ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

日高本線の鵡川〜様似の廃止が決まったか

2019年11月13日 13時31分30秒 | 社会・経済

 このブログでも取り上げているJR北海道の日高本線は、2015年1月の暴風雪によって路盤の流出が発生し、その後も災害に見舞われ、鵡川〜様似(116.0キロメートル)の区間については4年10か月程という長期運休状態が続いています。その間にJR北海道の経営問題も重なり、存廃が議論されてきました。ついに、鵡川〜様似の廃止が決まりそうです。今日(2019年11月13日)の11時12分付で、朝日新聞社が「JR日高線、8割廃止へ 5年不通でも『事態変わらず』」として報じています(https://digital.asahi.com/articles/ASMCC5KB9MCCIIPE01J.html)。

 11月12日、沿線7町長が協議を行い、多数決によって日高本線の鵡川〜様似の廃止およびバス転換を決めました。賛成が6、反対が1という結果でした。反対したのがどの町長であるのかは書かれていませんが、浦河町長が全線の復旧を主張し、日高町が鵡川〜日高門別のみの復旧を主張していましたので、反対は浦河町長によるものではないかと考えられます。

 さて、これによって廃線というJR北海道の提案は受け入れられたこととなりますが、沿線7町長はあくまでも最終結論ではなく、最終合意でもないとしています。これから、沿線7町とJR北海道が協議を行い、代替バス路線、地元支援策などを決めていくようです。2020年3月までには最終合意という方向性も示されています。

 一方、日高本線の苫小牧〜鵡川(30.5キロメートル)は残ることとなっています。もとより、この区間もJR北海道単独では維持が困難とされており、沿線自治体の財政支援が前提となっています。この区間のみ残っても状況が改善されるとも思えないのですが、どうなのでしょうか。

 なお、鵡川〜様似の状況ですが、鉄道路線として営業されていた頃の赤字は10億円を超えていたそうです。代替バスになってからでも7億円の赤字が出ています。厳しいことに変わりはありません。

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近江鉄道沿線地域交通再生協議会の第1回会合が開かれた/びわこ京阪奈線構想は名実ともに破綻した

2019年11月10日 13時10分00秒 | 社会・経済

 少しばかり時間が経ってしまいましたが、ブログで近江鉄道を取り上げ、実際に乗車してみた私としては、取り上げておかなければならないでしょう。

 2019年11月5日、東近江市役所で近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会(地域公共交通の活性化及び再生に関する法律に基づく法定協議会)の第1回会合が開かれました。11月6日の3時付で朝日新聞社が「滋賀)近江鉄道 廃止含めた議論へ 住民アンケートも」として報じています(https://digital.asahi.com/articles/ASMC536MJMC5PTJB004.html)。また、今回は滋賀報知新聞社による11月8日付の「存廃巡る本格議論始まる 近江鉄道沿線再生協議会」という報道(http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0030384)も参照しています。

 (以下、近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会については協議会と記します。)

 協議会の構成員は、滋賀県、沿線10市町、近江鉄道、学識経験者などです。会長には滋賀県知事の三日月大造氏が就任しました。

 その三日月氏は、近江鉄道の存続を前提としない方針を明言しました。存続、廃止のどちらともなりうる訳ですが、1994年度から現在まで赤字が続いているということになると、鉄道路線の全線については存続断念という結論が導かれる可能性も高いということになります。少なくとも、路線の一部廃止という選択肢はあることとなります。

 「近江鉄道の今後は?」(2019年07月31日23時31分30秒付)および「近江鉄道に関して法定協議会の設置へ」(2019年08月28日11時34分20秒付)においても記しましたが、2017年12月に近江鉄道は沿線自治体に協議を求め、翌年12月に調整会議が発足しました。しかし、存続の場合の費用負担などについて具体的な方向性がまとまらなかったため、協議会が設置されたのです。

 第1回会合では、12月にアンケート調査を行うことを決めたようです。対象は、約7000人の沿線住民(どのように選ぶのか、ということなどはわかりません)、約20社の事業所、17の学校(高校、大学など)、約500人の鉄道利用者で、内容としては利用実態や今後の運営に関する意向などとなっています。2020年2月までに結果がまとめられた上で、3月に第2回の協議会が開かれるとのことです。おそらく、このアンケート調査の結果が、近江鉄道の全鉄道路線の存廃に関する議論の鍵(少なくともその一つ)となるでしょう。そして、第2回の協議会で存続か廃止かの大筋が決定されるようです。

 ただ、気になることもあります。アンケート調査を1回行っただけで十分なのかということです。三日月氏も同じ趣旨を述べたそうですが、アンケート調査とは別に乗降客数の調査を行う必要もあるのではないかと思われます。私が一度だけ利用した際にも、路線、というより区間によって、利用客数に相当の差があると感じたからです。近江鉄道自身が、本線、多賀線、八日市線という正式の路線とは別に、彦根・多賀大社線(本線の米原〜高宮および多賀線全線)、湖東近江路線(本線の高宮〜八日市)、水口・蒲生野線(本線の八日市〜貴生川)および万葉あかね線(八日市線全線)という愛称(?)を付けており、詳細はわかりませんがおそらく利用実態に即した区分であると考えられるでしょう。本線を3つに分割しているところが暗示していると思われます。

 また、本当かどうかわからないのですが、協議会では厳寒期の乗客が少ないというような意見が出されたそうです。北海道などとは違うのかと考えましたが、そうであるかもしれないし、学校が冬休みに入ってからの時期を指しているのかもしれません。中学生や高校生の乗客をかなり見かけましたので、生徒の利用は多いでしょう。ただ、減少傾向にあることも否めないものと思われます。

 さて、協議会は、あくまでも予定ということではありますが、2020年度の前半に「新たな運営形態や自治体の財政負担など」について合意し、後半には地域公共交通網形成計画を作成し、2022年度に「新たな運営形態に移行する」という方針をとるようです(あるいは提案されただけかもしれませんが)。これは、近江鉄道の鉄道路線の存続の方向性が決まった場合のことでしょう。全線存続・全線廃止の選択ではなく、一部の路線・区間の廃止という選択もあります。但し、一部廃止とする場合、存続路線にも影響が出かねない点には注意を向けなければなりません。

 「近江鉄道全路線乗車記(3)」において記したように、潜在的な通勤利用需要や通学利用需要はあると感じています。ただ、それが現実のものにならないところでもあります。福井鉄道福武線など存続事例の検討も必要となるでしょうし、のと鉄道能登線など廃止事例の検討も必要となるでしょう。

