世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

集団的自衛権

2014年06月30日 | 国際
ボクは狙われている。

特に海外に行くと、常にそういう気持ちを持っている。


スリ、置き引き、ひったくり等々。

武器を持った強盗も可能性がある。


ホテルの部屋でも安心はできない。

出かけるときは、綺麗に整理して、バッグやセイフティボックスにしまう。

PC、カメラ、時計の類は特に狙われやすい。


個人的にもこれくらいの心構えは当たり前である。



国家的にはどうだろう。


集団的自衛権の問題がやっと国民の大きな課題となってきた。

戦争反対を叫ぶだけでは片付かない状況にある。


隣国にキチガイ国家があるのだから。


隣の家に、マフィアが住んでいる、テロリストがいる、泥棒一家がいたらどうするだろうか。

大きな道(太平洋)を隔てた向かいに腕っ節の強い仲のいい友達(アメリカ)が住んでいる。


何かあったら守ってやるよ、と言って約束している(日米安保条約)。

だけどその彼も、歳をとってきたし、昔ほどリッチでもなくなってきた。

どうやら当てにならなくなってきているようだ。

キチガイ隣人は前にも増してチョコチョコとちょっかいをかけてきている。


人の住んでいない庭の倉庫(尖閣)を狙っているようだ。

さてどうしたものか。


隣人は、こちらからは絶対攻撃してこないとタカをくくっている(憲法9条)。

それをいいことに武器(核)をちらつかせる。


さてどうしたものか。


こっちからだって攻撃することもあるよ、って言わないと頭に乗る一方だ。

向かえのお友達も、仲良くしたほうがいいよと傍観気味だ。


キチガイ隣人は、図体のでかい裏に住むバカ(ロ○ア)も味方につけようと試みだした。

それに、子分(北○○)にも水鉄砲(ミサイル)を使ってちょっかいを出すように仕向けている。


さてどうしたものか。


脇腹をつつかれ、水をかけられてもじっと我慢の子を貫くか。

手をくくられ、パンチを食らわすことさえできないのだから。


しかし、我慢にも限界がある。

くくられた紐を解きにかかっている(集団的自衛権)。


手も足も出せない相手が、出せるとわかったら、キチガイ隣人は少しはおとなしくなるのだろうか。

それとも、これ幸いと喧嘩(戦争)を仕掛けてくるだろうか。


こちらも武器(核)を持てば、どうだろうか。

抑止力になるだろうか。


今、家族会議が始まっている。


待てよ、となりのキチガイ一家ではどうやら兄弟喧嘩(新疆ウイグル、チベット)が始まっているらしい。

それに、逆の隣の家(ベトナム)にもあからさまにちょっかいを出し始めたぞ。


ここは、仲のいいお隣同士手を組もうか。


ただ気をつけなければならないのは、

隣のキチガイとその裏のバカが手を組むと厄介なことになりかねない。


ここは裏の親方(プー○ン)を呼んで夕食にでも招待(訪日)しなければなるまい。


それに、古い親友(アメリカ)とももう一度本当に助けてくれるのかどうか確認する必要がある。


つつく(To be continued)

International party

2014年06月29日 | 国際
これぞインt-ナショナルだ!

というパーティが昨夜催された。




名づけて

”Pub Crawl"



10件のパブを飲み歩くというもの。




いわゆるはしご酒だ。





約30~40人の外国人と日本人が入り乱れて、

熊本の街をゾロ歩く。


果たして成功するのか。

日本人の感覚とは違ったパーティ感覚。


結果は大成功だった。


Pot Luck Partyにしてもそうだが

彼らはパーティに関してはアイデアが豊富だ。


面白いパーティを次から次へと思いつく。

あまりお金をかけず、楽しむ術を知っている。


これは見習うべき点がたくさんある。


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三週続いて週末にパーティを催す。


二輯目の7月5日は、


”Halal Party”

これはイスラム教徒の食べ物が振舞われる催しだ。


日本ではあまりないだろう。



続いて、7月12日。

”NPO結成決起パーティ”


