世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

さらに打たれ強く 絶対に倒れない生き方

2016年06月30日 | 
未開の地、未知の世界はなぜこうもワクワクさせてくれるのだろうか。


そこには今まで知らなかった愛と夢が詰まっている。

もちろん、リスク(危険)が伴うことは言うまでもない。

だから、サバイバル、いかに生き延びるかを最優先する。

生きてこそ、愛することもできれば、夢を叶えることもできる。


生きるとは、今を生き抜き、未来に望みを持つことだ。

必死で生き抜く姿、望みを持って夢を諦めず追いかける姿こそ人の心を打つ。


人の心に影響するとは、

自分のパワーを分け与えることに他ならない。

それが人助けなのだ。


お金やモノを分け与えることも大事だが、

それがなくても汗を流して力を貸すこともできる。

お金、モノ、体力がなくても、

知恵を与えることだってできる。


それには、心身ともに健康でなければならない。

健康でこそ、健やかな知恵も湧く。

心に穢れがあって、どうして良い知恵が出てこよう。

心の穢れは、悪知恵や邪な考えしかもたらさない。

それでは人を貶めることになる。



人それぞれ考え方は違う。

違う考え方に対して批判的になるのは心が穢れ荒んでいるからだ。

ようするに、心が不健康なのだ。


相手を責め、悪口を言う。

それはおおむね妬みの裏返しに他ならない。

どんなに考え方の違う人でも、

広い心で受け入れ、許し、共に手を携えることができるはずだ。


そういうボクの生き方、やり方、考え方に批判的な人はたくさんいる。

そして主に陰で誹謗中傷し(陰口)、足を引っ張ろうとする。

そういう人は大概つるんで留飲を下げることにやっきとなっている。


そうして、不幸なことに、それで潰される人も多い。

だがボクは違う。

というか、真逆である。

つまり、打たれえば打たれるほど闘志が湧いてくる。

反骨精神が漲ってくる。


相手にとっては厄介な存在であろう。

潰れないのだから。

あしたのジョーみたいに、打たれても打たれても、

倒れても倒れても立ち上がってくる。


ボクは勝とうとする気はない。

負けないだけだ。

相手にではない、自分に負けないことを心に決めている。

つまり、負けない相手は、第三者ではなく自分自身なのだ。

だから、相手を相手にしていない。

そのうち攻撃するほうが勝手に疲れてくる。

そして諦めて去って行く。

こいつはダメだ、アホだ、つける薬もないと捨て台詞を吐いて。

そこでボクは、血だらけになりながらも立ってニヤリと笑う。

これが、試合に負けて勝負に勝つ極意だ。



極意を身につけるためには

なにがなんでも打たれ強い精神力を養わなければならない。

どれだけ打たれても、倒れない性格を。

憎たらしい、大嫌いと思わせることを超越しなければならない。


いわゆる、バカにはうちあわない、と言わせるところまでくれば、

文字通り、打たれなくなる。

その場合、副作用(?)として、孤独という世界が待っている。

超越した人間はすべからく孤独であり、

また孤独を楽しむ、孤独を好む習性を兼ね備えている。


妬み、憎しみ、悪口をいう人間は孤独を極端に恐れる。

だから、徒党を組む。

だが彼らの行く末(生く末)は、孤立だ。



さて、

今回の瞑想修行でメンタル面をさらに強化できた。



今まで以上に絶対に潰れないメンタルを育くくむことができた。


瞑想はこうした精神だけでなく、同時に肉体、内臓改造にもつながる。

さらに頭脳を明晰にし、人間関係を改善する。

つまり、心、頭、身体の健康には欠かせない方法なのだ。


      男は背中で語れ


今、「瞑想カフェ@阿蘇」、「阿蘇瞑想センター」オープンに向け爆走中。

中国ハプニング編

2016年06月29日 | 