 とくに、廃止を選択した場合の影響について注意深く検討する必要があります。堀内重人氏の『鉄道・路線廃止と代替バス』(2010年、東京堂出版)などにおいても指摘されているように、鉄道路線を廃止してバス路線とした場合、かえって乗客が減ってしまう例も少なくないからです。あるいは、京福電気鉄道越前本線および三国芦原線のように、列車衝突事故を契機として長期間休止の後に廃止されることとなってから、沿線の道路が渋滞で麻痺し、えちぜん鉄道に両線が譲渡された上で営業が再開されたという事例もありますし、のと鉄道能登線のように、廃止されたことによって沿線の通学事情が極端に悪化した事例もあります。存続、廃止のいずれを選ぶにしても、話は単純に終わらないということです。

 近江鉄道の今後は?:2019年07月31日23時31分30秒付

 近江鉄道に関して法定協議会の設置へ:2019年08月28日11時34分20秒付

 近江鉄道全路線乗車記(1);2019年11月02日22時40分25秒付

 近江鉄道全路線乗車記(2):2019年11月03日06時00分00秒付

 近江鉄道全路線乗車記(3):2019年11月04日00時00分00秒付

 ★★★★★★★★★★

 以下は余談のようになりますが、近江鉄道本線に関する別の構想について記しておきます。

 滋賀県のサイトには、2015年9月17日付で「びわこ京阪奈線(仮称)鉄道構想」というページがあります(https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kendoseibi/koutsu/20098.html)。これは何かというと、びわこ京阪奈線という、米原駅から京都府南部の関西文化学術研究都市までの鉄道という構想で、滋賀県のサイトでは京都府側に想定されている終点が具体的にどこであるかは明示されていないもののJR片町線(学研都市線)に接続する、というものです。なお、近畿運輸局のサイトで参照できる第8回近畿地方交通審議会の答申(2004年10月8日。以下、2004年答申)に付けられている参考資料ではJR片町線の京田辺駅が終点と書かれています。

 もう少し具体的に記すと、起点の米原駅から途中の貴生川駅までは近江鉄道本線を、貴生川駅から信楽駅までは信楽高原鉄道信楽線を利用します(勿論、改良は必要です。とくに信楽線は単線非電化で全線一閉塞ですので)。そして信楽駅から京田辺駅までは純粋な新線となります。

 この構想そのものは1989年に生まれたようで、当初は「湖東・大阪線(仮称)鉄道建設期成同盟会」といい、1995年に「びわこ京阪奈線(仮称)鉄道建設期成同盟会」と改称されています。しかし、信楽線の歴史を見ると、実は鉄道敷設法(大正11年4月11日法律第37号)の別表第76号にある「滋賀県貴生川ヨリ京都府加茂ニ至ル鉄道」の一部であるので、形を変えて再生した計画であるとも言えます。

 同盟会の現在のメンバーは、滋賀県、彦根市、近江八幡市、甲賀市、東近江市、米原市、日野町、愛荘町、豊郷町、甲良町および多賀町です。よく見ると近江鉄道の沿線自治体であることがわかります。一方、京都府側の自治体は参加していないようです。

 1996年には、大阪湾臨海地域開発整備法に基づき、びわこ京阪奈線が滋賀県関連整備地域整備計画の中に位置づけられます。そして、2004年答申においてびわこ京阪奈線が構想路線(「その他提案のあった路線」)とされます。しかし、答申路線とは位置づけられていません。つまり、「京阪神圏において、中長期的に望まれる鉄道 ネットワークを構成する新たな路線」として建設を積極的に進めるべき路線とは評価されていないのです。

 2004年答申の「路線評価一覧表」において、びわこ京阪奈線(近江鉄道米原〜JR京田辺、91.8km)は次のように評価されています。

 費用対効果(30年):0.65

 費用対効果(50年):0.70

 採算性:B

 ここで、費用対効果は次のように定義されています。

 費用対効果=B(便益)÷C(費用)

 B=(利用者便益)+(供給者便益)+(環境等改善便益)

 C=〔建設投資額(工事費+用地費+車両費)〕+(維持改良費)

 利用者便益:総所要時間の変化、総費用の変化、快適性の変化

 供給者便益:当該事業者収益の変化、補完・競合路線収益の変化

 環境等改善便益:道路交通混雑の緩和、道路交通事故の変化、走行経費削減、道路交通騒音の変化、窒素酸化物・二酸化炭素発生の変化)

 [念のためにお断りをしておきますが、以上の定義などは2004年答申を引用したものです。但し、窒素酸化物および二酸化炭素の部分のみ修正しました。]

 その後に新たな評価は行われていませんので、2004年答申が現在も生きているということになります。当時でも低い評価でしたので、現在であればさらに低くなるでしょう。近江鉄道の鉄道路線の存廃が議論されるようでは、びわこ京阪奈線構想は名実ともに破綻した、ということを意味します。実質的には15年前に、名目的には2018年か2019年に、ということになるでしょう。

 もし、びわこ京阪奈線を実現し、それなりに利用価値の高い路線とするならば、全線電化複線ということになるでしょう。もっとも、終点側で接続する片町線の木津駅から松井山手駅までは単線区間であり、京田辺駅もこの単線区間に含まれているのですが、1989年に電化がなされています(松井山手駅も同年の開業です)。びわこ京阪奈線は90kmを超える路線ですし、片町線への直通運転をするか否かは別として大阪市方面への交通経路ともなりえます(逆に、関西文化学術研究都市への連絡で終わるようでは存在価値が減ります)。単線非電化で交換待ちのために何分間も停車するような路線では意味がありません。近江鉄道本線および信楽線の高速化も必須です。

 同盟会がどこまでびわこ京阪奈線の具体像を描いているのかわかりませんが、規格の低い新路線を作る必要性など、全く存在しないのです。

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揖斐駅 養老鉄道7700系7703F

2019年11月06日 00時00分00秒 | 旅行記

大垣駅から養老鉄道養老線の7700系7703Fに乗り、終点の揖斐駅に着きました。近鉄養老線時代には近鉄最北端の駅であったという歴史を持ちます。

 新幹線などに乗ると、木曽川、長良川および揖斐川を渡ります。木曽三川と称されるこれらの川は濃尾平野を流れ、いずれも岐阜県を通ります。そのうちの揖斐川は、知名度からすれば最も低いでしょうが、養老鉄道養老線と最も深く関係しており、終点駅の名称も揖斐となっています。

 ちなみに、東京証券市場第一部に上場しているイビデンという会社がありますが、揖斐川電気工業から名を改めた企業であり、一時期は養老線も運営していました。

 揖斐駅の駅舎です。有人駅で、揖斐川町の玄関口となっています。

 但し、中心街はこの駅の周辺ではなく、国道417号を北上して揖斐川の対岸を少し進んだ所にあります。今回は中心街へ行かず、大垣駅へ引き返しましたが、地図を見ると、国道303号と国道417号が重複する区間の近くに町役場などがあります。

