高輪の2つの遺跡

2021年01月14日 | 車窓
京浜東北線北行電車車窓。

明治五年(1872)、鉄道開業時に、当時の海岸線より海側に線路を敷設するため
石積みの築堤「高輪築堤」が作られました。

海岸線はその後どんどん埋め立てられ、築堤も盛土によって隠されてしまい
品川駅周辺の再開発が行われる近年まで、旧在来線の下に埋没していました。

かつての海岸線に沿って、江戸時代の東海道が通っており
この築堤の向こう側には、高輪大木戸の遺構も遺されています。






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