世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

運鈍根勘

2015年01月09日 | 人生
「事を成し遂げるのに必要な3条件として「運鈍根」という言葉がある。

もちろん、「運」は幸運を、「鈍」は愚直を、「根」は根気を指す。


以前は、鈍に違和感を覚えていた。

むしろ鋭、つまり鋭く、鋭敏で、細かいところにも手が届くほどのきめ細やかさが必要ではないかと思っていた。


ところが成功するには、鈍い くらいの粘り強さが必要だという。

つまり細かいところを気にしすぎてあまり神経質になると、精神的に参ってしまう可能性が高いらしい。


確かに、回りにいる人で心の病を抱えている人ほど気にしすぎの傾向が見られるようだ。

そんなところまで気にしているかと思うくらい、気を回す。

起こってもいないことを先回りして心配する。

それよりも、細かいことを気にせずやりたいことを進めるタイプのほうが何かを成し遂げる確率は高そうだ。


気が利くことと、気を使い過ぎることとはいささか違う。

つまり気疲れしてしまう。

人から間違いを指摘されたり、非難でもされようなものならそれだけで参ってしまう。


人の目ばかりを気にしていたら、自分自身を見失うことにもなりかねない。

そういう意味では、確かに鈍いほうがいい。

打たれ強い人は総じて鈍感である。

気にしない、気にしない。



さらに付け加えるなら、

勘がいい人がいい。

勘は鋭いほうがいい。

勘が鈍いと間違った選択をしてしまう。

勘は研ぎ澄まさなければならない。


勘には天性のものと、経験によって磨かれた後天的なものとがある。

判断して選択するには、最終的に勘に頼るしかない。


勘を感と置き換えてもいいだろう。

感性、第六感など。

勘を働かせてそれを信じることで初めて幸運がもたらせられる。


自分は運がいいと心底思えるか。

ついてないと思うことが多い人には、幸運は訪れにくい。


Lucky、Happyを口癖に幸運を引き寄せよう。

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脅しに乗るな

2015年01月02日 | 人生
主に中国の脅威に対して軍備をそそのかす意見がある。

日米安保を強化して、軍備を強化しろと。


中国が攻めて来れば今の日本ではひとたまりもない、という。

話し合いにも限界があり、

そのためにも軍備の後ろ盾がないと説得力がない、とも言う。

ましてや、話し合いで片付く相手ではない。


それはその通りだと思う。

中国の動きは日本のみならず、南シナ海にも触手を伸ばしている。

確かに脅威である。


だが、その論理は戦後レジームと共に今や時代錯誤となっている。


1990年前後、ベルリンの壁が壊れ(1989年)、ソ連が解体(1991年)した。

それを機に、世界は冷戦から徐々にグローバル化に進んでいく。



グローバル化とはどういうことなのか。

グローバル時代だとか、グローバル人間だとか言われているが、

具体的にはどういう状態のことなのだろうか。


それは帝国主義の時代が終わったことを意味する。

つまり、覇権国家がいてもはや他国を支配するような時代ではなくなったのだ。


帝国主義時代なら、中国が日本を攻め、日本の領土を支配するということも考えられる。

最近では、ロシアがウクライナの内紛に乗じてクリミアを領土化した事例がある。

だが、その結果いまロシアがどうなっているか。

欧米から経済制裁を受け、ルーブルは暴落し、今や瀕死の状態に陥っている。


ロシアのように、中国が尖閣、そして沖縄を領土化しようとしている、という。

確かに、中国が本気になれば、いや気が振れればそれはあり得ることだ。

ブータンも中国によって侵略されている。


もしそのような中国に対抗するには、単なる軍事力強化にとどまらず、

北朝鮮やイランのように日本は核を持たなければならなくなる。

だが、それでなくても財政難の日本にそんな余裕はない。

幸い、日本はウクライナやブータンのように陸続きではない。


仮に中国の脅威を逃れても、日本にもテロという新たな敵が現れるだろう。

アメリカと同じ轍を踏むことになる。



ましてや、帝国主義時代ならまだしも、今やグローバル時代。

つまり、どんな大国でも一国ではやっていけないのである。

アメリカでさえそうなのだから。


アメリカの目の上のたん瘤ともいわれるキューバとも国交回復の兆しが見えてきた。

国同士がいがみ合っている時代ではない。


ヒトやモノ、カネ、情報が軽々と大量に国境を超える時代。

社会が抱える問題も国境では区切られなくなっている。

金融危機や地球温暖化、感染症……。

一国だけの問題にはと留まらない。


被害に遭うのは多くの国の経済弱者だったり、農民だったり、人類全体だったりする。

解決に取り組む人々のネットワークも国という枠におさまらない。


現代はどんな国も世界のほかの国や人とつながり、混ざり合って「混血化」「雑種化」している。


これがグローバル時代の意味するところだ。


現時点でも日本には自衛隊があり、個別的自衛権を行使できる。

そして日米安保条約は曲がりなりにも生きている。


戦後レジームからの脱却などをスローガンに掲げて平和憲法を歪曲するより、

改革すべきはグローバル時代に即した教育であるべきだ。



内には、経済の停滞や少子高齢化などの課題がある。

外では、中国が力を増し、米国のパワーにもかげりが見える。

先行きの見えない不安や閉塞(へいそく)感が漂う。

ともすると、隣国とのあつれきや、社会のほころびに目がいく。

焦燥感ばかりが高まる。


だが、そのときその場の勢いで、短絡的にものごとを判断してはいけない。

それは、

いたずらに中国脅威論を煽り、大海を知らぬ権威風に吹かれた臆病者のやることだ。


現状は、ぎくしゃくした国同士の関係にもかかわらず、

昨年の中国からの訪日者は前年の1,8倍に増えている。

まさに国というボーダーを越え個の時代の象徴ともいえる現象だ。


国境の意味は薄れ、国と国より個人や個性の出会いが世界を動かしているのだ。


明治維新から太平洋戦争までが73年あまり。

戦前と戦後の二つの日本は、歴史上ほぼ同じ長さを占める。

戦前の日本は、大きな戦争を幾度も繰り返した。

対照的に、戦後日本は70年の平和を享受できた。


いったい何がこのように安定した日々を日本に可能にしたのか。


政治や経済といったマクロの視点も欠かせないが、

国際関係は、平和憲法を守り抜いたひとりひとりの生き方の集積に他ならない。


日本は、武器のいらないも経済は外に向かって進むべきであるが、

