椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

ヒロシマ原爆投下の日 その1

2019-01-21 20:31:31 | 藤村瞬一

主人である藤村瞬一が亡くなってもうすぐ5年になります。

主人の遺した書類の中から、大学の最終講義のプリントが出てきました。最終講義は1997年1月13日に行われています。

ヒロシマ原爆投下の日

1.「エノーラ・ゲイ」(原爆投下機)などの進入経路

 当日のBー29、3機の進入について様々な説があったが、現在は米第21航空軍509混成航空群の作戦任務13号が公開され、全貌が明らかとなった。

 それによると、8月6日午前0時37分(日本時間)、気象観測機3機、広島、小倉、長崎へ出発。テ二ヤン島から広島まで片道約2,400キロ、6時間30分の航程。午前7時すぎ3機は豊後水道を北上、伊予灘で分散、広島担当の「ストレート・フラッシュ」号は、広島上空を3回旋回した後、7時25分ごろ「第1目標を狙え」の暗号無線。

 「エノーラ・ゲイ」と随伴の計測器投下の「グレート・アーチスト」号、写真撮影機「Rー91」号の3機は、午前1時45~49分、テニアンを出発、日本に近づくと高度を9,000メートル近くまで上げ、7時50分四国の大島上空を通過、8時6分松永上空で進路を西方に変え、投下目標から22キロ離れた八本松(現在の東広島市付近)の上空9,480メートルから原爆を投下(午前8時15分17秒)、その後ほとんどダイビングするような角度(60度)で、時速528キロの猛スピードで急降下、高度1,800メートルのところで右旋回しつつ急上昇(加速して離脱距離をできるだけ延ばすため)原爆が投下後、高度600メートル弱で爆発(8時16分)するまでの43秒の間に爆心地から13キロ離れ(可部上空)爆風や熱線の被害から逃れた。

なお写真撮影機「Rー91」は2機とやや離れ、爆発の様子を南側からカメラに納めた。3機は広島上空を3回旋回し、四国の中央を横切る形で帰途についた。

 

2.なぜ、B-29の爆音を耳にしなかったのか?

  4発の大型爆撃機B-29は高々度を飛んでいても、独特の大きな爆音を出す。それが1万メートル近い高度から時速528キロの猛スピードで急降下すれば、かなりの爆音を轟かせて飛ぶはずだ。しかし私には爆音を聞いた記憶がない。

広島市原爆体験記刊行会編『原爆体験記』 朝日新聞社 1975年 や 

 長田新編『原爆の子』上下、岩波文庫 1990(1951)年 

には何人かが”物凄い爆音を聞いた”とか”銀色に輝く大きなB-29を見た”ということが書いてある。私がいた寮は爆心地から6キロ離れた所にあって、頭上1,800メートルまで急降下してくれば、そこら一帯に大きなエンジン音がしたはず、と思うのだが聞いた記憶がない。ピカッと光って、それからいきなりドカン!と隣室に爆弾が落ちたような轟音に襲われ、しばらくして、静かになったので、布団をかぶったまま外に飛び出した次第だ。

 いまだに解けないナゾの一つである。