世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

移住か長期滞在か

2017年12月01日 | 
ヤッパリベトナムは良い。

なぜかホッとする。

インドのカオスとはまた違った喧騒がある。

どちらかと言えばそれさえも気持ちよい。

混沌の中にそれなりの秩序のようなものを感じるからかもしれない。

それが肌に合うのだろう。

食べ物にしても、何でもあり。

アルコールも然り。

(豚がダメ、牛肉がダメ、アルコールはご法度だとか言われると

生き辛い、特に自由人には)


         秦くんと再会

ベトナム料理は日本料理以上に健康食なのだ。


        大好物のバインセオ

麺からして米粉を使う。


          定番、生春巻き

そして何より、安い!

何もかもが。

ホテル代と食費、ビール代、移動費も含めて

一日2000円もあれば済む。

(それ以下の時も結構ある)

ビザなし期限の15日間滞在しても、

30,000円。

飛行機代が、往復47,000円だから、

総額8万を切る。

なんだかんだで予算は10万円以内。

(「10万円あったら海外に行く」を実践中)


そして何よりも、

ねーちゃんは若くて綺麗だし、



総じて人も良い。


だからボクはベトナムへ行く。


だからといって、

永住しようとは決して思わない。

真夏や雨季はやりきれないだろう。

それに、根っからのタビストだから。


一か所に定着することはどこにもない。



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CASA (カサ)

2016年12月06日 | 
スペイン語でCASAとは「家」という意味である。

個人の家の一部を旅行者に提供するもので、

正式にはCasa Particular(カサ パルチクラル)という。

そして玄関先には必ず青色のイカリのマークがしるしてある。



最近、日本でも流行(?)のエアビ(airBnB)の先駆けみたいなものだろうか。


深夜、空港から向かった先は「ミルタさんの家」だった。

タクシーのドライバーも住所を頼りに、

途中2人の人に道を聞きながら、

30分ほどかかってやっと一軒だけ明りの灯った家に辿り着いた。

それは住宅地の一角にあった。


      昼間は人通りも多いが…


夜中の12時を回っているとはいえ、

小柄で人のよさそうなお母さんと、

対照的に体格のいい息子が満面の笑みで迎え入れてくれた。


初めて入るキューバの民家。

頑丈な鉄格子とパネルの2重ドアを入るとすぐにリビングルームになっている。



パスポートを預け、洗濯物の干してある中庭的な通路の中ほどの部屋に案内された。




殺風景な部屋に冷蔵庫はあるが、エアコンも洗面所もない。


     長旅で疲れ果て、ベッドに腰掛け放心状態で歯磨きする筆者

シャワーとトイレは家族と共同だ。


     便座は割れ(あるだけましなのだが)、必ずしもきれいとはいいがたい

えー!もう、バス付と言ったのにィー((#^ω^)

と思いつつ、疲れてその日はバタンキュー。


ところが、

右隣がお母さんの部屋、

左が息子の部屋。

そしてやがて雷のようないびきが両方から聞こえてきだした。

まるでステレオサウンド。

たまらず耳栓を取り出した。



世界中の安宿に泊まると、

けっこう階下や隣がカラオケ屋やディスコだったりして、

夜通しガンガン音が聞こえてくることがよくある。

こんな時は耳栓は欠かせない。
(旅の必需品)


とりあえず、無事に目的地のハバナにつき、

初日の宿はゲットできた。

贅沢は言わない。感謝


旅の初めはこれでいいのだ。





オヤジ旅

2016年10月25日 | 
オヤジ二人が旅に出た。


飛騨・白川郷

やりたいことは尽きないけれど、

やり残したことを粛々とこなす日々。


     高山(五平餅をいただく)


友人のお陰で、いい旅を楽しませていただいています。



ありがたい‼

感謝!

