世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

小学校英語の必修化

2006年09月29日 | 
小学校英語必須科目について

新しく就任した文部科学大臣が必要性に疑問をにおわせる発言をした。
主な理由は、日本人としての最低な教養を身につけるのが先、ということらしい。
要するに日本語を先にマスターすべきという従来の反対意見を踏襲したものだ。
反対派のもう一つの意見は、中学生になったとき英語嫌いを助長するというもの。

しかしいつまでそんなことばっかり言ってるんでしょうね。
誰でもが「英語がしゃべれたら良い」と思っている。そして誰でもがこんなに長く英語を勉強したのになぜしゃべれないのか、と。

小さいときから英語に慣れ親しむことで物怖じせず自分の考えを述べる力が付く。
英語を勉強することで言葉すなわち日本語の大切さを理解する。
英語嫌いになるのは中学から始めても同じ事。

とにかく英語がしゃべれたら、世界が広がる、可能性が広がる。こんな良いことはない。
好奇心も広がり他の勉強もしたくなる。臆せず日本人が海外に出かけ、世界に貢献する。

問題は、習う側でなく教える側にある。やはりネイティブの先生が必要。人材、予算の面で障害はあるが、それは乗り切っていかなければ日本の将来は危うい。

その方法は、
英語を日本の第二言語と宣言すること。
学校に英語室を設けること。音楽室や図工室、理科室、家庭科室などがあるように。
先生の室を高める。

夢実現への軌跡(3) -LIVE-

2006年09月28日 | 
作品を何とか形にするには賞を取るのが一番の早道。
応募ガイドなんぞを買ってくる。
けっこう色々ある。○○大賞、○○新人賞などなど。
条件や締切日をみてtryしてみる。
この一年で、十数件送ってみた。けっこう自信を持って。
ことごとくダメ。歯牙にもかけられない。

その中の一つ、『日本ラブストーリー大賞』も落選の憂き目に会った。
が、書評が載った。それだけでもなんかうれしい。
以下がその内容。


         第二回 日本ラブストーリー大賞

     審査選考委員を悩ませたあともう一歩の作品

        『愛と絆の彼方』 著者 かじ えいせい

ロス在住の腕利き弁護士ケビン(50過ぎ)は末期がんであると宣告され、余命が一年であることを知る。ケビンは手術を拒否。東洋医療を頼り単身日本へ。日本でケビンは横須賀の茶道家元の娘マリエと出会う。惹かれあう二人。しかし二人の出会いを契機にさまざまな事件が襲いかかり、マリエは己の「出生の秘密」を知るに至る。アメリカ・日本を舞台に国境を越えたラブストーリー展開される──。ストーリー展開が唐突かつ説得力に欠ける。地の文で開陳さる、日本文化、セラピーに関する薀蓄が長い。など欠点は多いが、この作品に対する作者の気合は伝わってくる。「読者へのサービス精神」という点を念頭に置いて、改稿してみたらどうだろうか。         

審査選考委員

最終選考委員


最終審査講評


夢実現への軌跡(2) -LIVE-

2006年09月25日 | 
アリゾナ州のSEDONAという町にいた。今から三年ほど前。
その夜、薄汚いモーテルのベッドの上で僕はなかなか寝付けなかった。
ぼんやりと染みだらけの天井を眺めた。
「フッ」となにかが閃いた。ストーリーだった。
枕もとのスタンドのライトを点け、傍らのペンとノートを取った。
思いつくままに書き込む。

日本人の女子大生と中年アメリカ人男性のラブストーリー。
年の差30以上。さあ、どうやって結び付けようか。
ノート5~6枚。軽い興奮とともに朝を迎えた。
大まかな粗筋が出来ていた。

数週間後、日本に帰ってワープロに向かった。案の定2~3ページで行き詰る。

それから二年が経った。
ちょうど一年ほど前、突然、「書きたい!」という衝動に駆られた。
一ヶ月間で一気に書き上げた。400字詰め原稿用紙250枚ほど。
一端の小説家気取りだった。

