いつも何ヶ月間かの準備期間を置きます。梶が谷のコジマなどで実物を見て、薄さと軽さがよいと思っていました。ただ、値段などのこともあって、かなり迷いました。また、USB端子が2つしかなく、プロジェクターに直接つなげることができる端子もありません。DVDドライブなどもありません。集中講義などがなければ、購入の時期はもっと遅くなっていたでしょう。

 8月、Mac OS 10.7 (Lion) が登場するというニュースが流れました。MacBook Airを買うなら、そのOSが最初から組み込まれているのがよいと判断し、様子をみていました。福岡大学での集中講義の後に購入を決断しました。次の西南学院大学での集中講義は長丁場で荷物も多いので、とにかく薄くて軽い機械が必要と感じたからです。

 さて、MacBook Airを実際に使用してみての感想などを記していきます。

 まず、とにかく薄くて軽い機械であるのに、キーボードの打ち易さが失われていません。これがWindows機であると、10インチや11インチの画面のものではキーボードが打ちにくくなります。

 次に、ハードディスクではなく、フラッシュストレージを採用している点を評価したいのです。自宅に据え置くのであればハードディスクでもよいのですが、ノートパソコンならフラッシュストレージのほうがよいでしょう。回転部分がないからです。Windows機では、VAIOのPシリーズが似たようなものを採用していますが、Pシリーズは画面が小さすぎて見にくく、キーボードも打ちづらいという難点があります。

 おそらく、フラッシュストレージを採用している点からくる長所と思われるのですが、MacBook AirはWindows 7搭載の機種より起動が速く、終了も速いのです。Mac OS 10.7であるからかどうかまではわかりませんが、速く立ち上がり、速く終わることができます。逆がWindowsで、起動に時間がかかるし、終了については、時には「いつ終わるのだ?」というくらいに時間がかかります。

  Mac OSがWindowsに劣ると思われた点の重要な一つが、日本語入力システムです。しかし、Mac OS 10.7は非常に良くなりました。

 私は、Windows機については専らMS-IMEを使用しています。これで十分であるからで、わざわざ金を出して他の入力システムを入れる気にもなれません。方言入力なんて使う必要もないし、私の場合は英語、ドイツ語、フランス語などの入力をすることがありますから、MS-IMEは外せません。

 しかし、Macの場合はそのようにいかなかったのでした。私が購入した2台目のMac、Power  Book G4ではMac OS 10.2で、その後10.3、10.4と上げていきましたが、その日本語入力システムである「ことえり」は全く使い物にならず、ジャストシステムのATOKが必須でした。iBookには別の日本語入力システムを入れておりました。いずれにしても「ことえり」では話にならなかったのです。このシステムでまともな論文を書こうとすると、変換から何からが面倒になります。論文でなくともまともな文章を書くことが難しかったのです。

 ところが、現在のMac OS X Lion(10.7となります)の「ことえり」は格段によくなりました。性能は、Windows機であれば必ず付いてくるMS-IMEに近くなっています。ただ、使用感はかなり異なっており、携帯電話の日本語入力システムにも似ています。まだそれほど使い込んでいないのでわからない点はあるものの、とりあえずは合格です。使えないシステムであれば、最初の時点ではっきりわかります。さらに使ってみて、最終的な評価を下すことになります。

 もう一つ、インターネットでの使い心地を取り上げなければなりません。マックの標準的なソフトはサファリです。Mac OS 10.7のサファリは「だいぶ使いやすくなったな」という印象でした。以前のサファリには違和感があり、また、インターネット・エクスプローラーに比べると実用性で劣りました。しかし、今はずいぶんよくなりました。惜しむらくはフォントの制約で、今もインターネット・エクスプローラーより表示の範囲が狭くなっています。

 だいぶ昔の話ですが、パソコン普及の大きな原動力となったWindows 95はMac 89だと言われたことがあります。今のMac OS Xについても同じことが言えるかもしれません。Windows Vista、Windows 7のどちらも、それほど魅力的なOSと思えないのです。Mac OS Xに触れていると、そのような気がしてきます。私自身は持っていませんが、iPad、そしてiPhone(妻が活用しています)を見ていると、やはり今のWindowsはMacにかなわないという気がします。数年でWindowsはすたれるかもしれません。

 主に外出時にMacBook Airを持ち歩いていますので、考えようによっては過酷な使用環境ともなりえます。しかし、今のところはトラブルらしいトラブルもなく、使い込んでおります。

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法律学の勉強の仕方(その4) 答案練習

2011年12月06日 00時22分47秒 | 法律学

 早いもので、ぼくが大学の教員となってから14年と8ヶ月が経った。教育関係の学部で7年間を過ごし、法学部に移ってから既に7年半を超えたのである。

 教員であるということで、ぼくは期末試験の出題および採点を行っている。大学によって時期は異なるが、大体、前期末試験が7月下旬(現在も9月に行われるという大学もあるかもしれない)、後期末試験が1月下旬から2月上旬にかけてであろう。試験が行われるならば、答案を読んで採点をする。