世界の旅もいいけれど、

日本の旅もまたいいもんだなー。


理想の生き方

2016年03月22日 | 
理想の生き方を追求してきた。

誰しも同じだと思う。

そしてその形も人それぞれ違うだろう。

さらに、

年齢、時代、家族構成などによっても違ってきて当然である。


少し前までは、

老後は田舎でのんびりと、が一般的考えだった時代もあった。

定年、隠居、孫に囲まれて、などなど。

それこそ今ではほとんど叶わぬ夢の生き方となっている。


定年まで働けるか、

定年後は年金と退職金で賄えるか。

家族に囲まれて、死ぬまで面倒を見てもらえるか・・・。

ほとんどが、NOである。


時間があるときには、お金がない。

お金があるときは、時間がない。

という定説(?)さえ覆されている。

今は、時間もお金もない人が増えている。


便利さを求めると、自然がなくなる。

自然のあるところには、便利さがない。

一人は寂しいが、二人でいるとうっとうしい。

とかくこの世はままならない。


今日、熊本市内の自宅だったところから自分の荷物を出し、引き払った。

これからは、名目上、阿蘇の家が自宅となるわけだ。


今日、熊本も桜の開花宣言があった。

ボクの阿蘇の自宅は、今、真紅の桃の花が満開だ。



周囲の桜の花もすでにちらほら3~4分咲きといったところか。

そういえば最近は、1ッか月の間に2~3回くらいしか来ていなかったナ~。


今年はここで花見でもしようか。

想い(イメージ)を絵に描く

2015年04月15日 | 
picture とは、

絵とか、写真という意味がる。

これを動詞にすると、

「~を頭に思い描く」、「想像する」という意味になる。


例えば、

"Picture this. Two young, good looking girls."

「これを想像してみて。二人の若い綺麗な少女達を」となる。


想いを文章にすることは大事だ。

それを絵に描けばもっといい。

立体(3D)にして組み立てて模型にすればなおさらいい。




これは、今度借りるテナントの正面部分の改装予想図だ。




 これが実際の今の写真。

元、雀荘だっただけに暗くて閉鎖的だ。

これをカフェにしても誰も入ろうとは思わない。


ボクの下手な絵を見て笑えばいい。

まるで子供のころのお絵かき、塗り絵。

だが、描かないよりはましなのだ。


それに、童心に帰ってこんなことをしている時が一番楽しいから不思議だ。

絵の才能や絵心なんてなくてもいい。

童心に帰って、ピュアな心を持ち続けていればそれで十分だ。


上手か下手かが問題ではない、

できるかできないかも問題ではない。

問題は、やるかやらないかだ。

あるいは、やったかやらなかったかが問題なのだ。


Charange and try and try again, never give up.


想像から創造へ。


夢を実現する人は果敢に挑む。

傍観者はそれを見て笑い、批判する。

そして何も実現しない。


笑わば笑え。

ボクは自分の信じた道を進むのみ。


【補足】

以前も書いたが、

店の名前は ”かもん” だ。


これは、

ベトナム語の Cam on(ありがとうの意味)と

英語の Come on(おいで、いらっしゃい)をひっかけた造語だ。


ベトナム語の実際の発音は、

カㇺオン とか カンノンとかに近い。

Dream Catcher (ドリームキャッチャー)

2015年04月08日 | 
またセレンディピティが起きた。

Serendipity:  the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident


阿蘇・西原村のドゥリーミンカントリーin Aso内に

今月オープンするアジアン雑貨と湧水コーヒーの店の名前が決まった。


テラスづくりの作業が進む


その名は、

Dream Catcher(ドリームキャッチャー)だ。


          出来上がったフライヤー(住所の番地は1547-1が正しい)