軍事は内なる防衛に徹しなければならない。


こんな逸話がある。


子供が学校で段ボールを使って銃を作った。

先生が聞いた。

「それで誰をやっつけるの?」

子供が答えた。

「やっつけるんじゃないよ。好きな人を守るんだ」と。


日本がなぜ戦後の廃墟から脅威的な経済発展を遂げ、

今なお、中国と韓国・北朝鮮を除く世界中の国から尊敬され、敬意を払われ、

好かれ、一目置かれるのか。


そのことを今一度よーく自分の頭で考えて

一人一人がグローバルに行動してほしい。


(㊟ 一部、新聞等のコラムから抜粋させていただきました)



【追記】


非暴力平和論を唱えるボクの考えに毎回不快感を示す人がいる。

中には脅迫じみたコメントをしつこく送りつけてくる人もいる。

それはそれで一向に構わない。


人それぞれいろいろな考え方があってしかるべきなので

異論、反論は歓迎する。

ただ、コメント上での議論は差し控えさせて頂きますのでご了承ください。




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なぜ生かされているのか

2014年11月13日 | 人生
親しい人のご主人が今朝方亡くなった。

まだ50代だと思う。

奥様もまだ若い。


少し前にも同じことが起きた。

小さな子供たちを残してご主人が先立たれた。

かける言葉もはばかられる。


どうしてこういうことが起きるのだろうか。

天に向かって問うてみる。


答えは返ってこない。



半面、

ではなぜボクはまだ生きながらえているのだろうか。

こんな役立たずがどうしてまだ生かされているのか。


そういう疑問がふつふつと湧いてくる。


いずれにせよ残り少ない人生をどう捧げるか。

感謝しつつ、あらためて深く考えさせられる。


生を受け、生かされている恩をお返ししなければ。
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平和主義

2014年10月04日 | 人生
ボクもノーベル平和賞がもらえるかも???

いや、ボクだけではなく、日本国民がもらえる、なんてロマンティックなのでしょう。



ノーベル賞受賞予測を毎年発表している民間研究機関、オスロ国際平和研究所(PRIO)が

3日、ウェブサイト上の予測リストを更新し、それまで「欄外」だった「憲法9条」がトップに躍り出たと発表した。


つまり、

ノーベル平和賞を「憲法9条を保持する日本国民」に与えるというもの。

そうしたら当然、日本人すべてがノーベル平和賞受賞者になる。


ボクは海外に行って何が誇りかというと、

約70年間日本は戦争をしていない、ということ。


日本(人)は、平和で安全。

綺麗で、誠実で、正直。


ボクはこれを日本の誇れる3Sと表現している。

つまり、清潔、誠実、正確の3つのSである。


そうした日本人の誇れる平和思想を絶対に壊してはならない。



昨日書いた合気道の精神に


「敵をして戦う心なからしむ、

否、敵そのものを無くする」


という文言がある。


武力による解決は永遠にやってこない。

叩いても叩いても、もぐらたたき(Whack-a-mole)のように次から次へと新しい敵を生む。

フセインを倒してもアルカイダが台頭し、次はISIS、といった具合に。

アメリカは疲弊するだろう。


戦争で一儲けしようとする集団は、仮想敵を作り、危険性をあおる。

敵と思うから敵になる。


笑顔で接すれば、相手も自然と笑顔になるものだ。

そうでないものは、放っておいても自ら潰れる。


バカを相手にするからバカになる。

それでもバカは向かってくるだろう。


そのための対処の仕方を学ぶために、

ボクは空手から合気道に切り替えたのだ。

護身術として。


合気道の精神は、

万有愛護の大精神を持って自己の使命を完遂することこそ

武士道の道、すなわち、日本人としての道なであると説く。


それであってこそ、ノーベル平和賞に恥じない行為となる。
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仏教を学ぼう

2014年09月25日 | 人生
         昨夜の『海外起業』のスピーチ


ボクは元来無宗教である。

だけど、日本人として生まれたからには仏教と係わりを持たずに暮らしてはいけない。


神社仏閣に行けば、敬虔な気持ちにさせられる。

なかでも禅宗が好きだ。

精神修養のため、時々座禅を組む。


その仏教の話を昨夜聞いた。




本来仏教とは人生の目的を説いた釈迦の教えであるとされる。


なぜ生きるのか、

本当の幸福になるにはどうしたらいいのかなどが書かれている。


本来仏教には争いはない。

そして、釈迦は神ではない。


一神教を崇拝する国々は争いを起こす。

イスラム、キリスト、ユダヤ、皆そうだ。


中国と韓国は、今や仏教国とはいいがたい。

中国は単なる侵略国家に過ぎない。


新疆ウイグルではイスラム教を弾圧し、

チベット仏教を追放し、

今や唯一のチベット仏教国であるブータンをも侵略しつつある。



死ねばみな仏になれるという大乗仏教は、日本とベトナムだけである。

あとは、お寺に使える僧侶のみが仏になるという小乗仏教国である。


日本には、神道という神が古来存在するが、八百万の神であり、

天皇も今や象徴として存在する。


元来日本人は穏やかな国民性を持つ。


ということで、ここでもやはり日本人に生まれてよかったと再確認させられた。


とはいえ、ボクのスピーチは、

『海外起業』というテーマであった。


日本人は海外にビジネスとして進出することで、

日本文化を伝え、相手国の発展に寄与することができる。


資源と領土を奪うならず者国家とは訳が違う。


日本は、人道支援と日本文化の素晴らしさを伝えることによって、

地元国民と一緒になって侵略国家を食い止めることができる。



第二次大戦における大東亜戦争においても、

アジアの多くの国の独立を助けた。


その事実は、いまの親日国を育む理由になっていることはあまり知られていない。



この地図を見れば、

戦前、タイを除くアジアの国々がすべてが欧米の属国になっていたかが一目瞭然でわかるだろう。

朝鮮半島と台湾は日本のそれになっているが。


戦争を肯定する気はさらさらないが、

当時の日本軍が現地に残りいまだ生活している人もいることも事実である。



とにかく、争いは一刻も早くなくさなければならない。
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一年で諦める人の末路

