夕暮時、丹沢の山稜の上に浮かび上がる富士山のシルエット。
北区を流れる石神井川のほとりに建つ紅葉寺(金剛寺)の紅葉。
ここは、源頼朝が安房で挙兵した際に体勢を整えた場所とされ
後には豊島氏分家滝野川氏の居城の一つであった滝野川城となりました。
ここは、源頼朝が安房で挙兵した際に体勢を整えた場所とされ
後には豊島氏分家滝野川氏の居城の一つであった滝野川城となりました。
万葉集に「多摩の横山(防人歌)」と詠われた多摩丘陵。
国府(現在の府中市)から眺めると、山容が長く連なり
横山と呼ばれるようになったと云われています。
尾根道は鎌倉から各地へ伸びていた鎌倉往還を結ぶ役目もあり
現在は「よこやまの道」として遊歩道整備されています。
国府(現在の府中市)から眺めると、山容が長く連なり
横山と呼ばれるようになったと云われています。
尾根道は鎌倉から各地へ伸びていた鎌倉往還を結ぶ役目もあり
現在は「よこやまの道」として遊歩道整備されています。
皇居北の丸公園は、江戸前期には火除け地、江戸後期には御三卿の屋敷地で
明治の御一新の後には近衛歩兵営となった場所です。
戦後、公園として整備された後は、春の桜、秋の紅葉と四季折々の自然が楽しめる
緑豊かな公園として親しまれています。
明治の御一新の後には近衛歩兵営となった場所です。
戦後、公園として整備された後は、春の桜、秋の紅葉と四季折々の自然が楽しめる
緑豊かな公園として親しまれています。
馬込文士村とは、馬込辺りに文人墨客が多く住んだことから名付けられた名前です。
この付近には中世には馬込城という城砦があり、また内川水系の支谷も多いことから
起伏に富んでいて、まさに文士たちが住むに相応しい風光明媚な地だったことが
想像に難くない地形となっています。
[user_image 3a/8d/dcb6064689488fc10ede831dcac4a01e.jpg
都営地下鉄浅草線の西馬込駅からは、馬込文士村商店街という商店街もあって
ここから、近代の文学者や芸術家の旧居跡を訪ね歩くのもオススメです。
この付近には中世には馬込城という城砦があり、また内川水系の支谷も多いことから
起伏に富んでいて、まさに文士たちが住むに相応しい風光明媚な地だったことが
想像に難くない地形となっています。
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都営地下鉄浅草線の西馬込駅からは、馬込文士村商店街という商店街もあって
ここから、近代の文学者や芸術家の旧居跡を訪ね歩くのもオススメです。
渋谷駅近くの坂上の金王八幡神社は、寛治六年(1092)に鎮座したと云われています。
平氏一族秩父氏系の河崎重家の代に、武功により堀河天皇より渋谷姓を賜り
この地を居城としたことが、八幡宮の由緒となっています。
重家が八幡神に祈願をしたところ、妻の胎内に金剛夜叉明王が宿る夢を見、
その後、歌舞伎などでも有名な金王丸常光が誕生したとされています。
渋谷八幡宮と呼ばれていたこの神社は、渋谷金王丸の知名度により
金王八幡宮と呼ばれるようになりました。
平氏一族秩父氏系の河崎重家の代に、武功により堀河天皇より渋谷姓を賜り
この地を居城としたことが、八幡宮の由緒となっています。
重家が八幡神に祈願をしたところ、妻の胎内に金剛夜叉明王が宿る夢を見、
その後、歌舞伎などでも有名な金王丸常光が誕生したとされています。
渋谷八幡宮と呼ばれていたこの神社は、渋谷金王丸の知名度により
金王八幡宮と呼ばれるようになりました。
サンシャインシティの隣の東池袋中央公園。
旧巣鴨プリズンの処刑台があった場所の跡地のため
心霊スポットとして知られていますが
意外にも紅葉が美しい公園でもあるのです。
階段状の滝に水があれば、水鏡になるんですが…。
旧巣鴨プリズンの処刑台があった場所の跡地のため
心霊スポットとして知られていますが
意外にも紅葉が美しい公園でもあるのです。
階段状の滝に水があれば、水鏡になるんですが…。
表参道交差点の傍に鎮座する秋葉神社は
文政十年(1827)に隣接する善光寺の境内社として
稲荷神社として奉祀された神社です。
明治の神仏分離によって善光寺から離れ
秋葉大神、稲荷大神、御嶽大神の三柱を祀る
青山の鎮守として崇められています。
文政十年(1827)に隣接する善光寺の境内社として
稲荷神社として奉祀された神社です。
明治の神仏分離によって善光寺から離れ
秋葉大神、稲荷大神、御嶽大神の三柱を祀る
青山の鎮守として崇められています。
表参道の入口、北青山にある浄土宗南命山善光寺は
永禄元年(1558)に谷中に創建された寺院で
宝永二年(1705)に北青山へ移転してきました。
信州善光寺が無宗派であるのに対して
こちらは浄土宗の寺院となっています。
江戸時代には信州善光寺の住職である本願上人(尼僧)の
江戸における宿院として機能していました。
永禄元年(1558)に谷中に創建された寺院で
宝永二年(1705)に北青山へ移転してきました。
信州善光寺が無宗派であるのに対して
こちらは浄土宗の寺院となっています。
江戸時代には信州善光寺の住職である本願上人(尼僧)の
江戸における宿院として機能していました。