 大学の期末試験では、選択式(短答式あるいは択一式ともいう)の問題が出る場合もあるが、多くは論述式である。少なくとも法学部では圧倒的に論述式が多く出題される。

 最近では、多くの大学で試験時間が60分となっている。講義の時間は90分であるから、試験時間は「少し短いかな?」という気もするが、様々な事情もあるのであろう。ぼくが学生であった時代には、試験時間も90分であった。大分大学教育学部・教育福祉科学部に在職していた時代も同じであり、担当する講義によっては100分と設定していた。そのくらいあってもよいという気もするが、不思議なもので、90分と設定すると、過半数の学生は60分以内に解答を終える。60分と設定すると、30分から40分で終える。勿論、解答など全くしていない者も存在する。

 研究室で、あるいは自宅で採点の作業(大分時代には研究室以外の場所で採点することはほとんどなかったが)をしていると、色々な答案に出くわすものである。「文句なし!」あるいは「我が意を得たり!」という答案もある。本当に、答案に私が赤か青でそう書くこともある。そこまで行かなくとも、要点をおさえ、構成がしっかりしているものも少なくない(ただ、足りない部分があるから満点とはならない。論証不足、論拠不足などである)。

 一方、文章の構成が上手くない答案も多い。結論が先に書かれていて問題提起が最後に書かれているという、まるで順番が逆転している答案もある(逆立ちして読め、とでもいうのであろうか)。また、何が論点となっているのかが明確にされていないものもあるし、概念の意味、判例や学説の内容などを正確に記していない答案も多い。自分の意見だけを、何の論拠も示さず、主観的に、あるいは感情的に記すというものも少なくない。こちらがヒントを出していても無視されたりする。

 そうかと思えば白紙もあり、全く問題と関係のない文章が延々と続くという答案もある。古典的なところでは「美味しいカレーの作り方」を、時には御丁寧にイラスト入りで書いてくる学生もいる。校歌が記された答案もあった。これも古典的であるが、こちらの出題とは全く違うことを書く学生もいる。どうやら、予想していた問題とは違うものが出たので、自分はこれだけ勉強したのであるということを示したいのか、勝手に問題を作り変えるのである。勿論、ぼくはこれらの答案を見て、その瞬間に0点とする。文字通り、読む段階の問題ではないからである。

 とにかく、100枚、200枚という答案を読み、採点するのであるから、答案にヴァラエティがあってもおかしくはない。しかし、確かなものを感じさせる答案は本当に少ない。ポイントをしっかりとおさえ、過不足なく書けている答案というものには、滅多にお目にかかれないものである。

 この時期、採点をしていると、およそ23年前にスタートした4年間の学生生活を思い出す。その当時も今も、状況はそれほど変わってはいないのであろうが、一体、答案の作成を練習している学生は、どの程度の割合で存在するのであろう。年々少なくなっているのであろうか。

 「答案の練習?」と首を傾げる方もおられると思う。しかし、これは必要な作業である。単に期末試験を突破するために必要なのではなく、レポート、論文などを書くためにも、そして社会に出てから報告書なり何なりを書くためにも必要な作業である。文章作成の練習と思っていただければよい。実際に書かれた答案を読めば、その学生が答案の作成の練習をしているか否か、すぐにわかる。大学院入学試験でも、ろくに練習をしていないのではないかと思われる答案が散見されるだけに、2007年4月から2009年3月まで大学院法学研究科の法律学専攻主任を務め、2009年4月から2011年3月まで法学部法律学科の主任を務めたぼくとしては、答案作成の練習くらいは十分にしておいていただきたい、と申し上げておく。

 旧司法試験が行われていた時代に法学部に在籍していた学生であれば、答案練習、あるいは略して答練という言葉を耳にしたことがあるはずである(耳にしたことがないというあなたはモグリである)。そう、旧司法試験の受験生であれば、答連は常識の範疇に入る言葉であろう。司法試験予備校であれば答連講座というものがいくつも存在していた。法律学の教科書や資格試験の参考書を揃えている大型の書店であれば、司法試験の答練に関する多数の書物を目にすることができた。また、最近では少なくなったが、『演習●●法』、『答練●●法』(学陽書房から出版されていたが、今はどうなのであろうか)、『演習ノート●●法』(法学書院から出版されている)などという本を見かけることもある。余談であるが、ぼくも、2007年4月に出版された法学書院の『演習ノート租税法』の一部を担当している(2008年10月に補訂版が出版されている)。