2014年08月28日 | 人生
何をやるにも最低一年は覚悟が必要だ。

そしてそれを次の一年へとつなげていく覚悟も。


何の覚悟かというと、

耐え忍ぶ覚悟だ。


ところがその苦しみに耐えかねて、一年でリタイアする。

そんな愚かな輩が数多くいる。


やっと二年目から芽が出て花が咲くのに、

水をやり、肥料を施してきたことをやめてしまい、

せっかく土の下で育っていた芽を枯らしてしまう。


一年間の努力が水泡と帰す。

ほんとうに、これからとい時にどうしてやめてしまうのだろう。




夢を実現するには、それなりの時間がかかる。

早ければいいというものでもない。


苦節10年とか言われるように、じっくり熟成して育てる夢もある。

早く咲けば早く枯れる可能性もある。

一年草より、多年草のほうが好きだ。

大輪より、小粒の花が咲き乱れる光景が好きだ。


小粒の花とは、仲間を指す。

一人で叶えられる夢は無に等しい。


共鳴する仲間がいて初めて夢は叶う。


だがその仲間も、ポツポツと去っていくかもしれない。

時には失意のどん底に叩きのめさせられる。

自信喪失に陥ることもある。

人間不信になることもある。

孤独感に苛(さいな)まれる時だってある。

罵詈雑言を吐かれることもあるだろう。



だが、あきらめてはいけない。

夢に信念と使命感があるなら続けられるはずだ。


あきらめずに続けていれば、新たな仲間が必ず現れる。


その時、仲間が自分を助けてくれると思ってはいけない。

自分が仲間の夢を叶えるお手伝いをするのだ。


もちろん、うまく利用されるだけかもしれない。

仲間からまた裏切られることだってある。

そしてまた彼らは離れていく。


そうした苦汁を何度舐めさせられただろうか。

それでもあきらめてはいけない。

それでも歩き続けなければならない。

汗と涙と血の結晶が雪のような美しい華の形となって現れる。


手塩にかけて育てて( bring up 《a child》 under one's own care) も、

裏切り、後ろ足で砂をかけて去っていく(do something spiteful as one leaves) 輩の行く末は悲惨なものだ。


新しい細胞が入れ替わるように、

血液が流れるように万物流転(everything is constantly changing )を繰り返す。


人は常に生まれ変わる(reborn)ことができる。

ただし、それは進化と成長を伴った変化でなければ意味がない。



「唾をかけられても、踏みにじられても

俺は雑草のように強く生きていく。

目立たない小さな花を咲かせるために」 By Asay



【関連したことわざ英語】


罪を憎んで人を憎まず( condemn the offense, but not the offender )

身から出た錆 (paying for one's mistakes)

自業自得(•be one's own fault)

