大隈講堂の廊下

2016年03月16日 | 東京のお散歩
早稲田大学のシンボルでもある大隈講堂は
大隈重信の「人生125歳説」にちなみ、高さ125尺(37.8m)の
佐藤功一、内藤多仲設計の時計塔付き多目的広場文化ホールですが、
おなじみの外装以上に、その内装の美しさは特筆すべきものであります。

バルコニーは、大隈庭園(大隈の私邸跡)に接していて
その緑を列柱の間から存分に浴びながら向かうその突き当たりは
貴賓室(現在は主に楽屋や前室として使用)となっています。

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桜の開花

2016年03月15日 | 東京のお散歩
桜、とくにソメイヨシノの開花予想は、
この時期、気になる気象情報の一つでもあります。

今年の都内の開花予想は来週明け早々。
これは、靖國神社の標本木での予想なので
個体によっては早咲きになるものもあります。

(靖國神社に標本木:昨年撮影)

ソメイヨシノ発祥の地に近い、東京都北区の桜並木では
昨日までの冷たい雨から一転、暖かい陽射しに
今日、開花したものがあります。

明日から気温が上昇する模様。
来週までに、多くの蕾が開きそうです。

(今日、開いた花)
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九段会館

2016年03月14日 | 東京のお散歩
九段の牛ヶ淵に接して建つ九段会館は、昭和三年の
昭和天皇即位の礼を記念する事業の一環で建てられた
軍人会館がその前身です。

在郷軍人会がコンペを実施し、小野武雄氏の設計が採用され
それを基に川元良一氏が実質の設計を行い、昭和七年に着工、
翌々年の九年3月20日に竣工し、同25日に落成、開館しました。

5年前の東日本大震災では、会館内の天井が崩落し2名が亡くなり
このため建物は閉鎖されましたが、現在も建物は遺されています。

歴史的建造物であることや、戦没者遺族にとっても大切な建物であるため
保存が望まれていますが、今後の詳細はまだ未定のようです。

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早稲田奉仕園スコットホール

2016年03月13日 | 東京のお散歩
早稲田奉仕園は、大隈重信がアメリカのバプテスト教会の宣教師
ベニンホフ師に依頼して作られた学生寮「友愛學舎」を前身とする
キリスト教に関心を持つ早大生の知と倫理の啓発の場として発展しました。

この奉仕園内にある礼拝堂「スコットホール」は、大正十(1921)年に
アメリカバプテスト教会のスコット夫人から寄付されたもので
ヴォーリズ設計事務所の原案を基に、内藤多仲と今居兼次が設計した
東京都の歴史的建造物です。

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日本女子大成瀬記念館

2016年03月12日 | 東京のお散歩
NHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)の「あさがきた」も
そろそろ終盤となりましたが、モデルとなっている日本初の女子大学校、
日本女子大学には、広岡浅子とともに開学に奔走し
初代校長となった成瀬仁蔵を記念した、成瀬仁蔵記念館が建てられています。

この建物は、浦辺鎮太郎氏の設計で昭和五十九年に竣工した
ロマネスク調の赤レンガ建築です。

ドラマの中で、白岡あさの実家今井家から土地を寄贈された設定通り
ここは元々三井家の別邸に土地で、これを広岡浅子が寄付を受け
大学用地となった場所です。

近隣には細川邸(永青文庫)や元勲山縣邸(椿山荘)があり
神田川の谷を挟んだ対岸には、支援者の一人、大隈重信の私邸と
大隈が開学した東京專門學校(早稲田大学)もあることから、
当時としても、とてもいい環境にあった大学です。




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5年

2016年03月10日 | 徒然
あの大震災から5年が経ちました。
この場所では、あの時から時間が止まったままです。

多くの人が、この辺りで津波犠牲者の幽霊を見るそうです。
霊となった彼らの時間もまた、あの時間で止まったままなのです。



(慰霊碑)

(津波に襲われたままの校舎)
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横網町公園

2016年03月10日 | 東京のお散歩
71年前、鬼畜米国による、帝都市井への無差別爆撃が行われました。
特に、3月10日の東京大空襲では、多くの非戦闘員の死者を出す
大規模な無差別爆撃でした。