 また、重複区間の東側、国道303号を進んで揖斐川郵便局の近くには、2001年9月30日まで名鉄揖斐線の本揖斐駅がありました。養老線の揖斐駅のほうが先に開業していますが、中心街に近いのは本揖斐駅であった、ということです。しかし、名鉄揖斐線は、2001年10月1日に黒野〜本揖斐が廃止され、2005年4月1日には全線が廃止されてしまいました。

 

 揖斐駅前にはロータリーが拡がっており、バス乗り場と旅行会社があります。かつては名阪近鉄バスの路線バスが運行されていましたが、現在は揖斐川町コミュニティバスが運行されています。町役場などへ行くにはバスを利用することとなります。

 駅前から西のほうを見ます。奥のほうには伊吹山地が見えます。岐阜県と滋賀県に跨がっており、揖斐川町の領域の一部がこの山地となっています。

 しかし、地理、地図は面倒なものです。揖斐駅は揖斐川町にあり、奥の山地のほとんども揖斐川町にあるのですが、揖斐駅は揖斐川町の南端に近い場所にあり、国道417号の少し奥からあの山地のほうまでは揖斐川町ではなく、隣の池田町なのです。

 揖斐川町には、行政法研究者などには馴染みのある徳山ダムがあります。そこからさらに進めば福井県で、大野市などに隣接しており(福井県の池田町にも隣接しています)、滋賀県の米原市や長浜市にも隣接しています。私は、揖斐川町のほんの入口に来たにすぎない、ということになります。

 鉄道ファンが邪な精神を持っているのかどうか知りませんが、私は養老鉄道養老線の全線踏破を目指していました。また、仕事の関係などもあり、この駅に着いてからわずか8分後の10時には大垣駅に戻らなければなりません。そこで、先程乗った7700系7703Fに再び乗ることとしました。

 それにしても、最初の訪問時に7700系に乗ることができ、運がついていました。

 東急時代は下り向きであったデハ7703です。慣例で、東急の編成を言う際には上り側の車両を基準にするため、7700系であれば7901F、7903Fのように表現しました。養老鉄道ではどのように表現するのかわかりませんが、前回および今回は大垣駅方向を基準としました。

 この写真からでも、揖斐駅の構内は広いことがおわかりになるかと思います。今では乗り場が一つしかありませんが、かつては乗り場も複数あり、側線などもあったのでしょう。養老線では貨物運送も行われていましたので、往時は賑やかであったことでしょう。

 そのようなことを思いながらこの電車に乗ったら、大きく予想を外してしまいました。

 たまたまそうであったのか、それとも土曜日の10時00分発大垣行きがそうであるのかはわかりません。大垣か岐阜か名古屋で大きなイベントでもあったのか、実質的な3連休であったからか、それもわかりません。

 この列車のお客が多かったのです。若い乗客がたくさんいたことにも驚きました。女性の比率が高いことは近江鉄道などのローカル線と同じですが、20代と思しき男性も少なくありません。高齢者も多かったのですが、ローカル線で若年世代がこれだけ多かったのは、少なくとも私の経験において初めてのことです。

 ローカル線で3両編成、しかもロングシート車中心では輸送力過多ではないか、などとも考えていたのですが、いざ乗ってみたら、デハ7703の座席は発車時刻までに埋まっており、かなり賑やかでした。残りの2両についても着席率は高めで、50%を超えています。首都圏でも土曜日の10時台では3両編成でも着席率が低い列車があるでしょう。

 揖斐駅10時発、大垣駅10時25分着の電車は、閑散路線とは思えない状況でした。近鉄時代がどうであったかわかりませんが、途中駅からの乗客も増え、3両とも座席は埋まり、立っている客も増えてきました。何処とは記しませんが大都市のリニア地下鉄(都営地下鉄大江戸線ではありません)よりも乗客は多いでしょう。車両が元東急7700系であるだけに、単線の池上線・東急多摩川線であるかのようでした(両線であればもっと乗客は多いでしょうが)。

 大垣駅に着き、私は桑名行きに乗り換えました。しかし、時間帯のためなのかどうか、2両編成の桑名行きは先程の列車ほどの着席率には至っていません。自転車とともに乗り込んだ客もいました。

 乗ってみて感じたことですが、同じ路線であるとはいえ、桑名〜大垣と大垣〜揖斐とでは、全くと表現してよいほどに性格が違います。桑名〜大垣を養老線とするならば、大垣〜揖斐は通称の揖斐線と表現するほうがよいでしょう。同一路線ではなく、正式に別の路線とするほうが合理的であるように思います。

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養老鉄道養老線の7700系7703F 大垣駅

2019年11月05日 00時00分00秒 | 写真

 2019年11月2日の朝8時、彦根駅から東海道本線で大垣駅へ向かいました。

  米原駅がJR西日本とJR東海との境界となっているため、直通していません。同駅止まりの新快速に乗って同駅で降り、JR東海の車両による8時25分発の新快速豊橋行き(と言っても岐阜駅までは各駅に停車)に乗ります。

 それはよいとして、彦根駅から大垣駅まで向かうには、自動券売機で乗車券を購入しなければなりません。彦根駅の案内を見たら、ICカードを利用できるのは米原駅までで、醒ヶ井駅、関ヶ原駅、大垣駅などに向かう際には利用できないことになっています。彦根駅で係員に尋ねたら、全くできないという訳でもないのですが、大垣駅で係員に精算してもらわなければならないというのです。同じJRグループなのに、この不便さは何なのでしょうか。

 ともあれ、8時56分、大垣駅に着きました。目的は養老鉄道養老線で、2018年11月に東急池上線・東急多摩川線の運用から外れた7700系を見たいと思ったからです。

 2018年8月23日22時56分20秒付の「養老鉄道へ譲渡 東急最古参の7700系」で記したように、一般社団法人養老鉄道管理機構(大垣市)は7700系を購入し、改造を経て2019年2月から養老線で運用されています。

 日本最初のオールステンレスカー、初代7000系を改造したのが7700系ですから、最初に製造されてから半世紀以上が経過しています。そうした車両を購入してさらに20年か30年かはわかりませんが走らせようとする訳です。最初は驚きましたが、養老鉄道にとっては手頃だったのかもしれません。

