行政作用法総論の山場の一つである行政裁量論に関する判決です。
●最一小判昭和36年4月27日民集15巻4号928頁(旭丘中学事件)
事案:Y市立A中学校教諭であった原告Xは、Y市教育委員会からB中学校への転補処分を受けた。しかし、Xは、処分が違法であるとしてBに移らず、Aに留まった。Yは職務命令を発したがXが拒否したので、Xを懲戒免職処分に付した。Xは、この処分の取消を求める訴訟を提起した。いくつかの問題があったが、紹介処分に関する教育委員会の開催の告示が開始30分前になされ、しかも非公開であったことが、旧教育委員会法第34条第4項にいう「急施を要する場合」に該当するかということなどが争点の一つであった。京都地判昭和30年3月5日行集6巻3号728頁はXの請求を認容し、大阪高判昭和34年5月29日行集10巻5号1046頁もこれを支持したが、最高裁判所第一小法廷は事件を大阪高等裁判所に差し戻した。
判旨:旧教育委員会法第34条第4項にいう「『急施を要する場合』とは、原審のように、ただ単に付議すべき事件の性質、内容から緊急性が認められる場合に限ると解し、この点の判断につき会議の招集権者である委員長になんらの裁量権も認められないと解すべきものではなく、会議の招集権者である委員長は、その当時における客観的情勢その他諸般の事情から、その事件が行政措置上急施を要する等の事情がないかどうかを考慮し、その裁量判断によりこれを決することもできると解するのが相当である」。
●最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁(マクリーン事件)
事案:アメリカ人のXは、在留期間を1年とする許可を受けて日本に居住した。Xは1年間の在留期間更新を申請したが、彼が在留期間中に無届で転職したこと、政治活動を行ったことが理由となり、Y(法務大臣)は申請を拒否する処分を行った。Xはこの拒否処分の取消を求めて出訴した。この事件では、当時の出入国管理令第21条第3項にいう「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」という文言が問題となった。東京地判昭和48年3月27日行集24巻3号187頁はXの請求を認容したが、東京高判昭和50年9月25日行集26巻9号1055頁はYの控訴を認容してXの請求を棄却した。
判旨:次のように述べて、Xの上告を棄却した。
「憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである」。
「出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。すなわち、法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立つて、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる。このような点にかんがみると、出入国管理令二一条三項所定の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断における法務大臣の裁量権の範囲が広汎なものとされているのは当然のことであ」る。
「行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法三〇条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。(中略)これを出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の『在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由』があるかどうかの判断の場合についてみれば、右判断に関する前述の法務大臣の裁量権の性質にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるものというべきである。したがつて、裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である」。
●最一小判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁(伊方原子力発電所訴訟)
事案:四国電力は、核原料物質等規制法に基づき、内閣総理大臣に原子力発電所設置許可の申請を行い、内閣総理大臣は設置許可を行った。これに対し、近隣住民などが設置許可の取消を求める訴訟を提起した。松山地判昭和53年4月25日行集29巻4号588頁、高松高判昭和59年12月14日行集35巻12号2078頁のいずれも近隣住民らの請求を棄却した。
判旨:最高裁判所第一小法廷も、次のように述べて近隣住民らの請求を棄却した(なお、同小法廷判決においては要件裁量という言葉が登場しない)。
「原子炉施設の安全性に関する審査は、当該原子炉施設そのものの工学的安全性、平常運転時における従業員、周辺住民及び周辺環境への放射線の影響、事故時における周辺地域への影響等を、原子炉設置予定地の地形、地質、気象等の自然的条件、人口分布等の社会的条件及び当該原子炉設置者の右技術的能力との関連において、多角的、総合的見地から検討するものであり、しかも、右審査の対象には、将来の予測に係る事項も含まれているのであって、右審査においては、原子力工学はもとより、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的判断が必要とされるものであることが明らかである。そして、規制法二四条二項が、内閣総理大臣は、原子炉設置の許可をする場合においては、同条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の基準の適用について、あらかじめ原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めているのは、右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、右各号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。