 ぼくは1988年に中央大学法学部法律学科に入学した。ちょうど、神田駿河台から八王子市東中野に移転して10周年という年である。入学当初から司法試験受験を目指す学生が周りに多かったこともあり、自然に答案練習あるいは答連という言葉が染み付いていった。ぼくも、最初のうちは司法試験受験も考えていたし(司法試験受験団体の入室試験を受けたこともある)、同級生の影響を受けたためであろうか、何となく答案練習を行うようになった。本格的に行い始めたのは2年生になってからであり、様々な科目の論点を探し出し、それぞれの論点について答案練習を行ったものである。全てが良い結果を生み出した訳でもないが、無意味であった訳でもない。むしろ、答案練習をしなかったら、まともな答案を書くことができず、単位を得ることができない科目が続出したであろう。ちなみに、ぼくは、学部時代の成績はそれほど良くなかったが、一つとして落とした科目はない。

 環境にも恵まれていたかもしれない。中央大学多摩校舎の生協の書籍コーナー(今でも、中央大学多摩校舎へ行くと必ず寄り、何冊か買う)には、法律学の基本書(この言い方を知らない法学部生もモグリであろう)や司法試験向けの参考書が揃えられていた。その一角に『演習●●法』、『答練●●法』、『演習ノート●●法』などがあり、何冊か購入しては参考にしていた。また、たしかLEC東京リーガルマインドであったと思うが『論点ブロックカード』のシリーズもあった。

 その後、1992年4月から1997年3月までの5年間、早稲田大学大学院法学研究科で過ごしたが、早稲田大学生協、成文堂などにも演習本や答連本が揃えられていて、時折読んだりしたものである。そもそも、修士課程の入学試験に向けて、大学院入試の過去問を中心にして答案練習を重ねたし、修士論文の作成にも答案練習で得られたものを生かすことになった(勿論、指導教授であった新井隆一先生を初めとした諸先生方の厳しい指導を受けたことを忘れてはならないが)。

 ここまで書いて、まだ答案練習とは具体的にいかなるものであるかを記していなかった。答案の練習と言っても、どのようなものかがわからないかもしれないので、ここでぼくが行ってきたことを中心にして述べていこう。なお、本格的に司法試験を目指す方は、ぼくのこの文章を読んだ上で、司法試験受験参考書などをよく読んでいただきたい。ぼくは期末試験のレヴェルを中心として説明をしていくつもりである。

 今まで記したところから、答案練習は論述式試験への対策であることがおわかりであろう。選択式試験の場合には答案練習など必要ないからである。それでは、論述式試験についての答案練習をどのように行えばよいのであろうか。

 まず、問題文を読む。「当たり前のことじゃないか!」とおっしゃられるかもしれないが、その当たり前のことが大事である。何が問われているかを確認しなければならないし、その問題文から論点を探り出さなければならない。論述式であるからには、或る事項について複数の見解が存在し、それぞれ妥当性を主張しているはずである(そうでなければ論述式の問題を出す意味も答える意味もない)。何が論点であり、その論点についていかなる見解が存在するのか、その概要を把握していることを示す必要がある。

  たとえば、「日本国憲法の下において予算はいかなる法規範であると考えるべきかにつき、論じなさい」という問題文があったとする。ここで問われているのは予算のことである。そこで、予算とはそもそも何であるのか、定義を確認しておかなければならない。よく、定義すら書かれていない答案を見受けるが、これでは採点者に「本当に理解しているのだろうか?」と思わせてしまう。科目あるいは採点者によっては、定義を記すだけでも合格点を出す人もいるほどであり、それだけ重要なものなのである。

 出題の内容を確認し、定義を記したならば、次は論点である。出題者の意図はここにある。たまたま、上の問題文では「予算はいかなる法規範であると考えるべきか」という形で論点があげられている。但し、これはまだ抽象的である。何故に論点となっているかと言えば、日本国憲法には予算の法的性質に関する規定が存在しないこと、予算と法律とを区別し、それぞれの成立過程について異なる手続を規定していること(第59条、第60条、第73条第5号を参照)をあげることができる。また、諸外国の例では予算も法律の形式を採ることが多い(イギリスでは慣習法として予算が法律の形式を採るのであり、これが他のヨーロッパ諸国に広まった。例、ドイツ連邦共和国基本法第110条、アメリカ合衆国憲法第1条第9節第7号、オーストラリア連邦憲法第54条、フランス共和国憲法第47条)。しかし、日本の場合は、大日本帝国憲法が予算と法律とを区別しており、日本国憲法もこれを引き継いでいることが、予算の法的性質に関する議論が生じたことの原因の一つとなっている。できるだけ、このような背景を述べた上で論点を示せばよい。

