東京が35区制だったころの
我が家の住所地番です。
我が家周辺は
南に谷端川、北に石神井川と音無川(石神井川旧路)
東に谷田川の谷が削られた尾根上の高台で
旧中仙道とその脇を開削した千川上水に挟まれた場所です。
川に挟まれていたお陰か、陸軍の工廠があったにもかかわらず
空襲時にも焼けずに残った地域でもあります。
古代では日本尊が武蔵野の洪積平野、今の都心方向を見下ろしたとされる
御代の台という地名も残っているような高台という所為もあって
どこへ出かけても帰りは必ず上り坂…(´;ω;`)ブワッ
まぁ、長崎や尾道、神戸や神田といった坂町に比べれば
まだいいほうなのかもしれません。
さて、昔話になるのですが
かつて旧中仙道の商店街が今よりもぎやかだった頃
今でも残る亀の子たわしの「西尾商店」よりも
板橋よりに「万歳館」という映画館がありました。
そのはす向かいに交番(三軒家派出所)があって
まぁいわゆる「昭和の情景」そのものだったようです。
ある日、母とタクシーに乗って自宅に帰るとき
細かく場所を指定したら
「あれ?そうするとK(←ウチの名前)さんちの近く?」
と運転手が。
「あの…、ウチがそのKなんですが…」
と答えると、なんとその運転手さん、
「私ねぇ、あそこにあった交番のお巡りさんだったんだよ。
ひょっとして娘さん(←ウチの母の事)?」
工エエェェ(´゜д゜`)ェェエエ工
以上のやりとりはもう20年以上前の話ですが、
いまだに忘れられない衝撃的な出来事。
今でも集合住宅の入居者以外は、交番があった当時から住んでいる家。
なのにウチの名前が真っ先に出てきたってことは
ウチが消防関係の家系だから
お巡りさんもきっと他の家よりも近づきやすかったんでしょうね。
こんな、誰もが離れがたい地元に生まれ育ったことは
ひとつの財産かもしれません。
写真は西尾商店(亀の子束子)
我が家の住所地番です。
我が家周辺は
南に谷端川、北に石神井川と音無川(石神井川旧路)
東に谷田川の谷が削られた尾根上の高台で
旧中仙道とその脇を開削した千川上水に挟まれた場所です。
川に挟まれていたお陰か、陸軍の工廠があったにもかかわらず
空襲時にも焼けずに残った地域でもあります。
古代では日本尊が武蔵野の洪積平野、今の都心方向を見下ろしたとされる
御代の台という地名も残っているような高台という所為もあって
どこへ出かけても帰りは必ず上り坂…(´;ω;`)ブワッ
まぁ、長崎や尾道、神戸や神田といった坂町に比べれば
まだいいほうなのかもしれません。
さて、昔話になるのですが
かつて旧中仙道の商店街が今よりもぎやかだった頃
今でも残る亀の子たわしの「西尾商店」よりも
板橋よりに「万歳館」という映画館がありました。
そのはす向かいに交番(三軒家派出所)があって
まぁいわゆる「昭和の情景」そのものだったようです。
ある日、母とタクシーに乗って自宅に帰るとき
細かく場所を指定したら
「あれ?そうするとK(←ウチの名前)さんちの近く?」
と運転手が。
「あの…、ウチがそのKなんですが…」
と答えると、なんとその運転手さん、
「私ねぇ、あそこにあった交番のお巡りさんだったんだよ。
ひょっとして娘さん(←ウチの母の事)?」
工エエェェ(´゜д゜`)ェェエエ工
以上のやりとりはもう20年以上前の話ですが、
いまだに忘れられない衝撃的な出来事。
今でも集合住宅の入居者以外は、交番があった当時から住んでいる家。
なのにウチの名前が真っ先に出てきたってことは
ウチが消防関係の家系だから
お巡りさんもきっと他の家よりも近づきやすかったんでしょうね。
こんな、誰もが離れがたい地元に生まれ育ったことは
ひとつの財産かもしれません。
写真は西尾商店(亀の子束子)