この名前は、ボクに取って2つの大きな意味を持つ。


一つは、DREAMである。

ここの施設の全体の名前が、"ドゥリーミンカントリーin Aso"であり、

ボクは何より「夢」という文字や響きが大好きなのだ。


夢には、将来の夢といった希望に満ちた意味合いもあるが、

人の夢と書く「儚さ」の意味合いも漂う。


これがまた好い。

なぜなら、それは命に似たところがあるからだ。

あるいは、桜にも例えられる。

咲き誇る優雅さもいいが、散り際の儚さが人生の無常を感じさせてくれる。


ちなみに、ベトナムのハノイに作った(設立に携わった)日本語学校の名前も”YUME”である。

これも偶然の産物。



二つ目の意味合いはもっと直接的である。


それは、ボクの小説「SEDONA(セドナ)」のシンボルマークがドリームキャッチャーなのだから。

まだ未発表なので、誰も知らない。


ここまで偶然が重なると、鳥肌(goose pimples、goose bumps)が立つくらい末恐ろしくもなる。

だが、この名前を聞いた時、少なからずボクの心は踊った。


そして感じた。

この小説が日の目を見る日も近い、と。

いよいよ小説デビューの時がやってくる。

ただ、感じるのだ。

武者震いがする。


この、根拠のない自信に似た感覚が好きだ。


夢を実現するには、「五感」+「潜在意識」= 「第六感」が重要な役割を果たす。

そしてそれこそが、セレンディピティを生む。

夢潰し虫

2014年11月27日 | 
バカなことを言うな。

寝ぼけたことを言うな。

そんなことが出来るわけがない。

誰もそんなことはしていない。

非常識だ。



子供のころ、若かったころ何度言われたことか。

その度に悔し涙を流した記憶がある。

反発もした。

ぐれもした。



それは今も変わっていない。

いい歳して、とはよく言われる。

下手にバカな夢を抱き続けているからだ。


この世の中には夢潰し虫がゾンビのようにはびこっている。



なぜ大人は子供の夢をつぶしたがるのか。


それは自分が実現してこなかったからだ。

そして失敗した苦い経験がある。


だから、無駄なことはやめろという。

人がやらないことはやめろという。

チャレンジャーであることを否定する。

無難に生きろという。

あたかもそれが幸せな生き方であるかのように。



親、そして学校の先生が子供に与える影響力の大きさを改めて感じた。

子供の夢を否定する親や先生の下に育った子供は一様に不幸である。


だが、反発する子は違う。

それも二種類に分かれる。


ぐれるか夢お叶えるかだ。

ぐれても改心して一念発起すればいい。

諦めなければ人生はいつでも取り戻せる。




トルストイの『アンナ・カレーニナ 第1編』の冒頭に

「幸福な家庭はどれも似たものだが、

不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」とある。 


トルストイ様に立てつく気はないが、そうかな?と思った。

むしろ、

「不幸」の形は似ているが、「幸せ」の形は人それぞれなのではないだろうか。


親や出会う先生の影響力は計り知れない大きさを持つ。

だが、それ以上に本人の意思は大きい。


いい影響を受けた子が幸せになるとは限らないように、

悪い影響を受けた子でも夢を叶えることはできるものだ。


夢に向かう人は、大人になってからも非難や罵倒、嫌がらせなどなどの妨害を受けることが多い。

要はそれに屈しないことだ。


正しいと信じる道ならば、とことん追求すればいい。

自分を信じることだ。

そこから文字通り自信は生まれる。


自分が自分を信じなくて、だれが信じてくれというのか。

迷ってもいい。

だが、自分を疑うな。

自分を見失うな。


Don't worry about a future and the past.

Enjoy the moment.

未来や過去を気にするな。

今を生きろ。

あなたの歩みを止めないで

2014年11月05日 | 
「常に死を覚悟して生きれば恐怖はなくなる」(by Asay)


「あなたの関わりを受け入れよ、それがそのありようなのだから。  

あなたの関わりを抱け。

あなたの関わりと手をとれ。

それがそのありようなのだから」(ナヴァホ族の教え)