 その上で、学説や判例の状況を示す。予算の法的性質については判例が存在しないので、学説を概観すればよいことになるが、予算行政措置説(日本国憲法の下では採りえない説なので、答案に示さなくともよいと思われる)、予算法形式説(通説)、予算法律説があり、主に予算法形式説と予算法律説とを検討していくことになるが、その前提として両説の概要を示さなければならない。

 なお、とくに判例がある場合についての設問に対する解答で、学説や判例の状況を述べて終わっている答案が多い。時間の関係なのかどうかはわからないが、中途半端である。論述式問題で出題者が最終的に尋ねたいことは、解答者がいかなる立場を採って問題を処理しているのか、ということである。学説や判例の状況が正確に示されていれば、それでも合格点になるかもしれないが、高得点には至らない。採点者にもよるが、C(可)、高くてB(良)である。

  次に両説の検討である。解答者がどちらの説に立つかを予め決めておく必要があるが、ここでは予算法形式説に立つこととしておくと、予算法律説による予算法形式説への批判と、それに対する予算法形式説からの反論を記せばよい。但し、何の根拠もないような感情的な議論であってはならない(演習でもこのような議論をやる学生がいて、時々困るが)。たとえば、憲法の構造、条文の規定の仕方、予算と法律との矛盾の問題、国会の予算修正権の広狭の問題を検討した上で、予算法律説を批判していく。ここで、論理構成、法的思考法の有無または程度が問われる。解答者の力量がよくわかる部分なのであるから、ここに重点を置けるようになっていただきたいものである。

 そして結論である。意外なことと思われるかもしれないが、結論が書かれていない答案が多いのである。これでは、採点する側としては解答者が何を考えているのか測りかねる。結論はしっかりと示していただきたい。

 一行で終わるような問題文のみならず、事例問題についても、何が問われているかを確認した上で、論点を見つけなければならない。

 ぼくが当時の大分大学教育学部に就職したばかりの1997年度に、前期末試験として次のような問題を出したことがある。

 「A(男)には、正式に婚姻関係を結んだB(女)との間にCおよびDという二人の子供がいる。一方、Aには、愛人E(女)との間にFおよびGという二人の子供がいる。ある日、Aは交通事故によって不慮の死を遂げた。そこで相続が開始されたが、Aは遺言を残しておらず、家庭裁判所により、B、C、D、F、Gは、法定相続分に従ってAの財産を相続した(なお、Eは法定相続人とならない)。しかし、法定相続分に従うと、FおよびGはCおよびDの二分の一しか相続できない。そのため、Fは不満を持ち、この法定相続分を規定する法律は憲法違反であると主張している。

 さて、あなたは、Fの主張に対してどのように考えられるでしょうか。法定相続分を規定する法律の条文を明らかにし、憲法第何条に違反する疑いがあるのかを明らかにした上で、論じて下さい。」

 この問題でも論点らしきものが登場している。ここで問われている事実を確認し、法定相続分を規定する法律の条文は民法900条であり、その第4号が「子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする」と定めているために、この規定が憲法第14条(および第24条)に違反するのではないか、ということが問われているのである。この場合、民法が法律婚主義を採用していることも確認しなければならない。法律婚主義と平等主義との間のバランスをどのように取るべきか、という問題にもつながるからである。

 上のような事例問題については、定義を記す必要がない場合もある。事例を確認した上で論点を示し、その上で判例(たいてい、事例問題は判例を題材にしている)や学説の状況を示す。学説がいくつも存在する場合には、通説と有力説を示せばよいであろう。

 以上に述べたことを、実際に文章にする。その際、構成を考えなければならない。答案のみならず、レポートでも最初から最後まで改行なしという、構成も何も無いようなものをよく見かけるが、これでは読みにくく、採点を拒否しているのかとすら思われてくる。勿論、高得点など望めない。ぼくは、こういう答案やレポート、とくにレポートについては低い得点しか与えない。そもそも文章になっていないのであるためである。

 答案練習は、答案となすべき内容を文章とする練習であるから、構成、とくに段落を活用しなければならない。序破急、起承転結という言葉を聞かれたことがあると思うが(ちなみに、ぼくは小学生高学年の時代に4コマ漫画の入門書か何かで知った)、厳密に守ることができるかどうかは別としても、いかなる文章であっても序破急、起承転結という基本構造は必要である。とくに法律学の場合は、思考方法としても身に付けておくべきであろう。答案の場合、最低でも3段構成、通常は4段構成で作成するのが望ましい。逆に、7段構成、8段構成というようなものも望ましくない。クラシック音楽で、協奏曲の多くが3楽章構成、交響曲や弦楽四重奏曲の多くが4楽章構成となっているが、これには理由がある訳である。序破急、起承転結という形になっているではないか。