 また、養老鉄道養老線は、2007年9月30日までは近鉄養老線でした。しかし、経営状態が悪化したということで、近鉄の子会社として養老鉄道が設立され、同鉄道に移管されたのです。それでも近鉄は第三種鉄道事業者として線路などの施設を保有していましたが、2018年1月1日から養老線の第三種鉄道事業者は一般社団法人養老線管理機構となっています。この経緯は、やはり近鉄伊賀線であった伊賀鉄道伊賀線と似ています(伊賀鉄道が第二種鉄道事業者、伊賀市が第三種鉄道事業者)。また、これまでの近鉄の車両を置き換える形で東急の車両を導入したことも、養老鉄道と伊賀鉄道は共通しています。

 JR大垣駅の南側に養老鉄道大垣駅があります。駅名標を見ると、同じ方向に次の駅が二つ書かれています。これは養老線が大垣駅でスイッチバックする形となっているためです。西大垣駅は桑名方面の、室駅は揖斐方面の次の駅です。もっとも、養老線の運行形態は大垣駅で分断されています(やはりスイッチバック駅である伊万里駅で運行形態が分断されている松浦鉄道と同じようなものです)。そのためか、大垣〜揖斐については揖斐線という通称もあります。

 

 ホームで揖斐行きを待っていたら、揖斐方面から7700系7703Fが到着しました。窓には、自転車とともに乗り込むことができる「サイクルトレイン」の標識が貼り付けられています。前日に利用した近江鉄道と同じです。もっとも、今回、大垣〜揖斐では自転車とともに乗車した客を見ていません。

 クハ7903です。赤帯を巻いているのは東急時代と同様です。3両編成で、クハ7903、デハ7803、デハ7703の順に連結されています。養老線に入る際に改造を受けていますが、車体をみる限りでは、屋根のパンタグラフが菱形からシングルアーム形に取り替えられている点と前面下部にスカートが取り付けられている点が異なるくらいですし、側面も、東急の社紋が付けられていた部分がただのステンレス板になっていて養老鉄道の社紋が取り付けられていない点が異なるくらいです。車内はかなり変えられており、たとえばデハ7803の座席はクロスシートに変えられています。また、クハ7903とデハ7703の運転室の後ろには次駅の案内などを示すモニターが取り付けられています。

 7700系は、1987年から数年間、初代7000系に冷房装置を取り付け、制御装置をVVVF化し、台車もパイオニアⅢから別のタイプに交換するなどの改造を施すことで生まれた形式です。当初は6両編成で大井町線に投入されましたが、目蒲線に移って4両編成化され、さらに池上線に移り、3両編成化されました。そして引退まで、池上線と東急多摩川線で活躍したのです。また、十和田観光電鉄に6両が譲渡されました。

 クハ7703の車内に取り付けられているプレートです。東急車両で昭和38年、つまり1963年に製造されていますので、既に56年が経過しています。改造されたのは1987年ですから、32年が経過していることとなります。

 初代7000系はマスターコントローラーとブレーキ弁が別となっているツーハンドル方式でしたが、7700系に改造されてしばらく経ってから、ワンマン運転用として改造され、その際にワンハンドルマスコンが採用されました。運転台をみると、東急時代にマスコンの両側にあったドア開閉スイッチが外される、運転席の上にあったモニター装置が外される、などの改造を受けています。

 この車両に乗って、終点の揖斐まで行きました。土曜日の朝9時台、しかも下り列車にしては、意外に乗客が多かったという気がします(3両とも座席が埋まったりするようなことはなかったのですが)。また、ワンマン運転ではありますが、車掌資格のない添乗員も乗っており、車内補充券を売っていました(ドアの開閉などは運転士が行います)。

 また、ローカル線にしては速度が出ており、区間によっては70km/h以上であったようです。近鉄時代より業績が良くなっているのかどうかわかりませんが、経営分離を行ったことは正解であったのかもしれません。

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近江鉄道全路線乗車記(3)

2019年11月04日 00時00分00秒 | 旅行記

 貴生川駅に着きました。当初から近江鉄道の様子を見るという目的を持っていましたので、草津線や信楽高原鉄道には乗らないこととしました。両線には、またの機会を見つけてということになります。

 貴生川駅の北口です。「貴生川駅」と書かれている所にエレベーターが設置されています。JR草津線と信楽高原鉄道の駅は橋上駅となっており、近江鉄道の駅はホームの上にあります。

 次は八日市線に乗ります。そのためには15時28分発の彦根行きに乗ることとなります。まだ時間があるので、駅の東側にあるコンビニエンスストアに行きました。昼食をとっていなかったので、菓子パンを買いました。

 貴生川駅は甲賀市にあります。そう、伊賀と並ぶ忍者の里として有名で、伊賀市と甲賀市は忍者対決をするそうです(しかも最終決戦は市長対決であるとか)。

 ところで、皆様は甲賀をどのように読まれますでしょうか。

 「こうが」と読む方が多いと思われますが、現在、正式の読み方は上の写真にもあるように「こうか」です。貴生川駅からJR西日本草津線に乗って柘植駅へ向かうと3つ目が甲賀駅ですが、この駅の読み方も「こうか」です。

 地名は難しいもので、松阪牛で有名な三重県松阪市も「まつざか」と読む人が多いのですが、正式には「まつさか」です。私は「まつさか」と読んで親に怒られたことがあります。そこで「辞書でも地図でも読んでみて」と言ったら「本当だ」と納得されました。

 近江鉄道の貴生川駅に戻ると、2番線に「赤電」の方向板が付けられた車両が停まっています。どういう訳か、運転士が少し動かしては止めて、という作業を繰り返していました。もう昔の話になりますが、西武鉄道でもこのような、あるいはこれと似たような塗装の電車が走っていました。改造されているとは言え、正面のスタイルは西武401系のままと言ってよいでしょう。

 1番線に停車中の彦根行きに乗ると、2号車のほうに多くの客が乗っています。1号車では無人駅で扉が開かないためですが、それでも私を含めて4人が乗っていました。発車時刻が近くなるにつれて増えてきました。

 ここから八日市駅までは、私にとってただ折り返すだけなのですが、日野駅の構内にLE10のための車庫、給油施設などの跡が残っていました。たしかに、八日市駅から貴生川駅までの間が、近江鉄道の路線で最も乗客が少ない部分でしょう。しかし、11月1日に乗ったところでは、LE10の1両編成では乗客をさばけないだろうとも思えます。早々に2両連結となり、合理化の意味は薄れたのでした。

 八日市駅で降りると、目の前に16時10分発の近江八幡行きが止まっています。これに乗りました。2号車(モハ1808)の座席は埋まっており、立っている人もいます。1号車(モハ808)には、私を含めて15人の客が乗っています。今回利用した限りでの話となりますが、近江鉄道の各路線の接続はよく、本数の少なさをカヴァーしているようにみえます。