夢実現への軌跡(1) -LIVE-

2006年09月24日 | 
僕の目下の夢は、小説を出版し、映画化することです。

これからその夢の実現までの軌跡をLIVEで行っていきます。
もちろんそれは緒に就いたばかりで、実現できる保証はどこにもありません。
今あるのは「必ず実現させてみせるという」強い意志だけです。

同じような夢を持った人たちは五万といるはずです。みな多かれ少なかれどうしたら自分の作品を世の中に出せるか日夜悩んでいることと思います。そして多かれ少なかれその努力を日夜重ねているはずです。それでも日の目を見るのは限られたごく一部の人だけです。

もちろん出版するだけならお金さえ出せば形になります。だけど自己満足には終わりたくないのです。売れる本を出したいのです。またそうでなければ映画化なんて所詮無理な話でしょう。

さて、今までそれなりに自分の夢を実現させてきました。もちろんその途上では数え切れないほど多くの挫折を繰り返しながら。

夢って

2006年09月24日 | 
【夢って強く望めば叶う】ってよく言われますよね。
それって信じますか?

僕は当たってると思います。
「いつも強く願ってるんだけど、全然叶わないよ」って声も聞こえてきそう。

でも、強く望むことに問題があるんじゃないかなと思う。
【夢には期限を設けろ】ってこともよく言われることですね。要するに具体的なスケデュールをたてて行動を起こせってこと。
叶わない夢って、ここが抜けてることが多い。やっぱ、ただ望んでるだけではダメ。【強く】ってことは夢に向かって動けってコト。

小説

2006年09月24日 | 
このところずっと小説を書いています。
ラブストーリーです。
一応かなり前に書きあがったんだけど、推敲というか手を加え続けてるからいつまでたっても完成はしない。ボリュームもけっこう増えた。
本にするのは当たり前だけど、映画化したい。簡単じゃないことは分かってるけどなんか出来そうな気がする。

男の魅力

2006年09月24日 | 
男の魅力って何だと思います?


僕は、【哀愁】じゃないかなって思うんです。

背中に哀愁をにじませて、知らない町を一人旅・・・・・・
な~んて、かっこいいんじゃないかなって。

ちょっと、そんな心境・・・


哀愁って、・・・・・・愛終??     

オヤジの子育て - 旅育 -

2006年09月22日 | 
オヤジの子育て  - 旅育 ― 

僕には三人の子供たちがいる。
娘が二人、息子が一人。一番上の長女は前妻との娘だ。二番目が長男で、下に次女がいる。どの子も目の中に入れても痛くないほど愛している。三人の子供たちを僕の宝であり財産だと思っている。

長女の名前は美絵。前の女房は絵がうまかった。学生結婚して、就職した年に生まれた。そして彼女が四歳のときに別れた。それから二十三年ぶりに再会する。感激した。大学を出、高校の先生になっていた。結婚もしていた。
それから二十三年のブランクを埋める娘との長い旅が始まった、と思った。

長男、将平と次女、ちえりにもお姉さんの存在を初めて打ち明けた。ずっとそのタイミングを計りながら生きてきたような気がする。
美絵には寂しい想いをさせた分、将平とちえりにはそうさせたくなかった。
美絵との四年間は東京でのサラリーマン生活だった。商社マン。国内外を飛び回りほとんど家にいなかった。それでも、週末は海や山などいろんなところに家族で出かけた。だが大阪生まれの女房は美絵を連れて僕の前から姿を消した。

再婚して将平とちえりを授かった。彼らとは四六時中一緒に暮らした。しかも大自然の中で。楽しかった。嬉しかった。ずっと家族と一緒にいられることがこれほどにまで幸せなのかと実感した。

僕自身も小学低学年のころ親のいない生活を数年送ったことがある。寂しかった。その想いは心の奥深いところでいまでも引きずっている。親父が家を出、離婚した後お袋も僕を置いて出て行った。僕は祖父母や叔父、伯母それに従兄弟たちにもまれて暮らした。そのころはまだ大家族主義の時代がせめてもの救いだった。