因果応報 (retribution;)
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負けない生き方

2014年08月19日 | 人生
勝つ必要はない。

負けなければいいのだ。

自分が勝てば負ける誰かを生み出すことになる。


競争社会を生き抜いてきた。

勝ってきた。

人を押しのけ蹴落としてきた。


これからは、競争から共想時代に代わる。

だが、どんな時代になろうとも、負けたら終わりだ。


では、負けない人生とはどんなことなのか。

それは、



へこたれないこと。

諦めないないこと。

妬まないこと。

憎まないこと。

恨まないこと。

愚痴らないこと。

嘆かないこと。

後悔しないこと。

悔やまないこと。

投げやりにならないこと。

悲観しないこと。

前向きにとらえること。

行動に移すこと。

自分を責めないこと。

他人をけなさないこと。

いつも笑っていること。

怒らないこと。

ありがたいと思うこと。

幸せと思うこと。

おかげさまと思うこと。

もったいないと思うこと。



ただ、克己の精神だけは持ち続けなければならない。

克己とは、

自分に打ち勝つこと。

心の中に起こる衝動・欲望を意志の力によっておさえつけること。



克己復礼という言葉もある。

自分の欲望をおさえて,礼儀にかなった行動をとること。


これが基本。

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みんなが幸せになってくれれば、ボクは嬉しい

2014年08月17日 | 人生
国籍に関係はない。

洋の東西を問わず、どんな人も問題を抱え懸命に生きている。


その解決に少しでも役に立てればという気持ちで日々動いている。


人の幸せが羨ましかった。

よかったね、おめでとう、と口では言っても本心は面白くなかった。

人の不幸は蜜の味、とか言ったりもする。



だけど、最近、やっと最近になって人の幸せを心から喜べるようになった。


それでもまだ、良かれと思ってやることが裏目に出ることがある。

まだまだ邪(よこし)まな気持ちが心のどこかに残っているからだろう。


本当に無になることができれば、それも払しょくできるのだろうが。

毎日が自分を磨く修業なのだ。



昨日は、三つもいいことがあった。


ひとつはfacebookにも載せたが、ベトナム人の奥さんが、ご主人の住む日本の在留許可証が取れたこと。

彼女には、仕事の斡旋をしたことで知り合いになった。


その後、ベトナムに行くたびに、

日本に住む旦那さんから彼女への預かりものを届けたりしてきた。

だけどもう、トランスポーターの役目は必要はなくなる。



二つ目は、ベトナムで日本語を勉強する人たちとskypeで交流したこと。

画面を通じて一緒に日本の歌を歌った。

今はこういうことが簡単にできる時代なのだ。



そして3つ目は、

ニュージーランドの男性に付き添って弁護士さんを訪ねたこと。


彼は、日本人の奥さんに逃げられ息子とも離れ離れになってしまった。

離婚しても永住権が取れるのか、息子には会えるのか、

この二つの問題を弁護士さんに尋ねたのだ。


行方のわからない妻子。

VISAが切れるまでに何とかしたいという焦り。


なんとか彼を助けたいと思った。

なぜなら、ボクも同じ思いをしたからだ。

彼の気持ちはよくわかる。


後日弁護士さんから連絡があるのを待たなければならない。


ところで、その弁護士さん、しみったれたオジサンかと思いきや、

なんと、うら若き美女。


若い女性弁護士。

ちょっとカッコよすぎ。

才色兼備とは彼女のことだ。


彼女からの返事を待つのは、当の本人よりきっとボクのほうが期待値が高いのでは。


やっぱり、邪まな気持ちを払しょくするには当分時間がかかりそうだ。




【余談】


弁護士さんとの英語でのやり取り。

初めての経験。

家庭裁判所とか法廷とか告訴とか親権とか、専門用語がポンポン飛びだす。


それでも何とかクリアできたのは、

日ごろから”スーツ”とか”ダメージ”などの法廷ものの英語のドラマを見ているからか。


      "Suits"

ボクは、刑事ものや弁護士もののドラマが大好きだ。


それと、やっぱり「2時間英会話」の成果。

イメージ力と言い換え力が奏功して知らない単語でもとっさに説明ができる。


いずれにしても、自分自身の英会話スキルがまた一つ進化した。

やっぱり、現場で実践あるのみ。


人さまのお役に立てて、喜んでもらえることが何よりの幸せだ。

君の笑顔が嬉しい。

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ロビン・ウィリアムスの死に思う

2014年08月12日 | 人生
今朝のニュースにショックを隠せなかった。

大好きな俳優さんだった。

コメディアンでありながら、シリアスな役もしっかりこなした。

印象的な作品は、なんといっても「パッチアダムス」。

そして、「グッドモーニング・ベトナム」。


ショックだったのは、死そのものより自殺、

そしてその原因がウツ(depression)だったということだ。


「お前もか、ロビン」といいたくなった。

名優ゆえの悩みを抱えていたに違いない。

大作をなした文学者や芸能人の自殺はそう珍しいことではない。

次の作品に悩むのだ。

まじめであればあるほどその苦悩は深い。


63歳。

まだこれから一花も二花も咲かせる年齢だ。

とくに俳優には年を取らなければできない役がある。

クリント・イーストウッドやショーン・コネリーがそうであるかのように。


比べるにはおこがましいが、

ボクもまだ一花二花咲かせる自信はある。


やりたいことを一通りやると、あとは開き直ることができる。

いつ死んでもいいという思いが逆に闘志を生む。


諦観や無という心境は、非常な情熱につながる。


それは、自分のためではなく社会のため、人のため、誰かのためといった

『捨私の心』から生まれる。


何かをやろうとすれば決まって行き詰る。

こんなに苦しいならいっそやめてやろうと思う。

死にたいと思うことだってある。


それでも、それが自分に課せられた使命だと思えば何とか耐えることができる。

時に自分の夢に打ちひしがれる。

それでも自分にムチ打ちながらここまで来た。


もう少し、もう少し。

そうして雲の上の見えない頂を目指して一つ一つ丁寧に階段を上る。

踏み外したら奈落の底に落ちることは分かっている。

頂上だと思ったところが、峠であることはよくあることだ。

それを頂上と思ったら、あとは下るしかない。


常に上を目指す。

峠の茶屋で一服のお茶と串団子くらいは頂けるだろう。

一息ついたら、また登り始めるのだ。


人生の終わりは、死。

それは誰にでもいつかは訪れる。

自ら幕を引いてはいけない。


Award-winning actor and comedian Robin Williams has died at 63.

The cause of death is thought to be suicide by asphyxiation.
He was found unconscious in his home at about noon on Monday.

Williams had reportedly been battling depression,

according to a statement from his press representative.

In July, Williams checked into a rehab center in Minnesota to "fine-tune" his sobriety.


Read more: http://www.businessinsider.com/actor-robin-williams-found-dead-in-his-home-2014-8#ixzz3A8aMcmuh





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人に迷惑をかけて生きなさい

2014年07月01日 | 人生
人様に迷惑をかけてはいけません。

人に迷惑をかけないように生きなさい。

世の中の役に立つことをしなさい。


これって矛盾しない?

つまり、世の中、人に役立つことをしようと思ったら、

結果的にどうしても他の誰かに迷惑かけちゃうことがある。


というか、人に関わらなければ人の役に立つことなんかできない。

その時点で、誰かに迷惑がかかることがある。



問題は迷惑をかけないことじゃなくて、

迷惑をかけた以上のことを恩返しできるかどうかなんじゃないかな。


迷惑をかけたくないと思ったら、何もできない。

相談することだって、相手にとっては迷惑かもしれない。

手を貸してもらう、助けてもらうこともできなくなる。


親に迷惑をかけないで育つ子なんているだろうか。

大人になって、恩返しすればいい。

(多くの親は見返りなんて求めてはいないが)



