通りすがりに板橋の見次公園を見たら、紅葉が綺麗でした。
昔から開かずの踏切でお馴染みだった赤羽線第一雲雀ケ谷(東上線3号)踏切も
すでに線路脇の拡幅部の建物(株式会社税経)は撤去されています
東京都補助82号線拡幅工事で、その様相を変えつつあります。
最終的には道路が線路の下を潜るアンダーパスでの交差となり
踏切は解消される事になります。
すでに線路脇の拡幅部の建物(株式会社税経)は撤去されています
王子稲荷と、その別当寺であった江戸時代の将軍の御膳所、金輪寺。
そして田中角栄の出身校でもある中央工学校。
王子は昔から権力者に好かれやすい場所なのかもしれない。
東京メトロ南北線王子神谷駅の出口を出た、北本通りの脇、
その名も神谷橋庚申通りという、一方通行のバス通りの出口に
寛文九年(1669)の銘のある庚申塔が建っています。
この辺りは、岩槻街道から足立方面へ抜ける道があり
氾濫の多かった荒川(現在の隅田川)に、いくつも渡しがあり
その道標でもあったのでしょうか。
それにしても、これだけ存在をアピールしている庚申塚も
とても珍しい気がします。
今の世界的大ターミナルである池袋ではなく、埼京線がまだ赤羽線だったり
後楽園は今でも楽しい場所
池袋駅が有楽町線の始発駅だった時代の池袋文化圏に住んでいた子どもは
先日閉園したとしまえんが最大級の遊び場ひとつだった訳ですが
その他にも現在の清掃工場の場所にあったマンモスプール/スケート場や
池袋駅東西のそれぞれのデパートの屋上(西武の方が乗り物があって良かった)
サンシャインシティにあったザ・ゴリラという当時日本最大のゲームセンター
そしてそのゲーセンを経営母体の後楽園ゆうえんちというラインナップが
池袋駅から30分圏内の「楽園」でした。
ドンチャックや「後楽園ゆうえんちでボクと握手」のヒーローショー
落下傘や回転展望台から見える後楽園球場の日ハム戦(特に観たい訳ではない)。
もう35年も昔の思い出です。
後楽園は今でも楽しい場所
今月末を以て94年の歴史に終止符を打つとしまえん。
幼少の頃からの思い出がたくさん詰まった幸せの場所でした。
今日は、「52席の至福×ありがとうとしまえん」という
西武鉄道の「旅するレストラン」電車のツアーがありました。
コロナ禍で、入園も人数規制される今日この頃ですが
としまえんに数えきれないほどたくさんの思い出がある身として
この臨時電車を見送って来ました。
明日、板橋駅東口の駅ビルがオープンします。
といっても、テナントは歯医者とパン屋とフィットネスと散髪屋。
少し遅れて保育施設だけの模様。
本当は書店とか入って欲しいんですけどね。
巨大ターミナル駅の隣駅の宿命です。
池袋駅から大塚駅に向かう山手線に並行して走る湘南新宿ラインの線路。
今は特急電車や15両編成の電車が走る通勤電車の線路になっています。
かつては貨物専用線だったため、勾配を緩くする必要があり
現在の池袋大橋や川越街道、明治通りと言った道路とは
踏切で交差していました。
池袋大橋や川越街道・首都高5号の立体交差化で、最後まで残ったのは
明治通りと宮仲橋の踏切でした。
明治通りの踏切「新田堀踏切」は、かつてトロリーバスの路線もあって
600Vの都営交通のトロリーバスと、1500Vの国鉄との交差のため
トロリーバスのエンジンを積んで、踏切だけエンジン走行を行っていました。
また、原宿宮廷駅から東北方面へ向かう
天皇陛下(昭和天皇)のご行幸や那須でのご静養のためのお召し列車は
例外(赤羽線経由)を除いて、この踏切を通過していました。
明治通りの渋滞解消と、動力車の高性能化、貨物の武蔵野線経由化等で
勾配の制限が緩くなったため、山手線の跨線橋である堀之内橋との一体化で
駒込ー田端間の中里踏切を残す山手線よりも早く、踏切ゼロになりました。
東京・北区滝野川の稲荷湯が、国の登録有形文化財に指定され
文化庁のプレート取り付けられました。
稲荷湯は大正時代に創業し、現在の建物は昭和五年(1930)に竣工した
破風屋根の宮造り建築で、空襲の被害も免れています。
都内の銭湯では二件目の登録です。
ジャニオタ特に関ジャニ担当の人にお馴染みの赤羽八幡神社。
社殿の下を新幹線が走っていることでも有名です。
境内側から、鳥居越しに新幹線がやってくるのが見られます。