以上の点を考慮すると、右の原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである」。
▲専門的・技術的裁量は、主に要件裁量の段階において認められることになる。もっとも、本件の場合、内閣総理大臣に効果裁量が与えられているようにも解されるが、その前提が「原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断」にあることから、要件裁量も認められるという構造になっているのであろう。
●最三小判平成5年3月16日民集47巻5号3843頁(家永第一次訴訟)
事案:原告が執筆を担当した教科書に対し、文部大臣(当時)が検定不合格処分や条件付合格処分を行ったため、原告が国を被告として国家賠償請求訴訟を提起した。東京地判昭和49年7月16日訟月20巻11号6頁(通称「高津判決」)は原告の請求を一部認容したが、東京高判昭和61年3月19日訟月33巻2号353頁は原告の請求を全て退けた。最高裁判所第三小法廷も原告の請求を棄却した。
判旨:教科書検定の「審査、判断は、申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量に委ねられるものというべきである。したがって、合否の判定、条件付合格の条件の付与等についての教科用図書検定調査審議会の判断の過程(検定意見の付与を含む)に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となると解するのが相当である」。
●最一小判昭和47年10月12日民集26巻8号1410頁
事案:浄化槽清掃業を営むXは、市長Yに対してH市における汚物処理業の許可申請を行ったが、Yは不許可処分をした。Xは不許可処分の取消しを求めたが、横浜地判昭和40年7月1日行集16巻8号1434頁は請求を棄却した。Xが控訴し、東京高判昭和42年11月21日行集18巻12号1569頁は控訴を認容した。Yが上告し、最高裁判所第一小法廷は事件を東京高等裁判所に差し戻した。
判旨:「清掃法一五条一項が、特別清掃地域内においては、その地域の市町村長の許可を受けなければ、汚物の収集、運搬または処分を業として行なつてはならないものと規定したのは、特別清掃地域内において汚物を一定の計画に従つて収集、処分することは市町村の責務であるが(同法六条、地方自治法二条三項七号、同法別表第二の一一参照)、これをすべて市町村がみずから処理することは実際上できないため、前記許可を与えた汚物取扱業者をして右市町村の事務を代行させることにより、みずから処理したのと同様の効果を確保しようとしたものであると解せられる。かかる趣旨にかんがみれば、市町村長が前記許可を与えるかどうかは、清掃法の目的と当該市町村の清掃計画とに照らし、市町村がその責務である汚物処理の事務を円滑完全に遂行するのに必要適切であるかどうかという観点から、これを決すべきものであり、その意味において、市町村長の自由裁量に委ねられているものと解するのが相当である」。
●最三小判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁
事案:某公立大学の学生Xらは、A教授の解雇反対を主張して教授会の会場に入り込み、退場を求められたが拒み、大声で発言を続けて教授会を流会させた。このため、学長はXらを放学処分に付した。Xらはこの処分の取消を求めて出訴した。京都地判昭和25年7月19日行集1巻5号764頁はXらの請求を認容したが、大阪高判昭和28年4月30日行集4巻4号986頁はX1以外の者について請求を棄却した。最高裁判所第三小法廷は、X2らの上告を棄却した。
判旨:「大学の学生に対する懲戒処分は、教育施設としての大学の内部規律を維持し教育目的を達成するために認められる自律的作用にほかならない。そして、懲戒権者たる学長が学生の行為に対し懲戒処分を発動するに当り、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格および平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人および他の学生におよぼす訓戒的効果等の諸般の要素を考量する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通ぎようし直接教育の衝に当るものの裁量に任すのでなければ、適切な結果を期することができないことは明らかである。それ故、学生の行為に対し、懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定することは、その決定が全く事実上の根拠に基かないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当である」。
●最三小判昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁(神戸税関事件)
事案:税関の職員だった被上告人3名は、組合活動において指導的役割を果たし、業務の処理を妨げたとして懲戒免職処分に付された。3名はこの処分の無効確認と取消しを求めて出訴した。神戸地判昭和44年9月24日行集20巻8・9号1063頁は3名の請求を認容した。大阪高判昭和47年2月17日訟月18巻6号899頁は神戸地方裁判所判決を一部取り消したが3名の請求は認容した。最高裁判所第三小法廷は大阪高等裁判所判決を破棄し、3名の請求を棄却した。
