安政東海地震について、大津波とロシア船に関する興味深い記事が下田市HPにあります。
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日本に開国を迫る外圧といったものがさまざまにあった、ということでしょうか。
それが「神奈川沖 浪裏」での白い雲の形で表現されているのかもしれません。
幕末の歴史についてはほとんど知らないままになっていて,
激動のときに生きた人たちを多く知ることは大事だと思われます。
ロシア使節の提督プチャーチンについては こちら
幕府側で交渉にあたり、プチャーチンに高い能力を認められたという川路聖謨(かわじ きよあきら)については こちら
川路聖謨は慶応4年3月15日(1868年4月7日)に割腹のうえピストル自殺を遂げたのだとか。
この日は江戸城への官軍による総攻撃の予定であったそうです。
川路聖謨のこの自殺は、阿南 惟幾(あなみ これちか) あるいは三島由紀夫 といった人たちの自殺と同じく考えるのは間違っているかどうか。
内乱を防ぐためにさまざまな人たちがいたのだ、と気づいたりします。
歴史は小説やドラマのようにわかり易くはないもので、もっと重厚で人間の放つ光を感じさせるものだ、と思われたりします。
今の時代の不条理さを少しでも減らすために、歴史を利用することができれば・・・・・
なお、この川路聖謨は森鴎外へとつながっていくように感じられたりします。記事アップの予定ですので「メゾフォルテからあなたへ」でどうぞ。
スミレというのは逆境を好むんでしょうか?