世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

血は水より濃い

2012年07月17日 | 家族
またまた長文(ロングストーリー)です。




血肉を分けた子供は

何処までいっても切れることはない。


だが夫婦は、所詮他人である。


親子関係、夫婦関係、兄弟関係と

親族間でも争い事が起きることはそう珍しいことではない。




23年間疎遠だった実の娘に会い、

30年近く愛し続けた妻と仲良く暮らすことは出来ないのか。



両方の幸せを手にすることはそんなにいけないことなのか。




少し損をして生きるのがいいように

人生、少し不幸を背負って生きる方がいいのだろう。




得ばかりして

幸せすぎると人の妬み、反感を買う。


反対に、損をして不幸の中にいると人の同情を買う。



生きる上でどちらがいいのか。

本当に幸せなのだろうか。



両手に余る幸せは零れ落ちる。


手にして持っている幸せが大きすぎると

次の幸せはそれを手放さないと手に入らない。


片手で両方持つには大きすぎるのだ。




        ◇


息子は高校3年の時アメリカへ渡った。

カリフォルニアの高校、そしてカレッジを卒業後


当時、サンフランシスコの州立大学に入ろうとしていた。





ちょうどそのころ

親父の葬儀で修羅場を演じ、

二度の別れを経験した前妻の娘から連絡が入った。



アメリカ人と結婚したので是非あって欲しいという。


相手は、チャイニーズアメリカン、

サンフランシスコに実家がある。



ちょうど息子のカレッジの卒業式にに合わせて渡米をしようとしていた矢先だった。


そしてその足で、サンフランシスコに行って

大学の手続きを同時にしようと息子と打ち合わせをしていた。




娘も、サンフランシスコの旦那の実家に行き、結婚式を挙げたいといった。

そして、ボクに父親としてバージンロードを歩いてほしいと。




なんという偶然だろうか。

同じサンフランシスコで

同じタイミングで

しかも、娘の旦那も同じサンフランシスコ州立大学の出身だという。


余りに出来過ぎた話だと思わないか。




先に渡米したボクは息子に事情を説明した。


そして、サンフランシスコで腹違いのお姉さんと会ってくれないか尋ねた。


息子は即座に「いいよ」と言ってくれた。


気持ちは複雑だったに違いない。





当時の息子はアメリカで暮らして3年、

そんな家庭は五万とある。


息子はホームステイしながらそれを目の当たりに経験してきた。



アメリカでは、よくファミリーユニオンという家族の集まりを持つ。

そのとき、前妻や、前夫との子供たちも当然のように集まる。


腹違いであろうが、種違いであろうが兄弟姉妹であることには変わりはない。


もちろん全部が全部ではないだろうが、

そうした面では抵抗感はあまりないようだ。





             ◇

大阪の娘は

ボクと息子がサンフランシスコを訪れるその日に

日本からサンフランシスコに到着する予定を立てた。



別れた娘と会えると同時に

娘と息子を引き合わせることができる最初で最後の絶好の機会だった。


これは神様が与えてくださった千歳一隅のチャンスだと思った。




娘の旦那の実家の電話番号を教えてもらっていた。

その時点で、息子が娘と会ってくれるかどうかわからなかった。


息子が会うと言ってくれれば

その場で、時間と場所を決めて電話を入れることにしていた。





          ◇


その日、サンフランシスコの大学の手続きを終えた息子とボクは

近くのブックストアーの公衆電話から娘の旦那の実家へ約束した時間に電話を入れた。




ところが、本人達はいないという。

日本から来ているが、出かけたという。


なんということだ。

もし会えなければ、3時間かけて息子のホームステイ先に帰ることにしていた。

その時点でサンフランシスコに泊まるつもりはなかったのだ。




娘と会いたい、

姉と弟を引き合わせたいという想いだけだった。



電話口に出たのはたぶんオヤジさんだった。

日本から来た二人は何時に帰るか分からないという。


そこでボクと息子は、1時間だけ待つことにした。


ブックストアの公衆電話の番語をオヤジさんに伝えてその近くで待った。



小一時間が経って諦めてもう帰ろうかとしていた時に

公衆電話が鳴った。



受話器の先には娘の旦那がいた。

ボクはいきなり彼に怒った。



もし、来る気があるなら待つといった。


ブックストアまで何分で来れるかと聞いたら、10分で行くという。

ならばここで10分だけ待っている、と伝えた。




果たして娘と旦那は10分後に現れた。


娘と抱き合い、息子を紹介した。



一緒に近くのメキシカンレストランで食事をとることにした。

皆がぎこちなっかった。



帰るつもりだと言ったら、

娘婿が兄弟の家に泊まれるから一泊していかないかという。



ボクと息子は言葉に甘えることにした。

両親宅にも連れて行ってもらい、紹介してもらった。