人は、人と関わらずに生きていくことなんかできない。


所詮人はひとりでは生きられない。


人っていう感じは、二本の棒が支え合っている。

支え、支えられるのが人。


誰にも支えられないで、あるいは支えることなく生きるなんて、孤独そのもの。

一だって、ひとと読む。

一本だと倒れちゃう。


自立しなきゃいけない。

人に頼ってはいけない。

そう教え込まれた人は、孤独な人生を歩むだろう。


誰にも相談せず、一人悩む。

挙句、横に倒れる。


人は考える葦ではなく、

人は悩める子羊なのだ。


大人のふりをして、

狼の着ぐるみを着て

虎の威を借りる。

そんな生き方をしている人がいる。



頼り頼られ、みんなで助け合って生きるのが人間。

頼って助けられたら、

今度は、自分が頼りにされる人間になって

誰かを助け、恩返しをすればいい。


それが人間らしい生き方っていうものじゃないかな。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

絡んでください。

甘えてください。

ボクは迷惑だなて、これっぽちも思っていないから。


困っている君を見るのが辛いから。

悩んでいる君をほってはおけないから。

苦しんでいる君をなんとかしてあげたいから。

悲しんでいる君なんか見たくないから。


そばにいて、君の話を聞いてあげる。




【独り言】

何も、立派に生きようなんて、金輪際思ってはいない。

良心に従って生きているだけだ。


嫌われ、罵られ、妬まれ、呆れられ、馬鹿と言われ。

石を投げられても、唾をかけれても雑草のように生きていく。
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ボクの名言

2014年06月22日 | 人生
「命を懸けて生きなさい。

そうすれば何事も恐れなくていい」
 By Asay


命懸けで生きている。

常に真剣勝負。


神(天)からもらったこの命、

いずれまた神(天)にお返しするものだ。


命は預かりもの。

自分のものであって、自分のものではない。


だから、粗末に扱ってはいけない。

一分、1秒たりとも無駄にしてはいけない。


命の灯火が消えるまで、懸命に生き続けなければならない。


人はいつ死んでもおかしくない。

ならばこの瞬間瞬間に命の炎を燃やせ。


微風に消える炎もあれば、強風に耐える炎もある。

それは定め(諚)なのか、運命なのか。


誰にもわからない。



生まれてきたのは役割りがあるから。

地球を舞台として演じる役割があるのだ。


どういう役割で、どう演じるかは自分で決めなければならない。


それがわかるのはずっと後のことだろう。

それまでは、悩んで、苦しんで試行錯誤してやっとわかるものだ。


今それがおぼろげながら分かりだした。


自分がしたいことから、

自分がしなければならないことへ。


自分に与えれた役割(しなければならないこと)が

自分がしたいこと(夢)と符合させることができたとき

最高の幸せを感じる。


自然という静の中に、旅という流れ(動)を作る。

自然は与えられた環境であり、

旅は自主的な行動である。


その都度、もう終わりかと思っていたら、

これからが始まりだと気づかされる。


立ち止まることはない。

どこに続こうが、それが自分の道だから。(CNNより)



「老後をゆっくり楽しもうなどと考えるのは愚かな者の考えることだ。

老後は死闘だ。

だから今を楽しみなさい。

そうすれば死ぬまで楽しめる」
 By Asay



ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみたまえ、

しぼまないうちに薔薇の花を摘みたまえ。 (ウステリ)


「人生に正解はない。正しいと思ってやったことが解答である。

結果を恐れず、正しいと思ったことをやりなさい。
 By Asay


人生には解決なんてない。

ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。

そういうエネルギーをつくり出さねばならない。

解決はその後でくる。(サン・テグジュペリ)
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20代で何をなすべきか?

2014年05月28日 | 人生
こういう質問を受けた。

20代に何をなすべきか。


正解になる答はない。

あれば苦労はしないし後悔もしないだろう。


だが、言えることはある。


「後悔しないよう、やれる事はすべてやれ」、ということだ。


ただ、20代の時自分がどうだったか、

それを今どう思っているかは答えることができる。


全く後悔はない。

燃え尽きた20代だった、と思う。


だから、20代は20代で燃え尽きろと言いたい。


どう燃え尽きたのか。



ボクは一浪したため19歳で大学に入った。

そして、大学でも留年したため、24歳で卒業し、

かろうじて念願の総合商社に入った。


そして、30歳で脱サラし、今でいう起業した。

それから35年、紆余曲折はあったものの

ほぼ思い通りの人生を歩んでいる。


これまで歩んできた自分の人生に全く後悔はない。

あの時こうすればよかったとか、ああなればよかったという思いは一切ない。


これは本当だ。

もし生まれ変わっても、今までの人生を歩むだろう。




さて、20代の話に戻ろう。


前半は、大学時代と総合商社の新入社員。

浪人はしたものの思い通りの大学に入学し、

思い通りの(第一志望ではなかったが)総合商社に入社した。


だが大学時代の5年間が貴重だった。


浪人したことはボクを強くした。

挫折から一気に自信がついた人間に変身したのだ。


志望の大学へ入ったものの、

失望のもと、学生運動へとのめり込んでいった。


まともに学校に行ったのは一年間だけだった。


あとは、ゲバ棒と、と投石と火炎瓶に象徴される闘争と

資金を稼ぐためのバイトに明け暮れた。


通常の学生からは大きく逸脱していった。

もちろん、悩んだ、苦しんだ。


闘争に敗れ、キューバへの亡命も試みたが、失敗。


その過程で出会った女性と恋に落ちた。

そして結婚した。

学生結婚だった。



彼女のおかげで、復学し曲がりなりにも卒業した。

そして、高校時代からの憧れであった総合商社に入社した。


そして入社一年目、子供を授かった。


だが、どこでどう間違ったか、3年後、離婚。


その頃から、商社マンとしての生き方に疑問を持ち始め、

30歳で退職、

それと同時に再婚し、自営の道へ。



今思えば、あまりにも激動の20代であった。


浪人から、志望校へ入学、

失望から学生運動へ加担、

一旦は大学を離脱、亡命を企てるが失敗。

学生結婚、

憧れの総合商社に入社、

子供の誕生、

離婚、

脱サラ、

再婚。


20代の10年間にこれだけのことがあった。


そして、その何一つ後悔はないのだ。

なぜなら、その10年が今の自分を育て上げたからだ。


今までの自分に満足している。

あの時もっとこうしておけばよかったなどとは、思わない。



あの一連の出来事を経たからこそ、

今の自分がある。


そのどれ一つ欠けても、今の自分はないだろう。


今までの自分に不平不満、後悔はない。

だから、20代はあれで良かったし、

あれしかなかったと言える。



だから今の20代の君に言えることは、

30年後、後悔のないように過ごしなさい、ということしかない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