これは、結成間近のNPO法人”International Project Association"の

第10回総会を兼ねた決意のパーティである。


現在、二ヶ月間の縦覧期間を恙無(つつがな)く終え、

県の認証待ちの状態となっている。

それを持って登記すれば、NPO法人は正式に設立される。

予定としては、7月半ばまでには手続きを終えたい。


昨夜また新たなビッグな案件が浮上した。

台湾の高雄市との提携話。

そこに世界有数の自転車メーカーを絡ませるという内容だ。


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現在動いている活動案件。


① 障害者カフェ (日本)

② 納豆レストラン (ベトナム)

③ 日本語フリートーク (ベトナム)

④ 街歩き有料ガイド (日本)

⑤ 合宿・寄宿制インターナショナル・フリースクール (日本)

⑥ イマージョンキャンプのためのゲストランチ (アメリカ)

⑦ ベトナム人歌手の日本デビュー (ベトナムー日本)

⑧ コーヒー粕によるバイオマス事業 (インドーベトナム)

⑨ デジタルサイネージを使った観光事業(ベトナム、日本)

⑩ ジャイアントとの連携 (台湾)

⑪ ハラール商品の取り扱い (マレーシアなどイスラム国家)


まだまだ思いつき段階の案件はいっぱいある。


これらを一つ一つ、確実に実現させていく。


仲間を募集している。

新たな夢・アイデア・案件を募集している。


君もNPO法人IPAのもとで夢を叶えてみないか。

君はなぜ海外に行かないのか!?

