にいがた
2006年02月17日 | 旅
新幹線の車内から見る長岡。
整然と並ぶ仮設住宅には、いつもの冬よりも多い雪が積もっていました。
はじめて新潟の地を踏んだのはいつだったかな。
小さい頃、まだ新幹線なんて走ってなくて、
その頃、普通の特急電車の「とき」に乗りたかった。
でも、子供にとっては、新潟に何があるのかなんて知らないし、
そんなこんなで、いつのまにか大きくなっていた。
いつしか、特急「とき」は新幹線「とき」になっていた。
大学生になって、お金と時間に余裕ができた。
そして初めて新潟の地を踏んだ。
そのときは夜行列車だった。
いつの間にか、純日本産の朱鷺、つまり本当の「NIPPONIA NIPPON」は
1羽だけになっていた。 絶滅していた。
就職してしばらく後、新幹線「とき」もなくなった。
現在、トキ保護センターには、中国から送られたトキと
その子供たちが、80羽飼育されている。
新幹線「とき」も、その愛称を復活させた。
震災の傷跡がまだ残る新潟。
でも、2つの「とき」が復活したように、
長岡の街が以前のように、以前よりも復興する日が
遠くないことを祈ります。
写真は トキの絵が描かれた旭伸航空BNアイランダー 新潟空港にて
整然と並ぶ仮設住宅には、いつもの冬よりも多い雪が積もっていました。
はじめて新潟の地を踏んだのはいつだったかな。
小さい頃、まだ新幹線なんて走ってなくて、
その頃、普通の特急電車の「とき」に乗りたかった。
でも、子供にとっては、新潟に何があるのかなんて知らないし、
そんなこんなで、いつのまにか大きくなっていた。
いつしか、特急「とき」は新幹線「とき」になっていた。
大学生になって、お金と時間に余裕ができた。
そして初めて新潟の地を踏んだ。
そのときは夜行列車だった。
いつの間にか、純日本産の朱鷺、つまり本当の「NIPPONIA NIPPON」は
1羽だけになっていた。 絶滅していた。
就職してしばらく後、新幹線「とき」もなくなった。
現在、トキ保護センターには、中国から送られたトキと
その子供たちが、80羽飼育されている。
新幹線「とき」も、その愛称を復活させた。
震災の傷跡がまだ残る新潟。
でも、2つの「とき」が復活したように、
長岡の街が以前のように、以前よりも復興する日が
遠くないことを祈ります。
写真は トキの絵が描かれた旭伸航空BNアイランダー 新潟空港にて