世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ツリーハウスを作って遊ぼうプロジェクト

2016年08月31日 | 100の力
もう家づくりはやめようと思っていた。

一応自分の理想とする家の集大成は完成させたからだ。


だが、ここへきて、またムクムクと家を建てたいという欲望が沸き上がってきた。


それは、かなり前からあった。

たぶん10年以上前から。

この土地と家を手に入れて、

この木を見た瞬間からその願望が蠢きだしていた。


      樹齢100年(推定)のケヤキ


それは

ツリーハウスだ。


      この4本の木を利用して作ろうかな

ここにツリーハウスを作って、みんなで楽しみたい。

毎週末、あるいは月一でもいい、

この自然の森の中でひと時を過ごしてほしい。


      こんなのができたらいいな―(イメージ)

悩みや夢を語り合い、

明日の活力の源になればいい。


           (イメージ)

いろんな活動の拠点にしてもいい。

健康を育み、仲間を増やし、

楽しく充実した人生を送るために。


【ざっくりした予算】

場所: 熊本県阿蘇郡西原村出の口1547-1
    ドゥリーミンカントリー・インAso


総面積 12坪(40m²)

(テラス4坪、寝室5坪、ロフト3坪)

建築コスト(平均坪単価) 25万円/坪

総額 300万円


課題: 資金調達、大工さん


クラウドファンディングも含めて検討中です。


日程としては、

年内に設計、資金集めして、

年明けに着工、来春までには完成させたいと考えています。


ご興味のある方、

このプロジェクトに参加したい方は歓喜の方法でご連絡ください。

fbのメッセージかブログのコメント、

もしくはe-mail
dreamincountry@gmail.com

古民家オープンスタジオを無料開放します

2016年08月30日 | 100の力
9月から、築120年の古民家を無料で開放します。



使い方は自由です。

ヨガ、各種セミナー、個展、料理教室、コンサート(ピアノあり)、パーティなどには最適です。



キッチンも使えます。

ただし、光熱費(電気、ガス、水道代)は実費でお支払下さい。

清掃は各自行ってください。

寄付は受け付けております。


ゲストハウスもありますので、宿泊もできます。

遠方から来られるから、泊まり込みの方に便利です。


なお、管理してくださる方を募集します。

長期の方(一年以上)優先です。

住み込み可です。


      2階の住居スペース

以前ボクが寝泊まりしていた部屋です。

住居費(家賃)無料です。

自炊できます。

お風呂もあります。

光熱費は実費でご負担ください。

お給料は出ませんが、

ここから仕事に行くことは可能です。

一人でも、ご夫婦でも構いません。

子供、ペットに関してはご相談ください。


場所: 熊本県阿蘇郡西原村出の口1547-1
     ドゥリーミン カントリー・インAso




復興道半ば

2016年08月29日 | 熊本地震
あの忌まわしい地震から4か月半が経とうとしている。

熊本市内を中心に、表面的には大方平静を取り戻したかのように見える。

余震の数や規模も少なくなってはきている。


だが、ボクの今住む阿蘇・西原村はまだまだ爪痕が大きく残り、

復興の歩みも遅い。


ボランティアの人たちに片付けを手伝ってもらい、

不要物を廃棄場所へ運んだ。



そこは想像を絶するほどの住宅の残骸の山だった。






仮設住宅も少しは整ってはいるが、

震災前の日常を取り戻すには程遠い。


それでもみんな必死で生きている。

生きようともがいている。


全国から来てくださっているボランティアの方々にも頭が下がる。

有難い。

感謝。

ヤッパリ、日本っていいナ~。


まだまだ道のりは遠く険しいけれど、

焦らず一歩一歩前に進もう。

それに、これからお返しもしていかなければならない。

困った時はお互いさまの気持ちを忘れないように。

許すということ

2016年08月28日 | 100の力
許す力


口癖が人格を作り、人生を決める。

普段どんな言葉を使っているか。

それによって人生は大きく左右される。


周りから投げかけられる褒め言葉や誹謗中傷、悪口雑言の数々。

目にする情報の傾向にも影響される。


事件や事故など人の不幸ばかりを取り扱った記事に触れると

それだけでも気が滅入る。

人の幸せに触れると羨望や妬みがふつふつと湧きあがる。

人の感情とはこうも扱いにくいものよ。


どんなに筋の通った理屈や論理があっても、

結局は感情に押し切られてしまう。


自分の発する言葉が自らの感情を支配する。


より幸せに生きたい!

もっと充実した毎日を送りたい!

と思っているなら、

日常使っている言葉を見直すことで近づくことができる。


ボクが気を付けていること。

否定語、悲観語、悲壮語は極力使わない。


頭の中の思考が表情や言葉で発せられ、

それがそっくりそのままフィードバックされて自分の心に突き刺さる。

人を罵ればそれがそのまま自分に跳ね返ってくる。

言葉は言霊となり、ブーメランのように自分の下に帰ってくる。

溜め息は自分自身を萎えさせるが、

ヨシッ!という掛け声は自分自身を奮い立たせる。


      今日もカンパーイ!