とはいえ、経験上言えることがある。


学生時代数多くのバイトをこなした。

生きていくために。

ただただ必死だった。

少しでも稼ぎのいいものを見つけた。

血を売り、死体洗いもやった。


一日、3つのバイトを掛け持ちしたこともあった。



学生で起業したり、

勤めたことがない起業人も珍しくない昨今だが、


ボクは、サラリーマンになってわずか6年間だったが、

多くの勉強をさせてもらった。

しかも給料をもらいながら。


総合商社という会社に入ったことが良かった。

たった6年間の間に、


財務、為替業務を一年間やり、

営業へ。

鉄鉱石の輸入、

そして、石油化学関連の営業部へ。


繊維、車、医薬、食品といった多くの知識を身につけた。



金をもらって勉強をさせてもらえるのは、

学生とは180度違うことなのだ。


だから、何が言いたいのかというと、

経験上、


多くの職種の仕事を経験することと、


金をもらって勉強をする期間を持つこと

はいいことだ、ということだ。


一見、自分夢、やりたいこととは違うことかもしれない。

だが、それが役に立つ日、意味をなす日は必ず来る。

やってて良かった、と思うことばかりだ。



中高年になって、これを繰り返す人間もる。

つまり、転職人間だ。


こう言えばまだ聞こえはいいが、

要するに、起業もできず、転々と職を変え人に仕えて一生を終える。


それでいいというなら、一向に構わないが。

ボクは、そんな人生は嫌だ。



浪人、留年、離婚、退職といった

一般に不幸、気の毒と思われることが、

ボクにとっては大いなる福音となったことは皮肉なことなのかもしれない。


だが、人生とはそういうものなのかもしれない。



直接の答えにはなっていないと思う。

なぜなら、冒頭に言ったように、答えなんてそもそもないのだ。


同じ人生などとは、誰一人としてないのだ。


ボクのように生きろなどとは口が腐さっても言えない。

ただ、他山の石として、自分の信じる道を歩んで欲しい。


ボクは何一つ後悔はしていない。


だから、

30年後、40年後、絶対後悔しな20代を送って欲しい。


その時その場で、燃え尽きろ


転落から次のステップがある。


必死でやれば、願いは叶うことを知った。

願いが叶ったからといって、それは人生の成功を意味しない。

成功とは単なる通過点に過ぎないから。


死ぬまで心臓が止まらないように、

生きてるかぎり、歩みを止めてはならない。



10代後半からずっと抱いていた夢があった。

そしてそれは20代でも実現することはなかった。


しかし、絶対実現させたいと夢を抱き続けてきた。


そして、47歳でやっと実現させた。

それが、世界一周だった。


30年越しの夢。

だから、20代の君が抱いてる夢は

今すぐ実現できなくても、

諦めない限り、必ず実現できる、ということだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


小学校時代からずっと抱き続けた夢があった。


それは今も変わらない。


それは、


「海外」というキーワードだ。

君は、宇宙起業家(アストロプレナー)になるという。


そしてそれには、20代のうちに何をすべきだと思うか、と問う。


君のキーワードは「宇宙」だろう。


だから、そのキーワードをずっと持ち続けることが最も重要だと思う。


そうすれば、20代に何をすべきかは

その時点その時点で見えてくるはずだ。


失敗を恐れず、

目の前に飛び込んできた課題を、逃げずにこなすことだ。


それが試練であったら、挫折であったりするかもしれない。

だがそれはそれで天(宇宙)からのギフトであり、

君を成長させる最も効果的なものなのだ。



恐るな、逃げるな、

目の前に降りかかった難題に果敢に挑戦してほしい。


それが冒頭の「やれること」なのだ。

だからこう言い換えることができるだろう。


身に降りかかったことを全てこなせ。

そうすれば失敗しても決して後悔することはない。


むしろ特に20代は、失敗が大きな意味を持つ。


だから、あえて言おう。


20代は何をなすべきか。


「多くの失敗をしなさい」
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もったいない人

2014年05月04日 | 人生
人に会うたびに

「この人のために何ができるだろう」

と思うことが、この頃癖になってきた。


今までは、恥ずかしながら

「この人は自分に何の利益をもたらすだろうか」

「この人と付き合って、自分は何を得するだろうか」

と考えていた。



だが、


「この人のためにできることをしよう」

と思うようになって、人生が一転した。


好転したのだ。



ただ、時々誤解を受ける。


特に女性。

その人のことを親身になって考えると

ついつい深入りしてしまう。


感情移入(empathy)してしまうきらいがある。



先日嘘をついてしまった。


彼女のために彼女が望むことをしてあげようと思った。


ただ、そう言うと

多くの女性が思うように、

その見返りを求められるのではないだろうか、と

変に警戒してしまうのだ。


自分の体を求められるのではないか、

自分と寝るために、セックスしたいから


うまいこと言い寄っているのでないか、と。



その女性は、過去にだいぶそれで泣かされてきたようだった。

美貌ゆえ、男たちが言い寄り、騙されてきた。


そのためそれがかなりのトラウマになっているようだった。


ボクの指摘はズバリ的中した。

どこか萎縮してしまっている。

パラノイアに陥っている気配が見て取れた。


paranoia [uncountable]

1.an unreasonable belief that you cannot trust other people, or that they are trying to harm you or have a bad opinion of you

2.medical a mental illness that makes someone believe that they are very important and that people hate them and are trying to harm them



だからボクは言った。


「あなたが望むなら、ボクはあなたのお手伝いをすることができる。

だけど、決してそれ以上のことは望まない。

なぜなら、ボクにはガールフレンドがいっぱいいるから」


「知ってるわ」

彼女はプライドの高さをちらつかせながら冷めた顔つきで答えた。


(どこが知っていると言うんだ)

ボクは心の中でほくそ笑んだ。


彼女と会って話をするのはこの日がまだ2回目だった。

ボクは貴女(あなた)のことを知らない。

(I don't know exactly who you are.)