 それでは、答案の場合はどのように構成すればよいであろうか。問題によって異なるかもしれないが、大体、次のような構成を常に念頭に置くとよいであろう。

 一.問題文に示されている用語の定義、その用語に関する論点の摘示

 二.論点に関する判例や学説の概要

 三.前段で示された判例や学説への検討、批判

 四.結論

 あとは、実際に問題文(できるだけ多く!)に触れ、作成してみていただきたい。書店で上に記した『演習●●法』、『答練●●法』、『演習ノート●●法』などを見つけたら、そのうちの一冊を買い、徹底的に読み込み、書き込み、分析してみるのもよい(これをぼくは「つぶす」あるいは「読みつぶす」と言っている)。当たり前のことであるが、回数を重ねることが必要である。そして、試験の直前だけ行うというのではなく、普段から、講義ノートのまとめなどという形で行うとよい。論点について理解を深めることができるからである。

 今はどうなのかわからないが、ぼくが学部生であった頃、司法試験受験生の多くがB6のカード(京大式などと言った)を持ち歩き、1枚に1つの論点として答案の例を書いていた。これがブロックカードと呼ばれるものである。ぼくは、行政法のゼミに入り、日本評論社から出版されていた『法学ガイド行政法』の内容をまとめるということでブロックカードを作った(現在は所持していない)。その後、大学院入試のために気に入ったデザインのノートを何冊か買い(勉強の合間に、気晴らしを兼ねて二子玉川などへ買いに行ったこともある)、憲法や行政法の問題について答案練習をしていた(その時のノートは現在でも保存している)。

 自分で問題文を作ってみることも必要であろう。教科書、基本書を参考にして、問題文を作ればよいのである。最初は「▲▲について論じなさい」で結構である。定評のある教科書や基本書であれば、多くの論点が明示されているし、構成もしっかりしているから解答を作成する際の参考にもなる。

 但し、断っておくが、ただ漫然と引用したり写したりしないこと。ぼくの学生時代にも多かったことであることはあるが、学生から提出されたレポートやレジュメで、ただ教科書などを引用しただけのものがあまりに多いので辟易する。それでは何の勉強にもならない。「何故そのように書かれているか?」、「どのような主張であり、どのような構成で書かれているのか」ということをよく見極める必要がある。

 そして、これはぼくの学生時代を振り返っての反省にもなるが、答案練習を独りだけでしても、よほどの実力がある人でなければ、自分が書いた文章の良し悪しを判断することが難しい。そこで、友人同士で読み合い、あるいは教員に読んでもらうとよい(だからと言って、試験直前にぼくの研究室に駆け込まれても困ります。念のため)。他人の目で読んでもらうと、書いた本人が気付かなかった誤りなどが判明することが多い。ゼミに参加している学生同士などで、答案練習会でもやってみるとよいと思っている。

 あれこれと書いてきたが、参考になったであろうか。ともあれ、文章なるものはまず書いてみることである。実際に手を動かしてみなければ、頭に浮かんだことであっても表現することはできない。

  (以上は、2008年1月28日、私のサイトに設けていた「雑記帳VGM」に掲載し、2010年3月30日、修正の上で「雑記帳Mein Notizbuch」に再掲載したものです。)

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ドイツで飲んだオレンジコーラ、日本で飲んだファンタファンミックス

2011年12月05日 01時55分35秒 | 旅行記

 今回は、私自身も「下らないネタだ」と思っています。しかも、半分ほどは、2011年7月17日付で私のサイトの「待合室」に第428回として掲載した「ドイツで飲んだオレンジコーラ」の焼き直しです。

 今年(2011年)の夏も暑かったのですが、昨年、つまり2010年の夏は連日の酷暑でした。私は昨年の4月に結婚し、8月に妻とドイツを訪れましたが、日本とは違い、ドイツは少し寒いくらいでした。緯度が高い所ですから日本ほど暑くはないのですが、それでも地元の人によると冷夏といってよいような感じだったそうです。

 私が普段飲むのは水と緑茶とコーヒーです。玄米茶なども飲みます。年齢のこともありますので清涼飲料水をあまり飲まないようにしていますが、ドイツではミネラルウォーター(ミネラルヴァッサー)をよく飲んでいました(勿論、夜はおいしいビールを飲んだりもしました)。しかし、時には他のものも飲みたくなります。ホーエンシュヴァンガウ城(Schloß Hohenschwangau)かノイシュヴァンシュタイン城(Schloß Neuschwanstein)かヴィースキルヒェ(Wieskirche)か忘れてしまいましたが、日本ではまず見かけない清涼飲料水があったので、買ってみることとしました。

 コカ・コーラは多国籍企業で、アメリカに総本山があり、日本などにも現地法人があります。上の写真はドイツのコカ・コーラが発売しているものです。メゾ・ミックス(メッツォ・ミックス)といい、ラベルの絵でわかるようにオレンジの味がします。日本ではレモンの味と香りをつけたものがありますし、アメリカのチェリーコークも売られていますが、オレンジコークはないはずです。