判旨:国家公務員法は、「同法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒権者が、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては、公正であるべきこと(七四条一項)を定め、平等取扱いの原則(二七条)及び不利益取扱いの禁止(九八条三項)に違反してはならないことを定めている以外に、具体的な基準を設けていない。したがつて、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか、を決定することができるものと考えられるのであるが、その判断は、右のような広範な事情を総合的に考慮してされるものである以上、平素から庁内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝にあたる者の裁量に任せるのでなければ、とうてい適切な結果を期待することができないものといわなければならない。それ故、公務員につき、国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがつて、裁判所が右の処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである」。
●最一小判平成24年1月16日判時2147号127頁①および②
事案:複数の事件について審理が行われ、判決が下されたが、事案はほぼ共通する。すなわち、原告らは、卒業式、入学式、創立30周年記念式典などにおける国歌斉唱の際に起立斉唱を行わなかった、国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否した、国歌斉唱の開始前または途中で退席したなどの理由で、東京都教育委員会から3か月の停職処分、1か月の停職処分、1か月分について1割の減給処分などを受けた。これらの処分の妥当性が争われた訳である。
判旨:最高裁判所第一小法廷は、以下のように述べ、一部の懲戒処分については違法であると判断した(便宜上、二つの判決をまとめた)。
「公務員に対する懲戒処分について、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の上記行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定する裁量権を有しており、その判断は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものと解される」〔前掲最三小判昭和52年12月20日、最一小判平成2年1月18日民集44巻1号1頁(Ⅰ−54。伝習館高校事件)を参照〕。本件のような事例において「不起立行為に対する懲戒において戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては、本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となるものといえる」のであり、「不起立行為に対する懲戒において戒告、減給を超えて停職の処分を選択することが許容されるのは、過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴や不起立行為の前後における態度等(以下、併せて「過去の処分歴等」という。)に鑑み、学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情が認められる場合であることを要すると解すべきであ」り、「過去2年度の3回の卒業式等における不起立行為による懲戒処分を受けていることのみを理由に同上告人に対する懲戒処分として停職処分を選択した都教委の判断は、停職期間の長短にかかわらず、処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き、上記停職処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法の評価を免れないと解するのが相当である」。
また、「減給処分は、処分それ自体によって教職員の法的地位に一定の期間における本給の一部の不支給という直接の給与上の不利益が及び、将来の昇給等にも相応の影響が及ぶ」ことなどに鑑みれば、減給処分を選択することが許されるのは「学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情が認められる場合であることを要すると解すべきであ」り、「例えば過去の1回の卒業式等における不起立行為等による懲戒処分の処分歴がある場合に、これのみをもって直ちにその相当性を基礎付けるには足りず、上記の場合に比べて過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるなど、過去の処分歴等が減給処分による不利益の内容との権衡を勘案してもなお規律や秩序の保持等の必要性の高さを十分に基礎付けるものであることを要するというべきであ」り、本件については「学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から、なお減給処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情があったとまでは認め難いというべきである」。
●最二小判昭和57年4月23日民集36巻4号727頁
事案:上告人である不動産会社Xは、建設会社Aと建物の建築請負契約を締結した。Aは建築資材の搬入をBおよびCに依頼したが、車両が道路法と車両制限令に抵触するため、道路管理者である東京都Y区に特殊車両通行認定を申請した。この申請は受理されたが認定がなされなかった。この建物の建設については住民の反対運動があり、Y区は、反対する住民との間での話し合いによる解決がなされるまで車両認定を保留するという通知をし、実際に半年近くも保留された。これに対し、Xは工事の中断によって損害を受けたとして損害賠償請求を行った。東京地判昭和53年4月23日判時931号79頁はXの請求を棄却し、東京高判昭和54年11月30日民集36巻4号756頁もXの控訴を棄却した。最高裁判所第二小法廷もXの上告を棄却した。
判旨:「道路法四七条四項の規定に基づく車両制限令一二条所定の道路管理者の認定は、同令五条から七条までに規定する車両についての制限に関する基準に適合しないことが、車両の構造又は車両に積載する貨物が特殊であるためやむを得ないものであるかどうかの認定にすぎず、車両の通行の禁止又は制限を解除する性格を有する許可(同法四七条一項から三項まで、四七条の二第一項)とは法的性格を異にし、基本的には裁量の余地のない確認的行為の性格を有するものであることは、右法条の改正の経緯、規定の体裁及び罰則の有無等に照らし明らかであるが、他方右認定については条件を附することができること(同令一二条但し書)、右認定の制度の具体的効用が許可の制度のそれと比較してほとんど変るところがないことなどを勘案すると、右認定に当たつて、具体的事案に応じ道路行政上比較衡量的判断を含む合理的な行政裁量を行使することが全く許容されないものと解するのは相当でない」。