ボクはもうすぐ死にます。


ボクがこの世からいなくなっても、

ボクに係ったみなさんが幸せに生きていけるよう仕組みを考えています。


ボクがいなくてもビジネスがうまく回るよう一生懸命考えています。

皆さんの夢を聞いて、やりたいことを聞いて

それができるよう一緒に考えるのです。


命のある限り、共に歩んで夢が叶うようお手伝いをします。


ボクは裏切ったりはしません、

あなたを捨てたりはしません、


夢はすぐには叶わないかもしれません、

でもボクは諦めません。


一度取り組んだこと、やり始めたことは形になるまでやり続けます。

途中で投げ出したりしません。


だからあなたも諦めないでください。


いろんな障害が出て、問題が立ちふさがり、

もうダメかなと思うときが何度かあります。


それでも諦めない。

何とか問題をクリアして、乗り越え、前へ進み続けます。

誤解もいっぱい受けます。

誹謗中傷もあります。

足を引っ張られます。


それでも、前に歩き続けます。

だからあなたも歩みを止めないでください。

ボクはあなたに伴走します。

あなたの夢と共に生きます。


あなたが倒れたら、ボクは行き場を失うのです。

あなたがいるからボクも一緒に進めるのです。


ボクはあなたのためにここにいます。

ボクを信じろとは言わない。

自分自身を信じてください。


あなたはできる。

あなたはできるのです。

だから、その歩みを止めないでください。


ボクがいなくなっても、自分で歩いて行けるように応援します。



【補足】


「明日死ぬと思って行動し、永遠に生きられると思って夢を抱く」

『年中夢求』の精神で。



想いは空回り

2014年10月16日 | 
今日も秋のハノイをバイクで駆け抜ける。


夢に一歩近づいたかと思うと、半歩後退する。

こんな状態が続いている。

だが、確実に半歩は前に進んでいるのだ。



昨日、夜遅くまで現地の出資者たちと議論しあった。

その中に見知らぬおばさんが。

どうやら、ベトナムで大手の建設関係の事業を仕切っているフィクサーらしい。


現地の大物が協力するという名目で入り込んでくる。

それだけ魅力のある企画なのだろう。

だが、ご用心、ご用心。



議論は一転、彼らは一様にカフェ事業に難点を示す。


彼らには経験がない。

ボクの事業計画書に疑問を投げかける。

時期尚早ということらしい。


彼らは、手堅く日本語学校主導でいきたいらしい。

確かに安全パイだ。



ボクは、コミュニケーションを望む。

いわゆる触れ合いだ。

日本語学校だけでは、その主旨に欠ける。

すでに多くの日本語学校がある。

まだまだ需要はあるという。

手堅いビジネスはそれはそれとしてよいが、面白味がない。


彼らはまず手堅くやって、そのあとでカフェ事業に乗り出そうという。

ただ、妥協案として、カフェサロンを併設する意見はある。


まだまだ議論の余地がかなりある。

残る5日で最終の詰めを行う。



【付録】


まずは栄養付けて。


       名物、魚料理

ハノイで見かけたサイドカー。



なかなかやるじゃん。


夢実現の道程には

2014年09月17日 | 
       写真は、HanoiのHo Tay(テイ湖)


