風見鶏の館のすぐ近くの萌黄(もえぎ)の館(旧シャープ住宅)へ。こちらも国指定重要文化財です。
萌黄の館については こちら 典型的なコロニアル様式だそうです。
庭が魅力的です。マユミがありました。
神戸の震災のとき、多くの異人館でレンガ積みの煙突が崩れ落ちたようです。
この館では、一部をそのままにしてありました。
(つづく)
風見鶏の館のすぐ近くの萌黄(もえぎ)の館(旧シャープ住宅)へ。こちらも国指定重要文化財です。
萌黄の館については こちら 典型的なコロニアル様式だそうです。
庭が魅力的です。マユミがありました。
神戸の震災のとき、多くの異人館でレンガ積みの煙突が崩れ落ちたようです。
この館では、一部をそのままにしてありました。
(つづく)
風見鶏の館の内部です。重厚な感じがします。
貿易商であったゴットフリート・トーマスの一家は、1905年から1914年までの10年ほどを過ごしたようです。
ゴットフリート・トーマスはドイツ・コブレンツ(当時はプロイセン)出身とのことで、1914年に愛娘エルゼの進学のためドイツに一時帰国して日独戦争(第一次世界大戦)が勃発。
高齢になったエルゼがこの館を訪れたようです。
また、この館を設計したというゲオルグ・デ・ラランデについては こちら
ラランデは早逝し、その妻の再婚した相手はのちにA級戦犯として獄中死した東郷茂徳であるとか。
東郷茂徳については こちら
大きな古い館の扉の向こうには思いもかけない景色がありました。
まず国指定重要文化財である「風見鶏の館」へ。
住人であったゴットフリート・トーマスの一家、設計者ゲオルグ・デ・ラランデそれぞれに物語がありました。
風見鶏の館について こちら
神戸だけにドアが気になったりします。
(つづく)
神戸・北野天満神社の入り口には急な階段があったのですが、さらに裏手にはまだ上りの道がありました。
菅原道真のよく知られた歌の碑がありました。新しいもののようです。
海が見えます。秀吉同様に清盛にも 夢のまた夢 という気持ちがあったのかもしれません。
遠くから撮ったものです。
水天宮が祀られていて、さらに上への道は通行止めになっていました。
ふと平清盛の墓、それとも菅原道真の墓の意味合いがあるのかもしれない、と思ってしまいました。
神戸・北野天満神社の由緒について
なんと平清盛の名前が
神戸は清盛がお気に入りの場所であったんですね。
しかも天神様を祀るということは、清盛は学問好きであったということなんでしょうか。
まだそのころは菅原道真は怨霊の役割が強かったとすれば、落日の平家がひどいめにが合うなら道真同様に怨霊となる、という意味合いがあったりして。
あれこれ考えながらそれほど広くはない境内を歩き回りました。
後に平清盛の怨霊も怖れることになったような気がします。
現代では、菅原道真や平清盛の怨念は消えて、日本の守り神となっているように感じられてきます。