策の池と津の守弁財天

2022年03月28日 | 東京のお散歩
甲州街道の北側、四谷荒木町のスリバチ地形の中心的存在である策の池。

その昔、徳川家康がこの地の井戸水で鷹狩の際に馬の策(ムチ)を洗ったことから、
その井戸水が滝として落ちて溜まった池であることから策の池と呼ばれるようになったと言われています。

この場所は美濃高須松平摂津守の下屋敷があった場所で、津の守という名はそこからつけられました。

今は失われた滝と、現存する池はこの屋敷の庭園として整備されました。

その際に下流側の谷に土手が築かれたために、スリバチ地形になったとのことです。





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