今、夢の実現の途上にある。


いや、今に限らず、いつだって夢の途上にいる。

そしてそれはまた、旅の途上でもある。



今までいろんな夢を実現してきた。


だがどれ一つとしてすんなり実現できた夢はない。

もうダメだと諦めかけたことも1度や2度ではなかった。


だが決まって救世主が現れる。

それも予期せぬところから。


だからといって今回もそうだとは限らない。

楽観はしていない。


いつもこれが最後の勝負だと思って臨んだ。

だから、諦めない。

あきらめた時、ボクの人生は終わる。



例によって、複数の夢を同時に進めている。

その脇から、新たな夢がひょっこり沸き起こる。


それは、自分がしたいことというより、誰かがしたいという夢なのだ。

それが今までとは大きく違う。


誰かの夢を実現させることが、今のボクの夢なのだろう。

何かしら使命感を覚える。



唯一自分自身の夢といえば、出版することだ。

それも複数の本を。

そのどれもが10万部以上のベストセラーにする。

そして、100万部を超える小説の映画化。

そしてオスカー。


そのすべてを実現するつもりだ。

そのためには、200歳まで生きなければならないかもしれない。


人は笑うだろう。

だがボクはいたって本気である。



たとえ道半ばで倒れたとしても、

ボクの意思は、3人の子供たちが引き継いでくれるだろう。


夢もまた自分の子供たちなのだ。


苦しい、苦しい、どこまで苦しめばいいのか。

夢の途上はいつだってこうだ。


今産みの苦しみの真っ只中にある。



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「ボクは君のために生きている。

君を幸せにするために一生懸命やっているんだ」


「ううん、違うわ。私のためなんかじゃない。

だって、いつだってあなたは私のそばにいないでしょ。

あなたはあなたの夢を叶えるためにやっているにすぎないわ」


「そんなことはない、ボクの夢はすべては君のためなんだ。

ボクだって、ほんとうはいつも君のそばにいたいんだ。

それをどうして分かってくれないのか」


彼女は一筋の涙をこぼし静かに去っていった。




想いを形に

2014年08月23日 | 
久しぶりに気合が入った。


企画書、事業計画書の作成だ。

これからの事業は、企画書、事業計画書がうまく書けるか書けないかにかかっているといっても過言ではないだろう。

特に起業においてはこのスキルは欠かせない。


企画書を書くには、その土台になるアイデアがいる。

このアイデアは、独創性がなければならない。

独創的なアイデアを生むにはどうすればいいのか。


はっきり言える方法はない。

アイデアは論理的に生まれるわけではない。

閃きなのだ。

理屈ではない。

考いくらえても生まれない。

何かの折に、パッと閃く。

何かの折というのは、たとえばお風呂だったり、トイレだったり、寝ているときだったりする。

ボクの場合は、自然の中が一番多い。


では、パッと閃きを呼び寄せるにはどうすればいいのか。

いろんなところに行ってみること。

感じること。

イメージすること。


考えるから、出ない。

考えているうちは、絶対出ない。


具体的に言えることは。

人と反対のことをやれ、ということだ。

人と同じことをやってたらいつまでたっても独創的なアイデアなんて浮かばない。


同じことだが、みんなから好かれようと思うな。

好かれようと思うと、同調せざるを得ない。

自分の意見や気持ちを曲げてみんなと歩調を合わせなければ、嫌われる。


嫌われることを憚(はばか)ることなかれ。


結論は、

変わり者と呼ばれるようになれば、合格だ。


その時点で、どんどん独創的アイデアが湧き水のように湧き出てくる。


そうした思考、行動習慣を身に着けることだ。


じっとしていても、何も浮かばない。

浮かんでも、ろくなことではない。

せいぜい鬱になるのが関の山だ。


だがら、動け。


そして、感じたらそれを書き留める。

書き留めたことをまとめる。

これが企画書だ、


企画書と事業計画書はワンセットで作成する。


企画書は文章であり、事業計画書は数字の世界だ。

事業計画書を起こすとき、当然黒字にならなければ意味がない。


黒字にするには、ニーズが不可欠だ。

独創的ということは、今までになかったものだから、

ニーズは掘り起こさなければ出てこない。


ただ、今はないが、潜在ニーズをつかむことが大切である。


では、どうすれば潜在ニーズを見つけることができるのか。

これは、

自分が感じることに従えばいいだけだ。


今はないけど、こういうものがあったらいいなー、と思えるものだ。

今ないということは、

技術的にできないのか、

あっても売れないから無いかのどちらかだ。


前者は、技術を開発すればいい。

後者は、売れる仕組みを開発すればいい。




企画書、事業計画書の作り方がわからない人は、

お教えします。

寝ても覚めても

2014年08月14日 | 
何かをやろうとするとき

そのことが四六時中頭から離れなくなる。


まるで恋をしているかのようだ。


何かを成し遂げるとき、いつもこの状態になる。

まるで取りつかれたようになる。

つまりトランス状態なのだ。



NPO法人ができた今、やるべきことは実績を作ることに尽きる。


実績とは、成果を出すこと。

それは、NPO法人として事業を起こすことなのだ。