●最一小判平成18年9月14日判時1951号39頁
事案:第二東京弁護士会に所属する弁護士Xは、土地の賃貸借契約の更新拒絶を受けて明渡交渉を依頼されたが、解決金の一部を受領したにもかかわらず虚偽の報告を行い、独断で明渡について再交渉を行い、追加の立退料を受領したにもかかわらず秘匿していた、などの理由により、弁護士法第56条第1項にいう「品位を失うべき非行」に当たるとして、業務停止3か月の懲戒処分を受けた。Xは、同第59条に基づいてY(日本弁護士連合会)に審査請求を行ったが、Yは棄却裁決を下した。そこで、Xはこの裁決の取消を求めて出訴した。一審判決(東京高判平成14年12月1日判例集未登載)はXの請求を認容したが、最高裁判所第一小法廷は一審判決を破棄し、Xの請求を棄却した。
判旨:「懲戒の可否、程度等の判断においては、懲戒事由の内容、被害の有無や程度、これに対する社会的評価、被処分者に与える影響、弁護士の使命の重要性、職務の社会性等の諸般の事情を総合的に考慮することが必要である。したがって、ある事実関係が「品位を失うべき非行」といった弁護士に対する懲戒事由に該当するかどうか、また、該当するとした場合に懲戒するか否か、懲戒するとしてどのような処分を選択するかについては、弁護士会の合理的な裁量にゆだねられているものと解され、弁護士会の裁量権の行使としての懲戒処分は、全く事実の基礎を欠くか、又は社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法となるというべきである。」
▲以上の判決では「全く事実の基礎を欠く」という文言(基準?)が示されている。
●最三小判平成18年2月7日民集60巻2号401頁(呉市学校施設使用不許可事件)
事案:X(原告、被控訴人、被上告人)は、広島県内の公立小中学校等に勤務する教職員によって組織された職員団体である。Xは、呉市内の中学校において1999年11月13日および14日に第49次広島県教育研究集会を行うこととし、同年9月に同中学校長に対して口頭で体育館の使用許可を申し出た。同校長は一旦了承したが、呉市教育委員会委員長が以上の事実を知り、同校長を呼び出して協議し、使用許可を出さないことを決定した。Xは使用許可申請書を同市教育委員会に提出していたが、同年10月31日付で同市教育委員会は学校施設使用不許可決定通知書をXに対して交付した。その理由として、会場となる予定の中学校およびその周辺の学校や地域に混乱を招いて児童生徒に教育上悪影響を与え、学校教育に支障を来すことが予想される、とされた。Xは、呉市(被告、控訴人、上告人)に対して損害賠償を請求する訴訟を提起した。広島地判平成14年3月28日民集60巻2号443頁はXの請求を一部認め、広島高判平成15年9月18日民集60巻2号471頁も前掲広島地判を支持したため、呉市が上告した。
判旨:上告棄却。
「学校施設は、一般公衆の共同使用に供することを主たる目的とする道路や公民館等の施設とは異なり、本来学校教育の目的に使用すべきものとして設置され、それ以外の目的に使用することを基本的に制限されている(学校施設令1条、3条)ことからすれば、学校施設の目的外使用を許可するか否かは、原則として、管理者の裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。」
「管理者の裁量判断は、許可申請に係る使用の日時、場所、目的及び態様、使用者の範囲、使用の必要性の程度、許可をするに当たっての支障又は許可をした場合の弊害若しくは影響の内容及び程度、代替施設確保の困難性など許可をしないことによる申請者側の不都合又は影響の内容及び程度等の諸般の事情を総合考慮してされるものであり、その裁量権の行使が逸脱濫用に当たるか否かの司法審査においては、その判断が裁量権の行使としてされたことを前提とした上で、その判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し、その判断が、重要な事実の基礎を欠くか、又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限って、裁量権の逸脱又は濫用として違法となるとすべきものと解するのが相当である。」
●最一小判平成18年11月2日民集60巻9号3249頁(小田急高架化訴訟)
事案:東京都知事(被上告参加人)は、平成5年2月1日付で、都市計画法第21条第2項・第18条第1項に基づき「東京都市計画都市高速鉄道第9号線」を変更し、小田急小田原線の喜多見駅付近から梅ヶ丘駅付近までの区間を複々線化し、さらに成城学園前付近を堀割式とする以外は高架式とする旨の都市計画を告示した。これに対し、沿線住民らは、周辺地域に与える影響や事業費の面で問題のある複々線化・高架化を採用したことが違法であるとして、この都市計画などを認可した建設省関東地方整備局長を被告として、訴訟を提起した。東京地判平成13年10月3日判時1764号3頁は沿線住民らの請求を認容したが、東京高判平成15年12月18日訟月50巻8号2322頁が原判決を取り消し、請求を棄却した。最高裁判所第一小法廷は、沿線住民らの上告を棄却した。