貴女もボクのことを知らない。

(You don't know who I am)


ボクは愉快になり、悪ふざけを重ねた。

「今夜もこれからそのうちの一人がボクを訪ねてくるんだ」

「そう」

彼女はその美貌を崩すまいと、無表情に頷いた。


もちろんこれは真っ赤な嘘である。

ボクには彼女はいない。


少なくとも日本には。

一人としていない。


ただ彼女の警戒心を解かなければ話はこれ以上進まないと思ったのだ。

こうした言動が誤解を生んでいることは百も承知だ。


ある意味その誤解を利用し、楽しんでいる。



これは一例に過ぎない。

女性に限らず男性にだって、その人のことを考える。


どうすればこの人のために役立つのか、と。




世の中、実に「もったいない人」があまりにも多すぎる。


自分の才能を過小評価して、

それを活かす機会を自ら放棄している。


「○○したい。

だけど自分にはできっこない」

と端から決めてかかっている。



できることしか頭には浮かばない。

あなたがしたいと思ったことは、

全てできることだ。


やろうとしないからできないだけなのだ。


一生懸命努力しているのできない。

とうい人も多い。



それは二つのことが原因なだけだ。


一つは、まだまだ努力が足りない。

もう一つは、努力の仕方が間違っている。


これに尽きる。


そして、すぐに諦めてしまう。


そして、あなたは言う。


ほら、やっぱり無理だった、と。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【今日の格言】


「情けは人のためならず」


the good you do for others is good you do yourself.

compassion is not for other people's benefit
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死ぬ気で頑張ったことがありますか

2014年04月19日 | 人生
          ナニクソッ!! 歯を食いしばれ!



逆境に押しつぶされる人と

逆境をバネに伸びる人の違いとは。


人の人生には必ず逆境と呼ばれる場面(時期)がある。

逆境なくして人生を過ごすことほど退屈なものはない。



その時期をどう過ごしたかで、その人の人生が決まる、

といっても決して過言ではないだろう。


事の大小にかかわらず、何かを成し遂げる人は

死に物狂いで頑張ったはずだ。


人を何かに没頭させるものは

どうしてもそれを成し遂げたいという強い気持ちしかない。


その気持ちが弱かったり、ぶれるようではどれもこれも中途半端になってしまう。


自分でやると決めたからには、

どんなことがあっても途中で辞めてはダメだ。


小さくても、何かを成し遂げたという達成感を味わうことが次への自信へとつながる。


特に自主的に取り組んだことで、

達成感を味わえば、次から次へとその蜜の味を味わいたくて、

自ら進んでまた何かに取り組もうとするものである。


成功の連鎖はそうして始まる。


逆境に打ち勝つことで、成功癖がつくのだ。


逆に、困難が訪れるたびに避けたり逃げたりすれば

何も成し遂げられず、自信喪失に陥るだけだ。


そして、自分はダメだと枠を設けてしまう。


本気と死ぬ気とやりぬく気で事に当たれば

成し遂げられないものはない。


もし成し遂げられなかったものがあるならば、

それはそのどれかが欠けていたからだろう。


岩をも砕く波のように、これでもか、これでもかと逃げずにぶつかるのだ。


一旦やると決めたら天地がひっくり返ってもやり抜くという強い信念が必要だ。



逆境人生こそ素晴らしい。


逆境力こそ、その人生を面白くする。
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グレーゾーン

2014年03月18日 | 人生
人生はグレーゾーンが面白い。

つまり、ちょっと危なっかしくていかがわしいところだ。



では、グレーゾーンって何?