 発車して右へ曲がり、すぐに新八日市駅に着きます。7、8人の客が乗りました。この辺りは完全な住宅地で、速度もそれなりに出ますが、すぐに太郎坊宮前駅です。「たろうぼうぐうまえ」と読みますが、車内アナウンスは「たろぼうぐうまえ」と言っています。方言なのでしょう。発車すると、また広大な水田が見えてきました。

 交換駅の市辺駅に着きます。かなりの徐行で進入するので、すぐに駅到着とわかります。発車して、大きく右へカーブし、再び水田と住宅地を抜けます。八日市線は近江鉄道全線で電車が最も速く走る路線と言えるでしょう。60km/h以上を出しているはずです。

 交換駅の平田駅に着き、何人かが乗りました。八日市行きと交換です。

 左側の水田の背後に山が迫ってきます。林の脇を通り、左側に工場、右側に住宅地と水田を見て、武佐駅(交換駅)に着きました。10人くらいの客が乗ってきました。既に夕方であるとはいえ、ローカル線としては乗客が多いのではないでしょうか。

 広大な水田、東海道新幹線の下を通り抜け、速度を上げます。今回乗った中では最も速く感じられました。左にAEON(イオン近江八幡ショッピングセンター)が見え、近江八幡駅が近いことがわかります。彦根駅と近江八幡駅のどちらの周辺が、街として大きいのでしょうか。電車は減速し、左へ曲がり、右にJR東海道本線が見えると、16時29分、近江八幡駅に到着です。これで近江鉄道の鉄道全線を乗り終えました。

 一日乗車券を持っていますから、再び近江鉄道線で宿泊予定地に近い彦根駅まで利用してもよいのですが、東海道本線の新快速に乗ることとしました。近江鉄道線では八日市駅で乗り換えなければなりませんし、1時間ほどを過ごさなければなりません。新快速であれば20分もかかりません。

 こうして、4時間7分をかけて近江鉄道の全路線を利用しました。たった一度ですから多くのことは言えませんし、詳細な分析を行った訳でもないのですが、「近江鉄道全路線乗車記(1)」で記したように、潜在的な鉄道利用可能性は高いのではないかと考えられます。沿線に大規模な工場が多く、それを象徴するかのように、近江鉄道にはフジテック前、スクリーン、京セラ前という駅があります。名称からすぐにわからなくとも、実際に利用してみると目に付くのです。

 また、東海道本線には新快速が走っています。列車によって所要時間に多少の差はあるでしょうが、近江八幡駅から京都駅までは40分弱、大阪駅までは1時間5分程です。また、彦根駅から京都駅までは50分弱、大阪駅までは1時間20分弱というところでしょう。遠いことは否めませんが、通勤や通学が不可能という訳でもなさそうです。

 人口という点に着目すると、国土地理協会の調査によれば、2019年4月における近江鉄道沿線市町村の人口は次の通りです(所在駅も記しておきます)。

 彦根市〔フジテック前駅、鳥居本駅、彦根駅、ひこね芹川駅、彦根口駅、高宮駅、スクリーン駅〕:112,997人

 近江八幡市〔近江八幡駅、武佐駅〕:82,063人

 甲賀市〔水口松尾駅、水口駅、水口石橋駅、水口城南駅、貴生川駅〕:90,833人

 東近江市〔五箇荘駅、河辺の森駅、八日市駅、長谷野駅、大学前駅、京セラ前駅、桜川駅、朝日大塚駅、朝日野駅、新八日市駅、太郎坊宮前駅、市辺駅、平田駅〕:114,186人

 米原市〔米原駅〕:39,138人

 日野町〔日野駅〕:21,436人

 愛荘町〔愛知川駅〕:21,348人

 豊郷町〔豊郷駅〕:7,347人

 甲良町〔尼子駅〕:6,995人

 多賀町〔多賀大社前駅〕:7,561人

 これだけの人口を抱える地域を走り抜けている訳です。勿論、沿線人口を厳密に考えるならば、以上の数字よりは減ります。しかし、近江鉄道全路線と比較して沿線人口が少ないというローカル線は日本に多くあるはずです。すると、近江鉄道全路線には潜在的な通勤利用需要、通学利用需要はかなりあるのではないかと思われるのです。  

 ただ、「近江鉄道全路線乗車記(2)」で記したように、金曜日の午後から夕方にかけてという条件があるとは言え、20代、30代、40代と思しき男性はほとんど乗っていなかったのでした。これに対し、同年代の女性の乗客は比較的多いようです(これは、11月2日に養老鉄道養老線に乗車した時にも感じたことでした)。男性の客は、10代でなければ若くとも50代、大体60代以上ということになります。

 滋賀県南部の自家用車普及率がどの程度かわかりませんが、 同県でも買い物は郊外型大規模店舗へ自家用車で行く、というスタイルが普及しているのでしょう。これは鉄道に限らず公共交通機関にとって痛手となったはずです。

 ただ、最近、郊外のショッピングモールについては、過当競争のためか、比較的短期間で閉鎖される例などが少なくありません。具体的なことは書きませんが、滋賀県には非常に有名な例があります。高齢化、自家用車所持による負担などを考えると、自家用車普及率が今後も一貫して上昇を続けるとは考えがたいでしょう。そうなれば、再び鉄道やバスに注目が集まる可能性も否定できません。

 私鉄は営利企業ですが、単なる営利企業ではなく、公共的役割を担う企業でもあります。その意味において、近江鉄道全路線の行方は滋賀県、上記沿線市町村、そして住民の選択にかかっていると言えます。私は、一度乗っただけではありますが、このまま廃止してしまうのは勿体ないと感じました。

 また、あくまでも相対的であるとはいえ、男性よりも女性のほうが、年齢層に関係なく鉄道などの公共交通機関の利用率が高いとすれば、交通政策などに女性の意見をもっと多く取り入れたほうがよいでしょう。故宮脇俊三氏のように大手私鉄のパターンダイヤを嫌った鉄道ファンの意見を受け入れていたら、公共交通機関の不便さは解消されないままに終わります。距離を置くことができる人の意見こそが有益である、といえるのかもしれません。

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近江鉄道全路線乗車記(2)

2019年11月03日 06時00分00秒 | 旅行記

 多賀大社での参拝を終え、多賀大社前駅に戻ります。

 

 

 

 平日の午後の割には、神社に参拝客も多かったのですが、絵馬通りと名付けられた商店街にはほとんど人が歩いていません。自家用車で来る人が多いのでしょう。営業している店もそれほど多くなく、13時を過ぎていたからか、客も少ないのです。

 興味深かったのは、絵馬通りの沿いにある家屋の玄関に「笑門」と書かれた絵馬(と言っても馬は書かれていません)が掲げられていたことです。「笑う門には福来たる」ということなのでしょう。