判旨:「都市計画法は、都市計画について、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと等の基本理念の下で(2条)、都市施設の整備に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを一体的かつ総合的に定めなければならず、当該都市について公害防止計画が定められているときは当該公害防止計画に適合したものでなければならないとし(13条1項柱書き)、都市施設について、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めることとしているところ(同項5号)、このような基準に従って都市施設の規模、配置等に関する事項を定めるに当たっては、当該都市施設に関する諸般の事情を総合的に考慮した上で、政策的、技術的な見地から判断することが不可欠であるといわざるを得ない。そうすると、このような判断は、これを決定する行政庁の広範な裁量にゆだねられているというべきであって、裁判所が都市施設に関する都市計画の決定又は変更の内容の適否を審査するに当たっては、当該決定又は変更が裁量権の行使としてされたことを前提として、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。」
▲以上の二判決では「重要な事実の基礎を欠く」、「基礎とされた重要な事実に誤認がある」となっており、「全く」→「重要な」と変化している。
●最二小判昭和48年9月14日民集27巻8号925頁
事案:原告は広島県内の公立学校長の職にあった。しかし、被告(広島県教育委員会)は、昭和34年2月21日付で、原告が学校の予算執行その他の職務執行に関し、しばしば職務上の上司の職務上の命令に違反する等校長としての適格性を欠くものと認められるとして、地方公務員法第28条第1項第3号に基づき、原告を公立学校教員教諭に降任する旨の分限処分を行った。原告は、これを違法として広島県人事委員会に審査請求を行ったが、同委員会の裁決を経ることなく、原告は分限処分の取消を求めて出訴した。広島地判昭和41年7月12日行集17巻7・8号792頁は原告の請求を認め、広島高判昭和43年6月4日民集27巻8号1061頁は被告の控訴を棄却した。
判旨:最高裁判所第二小法廷は、次のように述べて広島高等裁判所判決を破棄し、事件を同裁判所に差し戻した。
①「分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤つた違法のものであることを免れないというべきである。そして、任命権者の分限処分が、このような違法性を有するかどうかは、同法(注:地方公務員法)八条八項にいう法律問題として裁判所の審判に服すべきものであるとともに、裁判所の審査権はその範囲に限られ、このような違法の程度に至らない判断の当不当には及ばないといわなければならない」。
②地方公務員法第28条第1項第3号にいう「『その職に必要な適格性を欠く場合』とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解されるが、この意味における適格性の有無は、当該職員の外部にあらわれた行動、態度に徴してこれを判断するほかはない。その場合、個々の行為、態度につき、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして評価すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連づけてこれを評価すべく、さらに当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討したうえ、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連においてこれを判断しなければならないのである。そしてこの場合、ひとしく適格性の有無の判断であつても、分限処分が降任である場合と免職である場合とでは、前者がその職員が現に就いている特定の職についての適格性であるのに対し、後者の場合は、現に就いている職に限らず、転職の可能な他の職をも含めてこれらすべての職についての適格性である点において適格性の内容要素に相違があるのみならず、その結果においても、降任の場合は単に下位の職に降るにとどまるのに対し、免職の場合には公務員としての地位を失うという重大な結果になる点において大きな差異があることを考えれば、免職の場合における適格性の有無の判断については、特に厳密、慎重であることが要求されるのに対し、降任の場合における適格性の有無については、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的に照らして裁量的判断を加える余地を比較的広く認めても差支えないものと解される」。
▲この判決では、一般論ではあるが裁量行為が違法であると判断される場合が列挙されている。
・制度の目的と無関係の目的や動機に基づいて裁量行為が行われた場合
・処分事由の有無の判断について恣意に渡っている場合
・考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断した場合
・判断が合理性を持つものとして許容される限度を超えた不当なものである場合
●最三小判平成8年7月2日判時1578号51頁
事案:外国籍のX(被上告人)は、日本国籍の女性と結婚して日本への上陸を許可された。Xは妻と別居したが、やはり在留許可を得ていた。しかし、妻がXとの間の婚姻無効確認訴訟を提起し、その訴訟の係属中に、法務大臣Y(上告人)はXの意に反して在留資格を短期滞在に変更した上で許可を行った。そして、この訴訟の控訴審判決が確定した後に、YはXの在留期間更新申請に対して不許可とする処分を行った。なお、この処分の後、妻はXを相手に離婚請求訴訟を提起している。
判旨:「『短期滞在』の在留資格で本邦に在留する外国人から在留期間の更新申請がされた場合において、上告人は、通常であれば、当該外国人につき、『短期滞在』の在留資格に対応する出入国管理及び難民認定法別表第一の三下欄の活動を引き続き行わせることを適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかを判断すれば足り、他の在留資格に対応する活動を行わせることを適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかについて考慮する必要のないことは、一応所論のとおりである」が、本件の場合は、Xが「本邦における在留を継続してきていたが」YがXの「本邦における活動は、もはや日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当しないとの判断の下に、被上告人の意に反して、その在留資格を同法別表第一の三所定の『短期滞在』に変更する旨の申請ありとして取り扱い、これを許可する旨の処分をし、これにより、被上告人が『日本人の配偶者等』の在留資格による在留期間の更新を申請する機会を失わせたものと判断されるのであ」り、Xの「活動は、日本人の配偶者の身分を有するものとしての活動に該当するとみることができないものではない」。