2014年06月28日 | 国際
昨日までベトナム航空のBig Bargen が行われていた。

ナント、37、500円で行けるのだ。

通常の半額以下。

年末年始だってこの金額で行ける。


ずいぶんアピールした。

問い合わせも多かった。

行きた~い!コールもたくさん聞いた。


なのに、なのに、申し込んだ人は たったの一人。


行きたいけどー・・・。

だけど、行かない。


何が君をそうさせているのか。

なぜ君は動こうとしなのか。


自分の小さな世界に閉じこもっているのか。


その答えは、

「今、ここ」主義にある。


何も海外にいかなくても、無理して起業しなくても

身近な幸せで十分、という感性だ。


コンサマトリー(consummatory)という言葉がある。


道具やシステムが本来の目的から解放され、

地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的(ときに刹那的)に

その自由を享受する姿勢もしくはそれを積極的に促す状況のことをいう。


簡単に言えば、自己充足的思考である。


何かの目的のために邁進するのではなく、

気の合う仲間たちとのんびり生活を楽しむ生き方を好む。


まるで老後だ。

まるで、隠居だ。

生まれながらにリタイアしている。

つまり、既存の社会から降りているのだ。


だが、彼らはそれを脱落とか、恥ずかしいとかは全く思わない。

むしろ満足している。

幸せでもなけど、不満でもない。


日本の20代の生活満足度は、なんと8割にも達するという。

彼らはバブルを知らない。

生まれ落ちた時から不況のど真ん中。


だが、物はあふれかえっている。

物質的な豊かさの中で育った。


社会に成長にリアリティは持てないが、

今の日本の豊かさこそが彼らのデフォルト(default標準仕様)なのだ。



これでは何も無理して海外に出ようなどとは思わないだろう。

英語もできないし、

いくら安くてもタダではないし・・・。

おまけに疲れるし・・・。


生活そのものを減速化している。

だから彼らのことをダウシフターズ(downshifters)とよぶ。


生活のペースを下げて、ゆとりある生活に切り換えて いくわけだ。


これを成熟社会と呼べばそれまでかもしれない。


挑戦しない国民。

勝負から降りることを良しとする。


それでいてSNSなどでゆるく繋がっていたい。

なんとなく社会貢献したがる。


だが、いざとなったら一方的に繋がりを削除する。

活動だっていつの間にか、降りている。

いとも簡単に冷める(cooldown)。


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だが、我々はそうした現実を認識しつつ

戦い続けなければならない。


それが高度成長時代を駆け抜けた世代に課せられた宿命なのだから。



と、オジサンが粋がってみても、

多分、若者は動かないだろう。


彼らは彼らなりに静かなる変革(quiet marverick)を起こしている。


ただ危惧するのは、あまりにも世界を知らないことだ。


知識を詰め込んでも、行動に移さないから知恵がつかない。

彼らの小さな世界で、楽しけりゃいいのさ、的な日常に浸っている。


そんなピースボートがタイタニックにならない事を祈っている。

ボクはとっくに降りて乗り換えてるけどね。



【参考文献】

「だから日本はズレている」

一部この本の表現をお借りしました。

知らない世界

2014年06月27日 | ライフスタイル
フォーカスして動くと

今まで知らなかったいろんな世界が見えてくる。


障害者の人と関わりだしてから、

当然ながらその実態が少しずつ見えてきている。


知らなかった世界に触れると、

驚きと感動に打ちひしがれる時がある。


障がい者といっても程度や症状でひとりひとり違う。

ひとりひとりに人格があるように、十把一からげにして語ることはできない。


これからその現実と対峙していくことになる。


しかもそれをビジネスにしていくわけで、

障がい者と健常者、

善意と利潤の狭間で翻弄させられることは目に見えている。


それでもあえて挑むのは、そこにやりがいを見出したからに他ならない。


障がい者の方は世界中どこにでもいる。

特に心を悩ませ、精神を犯される人は増える一方である。


重度の方は医学的専門知識を必要とする。


比較的軽度の方、そしてその予備軍に対し、

心のケアのお手伝いができればと考えている。


昨日は仲間と共に、施設やサポートセンター、ハローワークといったところを訪れた。

ただ、驚いたのは、

そこに働く専門家(?)の人たちの知識のなさだった。


杓子定規、一辺倒な答えしか用意されていなかった。

これが、障がい者への実態なのかとつくずく考えさせられた。



今、週二回(火曜日と金曜日)障害者の方の集まりを持っている。

そこでいろんな話を聞くことができる。


聞けば聞くほど、問題の大きさに押しつぶされそうになる。


だからこそ、自分にできることをやっていかなければならない。

どんな小さなことでもいい。


必要なことは、愛なのだから。


愛のないビジネスは長続きしない。

愛のない行動は、人に共感されない。



【追記】


協力してくださる方を募集しています。



【今日の言葉】


「知識に貪欲であることに限界はない」 by Asay


「どんなことでも最初の一歩は勇気がいる。

でも一歩踏み出せば景色が違って見えてくる。


小さな勇気、小さな一歩。

それで世界が変わる」 by Asay

TED

2014年06月26日 | ライフスタイル
熊のTEDではない。

言わずと知れた世界最高峰のプレセンテイションの場である。


TEDとは、

Technology Entertainment Designの略。

youtubeでご覧になった方も多いだろう。


TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、

学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう。


講演会は1984年に極々身内のサロン的集まりとして始まったが、

2006年から講演会の内容をインターネット上で無料で動画配信するようになり、

それを契機にその名が広く知られるようになった。 (Wikipedia)


ideas worth spreading (広める価値のあるアイデア) がスローガンだ。



TEDの地方版が福岡にある。

その名も、TEDxFukuoka.

その集まりに昨夜行ってきた。


そしTEDの仕組みをちょっとだけ垣間見てきた。



TEDxとは、

TEDの精神である「ideas worth spreading」 のもとに世界各地で発足しているコミュニティー。

TEDの名称は使用しているが運営や人選、設営などにTED本体は関与していない。

TEDxは2009年にTEDxTokyoが開催されたことで広まった。


名称中にTEDの文字を含むのはTEDxがTEDのコンセプトを受け継いだ団体であることを示している。

TEDxのイベントは各地のスピーカーによる講演とTEDTalksのビデオの上映によって構成され、

参加者が個々にディスカッションを通してアイデアを共有し、

横のつながりを広げていく場でもある。


世界中でTEDのコンセプトは広まりつつあり、

2012年4月現在126カ国以上の800にも渡る都市でTEDxイベントが実施されている。

(Wikipedia)


昨夜時取り上げた題材が"エリザベス・ギルバート”だった。



彼女は、”Eat Pray Love" の作者だ。

ジュリア・ロバーツ主演の映画化もされている。


彼女の5年前のスピーチと、今年のスピーチの両方を取り上げ比較するおもしろい企画だった。


作家としての成功、そして失敗。

そしてわかったこととは・・・。


成功と失敗をのし超え、創造性を育むには。


興味ある人は是非見て欲しい。


熊本にもTEDxKumamoto作りたいなー。

そう思わせた福岡の夜だった。



世界を舞台に大暴れしよう!