自分自身を含めたメンバーの夢を実現すること。


「障がい者カフェ」も

何人かの方の協力を助言を得ていまその方向性を模索している。

実務経験のある有資格者が必要だ。



それから海外事業である

「納豆レストラン」と「日本語フリートーク」の設立に向け、

現地との密なる連絡が欠かせない。


メールやfacebook上でのやり取りが続く。


こちらでは今クールジャパンへの投資申込書類の作成が佳境に入っている。


これはほとんど一人の作業だ。

内容の具体性が求められるので、ここはじっくり落ち着いて取り組まなければならない。


そうすると、作業は自ずと深夜に及ぶ。


寝不足はまだまだ続く。

思考にお盆休みも何もない。

100万円出資します

2014年04月24日 | 
あなたの夢を実現させます。


お金がないからやりたいことがやれないという人は多い。

では、そう言う人はお金があればやれるのか。



大事業でない限り、

大概100万円あればやりたいことがやれるのでないか。


少なくとも頭金とはなりうるだろう。



人に夢を語る場合は、まず口で言ってみることだ


そのあと、必ず紙に書き記す必要がある。


書面にすることは、

人を説得する上での最低必要条件であることは言うまでもなが、

自分の頭の中を整理するにも役に立つ。


心で思う、頭で考えるだけでは

独りよがりで矛盾点や欠落している問題点などが見つけにくい。


書面にして人に提示することで

叩かれ、ダメ出しされながらそれはより確実なものとなっていく。


これを企画書という。


最初は草案であってもいい。

叩き台といってもいいだろう。



もちろん、りターンが望めなければ事業とはいえない。


そのためには数字で示すことが必要となる。

いわゆる事業計画書だ。


企画書と事業計画書は車の両輪に当たる。



何度も何度も企画書と事業計画書を練り直す内に、

徐々に夢は実現へと向かっていく。



ということで、

出資希望の方は、まずはご連絡を。

妄想力

2014年04月18日 | 
今更ながらに思うことがある。


なぜボクはあのとき世界一周ができたのだろうかと。


お金があったからできたのか。

時間があったからできたのか。


否。


どうしても世界一周したいと思ったからだ。

それは積年の夢でもあった。


高校時代から思い描きだした。

大学に入って何度か世界一周の計画を立てた。


だが、叶わなかった。



夢が叶わぬままいつしか歳も40を超え、家族も4人になっていた。

それでも世界一周をしたいとずっと考えていた。


できるという根拠はどこにもなかった。



世界地図を張った。


壁に、トイレに、ベッドの上の天井に。

世界地図を見るたびに、自分がそのどこかを旅している姿を妄想した。


バックパッカーの自分の姿を妄想した。


来る日も来る日もそうした。


その時点で、お金があったわけではない。

時間があったわけでもない。


子供は学校にも通っていた。

経営しているホテルもあった。


時間が経てば経つほど、条件は不利な方へ流れていった。


最大の問題は、子供の学校とホテルの経営だった。

お金のことはあまり考えなかった。



自分があたかもそうしているかのように妄想し、

それを人に語りだしてから事態は変化していった。


留守中の経営を引き継ぐといってくれる人が現れた。

学校に出向き、先生に相談した。


そうすると、旅に出る環境が徐々に整いだした。


今しかない、と思った。

47歳になっていた。


家族4人、1年2ヶ月の及ぶ世界一周の旅に出た。

そしてそれを果たし、無事に帰ってきた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


今、多くのベトナム人が納豆レストランで納豆を食べている姿が見て取れる。

NATTO は日本から来た健康食、美容食。


そういうイメージがベトナムに浸透している。



現実は今、ほとんどのベトナム人は納豆を知らない。

名前さえ知らない。

むしろ食べたことなどない。



だから、誰も信じない。

誰も食べないよ、と馬鹿にされる。



だけど、ボクの脳裏は、ベトナム人が納豆を食べる姿がはっきりと捉えている。

むしろNATTOは当たり前の存在になっていいる。



日本も昔はお米の国だった。

それが多くの日本人がパンを食べるようになった。


ベトナムは、日本以上にお米の国である。

カンボジアもそうだ。


だが、少しずつだが、ベーカリーが増えている。

小麦が取れない国が、輸入してまでパンを焼き、食べだす。


昔は考えられなかった光景だ。




世界50ヵ国に16000店舗以上もの カフェチェーンを創りあげた、

スターバックスのCEO、ハワード・シュルツは

スターバックスの4号店の店舗物件を見に行くために、

シカゴの込み合った通りを歩きながら、

ビジネスパートナーのジャックに こう言った。


「ジャック、5年後ここにいる連中が 

みんなスターバックスのコーヒーカップを 手にして歩くようになるよ」


ジャックはハワードを見つめ、 笑いながら、こう答えた。

「夢みたいな話だね」

だが、ハワードにはその光景が はっきりと見えていた。



夢の実現は、まず妄想するところから始まる。



ボクには今、ベトナム人が皆、NATTOを食べている姿がはっきりと見える。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