 飲んでみると、何とも不思議な味でした。ドクターペッパーに似ているような気もしましたが、メゾ・ミックスのほうが飲みやすいでしょう。もしかしたら、日本でも同じようなものが発売されていたかもしれません。全く知らない味というのでもなかったからです。ただ、日本で現在販売されている清涼飲料水に、メゾ・ミックスに相当するようなものはないのです。日本ではほんの短期間で消えてしまったミスターピブは、どんな味だったでしょうか。

 ドイツは、日本と違い、自動販売機が街のあちらこちらにある訳ではありませんので(ホテルにもあまり置かれていません)、街の広場などにある売店(新聞なども売られているスタンドのようなもの)かスーパーマーケットで買うしかないのですが、一度は試してみるとよいかもしれません。私は、数日後にマンハイム(Mannheim)でも飲みました。

 2011年11月下旬、近所も近所、自宅から歩いても1分もかからないような所にあるコンビニエンスストアに、ファンタのファンミックスが売られていました。見た瞬間にメゾ・ミックスを思い出し、気がついたらレジで清算を済ませていました。

 うちに帰って飲んでみました。メゾ・ミックスと似ているようで違う味です。オレンジの味という点ではメゾ・ミックスのほうが強いような気がします。上の写真にもあるように、ファンタのファンミックスもコーラとオレンジを足したような味となっているのですが、コーラの味のほうが強いような気がします。ドクターペッパーとも違う味で、私にはドクターペッパーのほうが好ましいようにも思われます。

 まあ、この辺りのことは、人の好みに左右されますね。

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法律学の勉強の仕方(その3) 教科書を、まずは一冊読みつぶす

2011年12月04日 11時00分50秒 | 法律学

 毎年、年末になると、私の自宅や研究室に、出版社から図書目録が送られてきます。それを読むこと自体も楽しみの一つですが、教科書に関する悩みも同時に進んでいきます。

 仕事柄、少なくとも自分の専門科目については何種類もの教科書を買います。勿論、講義のため、論文や判例解説(評釈)などのためです。しかし、これは私が大学の教員という立場にあるからで、専門的な勉強を進めていない人に勧められる方法ではありません。学生から教科書について質問を受けたら、まずは基本書を紹介し、その中の一冊を読みつぶすように、と答えています。

 法律学の世界では、とくに司法試験や公務員試験に向けての勉強のために使用される教科書のうち、定評のあるものを基本書といいます。大きな書店であれば、基本書は一つのコーナーにまとめられていたりしますし、タスキがかけられたりしていますから、すぐにわかるでしょう。勿論、受験雑誌や予備校のテキストでも紹介されています。分野ごとの定番もあるでしょうし、定番とまでは言えないまでも無視してはならないものもあるでしょう。

 ただ、この教科書というものは、実のところ、扱いがかなり難しいものです。何故なら、法学部生にも様々な人がいますし、法学部生と大学院生とではやはり読み方などが異なるからです。ここでは、まず法学部生がどのように教科書を利用すべきかについて記していきます。

 とくに司法試験や公務員試験などの受験を考えている人に多く見受けられるのが、一つの分野(例えば行政法)について何種類もの基本書(教科書)を抱えている人です。おそらく、この部分についてはこの本、あの部分についてはあの本、という形なのでしょう。しかし、この方法は、学習の進行段階を十分に踏まえて初めて成功するものであり、まだその分野を勉強し始めたばかりの学生にはとってはむしろ有害であるため、お勧めできません。

 法学部生、とくに(科目・分野を問わず)初学者については、次のように申し上げておきましょう。

 「どの科目であれ、どの分野であれ、まずは教科書を一冊読みつぶすこと。」

 これは、私が学生に対して言うことです。私自身の(決して豊かとは言えない)経験から、読みつぶしを勧めています。最初から多くの本に手を出す必要はありません。否、手を出してはいけません。まずは一冊、じっくり読むことです。

 多くの講義では、教員が教科書を指定しているはずです。自分に合う・合わないの問題はあるかもしれませんが、とりあえず、指定された教科書をじっくり読んでください。最初から最後まで読むのは当然のことですが、それだけでは足りません。赤鉛筆やマーカーなどを使って線を引く、さらにはノートに書き写す、など、手も動かします。目だけでなく、手を動かすことによって、理解は深まります。私は、学部生時代に憲法、民法の総則について、ノートに要点などを書いていました。写経に近いようなこともしました。随分と遠回りなことであると思われるでしょう。実際、私もそう思っていました。しかし、結果的にはこれがよかったと思っています。読むだけでなく、書いて覚えたことは、必ず身についています。仮に忘れたとしても、読み返せばすぐに思い出したりするものです。