 高宮行きに乗り込むと、2号車(800形モハ1804)に私を含めて7人、1号車(モハ804)に5人くらいが乗っています。3扉の車両で、屋根の上のベンチレーターがグローブ型です。元は西武の401系だったようです。

 13時25分、定刻に発車しました。田園風景の中に大型の工場が点在する風景です。この多賀線に限らず、近江鉄道本線や東海道本線、東海道新幹線ではよく見られます。スクリーン駅で6人が乗りました。1号車が後で、ワンマン運転のためにほとんどの無人駅では扉が開きません。2号車が前ですが、中扉は一部の有人駅などを除き、開きません。

高宮駅で降り、構内踏切を渡って駅を出てみました。狭い通りの住宅街でした。駅前には寿司屋くらいしかありません。

 高宮駅に貼られている案内です。御多分に漏れず、近江鉄道にも無人駅が多いのですが、駅員が配置されている駅であっても時間帯を区切っているのです。おそらく、終日配置駅は片手で数えられるくらいでしょう。

 もっとも、最近では首都圏でも早朝に駅員不在、などという駅が増えている状況です。

 合理化は、経営のためにはやむをえないのかもしれませんが、サービスの低下をも意味することがあります。近江鉄道の車両には整理券発行機が設置されていますが、乗客にとっては煩わしいものでしょう。川崎市で生まれ育った私は、鉄道はもとよりバスでも整理券が発行されないのが当然という環境で育ちましたので、大分市に住み始めたばかりの時に路線バスの整理券を取り忘れ、困ったこともありました。私でなくとも整理券を取り忘れたり、敢えて取らない人もいます。これらとは別に、整理券発行機の不調も考えられます。実際、今回近江鉄道の電車に乗ったら、整理券が出なかったと運転士に申し出た乗客がいました。

 また、翌日に利用した養老鉄道の場合、車掌としての資格を持たない添乗員が乗車しており、切符などを販売していました。近江鉄道では添乗員がいないのでしょうか。それとも、時間帯によるのでしょうか。

 もう一つあげておくと、ワンマン運転は運転士にとっても大変だろうと思われます。一人で運転士と車掌の両方をこなさなければならないからです。

 13時43分発の貴生川行きに乗ります。1号車(900形モハ901)には私を含めて11人、2号車(モハ1901)には6人が乗っているでしょうか(1号車からではよくわかりませんが)。いつの間にか東海道新幹線に沿って北側を走っています。尼子駅は交換駅ですが、水田が拡がり、住宅地などは線路から離れています。

 屋根のほうに豊郷病院と書かれた大きな看板が付けられた建物が見えてきたら、豊郷駅に着きます。北側には住宅が多く、南側は東海道新幹線の高架です。やはり何人かの客が降りていきます。乗る人はあまりいません。

 線路のそばは水田、畑、少し離れて住宅という車窓が続きます。線路のそばに住宅があれば、駅が近いということです。愛知川駅に着くと、ここで男女の高校生6人などが乗ってきました。交換駅ですが、番線表示はありません(関東地方の大手私鉄で、乗り場が複数あるのに番線表示のない駅はほとんど見かけませんので、気になるのです)。

 愛知川駅を出て、東海道新幹線から離れ、高架になり、川を渡ります。橋から東海道新幹線が見え、左にカーブし、東海道新幹線の下をくぐる直前に五箇荘駅に着きます。小学校低学年の児童が30人くらい乗ってきました。シャディの中央物流センターはすぐ近くです。

 そういえば、彦根駅付近を除き、米原駅から五箇荘駅まで、車窓からは大型の商業施設らしきものがほとんど見えません。水田を通り抜けるようにして走りますが、直線が長い割には速度が出ません。そのうちに河辺の森駅に着くと、また親子5組が乗ってきました。車内は賑やかです。本当に少子高齢化社会なのかと疑いたくなったほどでした。

 緩い右カーブの後、八日市駅に着きます。乗換駅だけに大きく、ここで米原行きと交換します。

 ようやく、駅前にショッピングセンターなどが見えました。彦根駅や近江八幡駅の周辺ほどではないとしても、近江鉄道の沿線としてはそれなりに大きな街であるようです。

 児童たち、高校生たちなど、多くの乗客が降りていきました。しかし、乗ってくる客もそれなりにいます。1号車は13人(私を含めて)、2号車は20人くらいです。14時18分、ようやく発車します。単線なので仕方のないところもありますが、列車交換の際の長い停車時間が、鉄道の乗客を減らす原因の一つではないでしょうか。

 八日市駅を発車してもしばらく続く住宅地の中を通り抜けます。また田畑が近く、住宅が少し離れているという風景が見られるようになると長谷野駅に着きます。住宅は多いようです。直線を走り続け、大学前駅です。駅前にびわこ学院大学のキャンパスがあるのですが、電車の中からは少し見えるくらいです。反対側はとても大学のある場所とは思えない、大学の施設があるとすれば演習林だろうと思えるような光景です。ここからカーブが続きます。次の京セラ前駅も非交換駅ですが、どこに京セラがあるのか、事情を知らなければ全くわからない所です(駅のそばの踏切を、名神高速道路に沿うように東へ進むと、京セラの滋賀蒲生工場があります)。ただ、駅前に太陽光発電所がありました。

 そう言えば、京セラドーム大阪へ行こうとした人が何をどのように調べたのか近江鉄道の京セラ前駅に行ってドームを探したという話を聞いたことがあるのですが、どう考えてもそれはネタであろうとしか思えません。

 水田と住宅が混じり舞うような風景がまた続き、交換駅の桜川駅で降りたのは2人、乗る人は0人でした。

 桜川駅を出てしばらくすると、林の中に突っ込むように走り、川を渡ります。所々に民家が集中しており、すぐに朝日大塚駅です。2人が降り、1人が乗りました。住宅地は少なくなります。とにかく水田が多く、その中を抜けていくのです。私にとってはよい風景でもあります。ただ、直線区間も多い割には速度が出ないことは気になります。速度計を見ていませんが、60km/h、いや50km/hも出ていないかもしれません。と思っていたら、周囲に何もなさそうな朝日野駅です。一般道路の高架橋が目立ちます。八日市駅を出てから、住宅の造りも違っていて、木造瓦葺き屋根、いかにも旧家、農家という家屋が多くなります。

 学校が見え、住宅が増えたと思ったら日野駅に着きます。交換駅で、ここで5分停車します。高校生など9人が下車し、1号車は私を含めて3人だけになりました。2号車は7人です(駅員がいない時間帯なので、扉は開きません)。米原駅から990円、彦根駅から930円。1デイスマイルチケットを買っておいてよかったと思いました。

