椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2019年10月 青森へ その5

2019-10-27 12:25:22 | 青森

青森に森鴎外が2度も訪れていたとは。

高校生のときにでも知っていれば、もっと作品を早く読んでいたのに、と思ったりします。(汗

森鴎外についての私の記事は、「メゾフォルテからあなたへ  森鴎外」で検索をお願いいたします。

市役所の隣には、日本銀行青森支店の建物があります。

幼稚園が近くにあって、この建物は当時からそのままです。

 

青森は、今失われてしまった地方の豊かさというものを記憶しているようにも感じられます。

善知鳥神社から新町通りを通って、ひとやすみ。「シュトラウス」という喫茶店に入りました。

父は若いとき、若手経営者の集まりである青年会議所に入っていて、新町のお店の経営者の方たちとお付き合いがありました。

こちらのお店の先代の方からも先輩としてあれこれ指導を受けたようです。

家族での集まりなどもあって、小学生ぐらいの私は初めて砂糖とクリームをたっぷり入れたコーヒーというものを飲んだ記憶が・・・・

ふと、そこに若い母がいるような気がしました。


2019年10月 青森へ その4

2019-10-27 10:05:14 | 青森

母は父が亡くなって独り暮らしをしていましたが、ケアマネージャーさんをはじめヘルパーの方、また病院や老人ホームでも多くの方たちにお世話になりました。

かなりわがままなタイプであったため、今でいうパワハラといったことも再三あったのではないかと思います。

母生前のご厚情に心から感謝するとともにお詫びを申し上げたいと思います。

 

被害妄想のため、置き忘れたりしたものを誰かが盗んだとか、自分の財産を狙う人がいるとか

娘としては聞き流すことができず、叱ってしまったことが心残りとなっております。

この高齢者の精神的なケアを充実していかなければ、介護者を苦しめることになると思います。

どういう精神的なケアが効果的なのかを考えるのは、高齢者の入り口にある世代の仕事なのかもしれません。

 

10月12日と13日は青森の実家に泊まりました。

12日は台風19号の影響で、青森もかなりの降雨量があって近くの川の増水が気になって服を着たまま、ラジオを枕元に置いて眠ったほどです。

ネットが使えないため、テレビのdボタンの天気情報が頼りで、青森と所沢の状況を何度も確かめたりしました。

おそらく、被災されてたいへんな思いをされた方もかなり多かったと思います。

昼頃に雨が止んで太陽が顔を出しました。

そこで、気になっていた善知鳥神社での森鴎外の足跡を調べに出かけました。

桜川団地から市営バスに乗って市役所前で降りたのですが、そこに「空襲・戦災都市 青森の碑」がありました。

 

2005年7月に建てられたもののようです。

ついつい、子どもは理想の母親を求めて不満に思うということもあるのかもしれません。

その不満が欲に変身する? 戦争へとつながる場合があるのかもしれないと、いつもとは違う感想を抱いたりしました。