ネットで調べてみた。


日本語として古くから「白黒つかない」「白黒はっきりさせる」のような慣用句が存在する。

グレーゾーンとは、そんな白でも無い黒でもない曖昧な状態をグレー(灰色)と喩え、

どちらとも付かない状態のことを指す。


場合によっては「黒(白)に近いグレー」という言い方もし、通常は白が合法・適切を意味することが多い。


狭義には、

法の未整備などを原因として、法的に合法(白)であるか違法(黒)であるか難しい脱法行為の事例を指すことを言う。


また、違法である場合でも罰則規定が無いことや拡大解釈、

法を遵守した方がかえって弊害が出るなどの理由によって、

事実上平然と行われている例もグレーゾーンであると言える。


事例として、


パチンコ -

三店方式と呼ばれる換金方式が、別々の経営主体であるという建前にある為、

直ちに違法とは言えないが、換金行為が実質賭博となっているという疑義もありグレーゾーンとされる。


ソープランド -

客と従業員が性交し、金銭の受け渡しがあり、管理売春で売春防止法にあたるのではないかいう疑義もあるが、

当事者同士の自由恋愛で性交が行われているという建前がある為、グレーゾーンとされる。


グレーゾーン金利 -

利息制限法の利率と出資法の利率の間にある金利のことで利息制限法を越える金利については法的に無効であるものの、

出資法を越えない金利については「債務者が任意に払ったこと」として罰則規定が無いことから呼ばれる。




確かにいかがわしい。




さて、昨日の「お昼寝カフェ 添い寝付き 世界初」

というブログの記事にご意見を頂いた。


アキバにありますよ、って。


調べてみた。


あるは、あるは、なんとニューヨークにもあるらしい。

だがこれらは、明らかに風俗の類であってグレーゾーンに当たる。



ボクはこれらの存在を知らずに「お昼寝カフェ 添い寝付き」を発案した。


それは、

あったらいいなー、

自分もして欲しい、事から端を発していることは昨日も書いた。


ネットにある「添い寝屋」とは似て異なるものだった。


下記に詳細を挙げておくが、

それは添い寝が基本で、お昼寝とは全く関係がないようにも見える。

だから、お客は実質男性に限られる。



"LOVE TRIP" の「お昼寝カフェ」は

文字通りお昼寝が主体で、あくまで添い寝は希望者のみのサービスである。

そしてもそれは心を病む人を念頭に置いたものだ。


むしろ女性のお客様が主体となる発想だ。

需要があるなしにかかわらず、

そうしたサービスがあってもいいのではないかという程度のものだ。




「フリートーク」にしてもそうだ。


英会話カフェを謳う英会話スクールは全国にある。

だが、「フリートーク」のような純粋な英会話カフェは未だ存在しない。


だから、フランチャイズを作るべく働きかけているが、

福岡に出来かけたものの、未だ実現していない。



出来そうでできなこと、をビジネスにすれば、

競合相手がいない分だけ一人勝ちできるのだ。


だからボクはいつも言う。

ビジネスを起こすなら、つまり起業するなら


「オリジナル」で「ニッチ」を狙え、と。

そこに自分の「好き」または「得意」を加味するだけで良い。




長くなるので

オリジナルでニッチなビジネスアイデアの見つけ方は明日書く事にする。


今回は参考までにアキバの添い寝屋を潜入レポートからご紹介しよう。

そのほうが興味があるのではないだろうか。



添い寝をしてくれるカフェ『ソイネ屋』に潜入してきた!


先日ネットで取り上げられ一気に話題となった、

秋葉原の添い寝をしてくれるお店、『ソイネ屋』というお店があるのはご存じだろうか? 


女の子が客の隣で一緒に寝てくれるという画期的なサービス。




しかし海外ニューヨークでは先行して添い寝サービスが行われており、

ジャクリーン・サミュエルさんが1時間60ドルという金額で添い寝を行っている。


こういった文化は日本が先行しているかと思いきや、実は海外の方が先にあったのだ。

そんな話題の『ソイネ屋』に行ってきたのでそのレポートをご覧頂きたい。

今回体験したのは『ニコニコ生放送』でも活躍する横山緑。

「是非添い寝してもらいです!」と普段より意気込みバッチリで秋葉原に集合し現場に向かうのであった。


場所は秋葉原駅昭和通り口から出て徒歩3分。かなりわかりにくい場所にある。

たどり着くとそこには紙に『ソイネ屋』と某情報番組風なロゴで書かれている。

そのビルの3回に入るとガジェット通信編集部を店員さんが迎え入れてくれ、

メニューを一通り紹介してくれた。


メニューは『ソイネ屋』の名の通り添い寝が基本となる。


基本料金は20分3000円、40分5000円、60分6000円となっており、

10時間の場合は5万円となる。

別途入会金が3000円が必要だが、初回のみ40分3000円にサービスされる。


またオプションサービスも充実しており、添い寝以外にも次の様なメニューがある。


お客様が女の子に腕枕 3分 1000円

女の子がお客様にトントンする 3分 1000円

お客様が女の子の頭をいいこいいこする 3分 1000円

見つめ合う 1分 1000円

着替え 一着 1000円

リフレ 3分 1000円

逆リフレ 3分 2000円

膝枕 3分 1000円



逆膝枕 3分 2000円

ハグ 5秒 1000円 30秒 5000円 60秒 10000円

ビンタ(往復) 1回 1000円

手をつなぐ 10分 1000円

お散歩 1時間 7000円


そんな数々のオプションを今回は取材班の横山緑が体験してきた。

密室では無いが、女の子と添い寝をしてドキドキ感を得たり見つめ合ったりと普段出来ないことを体験してきた。


またビンタというキワモノサービスも存在し、「コミュニケーションを図る一環」と称して存在する。

ビンタは往復の計2回ビンタされるので相当な覚悟が必要である。

秋葉原ではビンタをされるサービスが数年前から流行っており、

それ以来こういうエステやリラクゼーション店では、ビンタがネタのようにオプションとして存在する。

アキバにはドマゾが居るのだろうか。


最初は緊張していた取材班である横山緑も徐々に慣れてきたようで、

膝枕されているときは本当に気持ちよさそうに寝ていた。

何回もしつこく「これは仕事なので!」と繰り返すが担当してくれたさくらちゃんにもデレデレだったのは事実である。


もちろん往復ビンタも受け、ハグ、腕枕、手つなぎといったオプションを一通り体験。

最後はカメラマン抜きで二人だけでガチ添い寝をしていたようである。


そんな秋葉原には、ひざまくら、耳かき、踏みマッサージ、女子寮など変わった店舗が次々と出来ている。





ただしこれはグレーz-ンを逸脱した明らかな違法である。



女子高生に添い寝させた疑い…17店一斉捜索



女子高校生らを雇い、男性客に 添い寝 をさせるサービスを提供していたとして、

警視庁は労働基準法違反(危険有害業務の就業制限など)の疑いで都内17店を一斉に捜索した。



根拠法となった労働基準法第62条


(危険有害業務の就業制限)


第62条 使用者は、満18歳に満たない者に、運転中の機械若しくは動力伝導装置の危険な部分の掃除、注油、検査若しくは修繕をさせ、運転中の機械若し

もくは動力伝導装置にベルト若しくはロープの取付け若しくは取りはずしをさせ、動力によるクレーンの運転をさせ、その他厚生労働省令で定める危険な

業務に就かせ、又は厚生労働省令で定める重量物を取り扱う業務に就かせてはならない。


2 使用者は、満18歳に満たない者を、毒劇薬、毒劇物その他有害な原料若しくは材料又は爆発性、発火性若しくは引火性の原料若しくは材料を取り扱う

業務、著しくじんあい若しくは粉末を飛散し、若しくは有害ガス若しくは有害放射線を発散する場所又は高温若しくは高圧の場所における業務その他安

全、衛生又は福祉に有害な場所における業務に就かせてはならない。


3 前項に規定する業務の範囲は、厚生労働省令で定める。







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