 多くの客が降りた米原行きの電車と交換してから貴生川行きは発車し、大きく右へカーブすると本格的な田園風景となります。ローカル色が濃いのはこの辺りであると言えます。山の中を走り、トンネルを抜けます。20km/h、いや15km/hではないかと思えるほどの徐行が続きます。トンネルの幅が狭いからだろうと思ったのですが、進行方向左側には土砂崩れか落石かの跡も見えます。ブルーシートがかけられていました。民家が見えなくなりました。

 この辺りは、近江鉄道でもとくに沿線人口が少ないと思われる所です。乗客の数も見込めません。LE10が八日市駅〜貴生川駅で運用されたというのもわかります。

 甲賀市に入り、水口松尾駅に着くと2人乗ってきました。急に住宅が増えたと思ったら水口駅でした。やたらと植物の多い駅構内です。1号車は8人になりました。

 先程から気づいていたのですが、金曜日の午後という条件があるとは言え、20代、30代、40代の男性はほとんど乗っていません。同年代の女性の乗客はいます。男性の客は、10代でなければ若くとも50代、大体60代以上ということになります。中学生や高校生が利用しなくなったら、地方の鉄道の存在意義がなくなる、とまでは言えなくとも、薄くはなります。

 水口駅を出ると再び住宅地の中を走り、水口石橋駅に着きます。2人乗ってきました。また住宅地の中を走り、水口城南駅では12人が乗りました。ようやく、郊外型大規模店舗も見えるようになりました。すると、また林の中を抜け、田園地帯と住宅地が綯い交ぜになったような所を走ります。住宅が多くなり、左に大きくカーブすると、JR草津線が右に見えて、貴生川駅に到着です。かつては国鉄信楽線であった信楽高原鉄道の起点駅でもあります。

 ちなみに、駅の近くに貴生川という川はありません。合成地名であるためです。

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近江鉄道全路線乗車記(1)

2019年11月02日 22時40分25秒 | 旅行記

 21世紀に入ってから、公共交通機関はますます厳しい状況に見舞われるようになっています。

 私は「交通政策基本法の制定過程と『交通権』~交通法研究序説~」という論文の冒頭に「公共交通機関の退潮が止まらない」と書きました。これは、JR北海道留萌本線の留萌〜増毛、およびJR西日本三江線全線の廃止を念頭に置いて書いたものですが、もちろん、話はJR北海道に留まるものではありません。JR九州、JR四国についても同様です。そればかりか、或る意味では「むしろ」と書くべきかもしれませんが、中小私鉄のほうが危機的状況にあると評価すべきでしょう。かつては準大手私鉄であった神戸電鉄の粟生線の問題が象徴的ですが、全国的に共通する少子高齢化の影響により、鉄道路線の輸送量が年々減少していますので、費用がかかる鉄道路線を維持しうるか否かが問題となっています。高千穂鉄道のように災害によって廃止される路線が新たに生じてもおかしくないでしょう。

 また、大手私鉄といえども例外でないと言えます。現に、名鉄や近鉄の一部路線について存廃問題が生じました。近鉄について記せば、これまで、北勢線、伊賀線、養老線、内部線および八王子線を経営分離しました。要は、近鉄の路線としては廃止し、別会社の路線にした訳です。

 さて、このブログでも鉄道の存廃問題を再三取り上げています。岳南電車近鉄内部線および八王子線(現在はいずれも四日市あすなろう鉄道の路線)には実際に乗りに行き、写真を撮影した上で、記事を載せています。

 今回は滋賀県の近江鉄道を取り上げます。西武グループの一員であるこの私鉄の経営問題(存廃問題)を知ったのは今年の夏でしたが、それよりも大分前にレールバスのLE10形を導入した時に、実は黄色信号または赤色信号が我々に送られていたのかもしれません。全線が電化されているのに気動車(ディーゼルカー)を走らせたのですから、乗客の減少はかなり深刻だったのでしょう。しかも、せっかく導入したLE10は合理化に貢献したと言い難く、運用期間は短かったのでした。近江鉄道に限らず、レールバスの失敗例は多いようです。

 2019年11月1日、私は高津駅から東急田園都市線の下り各駅停車に乗り、鷺沼駅で準急中央林間行きに乗り換え、長津田駅で横浜線の各駅停車桜木町行きに乗り換え、新横浜駅で降りました。目指すのは米原駅ですが、朝の9時台で米原駅に停車する新幹線の列車は9時52分発のひかり507号しかありません。

 小田原駅で満席となったひかり507号は、名古屋駅、岐阜羽島駅、そして米原駅に着きました。定刻です。神奈川県から滋賀県まで晴れています。それはよかったのですが……

 米原駅は東横線および東急多摩川線の多摩川駅を大きくしたような所で、典型的な乗換駅でした。近江鉄道の駅がある東口には、ロータリーはあるものの、そのロータリーのすぐそばにある売店と、少し離れた所にある喫茶店しかありません。あとは住宅地が続くのですが、すぐ目の前に小高い山が連なります。そこで西口に行ってみたのですが、西口も似たようなもので、昼食をとれるような店がほとんどありません。

 JR米原駅の東口に、近江鉄道の米原駅があります。御覧の通り、薄暗い場所です。奥に窓口がありますが、この時は駅員が席を外していました。理由はわかりません。JRの駅と異なり、自動改札機どころか自動券売機もありません。

 米原駅に掲げられている運賃表です。彦根駅まで310円、多賀大社前駅まで530円、貴生川駅まで1050円、近江八幡駅まで850円です。ちなみに、JRを利用すると彦根駅まで190円、近江八幡駅まで510円、貴生川駅まで1170円です(草津駅で草津線に乗り換えるルートです)。

 

 12時を過ぎてから再び近江鉄道米原駅に行ってみたら、駅員が戻ってきていたので、「1デイスマイルチケット」という一日乗車券を買いました。金曜日、土曜日、日曜日および祝日しか発売されないもので、900円です。米原駅から貴生川駅までの運賃は上記の通りで、米原駅から日野駅までの片道運賃が990円ですので、ずいぶんと思い切った設定をしたものです。米原駅からであれば、高宮駅までの片道運賃が460円ですので、往復すればよいということになります。

12時10分になる前に、2両編成の電車が到着しましたが、降りた客は数人でした。

 この電車が貴生川行きとして折り返すのですが、前の車両(1号車、モハ802)には私を含めて2人、後の車両(2号車、モハ1802)には3人だけです。黄色い電車で、いかにも西武の中古車ですが、前面は改造されています。元は西武401系で、3扉車です。

