世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

危険度チェック

2016年04月30日 | 100の力
恐怖心や不安感は人によって違う。


昨日5日ぶりに熊本に帰ってきて

避難所で車中泊した。



今朝は冷えた。


街中は人通りも多く、

一見、平常な生活に戻りつつあるように見える。

ゴールデンウィークに入り、

ボランティアの方々が県外から沢山来られていて、

街の賑わいに一役買っているようだ。


だが、言うまでもなくいたるところでその傷跡は深い。

フリートークの入っているビルも

「要注意」の黄色い紙が貼ってあった。
(あくまでも応急危険度判定結果であるが)



エントランスの柱も破損して、心なしか傾いているように見える。



亀裂、破損個所も数十か所に上る。



さて、どうするか。


今日は、二回目の震源地でり震度7を記録した

阿蘇・西原村の「ドゥリーミン カントリー・インAso」に行く予定だ。

さて、どうなっているだろうか。

依然として土砂崩れ、土石流の危険性があるという。

果たして住めるのか、営業できるのか。

雨が降るたびに避難勧告が出されるだろう。


不安を胸に阿蘇・西原村へ向かう。

4月29日(金)のつぶやき

2016年04月30日 | 100の力

揺らぐ大地の中へ / “非日常という日常 - かじえいせい(Tabist))の「旅が人生の大切なことを教えてくれた」ー"Back to the Forward"- ” htn.to/AEAvDD



非日常という日常

2016年04月29日 | 100の力
ほんの160km ほど離れただけなのに、

そこには忘れかけていた穏やかな世界が広がっていた。



山紫水明。

日本の原風景だ。


非日常という日常の中にあった。。

今や自然の脅威に晒される方が日常化してしまったかのようだ。

今だ続く不安の中でつかの間の逃避行であった。

それでも大地の揺らぎはストーカーのように追いかけてきた。

人が歩く廊下の振動にも身構える自分がいて苦笑した。


今日はまた少しだけ勇気を振り絞って

揺らぐ大地が横たわる世界に舞い戻らなければならない。

それが自分に課せられた宿命なのだから。

途方に暮れる

2016年04月28日 | 100の力
この震災は自分にとってどういう意味があるのか。

疎開先で温泉につかりながら自分自身を見つめ直してみた。


改めてモノのはかなさを知り、人の温かみを知った。
(一部冷たさも味わったが)


それでなくても暮らしやシステムをゼロから立ち上げ直さなければならない時代。

手放してよいものが何で、

外せないものは何か。

それを見極める人生の方向感覚を身につけなければならない。


多くの人が行き場を失い、生きる指針を求めている。

既に住み慣れた地を離れ、新天地で生活を始めた人もいる。

ボクは一時的に疎開して帰るタイミングを見計らっている。

だが、今のところかえる場所がない。


仕事場のある熊本市内のビルは、

柱や内・外の壁に亀裂が入り、テラスなどのコンクリートが落下している。

ドアにゆがみが生じ、心なしか床が傾いているように見える。

仕方なく危険を承知で寝泊まりしている人もいるようだが、

すでに引っ越していった人もいる。


2回目の震度7を記録した阿蘇・西原村にあるドゥリーミンカントリー・インAsoの3棟の建物は、

一部屋根が壊れているもののそれ自体は大した破損はないように見える。
(まだ現場に行っていないので、細かいところは分からない)




      

      3枚とも親切な人が現在の写真を撮ってきてくれた


だが、その集落事態に土砂崩れと土石流の危険があるということで

避難勧告が出されている。

この地区の住民はすべて避難所にいるという。

いずれも帰って住める状態ではない。


さて、困った。

行き場がない。

どうしよう。

身の振り方 疎開先にて

2016年04月27日 | 100の力
これから先どう生きるか。

今となっては重要な課題だ。

多くの被災者の人たちが大なり小なり似たような環境下に置かれているだろう。

それでなくても、ボクの場合

すでに数か月前から人生のタ-ニングポイントにいたわけだから。

今回の大地震が起きるろ起きらないとにかかわらず、

これからの生き方を模索していた最中だった。

大地震はそれに拍車をかけた格好にすぎない。


今つかの間の疎開先で、じっくりとこれからのことを考えている。

こうした恵まれた環境にいさせてもらえる自分を幸せだと感じ、

周囲の善意に感謝の気持ちでいっぱいだ。



いろいろと避難者、疎開者のことを非難している人もいるようだが、

人の気持ちが分からないさもしく可愛そうな人たちなのだろう。

同じストレス化において、

気にしない人もいれば、重大に受け止める人もいる。

ウツになる人もいれば平気な人もいる。

ウツになったからといってどうしてその人を責められようか。

亀裂の入った家に戻るも戻らないも、人によって判断基準は違う。

揺れに恐怖を感じる人もいれば、慣れてある程度平気な人もいる。

既にPTSDの症状に陥っている人もいる。

個人によって違うのは当たり前のことだ。

子供ならなおさらのこと。


避難所にいようが、疎開していようがその人の判断基準であって、

周りから人が余計な口だしをすべきではない。

誰も好き好んで避難所生活を続けているのでないし、

住み慣れた地を離れているわけでもない。。

他人の非情な言葉に左右される必要は全くない。


さて、そのボクも現在一時疎開組の一人である。

もちろん、一人ではない。

守るべき人を間を守るためでもある。


だが、戻った後のことはその時の状況次第で

いくつかの選択肢を考えている。


今は、深く心を患った人を守り、

たとえつかの間であろうともできるだけ癒されることに専念する。

そのあとは、そのあとのことだ。


事態が収束したわけではない。
(中にはもう大丈夫と思っている人もいるかもしれないが)