そのため、Xの「在留資格が『短期滞在』に変更されるに至った右経緯にかんがみれば、上告人は、信義則上、『短期滞在』の在留資格による被上告人の在留期間の更新を許可した上で、被上告人に対し、『日本人の配偶者等』への在留資格の変更申請をして被上告人が『日本人の配偶者等』の在留資格に属する活動を引き続き行うのを適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかにつき公権的判断を受ける機会を与えることを要したものというべきである」。
●最二小判昭和30年6月24日民集9巻7号930頁
米供出個人割当通知の違法性が争われた事件で、最高裁判所第二小法廷は、結論として原告(上告人)の請求を認めなかったが、一般論として「行政庁は、何等いわれがなく特定の個人を差別的に取扱いこれに不利益を及ぼす自由を有するものではなく、この意味においては、行政庁の裁量権には一定の限界があるものと解すべきである」と述べている。
●最二小判平成8年3月8日民集50巻3号469頁(神戸高専事件)
事案:公立の工業高等専門学校において、体育実技として剣道が必修科目とされていた。原告らは信仰上の理由から履修を拒否し、代替措置を申し入れたが受け入れられず、体育の成績も認定されなかった。学校長は原告らを原級留置処分とし、結局は退学処分とした。原告らはこれらの処分の取消を求めて出訴したが、神戸地判平成5年2月22日行集45巻12号2108頁および神戸地判平成5年2月22日行集行集45巻12号2134頁は原告らの請求を棄却した。これに対し、大阪高判平成6年12月22日行集45巻12号2069頁は原告らの請求を認容したため、学校長が上告した。最高裁判所第二小法廷は、上告を棄却した。
判旨:「高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである」〔前掲最三小判昭和29年7月30日、最三小判昭和49年7月19日民集28巻5号790頁(Ⅰ−7)、前掲最三小判昭和52年12月20日を参照〕。しかし、本件各処分により学生が受ける不利益は極めて大きいものであり、原告らが「それらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である」から、学校長は「前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである」。結局、「信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう『学力劣等で成業の見込みがないと認められる者』に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない」。
●最二小判平成16年10月15日民集58巻7号1802頁(熊本水俣病関西訴訟)
事案 熊本県水俣市またはその付近に居住し、その後に近畿地方に移住したXらが、自らの抱える症状が水俣病であるとして、Y1(チッソ)に対して民法第709条に基づく損害賠償を、Y2(国)およびY3(熊本県)に対しては国家賠償法第1条第1項に基づく損害賠償を請求した訴訟である。Xらは、Y2およびY3が各種の規制権限を行使して同病の発生や拡大を防止すべき義務があったのに懈怠したと主張していた。大阪地判平成6年7月11日訟月41巻8号1799頁はY1について損害賠償責任を一部認めたものの、Y2およびY3の国家賠償責任を否定した。大阪高判平成13年4月27日訟月48巻12号2821頁はY2およびY3についても国家賠償責任を一部認めた。
判旨:最高裁判所第二小法廷は、次のように述べて、Y1らによる上告を一部棄却する一方、原判決の一部を破棄し、Xらの請求を一部棄却した。
①Xらが「昭和35年1月以降、チッソ水俣工場の排水に関して規制権限を行使しなかったことが違法であり、上告人らは、同月以降に水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取して水俣病となった者及び健康被害の拡大があった者に対して国家賠償法1条1項による損害賠償責任を負うとした原審の判断は、後述のとおり、正当として是認することができる」。
②「国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は、その権限を定めた法令の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、具体的事情の下において、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使により被害を受けた者との関係において、国家賠償法1条1項の適用上違法となるものと解するのが相当である」〔最二小判平成元年11月24日民集43巻10号1169頁、最二小判平成7年6月23日民集49巻6号1600頁を参照〕。Y2が「昭和35年1月以降、水質二法に基づく上記規制権限を行使しなかったことは、上記規制権限を定めた水質二法の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、著しく合理性を欠くものであって、国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである」。Y3についても「知事は、水俣病にかかわる前記諸事情について上告人国と同様の認識を有し、又は有し得る状況にあったのであり、同知事には、昭和34年12月末までに県漁業調整規則323に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり、昭和35年1月以降、この権限を行使しなかったことが著しく合理性を欠くものであるとして、上告人県が国家賠償法1条1項による損害賠償責任を負うとした原審の判断は、同規則が、水産動植物の繁殖保護等を直接の目的とするものではあるが、それを摂取する者の健康の保持等をもその究極の目的とするものであると解されることからすれば、是認することができる」。