 定刻の12時22分に貴生川行きは発車しました。少し走ると東海道本線から離れますが、東海道新幹線からも少しばかり離れます。フジテック前という新しい駅に着き、乗客が1人増えますが、駅は工場からも離れており、住宅もあまりありません(工場は他にもいくつかあります)。ローカル線らしく、スピードがあまり出ないので、並行する道路の乗用車に抜かされます。鳥居本駅で再び東海道新幹線が見えます。乗客が3人増えました。発車すると東海道新幹線の下をくぐり、山の中を走ります。

 近江鉄道の車内放送は、所々で観光案内をします。彦根駅についてもそうです。しかし、これだけ空いていると虚しく聞こえます。それに、乗客の多くは地元の人でしょう。

 山を抜けたと思ったら市街地で、また東海道本線に近づき、彦根駅に到着します。やはりこちらのほうが米原駅周辺よりも市街地としては大きいのでした。駅構内には近江鉄道の車庫もあります。色とりどりですが、やはり西武の中古車ばかりです。彦根駅から多くの客が乗り込み、1号車の座席は90%ほど、2号車の座席もかなり埋まりました。

 彦根駅を発ち、しばらく東海道本線と併走します。ひこね芹川駅でも乗客が増えます。東海道本線の普通電車に抜かれます。彦根口駅付近でようやく東海道本線から離れます。上り、下りのホーム(番線表示はなし)のどちらにもお客がいますが、自転車とともに乗り込む高校生もいます(近江鉄道では一部の駅を除いて認められています)。列車交換をしてから発車し、次の高宮駅で乗り換えることとしました。

 この高宮駅で運転士が交代したのですが、米原駅から高宮駅まで乗務した運転士が3番線に停車中の多賀大社前行きに乗り、運転します。構内には西武3000系の6両編成が留置されていました。

 

 多賀大社前行きも2両編成で、後の車両には1人の乗客のみでしたが、前の車両には20人くらいが乗っています。すぐに発車し、スクリーン駅で半分ほどの乗客が降りました。駅のすぐそばにSCREENホールディングスの工場があります。東海道新幹線に乗っていてもすぐに気づくことですが、滋賀県には大きな工場などが多いのです。そのため、近江鉄道の沿線にも多い訳です。その意味では潜在的な鉄道利用可能性は高いほうではないかと思われます。

 スクリーン駅を出ると水田の中を通り抜けるようにして走り、終点の多賀大社前駅に着きます。この駅には番線表示がありますが、無人駅です。折り返しの高宮行きが発車するまで30分以上あり、多賀大社までは700メートルくらいしか離れていませんので、多賀大社まで歩き、参拝することとしました。

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La Verda

2019年11月01日 01時07分10秒 | 音楽

 ぼくが高校生であった時、テレビ朝日で、木曜日の深夜に「ピーク・ア・ブー」という番組が放送されていました。1986年4月から9月までのことです。

 タイトルロールが非常に印象的で、番組のテーマ曲が好きでした。その曲のために、無理をして起きていたくらいです。「青いメビウス」の、退廃的とも思える画像もよかったし、日本では作れないだろうと思えるようなアンニュイなBGMも素敵でしたが、やはりテーマ曲の節を聴きたかったのでした。

 こんなようにテレビ番組のテーマ曲を知り、手に入れたくなったことは、この時くらいです。

 ジャズ・フュージョン系ということだけはすぐにわかったのですが、演奏者や曲名は番組で明らかにされていません。

 当時、六本木WAVEにも行っていたのですが、曲の手がかりがありません。スイングジャーナルの質問コーナーにも葉書を出したのですが梨の礫というところです(テレビ朝日に尋ねればよかったのですが)。

 学部生になってしばらく経ってからですから、「ピーク・ア・ブー」の放送時から2年か3年が経っていました。六本木に行き、WAVEの4階にあったジャズのコーナーでLPを買おうとあれこれと棚を見ていたら、偶然、見つけたのでした。いや、正確に記すならば、ヴァイオリニストによるフュージョンで、ジャマラディーン・タクマなどのアルバムも発売していたグラマヴィジョンのLPなので面白そうだと思い、買ったのです。John Blake Jr., Twinkling of an Eye(日本盤では「オーシャン・ウォーキング」)です。ちなみに、ぼくが買ったLPのレーベルの中央右側にはGEMA(Gesellschaft für musikalische Aufführungs- und mechanische Vervielfältigungsrechteの略)の文字がありました。アメリカ盤ではなくドイツ盤だったのか、それともアメリカ盤ではあるがドイツで製造されたのか、よくわかりません。

 帰宅してターンテーブルにLPを載せ、針を落としてみたら……

 そう、「ピーク・ア・ブー」のテーマ曲でした。A面(輸入盤なので1面)の1曲目です。曲名はLa Verdaです。

 「ようやく見つかった」と興奮しました。このような形で手に入るとは思ってもいなかったからです。

 それ以来、何度となく聴き続けました。LPですがこの曲だけを聴くこともあったのです。

 その後、John Blake Jr.のアルバムを3枚買いましたが、やはりLa Verdaを超える曲はなかったのでした(あくまでもぼくが思うところですので、あしからず)。

 John Blake Jr.は2014年に亡くなったそうですが、英語版(おそらくアメリカ版)のウィキペディアには、何故か彼のリーダーアルバムが記されていません。John Blake Jr. という名称のサイト(公式サイトでしょう)には、全部ではないようですがディスコグラフィーに彼のリーダーアルバムが紹介されています。ぼくが持っているグラマヴィジョンの4枚は全て取り上げられています。

 La Verdaの印象が強すぎるからかもしれませんが、ぼくがJohn Blake Jr.のアルバムでおすすめするものは"Twinkling of an Eye"です。LPやCDでは中古盤を探すしかないようですが、アップルミュージックであれば入手可能でしょう。ぼくも、La Verdaだけは数年前にiTunesStoreでダウンロードしました。

 幼少時から小学校6年生までヴァイオリンを習っていたからかどうかわかりませんが、ジャズ・フュージョン系のヴァイオリニストのアルバムも時々買っています。ぼくがとくに気に入ったのは、Jean-Luc Ponty "Fables"、L. Subramaniam "Indian Express"、 L. Subramaniam "Confortable" (但し、これはキリンビールのCM曲でもあるタイトル曲が収録された日本盤のみのタイトルで、アメリカ盤などは"Spanish Wave")です。"Fables"は西武ライオンズ優勝記念セール(六本木WAVEでは行われていたのです)においてCDで購入したので、今でも車の中で聴いたりします。"Indian Express"はLPで買い、必ず通しで聴いていました。

 それにしても、六本木WAVEは楽しかったなあ。

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