ただ、無差別とはいえ軍需工場は爆撃し、そのほかの陸軍施設は目標とせず
皇居や政府要人が多く居住する地域、大企業の本社や工場、
米英捕虜の収容されていた宇田川町なども、攻撃対象から外されていました。
(そのおかげで我が家も焼けずに済んだのですが)

毎年、3月10日に横網町公園の慰霊堂で慰霊祭が行われます。
ここには戦災死者だけでなく、そのふた昔前に起こった震災での死者も合祀されています。

震災後、空襲後の地獄が嘘のように、園内の日本庭園では長閑な時間が流れています。



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目黒川河口と台場

2016年03月09日 | 東京のお散歩
東京都交通局品川自動車営業所(都営バス品川車庫)の近くに
屋形船や釣り船が係留されている堀割があります。

これは目黒川の旧流路の河口で、現在は流路整理によって
直線的な河道が南の方に開削され、目黒川からは切り離されてしまいました。

北品川橋は、旧目黒川最下流の橋で、橋の対岸には砂州上に作られた
幕末の台場である御殿山下台場(品川台場)があった利田(かがた)新地です。

現在では埋め立てが進み、海岸線はかなり遠くなってしまいましたが、
この付近が品川浦という海岸だったことを彷彿とさせる、漁師町の名残の風景です。




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問答河岸

2016年03月08日 | 東京のお散歩
北品川駅のホームに並行して通る旧東海道。
この路上に、ここが海岸線沿いだった記憶を遺す石碑が建っています。

この辺りには波止場があり、東海寺の沢庵に会うために
徳川家光が船で着いた時に、ここで沢庵が出迎え問答をしたことが
問答河岸と呼ばれる由来のようです。

曰く「大軍を率いても将軍(小軍)とは是如何」

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北品川

2016年03月07日 | 東京のお散歩
山手線最南端のターミナル品川駅から京浜急行で「南」へ一駅、
「北品川」駅があります。

品川駅の南側に北品川駅という可笑しな状況ですが、
北品川は、東海道品川宿の北端にあたるので、
品川の歴史から言えば、北品川の方が「品川」らしい立地なのです。

なお、品川駅は港区にあり、北品川は文字通り品川区にあります。



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豊島区役所旧庁舎

2016年03月06日 | 東京のお散歩
池袋駅から徒歩数分。
黄色い色の豊島区役所旧庁舎は
間も無く取り壊され、11月には地上30階建ての
複合ビルの建設工事が着工します。

完成は平成32年の予定。
オリンピックの年に、池袋はまた新しい街になります。

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北池出世稲荷明神

2016年03月05日 | 東京のお散歩
東武東上線北池袋駅。
世界有数の大ターミナルの隣駅は、大都会の喧騒とは無縁の
静かな佇まいの中に、ポツンと存在しています。

この付近は、谷端川の支谷「雲雀ケ谷」と呼ばれる低地で
その凹地よりやや東側に駅が作られています。

その駅のホームの傍にある、小さな祠が北池出世稲荷明神です。

いつごろ、誰が勧請した祠なのかは定かではありませんが
住所の「池袋本町」でも、旧駅名の「堀之内」でもなく
北池袋駅の略称「北池」が冠されていることが
地元で大切にされていることを物語っています。

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池袋 子安稲荷の河津桜

2016年03月04日 | 東京のお散歩
北池袋堀之内(住所では上池袋)に鎮座する子安稲荷神社。

拝殿の前には、立派な河津桜が植わっていて
美しい花を咲かせています。

葉も随分芽生えてきていますが、まだもう少し
花を楽しめそうです。



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王子街道の道標

2016年03月03日 | 東京のお散歩
日暮里の老舗、羽二重団子の店先に
王子街道の道標が建っています。

この王子街道、はっきりとした道筋が失われ
今ではそのルートが諸説ありますが
確実な事は、北区王子へ向かう道だった事です。

この付近には、石神井川の下流の用水である音無川が
王子飛鳥山下で分流し、流下してきていたので
この用水路沿いに王子まで通っていたようです。

また、王子から中山道板橋宿に向かうルート上に
王子街道踏切という埼京線の踏切があり、
王子新道という明治期の道路もある事から
江戸近郊各地から、王子への参拝道があった事だけは
確かなことのようです。



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豊島区のポスト 2基

2016年03月02日 | 東京のお散歩
最近は郵便ポストも個性豊か。

豊島区内にも、キャラクター系ポストが設置されています。

(池袋)

(巣鴨)
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