 教員が講義の教科書を指定していない場合はどうすればよいでしょうか。この場合は仕方がないので、書店に行って基本書を探してください。手っ取り早いのは大学生協、または大学内の書店です。ただ、こうした大学内の書籍販売店の品揃えは、大学の格(レベル)などをかなりの程度で忠実に反映しているという部分もあるので、どうかすると基本書のことを全くわかっていない店もあることは事実です。それなら大きな書店へ行ってください。昔はともあれ、今は県庁所在都市であればどこかの大手書店の支店はありますから、法律関係の書物は必ず置かれています。基本書も簡単に見つかります。現に、大分大学時代に、私は大分市中央町のフォーラスにあるジュンク堂書店に行っては、基本書などを購入していました。

 私は元々行政法の専攻です。学部生時代に履修した行政法の講義は、教科書が指定されていなかったので、中央大学生協(法律関係に関して、ここの品揃えは大学生協で一番でしょう)で原田尚彦教授の『行政法要論』を購入しました。当時は全訂第2版で、まだ塩野宏教授の『行政法』シリーズが刊行されておらず、田中二郎博士の『新版行政法上巻』が定番でした。『新版行政法上巻』も購入しましたが、ベースは『行政法要論』です。毎日のように電車の中で読み、マーカーを引き、ついに本がバラバラになってしまうまで読みました。『行政法要論』を何度読み返したかわかりません。

 どのような形であれ、自分のものとなった教科書です。他人から借りたものではないのですから、いかに使うかはその人にかかっています。その意味では自由です。しっかり読み込み、使おうではありませんか。一冊目は、何度も通読し、線を引き、書き込みをしておきましょう。それから二冊目に手を広げても遅くはありません。何はともあれ、その分野の最初の教科書を読みつぶすことです。

 また、法律学の教科書の場合、民法は総則、物権、債権などと分かれており、刑法は総論と各論とに分かれている、ということが多いのですが、このような場合にはどのようにすればよいのでしょうか。

 民法については、たとえば総則と物権とで著者が違う、というようなことがあっても、それほど大きな問題はないと思われます。勿論、同じ著者のもので固めてもよいのです。そもそも、民法の場合、財産法(総則、物権、債権)と家族法(親族、相続)とが完全に分かれていることが多く、財産法も家族法も網羅している教科書は多くありません。そのため、同じ著者のもので固めるとすると財産法だけ、家族法だけということになるでしょう。

 これに対し、刑法は注意を要します。総論と各論とが一冊にまとめられているのであれば、それで十分ですが、総論と各論が別々である場合、総論と各論とで著者が異なる、というようなことは避けてください。刑法は、民法に比べ、総論と各論との結びつきが非常に濃い分野です。総論で行為無価値論をとるか結果無価値論をとるか、法定的符合説をとるか具体的符合説をとるか、などという点が非常に重要となります。各論にも密接につながりますし、総論での立場の違いが各論での結論を左右することも少なくありません。そのため、総論で結果無価値論をとる学者の教科書を使い、各論で行為無価値論をとる学者の教科書を使うと、訳のわからないことになりかねません。論理性と体系性が重視されますので、総論、各論のどちらも同じ著者の教科書を選び、通読してください。

 ついでに、行政法についても記しておきます。最近は一冊で行政作用法総論と行政救済法を扱うものが増えました。初学者はこうしたもので十分です。私も、最近は一冊で行政法1と行政法2の両方をカバーできる教科書を使っています。先ほどあげた、原田尚彦教授の『行政法要論』もこのタイプです。

 しかし、今でも行政作用法総論、行政救済法、行政組織法と分かれている教科書も少なくありません。塩野宏教授の『行政法』、宇賀克也教授の『行政法概説』がこのタイプで、『行政法』は三冊、『行政法概説』も三冊です。このような場合には、刑法と同じく、同じ著者のものを揃えるべきです。行政作用法総論と行政救済法との結びつきを体系的に理解する必要があるからです。

 とりあえず、教科書について記したかったことは以上の通りです。また、何かの機会があったら記します。

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東急池上線の2代目7000系

2011年12月04日 10時11分32秒 | 写真

 12月2日、大崎の日本税務研究センターに行きました。田園都市線沿線居住者であれば、渋谷に出て山手線に乗り換えるという方法の他、大井町線と池上線を乗り継ぎ、大崎広小路で降りるという手もあります。今回はこの手を使いました。大井町線の青各停に乗ったためです。大崎広小路駅から大崎駅までは、徒歩で8分ほどでしょうか。

 旗の台で池上線に乗り換えます。私が乗ろうとするのは2番線からの五反田行きですが、1番線に蒲田行きが到着したので、撮影してみました。池上線と東急多摩川線で運用される7000系です。両線とも18メートル車3両編成ですので、7000系、7700系、7600系、1000系が使用されます。

