グラント将軍植樹碑というものがありました。
アメリカ前大統領であったグラント将軍については wikiから こちら
1880年(明治13年)に大統領を引退した後、夫妻で来日。上野で記念植樹をしたのだそうで、50年後の1930年(昭和5年)に渋沢栄一、益田孝が植樹した木の由来を記した碑が必要と考えて建設し、除幕式が行われたのだとか。
中央のレリーフは
この下にある文字は
"Let us have peace"
この us とは 具体的には、明治天皇や渋沢栄一、益田孝など財界人のほかに? 当時は総理大臣がまだいなかったことに気がつきました。
太政官制だったのですね。コトバンクから → こちら
グラント将軍は第18代大統領になる前は、南北戦争で北軍の将軍であったのですから、内戦の西南戦争が終わったところであった、山縣有朋や大山巌に対しての共感のようなものだったのでしょうか。
とはいえ、アメリカのハワイ併合が1898年であったことからすれば、山縣有朋あたりはハリネズミのような雰囲気を出していたかもしれませんね。
さらに50年も経ってからの碑の建設は、アメリカとの戦争をなんとか回避できないかという高齢になっていた渋沢栄一の哀願のようなものとして感じられたりします。
台東区の戦争被害は こちら
東京都で焼け出された人たちの少なからずの人たちが上野で暮らしていた・・・・
日本人が考える peace は甘かったのでしょうか。
答えを出すにはまだ時間が必要なのかもしれません。
暗殺されなかった
昭和天皇は評価していた
森鴎外も評価していた
政治家を志す方たちは、山縣有朋について
自分の頭で考えてみる必要がないでしょうか?