Most of conflicts and tensions are due to language.
葛藤や緊張ほとんどは、言語によるものです。


俗にいう天国言葉というものがある。

ボクは毎日マントラのように唱える。

ありがとう

愛してます

嬉しいです

楽しいです

ついてます

幸せです

感謝します

許します


この中で、一番難しいのは、

許すことだ。


相手を許すことは、自分を解放することにつながる。

憎しみ、妬みがあるうちは、相手に縛られていることを意味する。


人を許し、自分を許す。

拘りを無くしてどんどん前に進まなけれならない。

自分を奮い起こして。


良い言葉を吐けば、自分自身に期待を寄せることができる。

そこにピグマリオン効果が発揮できるようになる。

※ ピグマリオン効果とは

期待値がその後の成長を決定づける大きな要因のひとつになること。


あとは実行。

そこに継続と忍耐さえあれば、

どんな夢だって実現できる。


さあ、今日も元気で行こうぜ。




片付けられない!?

2016年08月27日 | 100の力
整理整頓かカオス(混沌)か。

断捨離という言葉が幅を利かせているご時世。

遅ればせながら、地震による破壊も手伝って

身辺整理も含めボチボチ片付けをしている。


本来、片づけられない人なのである。

ていうか、ガラクタの中に埋もれている。

捨てられない人なのである。

(捨てられることはよくあるけど)

それでも勇を鼓して捨て始めたところでもある。


これまでは種々雑多と手掛けることが多すぎて、

本来浮気性、新しもの好き(熊本弁でわさもんというが)で

いろんなものに手を出し過ぎてきた。


ここはちょっと腰を据えて落ち着きを取り戻そうか。

幸い(?)浮足立った夏も過ぎ去ろうとしている。

忙しい蝉しぐれに変わって秋の虫が落ち着いたサウンドを奏でてくれる。

秋風と共に心の落ち着きも呼び覚まさなければ。


ところがドッコイ、厄介なことに秋風は旅の虫も連れてくる。

騒めくリゾートや街にもどことなく静けさが戻ってくる頃、

ボクの心は旅の虫が騒めき始める。


整然か混沌かと聞かれれば、迷わず混沌を選ぶ。

旅先も、整然とした街より、カオスの地を目指す。


余談だが、そして飛躍しすぎかもしれないが

美人かブスかだと、もちろん美人である。

だが、美人は見ていて楽しめるが、

面白みに欠けることが多い。

愉快さこそ人生の妙味なのだ。

(少々ブスであっても?)


楽な人生より、

面白い(愉快な)人生を選ぶ質である。

人生そのものがカオスであるからして。


今日も散らかった机の上で、このブログを認めている。



いよいよ木の葉が舞い始めた窓の景色を眺めながら。

ボクはこうして坐骨神経痛を治しました

2016年08月26日 | 100の力
昨年暮れに腰を痛めた。

過労が祟り、腰に負担がきたようだ。

整形外科や整骨院、服薬に頼らず治そうと思った。


実は20年ほど前にも坐骨神経痛になったことがある。

一年以上バックパックで世界一周をして

帰国した後発症した。

その時も、

重いバッグ(約25kg)を担いで世界を旅したため、かなり腰に負担が来ていたのだろう。


患った人はお分かりになるだろうが、

歩くのもつらいほど、お尻からふくらはぎにかけて激しい痛みが走る。


その時も、自力で治した。

1年ほどかかったが。


だから、今回もそれで治そうと心に決めた。

基本的方法は大きく分けて2つ。


まず、気功である。

座して静かに呼吸を整える。

いわゆる瞑想のポーズである。


そうして、自然界のエネルギーを一身に集める。

主に、太陽からの光である。

頭頂と両掌に意識を集中してパワーを感じる。

手のひらがジワーッと熱くなってくる。

そうしたところで、その手のひらを患部に当てる。

それを何度も繰り返すのだ。

いわゆる手当といわれるもの。

(その他の部位、胃(腹)痛や頭痛などにも良い)