●東京地判昭和38年12月25日行集14巻12号2255頁(群馬中央バス事件一審判決)
事案:X(バス会社)は営業路線の延長を求めて免許を申請した。東京陸運局長は聴聞を行い、運輸審議会に諮問した。同審議会も公聴会を開き、原告や利害関係人などの意見を聴取して、Xの申請を却下すべしとする答申を陸運局長に対して行った。これを受け、陸運局長は却下処分をした。これに対し、Xは訴願を提起せずに直ちに出訴した。東京地方裁判所はXの請求を認めた。
判旨:「行政庁が国民の権利自由の規制にかかる処分をするにあたつて、現行法制上なんらの手続規定がなく、またはこれが簡略なものであつて、いかなる手続を採用するかを一応行政庁の裁量に委ねているようにみえる場合でも、この点に関する行政庁の裁量権にはなんらの制約がないものと解することはできない。(中略)また、この種の処分が行政庁の裁量判断に基づいて行われる場合、処分の掌に当る行政庁は、法の趣旨からして本来考慮に加うべからざる事項を考慮(以下本件において、これを「他事考慮」という。)して処分を行つてはならないことは当然であるから、行政庁は、できるかぎり他事考慮を疑われることのないような手続によつて処分を実施する義務があり、この点においても、いかなる手続を採用すべきかについての行政庁の裁量権には制約があるのであつて、国民は、他事考慮を疑われることのないような手続によつて処分を受くべき手続上の保障を享有するものといわねばならない」。
●東京高判昭和48年7月13日行裁例集24巻6・7号533頁(日光太郎杉事件控訴審判決)
事案:栃木県知事は、国道の拡幅のためにX(日光東照宮)の境内地について土地収用法第16条による事業認定を建設大臣に申請した。この事業によると、日光の名木太郎杉などが伐採されることになるのであるが、建設大臣は事業認定を行った。これに対し、Xが事業認定や収用裁決などの取消しを求めて出訴した。宇都宮地判昭和44年4月9日行集20巻4号373頁はXの請求を認容した。東京高等裁判所もXの請求を認めた。
判旨:「土地収用法第20号第3号にいう『事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること』という要件は、その土地がその事業の用に供されることによつて得らるべき公共の利益と、その土地がその事業の用に供されることによつて失なわれる利益(この利益は私的なもののみならず、時としては公共の利益をも含むものである。)とを比較衡量した結果前者が後者に優越すると認められる場合に存在するものであると解するのが相当である。そうして、控訴人建設大臣の、この要件の存否についての判断は、具体的には本件事業認定にかかる事業計画の内容、右事業計画が達成されることによつてもたらされるべき公共の利益、右事業計画策定及び本件事業認定に至るまでの経緯、右事業計画において収用の対象とされている本件土地の状況、その有する私的ないし公共的価値等の諸要素、諸価値の比較衡量に基づく総合判断として行なわるべきものと考えられる」。そして、「この点の判断が前認定のような諸要素、諸価値の比較考量に基づき行なわるべきものである以上、同控訴人がこの点の判断をするにあたり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽すべき考慮を尽さず、または本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価し、これらのことにより同控訴人のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には、同控訴人の右判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして、違法となるものと解するのが相当である」。本件の場合は「本件土地付近のもつかけがいのない文化的諸価値ないしは環境の保全という本来最も重視すべきことがらを不当、安易に軽視し、その結果右保全の要請と自動車道路の整備拡充の必要性とをいかにして調和させるべきかの手段、方法の探究において、当然尽すべき考慮を尽さず」、「オリンピツクの開催に伴なう自動車交通量増加の予想という、本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れ」、「暴風による倒木(これによる交通障害)の可能性および樹勢の衰えの可能性という、本来過大に評価すべきでないことがらを過重に評価した」ことで「その裁量判断の方法ないし過程に過誤があり、これらの過誤がなく、これらの諸点につき正しい判断がなされたとすれば、控訴人建設大臣の判断は異なつた結論に到達する可能性があつたものと認められる」。
●最二小判平成18年9月4日訟月54巻8号1585頁(林試の森事件)
事案:建設大臣は、旧都市計画法第3条に基づき、「東京都市計画公園第23号目黒公園」(後に「東京都市計画公園第5・5・25号目黒公園」に変更)に関する都市計画の決定(本件都市計画決定)を行い、昭和32年12月21日付で告示した。この公園は林業試験場(農林省の附属機関)の跡地を利用したものであり、都市計画法第4条第5項に定められる都市施設である。本件都市計画決定は、林業試験場の南門の位置に目黒公園の南門を設けるとしており、この南門と区道との接続部分として原告らの所有に係る土地を本件公園の区域に含むとしていた。東京都が原告らの所有地に南門と区道との接続部分を整備することを内容とする認可の申請を行い、建設大臣は認可を行って平成8年12月2日付で告示した。これに対し、原告らがこの認可の取消を求めて出訴した。東京地判平成14年8月27日訟月49巻1号325頁は原告らの請求を認めたが、東京高判平成15年9月11日訟務月報50巻4号1334頁は被告の控訴を容れて原告らの請求を棄却した。最高裁判所第二小法廷は、東京高等裁判所判決を破棄し、事件を同裁判所に差し戻した(なお、差戻の後に訴えが取り下げられている)。