家族みんなで歓迎してくれた。



次の日、4人でサウサリートの町を観光した。


そのとき娘がポツリと言った。

「お父さんとこうして海外を旅したかったのよ」

そして、まるで恋人のように腕を組んで歩いた。



かくして、日本に帰ってからも大阪に住む娘家族との交流が始まり、

現在も続いている。


息子も、姉家族と連絡を取り合うようになった。




ここまでは

めでたしめでたしのストーリーだ。




            ◇


そのあと息子が日本に一時帰国した。

その時

妻に、サンフランシスコでの出来事を正直に話した。


隠し通すことは出来なかったし、嫌だった。

娘と会うのにこそこそするのが嫌だった。

決して悪いことをしているという意識はなかったからだ。






「大阪の娘とサンフランシスコで会った」

「そこで息子とも引き合わせた」と打ち明けた。




妻が怒ることは覚悟していた。

だが、それは想像をはるかに超えていた。



それまでボクら夫婦はうまくいっていた。

おしどり夫婦といってもいいくらい

ラブラブの夫婦関係を30年近く保っていた。



だから必ず分かってくれると信じていた。



案の定、妻は激怒した。

ボクを裏切り者と呼んだ。

私を騙したのねと言って、二度と口をきかないと罵リ続けた。




息子にも、

もう絶対二度と会ってはいけないと強く釘を刺した。




息子は黙って、うんと答えただけだった。


ボクも黙っていた。


息子の判断は彼自身に任せることにして、彼には何も言わなかった。




その時、下の娘はその光景を黙って見ていた。



    
         ◇


息子はサンフランシスコで

ときどき姉婿の家族と交流を続けている。


もちろん母親には何も言わない。



賢い子だ。

偉い息子だ。




それ以来

ボクと妻の間には決定的な溝ができてしまった。



確かに妻はボクに口をきこうといしなくなった。


下の娘の手前、

仮面夫婦を装うのが精いっぱいになった。




この時点で

ボクは、娘を選んだのだ。

もう娘を手放すことはない。



大阪に行くたびに会っている。

今や孫も3人で来た。



昨年末のボクの誕生日には、

東京ディズにリゾートへ招待してくれた。




その時なんと、

前妻の再婚相手との間にできた娘も一緒だった。

つまり、娘の種違いの妹になるが、

ボクとは一切血のつながりはない。



奇妙な7人家族が

東京の同じホテルの部屋で4日間を楽しく過ごしたのだ。




人生とはこうあるべきだ。

人間とはこうあるべきだ。




頑なに意地を張って拒んでも

落ち着くところに落ち着くものなのだ。




         ◇


下の娘が3年前ニューヨークに留学した時から

妻とは完全別居が続いている。




お蔭で

ボクは自由を得た。


水を得た魚のように飛び跳ねだした。



失ったものより

得たものの方が大きく感じている。




奇妙というか

絶妙な独(毒)身生活を送っている。



ボクはこれを

マリッジシングルと呼んでいる。


日本語に訳せば

毒身奇族とでも言おうか。



しかし、

最高のポジションですゾ。


世の旦那方。




【追記】


今回のNYでの出来事と

SFでの一件とを、

二人の娘婿とその家族の処遇とに焦点を当ててみた場合、

雲泥の差があることに気付くだろう。



当然のことだったが

温かく迎えてくれたアメリカ人。


一方、花嫁の父に対してまったく会うことも拒絶して無視続けたアメリカ人。



アメリカ人といっても

方やチャイニーズアメリカン、


方や、ヒスパニックアメリカン。


果たしてこの差が影響しているのだろうか。

東洋と西洋のDNAの違い?


それとも単に家族の考え方の違いだろうか。


読者の方の意見を伺いたい。





いずれにせよ、NYの娘との問題は残った。


ボクにとって

今度はこれをどう修復していくかが大きな課題となる。


娘が幸せになることを望まない親はいない。



彼らは、今年中に熊本に帰ってくるとも言った。

その時、お互いどういう態度で接するのか。


あるいはそれまでに接触はあるのか。


またまた面白いことになってきた。





さて、次のブログは

今回の経験をもとに、

アメリカの光と影に焦点を当てて考察してみたい。




【追記2】

それにしても

息子には感謝している。


親が言うのもおこがましいが、


出来た息子だ。



腹違いの姉、実の妹

そしてその双方のアメリカ人の夫たちの間を取り持って

本当にまめに気を使って動いてくれている。


母親とも仲良くやっている。



今回NYでも、彼とだけ一緒に食事をした。

ずっとボクのことを気遣って一緒に居てくれてた。


もちろん、ボクの態度を批判することも彼は忘れていなかった。


ボクもも反省すべきところはした。




彼は高校時代からアメリカに留学し、

だてに10年アメリカで暮らしているのではない。



まだ、若干27歳、

正真正銘の独身、


目下彼女なし。



どなたか、立候補しませんか?