2014年06月25日 | 海外事業
2ヶ月間の縦覧期間も無事終わり、

いよいよNPO法人が発足する。


長かった。

1年2ヶ月の道のりだった。

戦線離脱もあった、心無い人の嫌がらせ、妨害もあった。

いろんな紆余曲折を経てやっとここまでたどり着いた感がある。



このNPOを通じて世界に人材を排出する。


手始めは「納豆レストラン」。

第二弾が「日本語フリートーク」


そこにデジタルサイネージを絡ませ、日本への観光誘致を図る。


その全てがクールジャパンの対象になる。



並行して「障害者カフェ」を手がける。

これは福祉事業の一環だ。


さらに人材教育として、

歌手を育てる案が浮上。


ベトナム人歌手に日本の歌を歌わせるのだ。

人も歌もノミネート済み。


この組み合わせは面白い。



そしてインド系リサーチ会社との提携で、バイオマス事業を手がける。

これは、環境エネルギー事業の一環だ。


ここへ来て次々にアイデアが湧き上がってきている。


もちろんこれからどしどし新メンバーを募っていく。

興味ある人、

世界で何かをやらかしたい人、

この傘下に集合して欲しい。


7月12日に、決起パーティを予定している。



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これからのスケデュール。


6月:

「障害者カフェ」のための創業者支援助成金お申し込みをする。



7月:

NPO法人登記後、クールジャパンの投資に応募する。


上記の2件もしくは3件についてだ。

そして、

JETROの海外進出無料コンサルに申し込む。


その足で、7月中旬以降、ベトナムに行き現地情報の収集に当たる。




8月:

インド系会社の重役の来日を待って、

バイオマスリサーチ助成金の申請をする。


9月:

「障害者カフェ」オープン。

9月24日から再度ベトナムへ。



10月:


「納豆レストラン」

「日本語フリートーク」のオープン。



12月4日; 三旅ベトナムへ。



これが年内のスケデュールだ。


3度の訪越の際、視察同行者を募る。


一緒に行きたい人は申し込んで欲しい。


あるいは、現地に住むベトナム人、日本人その他、

誰でも興味あある人はコンタクトして欲しい。


一緒に世界を変えないか。

死ぬまでにやること

2014年06月24日 | ライフスタイル
余命幾許(いくばく)もない。


それなのに、今やっとやるべきことが見えてきた。

何かをやり始めることに、遅いということはない。

Not too late to start doing something.


やるべきこと、

それは、「幸せのお裾分け(Share happiness)」

B'coz I'm on cloud nine!

(cloud nine で、とっても幸せという意味)


自分が学んだこと(人生観)、

経験したこと(ライフスタイル)を通じて

人の心を豊かにする。


心を病んでいる人、悩んでいる人に

自信と勇気を与え、

夢と希望を持ってもらう。


それには、

考え方、行動の起こし方、実際の行動の仕方、

そして失敗した時のリカバリーの仕方、

くじけない心のつくり方、

諦めない癖のつけ方などなどを一緒に考えて、行動を共にすること。



だから、多くの人にはできないかもしれない、

だけど、今目の前にいる人にはできる。


だから、目の前にいる人を少しでも多くしていけば、

数人の人にはそれができる。


その人たちが、また周りの人をそうしていけば、

より多くの人たちが救われる。


「お裾分けの連鎖(Chain of share)」が社会を救う。



ひとりひとりの良さを最大限に引き出すこと。

その人の役割を考え、見抜き、その環境を整えること。



自分の『旅』というライフスタイルを通じて、

できるだけ多くの人と出会うことができる環境にある。



自分課せられた使命(ミッション)が分かった。


何のためにそんなことをやるのか。

いろいろなことを手がけるのか。


それは、そうすることが自分のミッションを果たすことにつながるからだ。


自分がやっていること、進んでいる方向を見定めることは重要だ。

常に自分を監視しなければならない。


そのため、時に自分自身を鳥瞰する。


自分の分身を天へと引っ張り上げ、神の眼を持って客観視する。

そうすると、地上では見えなかったものが見えてくる。


それはモンゴルの大草原であったり、

アフリカのサファリであったりする。



世界平和を口にする時、嘲笑する人は多い。

そんなこと出来やしないよ、と。


世界平和と言わずに、

みんな仲良くなること、といえば、あ〜なるほどと納得する。


暴力はやめよう。

Non Violence.