では何故妄想すると夢が実現するのか。


それは脳の働きによると言われている。


脳は現実と想像を区別していないのだ。



人生において今の状況がどうであろうと、

想像や妄想で 楽しいことやワクワクすることをイメージすると、

脳はそれを現実だと思い込む。


脳は単純で、 ある意味脳はだませるのだ。


さらにその想像や妄想は、

ドーパミンなどの神経伝達物質の分泌を促し、元氣させてくれる。

そうして想像や妄想が人をエネルギッシュにしてくれるから、 次の行動へとつながる。


実際に経験していないことでも、

感情に強く訴える想像を何度も繰り返せば、

実際の経験として 脳は認知してしまう。


成功する根拠などなくても、

この妄想力を駆使して成功した状況を繰り返しイメージし、

普通の人が不可能と思われることを次々と可能にしていくことができる。

               (一部メルマガから引用)


もう一つは、本気度だ。

情熱といってもいい。


それが人を動かし、仲間y応援者という環境を整えていく。



【補足】

ただし、妄想力には副作用があります。


周囲から変な目で見られる。

変人扱いされる。

馬鹿にされる。



逆にいえば、

それに耐えられる人だけが、夢を実現できる。



- Mother Teresa (マザー・テレサ)の言葉から。


People are often unreasonable and self-centered.
Forgive them anyway.

If you are kind, people may accuse you of ulterior motives.
Be kind anyway.

If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies.
Succeed anyway.

If you are honest, people may cheat you.
Be honest anyway.

What you spend years creating, others could destroy overnight.
Create anyway.

If you find serenity and happiness, some may be jealous.
Be happy anyway.

The good you do today may be forgotten tomorrow.
Do good anyway.

Give the best you have, and it will never be enough.
Give your best anyway.

 -
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。

人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。

成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。

正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。

歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。

心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。

今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。

持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。


納豆屋になるのではない

2014年04月13日 | 
石工の話を聞いたことがあるだろう。


「石を切るのがうまいだけの石工になるなかれ。

大聖堂を建てるという広いビジョンを持った石工であれ」


目下のところ、

世界で納豆をいかに売るかということに専念している。


納豆は大好きだが、だからといって納豆屋になるわけではない。



納豆を通じて世界に誇れる日本の食文化を世界に広めるために、

そして世界から飢餓をなくし、

健康な人をひとりでも多く増やすことが目的なのだ。



英会話にしても同じ。

「英会話の達人になるなかれ、

世界の人と繋がって、世界平和に貢献するという大きなビジョンを持つ」ことが大事なのだ。



人は目先に囚われがちになる。

もっと遠くを、もっとでっかく夢を見よう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨夜はこんな歌ができた。




 『タビストの歌 (タビスト音頭) 夢はでっかく描こうぜ』 



 ♪ 世界平和を目指すため、

俺は旅に出るんだよ。


どんな困難も乗り越えて

みんなが手と手をつなぐ日が

きっと来るんだ、

きっと来るんだ信じつつ

俺は旅に出るんだよ


夢はでっかく描こうぜ

夢はでっかく描こうぜ ♪
 





曲も大方出来上がった。


音頭だから、元気でるよ!

あとはCDを出すだけ、なんちゃって。


世界一周はこの歌を歌いながら、元気出していこう。

本とCDの印税で稼ぎながら、ね。




これでボクのオリジナル曲は

”Long Distance Love" に続いて2曲目。


3曲目の”Mr.Sunshine" は現在製作中。


これでも一応、ソングライターなんだ。

もちろんアマチュアだけどね。


もっぱら趣味の世界。

人生楽しんだが勝ち、だからね。