余談を許さない状況が依然として続いている。
(これも個人によって判断が違う)

その時点時点で適切な行動をとるまでである。

愛の逃避行

2016年04月26日 | 100の力
車を北へ走らせること約5時間。

大渋滞の熊本市内を抜けると、ウソのようにスムーズに車は流れた。

周りの風景も、何事もなかったように日常を映し出している。


途中休憩をはさみながら、やっと目的地にたどり着いた。

心を病んだ愛する人と、PTSDで不安定な子どもを乗せて、

親切にも受け入れてくれた新たな避難先だ。

今は、お風呂に入れることが何よりありがたい。


多くの人がそうであるように、
とうとう帰る場所を無くしてしまった。

とりあえず、ここ数日はゆっくり過ごせそうだ。

その先は未定。

考えても仕方がない。

状況もまだ不安定で、予断を許されない。

変化する状況に応じて、
その場その場で臨機応変に対応していくしかない。

これはまさにタビストとしての能力が試されているのだ。

人生観

2016年04月25日 | 100の力
今度の震災は、多くの人の人生観を変えるだろう。

もちろんボク自身も例外ですはない。

もともと物欲は消えつつあった。

今、持っているものは過去の遺物である。

それらが、好むと好まざるとに関わらず、

ポツリポツリと消えつつあったのも、

決して偶然ではなかったような気がする。

そして、ここへきて一気に崩れ落ちた。

今思えば、一連の消滅事件?は、

ボクの夢実現へのプロローグに過ぎないのではないのだろうか
とさえ思えてきてならない。


さて、10日間に及ぶ避難所生活とも
とりあえずお別れになる。

強い余震は時折くるが、
一部では少しずつ日常が戻りつつある。

お世話になった避難所暮らしの10日間。

様々なヒューマンドラマを垣間見た。

いろんなことを学び、考えさせられた。

何より、人の心の温かさに感謝します。


今日から数日場所を移動して、
じっくり今後のことを考えてみることにします。

避難所生活 1人1人の事情

2016年04月24日 | 100の力
避難所生活9日目。

おふろもここ10日間入ってない。

収入もないので、なるべく動かず耐え忍んでいる。

余震も少しおさまってきたかなと思うと、
時折強い揺れが襲う。

気の休まらない日々は続く。


自分で見たこと、体験したことをこうして発信しながら。

やむなく自宅で恐怖にさらされながら、
乏しい食料で忍んでおられる方々も沢山おられる。

昨日は、老朽化したビルのに住む、80台の男性が、
奥さんを部屋に残したまま、杖をつき、30分の道のりを歩いて来られた。

🍙が欲しいという言葉に💧が出た。

奥さんの分も持てるだけお渡しした。

車で送ると言ったが、大丈夫と言って帰って行かれた。

同じビルに住む1人暮らしのおばあちゃん。

避難所に行きましょうと誘ったが、
透析を受けているからと、来られなかった。


今、目の前にいる人に寄りそう。

多くの人は助けられなくても、

目の前の1人ならできる、

今、ここで、できることをやる。


こうした非常時。

誰しも他人には言いづらい事情を抱えている。

誰も人を裁くことはできない。
(犯罪は別として)

へこたれない

2016年04月23日 | 100の力
逆境をバネにどうやって生き抜くか。

それが目下の課題だ。

なんとしてでも生き抜く。

誰が何と言おうと、生き抜く。

生き抜いて見せる。



気力を無くすこと、やる気を無くすこと、

ましてや諦めることなんできないよ。

これまでだつて、幾度となく逆境を乗り越え、生き抜いてきた。

もちろん、いままでにない味噌の試練ではあるが。

だが、考えてみれば、毎回毎回その時は最大の試練と思って乗り越えた。

これが最後とも限らない。

最後の試練は、死である。

いかに死ぬか、死に様こそ最後の試練なのだ。

死ぬまでは、

いかに生きるか、生きざまを見せなければならない。


思えば、逆境を乗り越えるたびに人生が好転してきた。

何度も書いてきたが、
昨年暮から、多くのものが消えていき、
身の回りの環境が激変している。

まるで前触れ(前震)であったかのように。

そして、最後の?砦ともいうべき家までも立て続けになくなった。

でも、バックバック1つで旅に出るという目標に大きく近づいたことになる。

だって、全てを失ったのだから。

後は、命だけ。

そして、愛し、愛してくれる人がいる。

それだけで十分、幸せである。


やっと願いが叶う。

こうして、また一歩、人生が好転する。