椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

12月19日のまち 神戸・北野へ〔8〕

2020-01-07 00:25:36 | 観光

風見鶏の館のすぐ近くの萌黄(もえぎ)の館(旧シャープ住宅)へ。こちらも国指定重要文化財です。

萌黄の館については こちら  典型的なコロニアル様式だそうです。

 

 

庭が魅力的です。マユミがありました。

神戸の震災のとき、多くの異人館でレンガ積みの煙突が崩れ落ちたようです。

この館では、一部をそのままにしてありました。

 (つづく)


12月19日のまち 神戸・北野へ〔7〕

2020-01-05 19:03:24 | 歴史あれこれ

風見鶏の館の内部です。重厚な感じがします。

貿易商であったゴットフリート・トーマスの一家は、1905年から1914年までの10年ほどを過ごしたようです。

ゴットフリート・トーマスはドイツ・コブレンツ(当時はプロイセン)出身とのことで、1914年に愛娘エルゼの進学のためドイツに一時帰国して日独戦争(第一次世界大戦)が勃発。

 

 

 

高齢になったエルゼがこの館を訪れたようです。

 

また、この館を設計したというゲオルグ・デ・ラランデについては こちら

ラランデは早逝し、その妻の再婚した相手はのちにA級戦犯として獄中死した東郷茂徳であるとか。

東郷茂徳については こちら

大きな古い館の扉の向こうには思いもかけない景色がありました。


12月19日のまち 神戸・北野へ〔6〕

2020-01-04 15:15:00 | 美術館・博物館

まず国指定重要文化財である「風見鶏の館」へ。

住人であったゴットフリート・トーマスの一家、設計者ゲオルグ・デ・ラランデそれぞれに物語がありました。

風見鶏の館について こちら

神戸だけにドアが気になったりします。

(つづく)


12月19日のまち 神戸・北野へ〔5〕

2020-01-02 01:35:41 | 歴史あれこれ

神戸・北野天満神社の入り口には急な階段があったのですが、さらに裏手にはまだ上りの道がありました。

菅原道真のよく知られた歌の碑がありました。新しいもののようです。

 

 

海が見えます。秀吉同様に清盛にも 夢のまた夢 という気持ちがあったのかもしれません。

遠くから撮ったものです。

 

 水天宮が祀られていて、さらに上への道は通行止めになっていました。

 

ふと平清盛の墓、それとも菅原道真の墓の意味合いがあるのかもしれない、と思ってしまいました。


12月19日のまち 神戸・北野へ〔4〕

2020-01-02 00:38:08 | 歴史あれこれ

 

神戸・北野天満神社の由緒について

なんと平清盛の名前が  

神戸は清盛がお気に入りの場所であったんですね。

しかも天神様を祀るということは、清盛は学問好きであったということなんでしょうか。

まだそのころは菅原道真は怨霊の役割が強かったとすれば、落日の平家がひどいめにが合うなら道真同様に怨霊となる、という意味合いがあったりして。

あれこれ考えながらそれほど広くはない境内を歩き回りました。

 

後に平清盛の怨霊も怖れることになったような気がします。

 

現代では、菅原道真や平清盛の怨念は消えて、日本の守り神となっているように感じられてきます。