息子に紹介しますよ。



ただし、

息子と結婚すれば

ボクの娘にもなるわけで、覚悟しておいてネ。

これが宿命なのか 二人の娘との巡り合わせ

2012年07月16日 | 家族
これがボクに課せられた宿命なのだろうか。

娘たちに悲しい思いをさせてしまうという。



自分の皮肉な運命を罵りたくなる。



             ◇


ボクには3人の子供がいる。

娘(38)、息子(27)、娘(21)の順だ。



長女と次女は生まれも育ちもまったく違う。


前妻との子と、今の妻との子。

つまり腹違い。


事実上、未だ二人に面識はない。



            ◇


状況は違うが、二人の娘に関して期しくも同じような場面を経験した。

公の席上で悲しい思いをさせてしまったのだ。



今回は、これまでブログで述べてきたように

NYにおける娘(次女)の結婚式で悲しい思いをさせてしまったが



長女には

ボクの父親(子供たちのおじいちゃん)の通夜の時冷たく当たって泣かせてしまった経緯がある。





            ◇


11年前のちょうど今頃、ボクの父が76才で他界した。

脳梗塞で倒れ、次の日にあっけなく逝ってしまった。


前日まで元気に税理士の仕事をこなしていて

いわゆるピンコロで、ある意味いい死に方だったのかもしれない。



皮肉なことに

4歳で分かれた長女が同じ年、

ボクを探して23年ぶりに会いたいと言ってきていた。


おじいちゃん、おばあちゃんたちにも。




それを、今の妻は拒否した。

「会ってはいけない」 といったのだ。


「その娘と会うなら私と離婚してから会って」 とも。


ボクは唖然とした。

「なぜだ!?」






その最中のオヤジの急死。


大阪に住むその長女に、

「おじいちゃんが亡くなった。

だが、申し訳ないが通夜には来ないでくれ」 ととりあえず伝えた。



ところが

ボクの言葉を無視して長女は通夜の席に大阪から駆けつけて現れた。

「おじいちゃんに会いたかった。せめてお葬式には」


という気持ちで来たという。


23年ぶりの再会、ボクは嬉しかった。

ずっと会えるこの日を待ち望んでいた。




妻もボクがずっと別れた娘と会いたがっていることを100も承知していた。

隠し子でもなんでもない。


逆に妻はボクと結婚する前から

その娘の存在は知っていた。




だが、なぜかその娘に会うことを拒絶した。


そして会うことを頑なに拒んでいた妻の前に

突如その娘が現れたのだ。



それがいみじくも親父の通夜の席上であった。




その場で妻は逆上した。

泣き叫んだ。


「あの娘(こ)を追い返して!」 と。

そうでなければこの席上にはいられないし、

葬式にも参列しないという。



ボクは長男だ。

この場を取り仕切らなければならない。



ボクは妻を取るか、別れた娘を取るか迷った。

この親父の通夜という席上で、この瞬間に決めなければならなかった。