正義の名の下に人を殺すことはもうやめにしよう。

No more war.


人類が求める永遠の課題は

「自由、平等、博愛」である。


自由と平等は経済学的に相容れない。


なぜなら、自由が強ければ格差を産み、

平等を振りかざせば自由が奪われる。


博愛は時にいとも簡単に憎しみや妬みに変わる。


一片のパンが人を犯罪者に貶めることもあり、

一個のおにぎりが譲り合い(分かち合い)の精神を生むこともある。


この世は矛盾を孕んでいる。

それでもその矛盾を一つ一つ根気よく紐解きながら生きていく。


今、それができるという確信を得た。

グローバル集団

2014年06月23日 | 国際
日本人は世界で最も素晴らしい資質を持った民族であると自負する。


ただその資質を生かしきれていない。

そして、優れた資質ゆえの弊害が見られる。


豊かさ、平和、自由といったどこの国もが求める贅沢さを

どこの国よりも享受してしまった。


昨日の天声人語は言う。


〈退屈きわまりないのが 平和/

単調な単調なあけくれが 平和/

生き方をそれぞれ工夫しなければならないのが 平和/

男がなよなよしてくるのが 平和/

女が潑剌(はつらつ)としてくるのが 平和……〉


ともすれば淀(よど)みそうになる平和を、

フレッシュに持ち続けてゆくのは難しいと。


そしてやがて退屈に倦(う)み、

なよなよした男に苛立(いらだ)つ人が現れて、

どこからか勇ましい声が響きだす。



ここでの勇ましい声とは、戦争への誘(いざな)いを指す。


そうであってはいけない。

今の日本政府は、日本がいつか来た道を再び歩ませようとする危うさを孕(はら)む。


日本人が誇れるものの一つに、

殺しも殺されもしなかった不戦の歳月がある。



どんな素晴らしい国でも、一国では生きては行けぬ時代。


手を取り合って世界は生きていかなければならない。

一国に留まっていても素晴らしい才能は淀むばかりだ。


なよなよと怯(ひる)んでいるうちに腐る、錆びる。



日本人よ、武器を携えて海外に出るのではなく、

どこの国もが手にしなかった豊かさと平和と自由の魂を抱いて国外へ出よう。


ただ、うぬ惚れてはいけない。

謙虚さと素直な気持ちであらゆる人と接しよう。


リスペクトしよう。

日本もまた世界から学ぶ点はいっぱいある。


真の豊かさとは、

本当の幸せとは、

自然の力、

人間の弱さ、醜さ、

そして人の優しさ・・・などなど。


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幸いボクは、日本の国際化を促進するにふさわしい集団に属している。

だがそれを活かしきっていないのが現状だ。


その集団とは、外国語大学の卒業生である。


昨日その同窓会に行ってきた。

そして支部長に任命された。


彼らは習得したそれぞれの語学の分野で造詣が深い。


外国語を学ぶという時点で、既にグローバル視点を内包している。


いわば、グローバルエリート集団なのである。


ボクの役割は、

彼らの一人ひとりの優れた才能を集結させ、

オーガナイズすることで最大限に国際寄与させることにある。


幸いボクの卒業した大学には

先進主要国の言語はもちろん、


マイノリティーな言語を習得した強者(つわもの)も数多く含まれる。


アジアの各言語、ペルシャ語の権威などが居並ぶ。

まだスタートしたばかりだ。



タイミングを同じくして

NPO法人「インターナショナル・プロジェクト協会」の正式認証が秒読み段階になってきた。



受け皿の準備も着々と進行している。

活動内容も一つ一つ具体化してきている。


人材も揃いつつある。


企画を練り、周到な準備を行って世界平和のために粛々と自分の役割を果たすのみである。


世界のため。地球のため人類のため、

小さな活動が大きな意味をなす日が近づいている。


小さな足音が、いろんな方向から聞こえ出し、

あらゆる角度からその音を増し、

大きなうねりとなって世界を巻き込んでいく。


武器を捨てて手と手を握り合おう。

にっこり笑ってハグし合おう。


たったそれだけのことで世界に平和は訪れるのだ。