五年前に他界した僕の親父も旅好きだった。九州のいろんなところに連れて行ってくれた。関門トンネルや天草五橋もなくやまなみハイウエイも開通してなかった時代。自家用車もない当時は阿蘇や天草でも一大旅行だった。親父との思い出は旅に尽きる。
高校生になってやっと友人との旅や、一人旅を覚えた。その下準備をしてくれていた。

僕も旅好きが高じて会社を首になった。ジョークだが当たらずとも遠からず。自由に旅がしたくなって会社を辞めた。そして今の仕事を選んだ。
「好きなときに、好きなところに旅する」を目指して。    

旅こそすべて

2006年09月19日 | 
旅こそすべて

人間の原点の一つは好奇心である。
好奇心のないところに成長や進歩は生まれない。好奇心が旺盛であれば、人は思考し行動を起こす。
好奇心の源は、旅である。旅を通じてあらゆるものを見聞する。そこから人はいろいろなことを学び知ることが出来る。知識を得、学ぶことの楽しさを知れば自ずと興味が湧く。もっと知りたいと言う意欲も湧いてくる。またいろんなことに接するうちに五感が研ぎ澄まされてくる。その先は第六感も芽生えてくる。
人や物事に対する感謝、感激、感動の連続。自然への憧れ、恐れ、畏敬の念。恩を知り驕りを捨てる。
一所に滞っていては決して生まれない。読書やインターネットによって知識は得られる。だが百聞は一見に如かず。目で見て、耳で聞き、鼻で場の空気を吸い、手で触り、舌で味わう。体全体が体得する。そして考える。勘を働かせ空想する。想像が創造となって現実化しだす。

旅に終わりはない。地球の果てがないように無限の可能性を秘めて人を魅了する。
僕は人生のすべてを旅から学ぶ。

第二の青春

2006年09月15日 | 
【第二の青春の会】を立ち上げます。会員を募集します。
ホームページ; http://dreamin.ftw.jp のメール・フォームから登録してください。登録料、会費等は一切かかりません。

中高年、熟年の皆さん、男女を問わず第二の青春を謳歌しませんか。
謳歌するためにはどうしたららいいか。いろんな悩みや問題を抱えていらっしゃいますよね。

生きがい、健康、男女、経済問題などなど・・・。一緒に考え、話し、出会い、これからの人生をより楽しいものにしていきませんか。
とりあえずは登録を!

子育て

2006年09月11日 | 
親殺し、子殺し事件が多発してますね。世の中おかしいおかしいと誰もが感じてます。どうしてこんな世の中になってしまったんだろうと。

昔々は子供を殺してました。物騒な言い方ですが、子供が多すぎると生活できなかったからです。そこから「こけし」が生まれたと言われています。水子供養が後を絶ちませんでした。
子が老いた親を見殺しにもしました。姥捨て山があったほどですから。

時代は少子化が叫ばれるほど変化しました。そして高齢化は加速の一方です。その中で明らかに肉親同士の殺人が行われています。
親子同士の愛の希薄化を感じます。その原因は、子育ての放棄にあると考えます。別の言い方をしますと、子育てのアウトソーシング化といえます。
つまり、親が自ら子供を育てなくなったと言うことです。もっと具体的に言えば、(1)生まれたときから保育園に預ける。
(2)塾に通わせる
の2点に集約できると思います。
手塩にかけて育てなければ、子も親も深い愛や絆を感じなくなるのは当然かも知れません。

「そうはいっても経済的に共稼ぎしなくてはやっていけないのよ」
という反論が聞こえてきます。よく分かります。
しかし、保育園はただですか? 塾はただですか?
保育園の費用のため、塾代がかかるためある意味共稼ぎを余儀なくされていませんか。さらに言えば、自分で育てるのが大変だからお金を払ってでも他人に育ててもらっていませんか?
いずれにせよ、他人任せの子育ての結果が今日の忌まわしい事件の元凶だと考えます。
子育てにはお金がかかる。その通りです。実感してます。
そのことについてはまた後日・・・