席上には親戚縁者、父の死を悼む人々が集まっていた。



そこでボクは苦渋の決断を迫られたのだ。

妻を取るか、夢にまで見てやっと再会できた娘を取るか。



しかもこの状況で、このタイミングで

あまりに酷な選択だった。


そして


ボクは、


ボクは






敢えて妻を選んだ。



23年間、娘との再会を待ち望んでいて

今やっとそれが実現したというのにだ。


本来、二者択一する事柄ではないはずなのに。





ボクは、静かに娘に言った。


「悪いが、帰ってくれ」 と。



「お父さん」 と呼んでくれた娘は

信じられないといった顔をした。




「エッ!何いってんの、お父さん。

どうして?

私のおじいちゃんが亡くなったのよ。

元気な時に一度会いたかったのに。

お父さんにもやっと会えた。


いやよ、お父さん、私は帰りたくない、せっかく会えたのに」


そういって娘は泣きだした。



妻も部屋の傍らで泣きじゃくっている。



「いいから帰れ!」

ボクは怒鳴ってしまった。


23年ぶりにやっと再会できたばかりだというのに。



通夜の宴席は、凍りついた。

そこにはオヤジの棺を前に場にそぐわない情景が広がった。



みるみる間に娘の目から大粒の涙が零れ落ちた。


「どうしてお父さん、

どうして私が帰らなきゃいけないの。

お父さんと、おじいちゃんおばあちゃんに会いに来たのよ。

ここに居させて、お願い!」


彼女も泣きわめく。

部屋の隅では相変わらず妻が泣きじゃくっている。


その情景をボクの目は捉えていた。




ボクはもう一度怒鳴った。

「帰れッ!

つべこべ言わずに、いいから今すぐここから出て行け!」



娘は恨めしそうな目でボクを見ながら言った。

「私はお父さんに、二度捨てられた」



「違う、違うんだ」

ボクは心の中で叫んでいた。


「許してくれ、許してくれ」

喉の奥から振り絞るように言った。


「お父さんを許してくれ」




やがて娘はボクの前から姿を消した。

娘を抱きしめることすらできなかった。




ボクはオヤジの棺の前でうっ伏して泣いた。


オヤジの死を悼む気持ちと

娘との再度の別れを嘆く気持ちが激しく交錯していた。





            ◇


その時、息子は16歳、

今回NYで結婚式を挙げた娘はまだ10歳だった。


彼らは一部始終を見ていた。



その時初めてボクの3人の子が同じ空間にいたことになる。


ボクはそのこともずっと夢見ていた。

しかし彼ら姉兄妹が言葉を交わすことは一切なかった。




こうして23年間再会を待ち続けた父娘は

一瞬のうちにまた切り裂かれてしまった。






それから何事もなかったかのように月日は流れた。


そして約3年後、

皮肉な運命の歯車がまた回り始める。



(続く)



【お断り】

これは事実を基にはしているが

フィクションである。