判旨:「都市施設は、その性質上、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めなければならないものであるから、都市施設の区域は、当該都市施設が適切な規模で必要な位置に配置されたものとなるような合理性をもって定められるべきものである。この場合において、民有地に代えて公有地を利用することができるときには、そのことも上記の合理性を判断する一つの考慮要素となり得ると解すべきである」。一方、「原審は、南門の位置を変更し、本件民有地ではなく本件国有地を本件公園の用地として利用することにより、林業試験場の樹木に悪影響が生ずるか、悪影響が生ずるとして、これを樹木の植え替えなどによって回避するのは困難であるかなど、樹木の保全のためには南門の位置は現状のとおりとするのが望ましいという建設大臣の判断が合理性を欠くものであるかどうかを判断するに足りる具体的な事実を確定していないのであって、原審の確定した事実のみから、南門の位置を現状のとおりとする必要があることを肯定し、建設大臣がそのような前提の下に本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めたことについて合理性に欠けるものではないとすることはできないといわざるを得ない」。また、「樹木の保全のためには南門の位置は現状のとおりとするのが望ましいという建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができる場合には、更に、本件民有地及び本件国有地の利用等の現状及び将来の見通しなどを勘案して、本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めた建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができるかどうかを判断しなければならないのであり、本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めた建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができるときには、その建設大臣の判断は、他に特段の事情のない限り、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものとなるのであって、本件都市計画決定は、裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法となる」。
●最一小判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁(個人タクシー事件)
事案:行政手続法の制定に大きな影響を与えた判決として有名なものである。Xは新規の個人タクシー営業免許を申請した。陸運局長Yはこれを受理し、聴聞を行ったが、道路運送法第6条に規定された要件に該当しないとして申請を却下する処分を行った。Xは、聴聞において自己の主張と証拠を十分に提出する機会を与えられなかったなどとして出訴した。東京地判昭和38年9月18日行集14巻9号1666頁はXの請求を認め、東京高判昭和40年9月16日行集16巻9号1585頁も原告の請求を認めた。最高裁判所第一小法廷も原告の請求を認め、本件の審査手続に瑕疵があったとしてYの申請却下処分を違法と判断した。
判旨:「本件におけるように、多数の者のうちから少数特定の者を、具体的個別的事実関係に基づき選択して免許の許否を決しようとする行政庁としては、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもつともと認められるような不公正な手続をとつてはならないものと解せられる」。道路運送法第6条は「抽象的な免許基準を定めているにすぎないのであるから、内部的にせよ、さらに、その趣旨を具体化した審査基準を設定し、これを公正かつ合理的に適用すべく、とくに、右基準の内容が微妙、高度の認定を要するようなものである等の場合には、右基準を適用するうえで必要とされる事項について、申請人に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えなければならないというべきである。免許の申請人はこのような公正な手続によつて免許の許否につき判定を受くべき法的利益を有するものと解すべく、これに反する審査手続によつて免許の申請の却下処分がされたときは、右利益を侵害するものとして、右処分の違法事由となるものというべきである」。
●最一小判昭和50年5月29日民集29巻5号662頁(群馬中央バス事件)
事案:これも、行政手続法の制定に大きな影響を与えた判決として有名なものである。前掲東京地判昭和38年12月25日を参照。なお、東京高判昭和42年7月25日行集18巻7号1014頁はXの請求を棄却している。最高裁判所第一小法廷もXの請求を棄却した。
判旨:「一般に、行政庁が行政処分をするにあたつて、諮問機関に諮問し、その決定を尊重して処分をしなければならない旨を法が定めているのは、処分行政庁が、諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由のないかぎりこれに反する処分をしないように要求することにより、当該行政処分の客観的な適正妥当と公正を担保することを法が所期しているためであると考えられるから、かかる場合における諮問機関に対する諮問の経由は、極めて重大な意義を有するものというべく、したがつて、行政処分が諮問を経ないでなされた場合はもちろん、これを経た場合においても、当該諮問機関の審理、決定(答申)の過程に重大な法規違反があることなどにより、その決定(答申)自体に法が右諮問機関に対する諮問を経ることを要求した趣旨に反すると認められるような瑕疵があるときは、これを経てなされた処分も違法として取消をまぬがれないこととなるものと解するのが相当である。そして、この理は、運輸大臣による一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否についての運輸審議会への諮問の場合にも、当然に妥当するものといわなければならない」。