 2007年に登場した7000系は、東急では2代目となります。初代は1962年に登場した、日本最初のオールステンレスカーで、日比谷線直通用として登場し、東横線、田園都市線、大井町線で活躍しました。最後は目蒲線とこどもの国線で運用されています。一部がVVVF制御に改造されて7700系となり、池上線と東急多摩川線で運用される他、弘南鉄道、十和田観光電鉄(但し、7700系)、福島交通、秩父鉄道(最も早く廃車)、北陸鉄道、水間鉄道に譲渡されています。

 2代目7000系の緑色は、池上線や目蒲線を走っていた旧3000系を彷彿させます。最初に見ると奇抜な印象を受けますが、だんだんなじんでくるカラーリングです。

 なお、この2代目7000系の登場により、7700系、7600系および1000系が廃車となり始めています。登場して20年ほどしか経っていない1000系も数を減らしているのが驚きですが(しかも何両かが上田電鉄および伊賀鉄道に譲渡されています)、7700系および7600系も、あと何年か経つと見られなくなる可能性があります。

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法律学の勉強の仕方(その2) まずは条文を読む

2011年12月03日 10時48分24秒 | 法律学

 大分大学教育学部・教育福祉科学部に勤務していた7年間、私は主に1年生向けの講義を担当していました。大東文化大学法学部に移ってからは、主に2年生向けと3年生向けの講義を担当しておりますが、今年度は1年生向けの講義も担当しています。

 そこで、講義をしながら学生の様子を見ています(何をやっているのかというようなことは、見ていればわかるものです)。私の学生時代にもいましたが、法学部の学生であるのに、六法を持参せずに講義に出席している、という人がいます。その数は、学年が進むにつれて多くなります。私が担当している講義の中で、税法となりますと、学部の場合はほとんどの学生が六法を持参していません(これは、果たして大東文化大学および西南学院大学だけの話なのでしょうか)。さすがに法科大学院には、こんな学生はおりません。新司法試験六法には国税通則法、所得税法および法人税法が掲載されているからですが、その他の法律、施行令なども、法科大学院の学生ならコピーなどを利用して参照することでしょう。ところが、法学部の学生は違うのです。読もうとしないのです。講義でも演習でも、六法を持参するのは私だけ、ということが多いのです。時々、講義や演習をやっていると空しくなることもあります。

 法律学の講義ですから、実定法である限り、法律の条文を読まなければなりません。当たり前のことですが、判例であれ学説であれ、すべては条文から始まります。条文なくして解釈なし、なのです。私も、まずは条文を読み、それから逐条解説書などを読みます。そうしなければ理解できないからです。

 とくに税法などの場合、法律の条文が長く複雑なものになります。それだけに正確に読み解くという作業が必要となります。手元に六法などがなければ、私が条文を読みながら解説を行っていても、聞いていてわかる訳がありません。しかも、法律だけではなく、政令(●●法施行令)、省令(●●法施行規則)、通達(所得税基本通達など)も読む必要があります。条文がなければ勉強にならないことは明らかなのです。

 そのため、講義の初回など、折に触れて、せめて条文のコピーは用意しておくように、と言います。正確な条文を読むにも様々な方法があるでしょう。まして、モバイル機器にあふれている今の世の中です。

 税法の講義に限りません。講義でもゼミでも、六法を持ってこない学生が多いので、条文を読んでみるように私が指示しても、その場で読むことなどできません。これではどうしようもないでしょう。最初から単位も理解も溝(どぶ)に捨てているようなもので、法学部生としては失格としか言いようがありません。

 世間であれこれと言われている法科大学院ですが、こと条文を手元に置いて勉強するという点では、やはり法科大学院の学生が一番しっかりしています。

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この話は本当なのか?

2011年12月02日 21時11分31秒 | 受験・学校

 J-CASTニュースのサイトをたまたまみていたら、先月の21日付で「衝撃 大学生のあきれた知能程度 4人に1人『太陽は東に沈む』!」という記事が掲載されていました。

 この話は本当なのでしょうか。小学校でひどくなっているというのは、何年か前に聞いたのですが、そんな子たちが成長するのだから当然なのでしょうか。どうやら、その子たちが成長して、大学生になっているようなのです。

 「太陽が東に沈む」などというのは、小学校教育以前の問題で、家庭教育に問題があるとしか思えません。こんなことで社会に出て、まともに働いたりすることができるのでしょうか。少なくとも不動産関係の仕事には就けません。

 また、天動説が根強いという結果も出ています。火星が地球の周りを回転しているとか、太陽が地球の周りを回転しているというような答えを出した大学生や短大生もいるとか。恐ろしい話です。私などは、幼少の頃から図鑑を読んでいましたから、太陽に対する惑星は、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星(・冥王星)ということが自然に頭に入りました。ちなみに、冥王星が惑星から外されたのは最近のことです。

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