椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

10月10日のまち 上野・護国院大黒天 その4

2018-10-21 12:41:25 | 歴史あれこれ

1717年とは8代将軍吉宗が前年に将軍となったばかりのころ、ということになります。

吉宗の財政改革は、何とか成功したようですから、現代でも参考になる点が多々あるのではないでしょうか。

吉宗について こちら

自ら質素な暮らしをして改革に臨んだ、側近重用を避けたということは評価されているようです。

情報収集・分析などにも人任せにせず熱心だったように見受けられます。

天英院から見込まれての就任ということなどから、大奥にはやはり参謀的な女性もいた、ということではないでしょうか。

 

国難ともいう時期に舵取りを任されてどのような心境であったのでしょうか。

牧谿「瀟湘八景図巻」などの絵画が好みであったとか。

検索して得られた牧谿「煙寺晩鐘図」はこちら  等伯の「松林図」に近いような・・・・

 

ドラマなどで描かれてきた暴れん坊将軍吉宗とはだいぶ違っているのかもしれませんね。

改革とはずっと厳しいものであり、多くの人たちがその気持ちを共有することが必要そうです。

 


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3 コメント

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Unknown (藤村眞樹子)
2018-11-29 08:47:52
株主のために会社がある、みたいな言い方を当然のようにする方たちがいますが
従業員の適正な待遇>株主配当
でないと、その会社は評価されないことになってしまう。
株主にとって、従業員が生き生きして業績を上げてもらうほうが大きな利益となるはず。
江戸時代は上層部の倫理観ではヨーロッパよりも優れた面があったように思いますけれどもね。
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Unknown (藤村眞樹子)
2019-03-09 21:24:36
1980年ごろですが、ヨーロッパに行ってまず驚いたのは老人がかなり威張っていたことです。老人が高級車に乗っていて若者はボロボロの車だったりして。

先進国では
老人が威張るようになる?
改革の総論賛成、各論反対
で国自体が老いていくことに。

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Unknown (藤村眞樹子)
2019-03-09 21:34:17
高齢になってくると、某国大統領のように?自分ファーストになりがち。

自己点検が必要ではないでしょうか。
とともに、若い人を引き立てる、ぐらいの寛容さも必要ではないかと思います。
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