もう一つは、

ヨガである。



ピラテスの手法を取り入れてもよい。

いわゆるストレッチだが、あまり無理してはいけない。

自分に合ったスタイルを選ぶことだ。

就寝前、起床時にベッドに寝てゆっくり行うのがコツ(ゆるヨガ)。




この「瞑想&ヨガ」を組み合わせることによって、

徐々に痛みが消え、半年から一年で完治する。

一切、通院もせず、服薬もせずに。


もう一つ大事なことがある。

それは、

絶対に治す、治るという強い信念を持つことと、

覚悟を決めることである。


今回は面白い現象が起きた。

6月、瞑想修行のためネパール行きを決めた後、

トレッキングシューズを買った。


だが、そのころはまだ臀部からふくらはぎにかけて痛みがあり、

歩くのにも難儀していた。

これでネパールの山を歩けるだろうかと不安でいっぱいだった。


だが、せっかくネパールに行くなら山歩きをしなければならない

と覚悟を決め、

トレッキングシューズを買った途端、

急に痛みが軽くなった。


そして、現地でいざ山歩きをしだしたところ、

思った以上にスムーズに歩けるようになっていた。

これにはびっくりした。


身体は置かれた環境に順応するものだ、と改めてわかった。

そして、それ以前に、絶対にやると言う信念を持って覚悟を決めることが

肉体的にも影響を及ぼすことも身を持って体験したのだ。

つまり、肉体は心が支配していると言えるだろう。


夢を叶えられるかどうかということは

覚悟の如何にかかっている。


ヨガや気功の基本はどちらも呼吸法であり、

それは瞑想によって培われる。


本来人間は、自ら傷を癒す力を持っている。

それが自然治癒力である。


ところが、人間は便利さと効率さを求めて

健康を損ね、ひいては争いを引き起こしてきた。

心も身体も健康ならば、争いは自ずとなくなるものだ。

これが自然治癒力の極意。


西洋医学は、身体の傷なら治してくれるかもしれない。

だが、心の傷はなかなか治らない。

(心療内科に行っても大量の薬を処方されるだけ。

その先には、薬漬けの生活が待っている))


洋の東西を問わず、

瞑想が人類を救う。


黙って座ればピタリと治る。

ご瞑想さまでした。



【追記】

十二指腸潰瘍、大腸のポリープも自分で消したことがある。


そういえば、地震の時、

マンションの階段を駆け下り、

近くの避難所となっている公園まで駆けたとき、

腰痛のことはすっかり忘れていたことを思い出した。

オープンスタジオ開設へ向けて

2016年08月25日 | 熊本地震
阿蘇・西原村の古民家にオープンスタジオができる。



地震に堪え抜いた築120年の古民家だ。


一昨年前から人に貸していたが、

4月の地震で、今月いっぱいで引き払うことになった。

現在片付け中だ。




以前はここでホテルのレセプションを兼ねてカフェ&雑貨の店をやっていた。


同敷地内に今月オープンした「瞑想カフェ&ゲストハウス」に加え、

来月から、新たにオープンスタジオとしてマルチ利用しようと考えている。


ヨガスタジオやコンサートなどには最適だ。

もちろん、瞑想道場としても使う。


昔からある五右衛門風呂も健在だ。


     周りのタイルにヒビは入っているが

汗を流した後のシャワー室しても使える。


もちろん、キッチンもあるので、

料理教室、パーティなど各種イベントが楽しめる。

いろんな企画に対応できるので、どんどん利用していただきたいと思っている。


来月からは、いよいよ三役揃い踏みとなる。

瞑想カフェ & ゲストハウス & オープンスタジオ として。

生き方探し

2016年08月24日 | 100の力
足早に近づく秋の気配を感じながら

清々しい朝の庭を歩いてみた。

ふと肩を叩いてポトリと地面に落ちたものがある。

足元を見ると、小さな桃が転がっている。

見上げると、

庭先に咲く花桃の木がはまだいくつか実をつけたまま緑の葉の瑞々しさを保っていた。。



桃酒をつくろうと毎年のように思うが、

いつもそのタイミングを逃してしまう。


落ちる実もあれば、しぶとく枝にぶら下がっている実もある。



落ちて新しく芽を出すものもあるだろう。

枝の先で目を楽しませてくれるものもある。


果実もいろいろなら、人生も様々だ。

ジャッジするつもりは毛頭ない

ただ、

一つ事で人生を全うする人もいれば、

多種多彩な人生を送る人もいる。


一つの仕事、一人の配偶者で生涯を終える。

それは素晴らしい生き方だ。


だが、仕事も二転三転とし、配偶者もコロコロ変わる人生も捨てたもんじゃない。


不幸なのは、

生き甲斐とする仕事もなく、パートナーもいない人生だ。


夢が実現できないことが不幸ではない。

夢が持てないことが不幸なのだ。

例え夢が実現できなくても、

夢を追いかけることができるだけでも幸せなのではないだろうか。


どんな形であれ、

自分を生きたものはすべからく幸せなのだ。


結果はどうであれ、

最後まで生き切ったという達成感こそ、人生の最高峰を極めた者が味合う美酒なのだ。


どんなに世に言う成功を収めた人でも、

人知れず内面悩みを持つ人は多い。

むしろ世捨て人のほうが気が楽なのではないだろうかと思ってしまう。


人生の評価は、他人が決めるものではない。

自分が認め、満足すればそれでいい。

やりたいことをやり切った満足感は他人にはわからない。

最後はにやりと笑って死ねばいい。


肝心なことは、

いつ死んでもそうできる状態に自分を置いておくことだ。

我が人生に一片の悔いなし、と言えるように。


【追記】

人生は短い。

だが、その道は長く険しく曲がりくねっている。

そして、どんな生き方をしようが、人生は一度きり。

やり直すことも、引き返すこともできない。


陰の声

「それだけやりたいことやって、

言いたいこと言ってりゃ悔いもなかろう」

全くその通り。