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昔の町の名前

2013年09月11日 | 徒然
東京の町名は、役所によって画一化されてしまった。

私は北区滝野川に住んでいるが
現在では1丁目から7丁目まであって
「滝野川」と言っただけでは
どのあたりなのか、昔からの住民は皆目見当もつかない。

例えば、「三軒家」なら旧街道沿い
馬場なら、現在の石神井川の南岸といったように
字地名で言われると、有る程度ピンポイントで場所が解る。

昔は噺家の師匠も、住んでいる場所で
「田端の師匠」(3代目三木助)だの「目白の師匠」(5代目小さん)
と呼んでいた。
「黒門町」といえば、8代目文楽のことで、もちろんこれは
住んでいたのが黒門町だから。
現在の住居表示でいう「上野」。
銀座の歌舞伎座のある場所も、昔「木挽町」という町名だった。
これは昔、木挽き職人が多く住んだことから。
今でも「木挽町」は歌舞伎座を指す隠語にもなっている。

風情のある町名は、市谷界隈や神田界隈に残るくらいか。
旧町名の駆逐は、関東大震災の復興に始まった。
その後、東京市が東京都になって、23区が特別区となると
役所が、どんどん新しい住所表示に変えていった。
例えば差別をなくすためなのか流通の便宜のためなのか、
はたまた自分たちの単なる都合なのかは推し量る術もないが、
おそらく長州あたりからやってきた役人連中の末裔みたいなのが
勝手に町名を変えてしまったとしか思えない。

私は明治生まれの外祖父に可愛がられて育った。
だから、小さいころから耳年増で、
東京の地名に関しても、旧町名の方がしっくりと来ることがある。

地名に「水気」がある土地は、地盤が軟らかい。
なんていう人がいるけれど、それは昔の町名での話。
現在の住居表示では、昔の地名がわからない。
せめて戦前か震災前の地図や、
遺跡台帳を調べる(古墳や貝塚の位置、出土品が載っている)
のが、賢明なのである。

よって私は「滝野川」の人間ではなく
「瀧野川三軒家」の人間なのである。

(写真は銀座の尾張町界隈。つまり銀座5丁目・6丁目)
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