今回の旅はネパールが目的だったが、航空運賃を価格重視にしたため、時間はかかっても中国経由を選んだ。


トランジットとはいえ、久しぶりに中国の空気に触れてみるのもいいものかとも思ったし。

中国国際航空(エアチャイナ)の利用は初めてだった。




ただ以前、中国東方航空でさんざん懲りていた(サービス、CAの態度の悪さに辟易)、ので、全く期待はしていなかった。

それだけに、あまりのサービスの良さに驚かされたものだ。

トランジットといっても北京、成都間は国内線利用になる。

さすが中国の広大さを実感する。


行きは成都で一泊、帰りは北京で一泊しなければならないが、夕食をどうしようかなどと思っていたところだった。

元に両替しなかったために、当然ながら買い物ができない。

クレジットカードも使えない状態だ。


食事をとらないと夜中におなかすくだろうなと心配していたが、機内食のお陰でそれは杞憂に終わった。

北京から成都までの国内線に食べ物(中国ケーキ)が出たのは嬉しい驚きだった。

さらに帰り便はなんと食事が出たのだ。


3時間という長旅だからだろうか。

両替をしてないので、元の手持ちがなく、

空腹に耐えながら、冷たく固いスティール製のベンチで寝るのはさすがに堪える。



これは有り難かった。


ただ、行きはほぼ時間通りにすんなりいったが、帰りは散々だった。

中国の洗礼を受けたような気がした。


それでもカトマンズ・成都間は順調だった。




問題は成都から北京行きが2時間半の遅れ。

北京に着いたのは深夜12時近かった。


それからインターナショナルに乗り換えるためにモノレールで向かってE駅で降り、無事イミグレに到達。

ところがそこでまたハプニングが待っていた。



係官が来てここではない、モノレールでD駅まで引き返しあとはそこで聞いてくれと。

D駅はドメスティックつまり国内線ではないか。

なぜ、福岡行きなのにドメスティックなのかと、チケットを見せながら質問した。

だが、それには全く答えず、ただD駅まで引き返せと。


仕方ないので言われるままにDステーションまで行き

バッゲジクレームを通り抜け(荷物のピックアップは必要なし)、いったん空港の外へ出た。



そこから2階の出発窓口へ行ったが、すでに午前1時近くになっており、もう閉まってしまったので午前6時にまた来てくれとのこと。

そのフロアのベンチで一夜を明かすことに。



午前6時前にインフォメーションに行くとゲートナンバーC55を告げられた。

そこで大混雑のセキュリティでまたハプニング。




ボクは福岡まで行くので当然国際線のつもりであるし、チケットもそうなっている。

成都で預けた荷物は福岡までスルーだ。

まず、イミグレがない。

ここはあくまでもドメスティック(国内線)だ。

セキュリティでそのことについて間違いないか聞くも、そのまま進めの指示。

ろくに説明もない。


そういえば、福岡から北京に行くときも大連経由だった。それについては一切知らされていなかったので、

福岡から到着した空港がてっきり北京だと勘違いしてしまった。

首都の割に小さな空港だなと不思議には思ったのだが。

そこでイミグレを通過したが、手荷物は引き取らなかった。

一旦飛行機から降り、イミグレを抜けて、カードを渡された。



どこに行けばいいのか聞くと25番のゲートだという。どうも意味が分からない。

しばらく待つと北京行きということでぞろぞろと登場しだした。

そしたら同じ機内で、同じ座席に案内された。

要は大連経由で、イミグレ(入国審査)のため下ろされたのだ。


終わってみれば何のことはないが、

今までの旅の経験からして、どうもつじつまが合わないことが多い。

それに対して説明ということをしない。

その場の動きを指示されるだけで、一切の理由が述べられない。


ビジネスの上も理論が通じにくい国だ。

こうだからこうだという論法。

なぜそうなのかが抜けている。

最後の帳尻が合えばまだいいが、

突然手のひらをひっひっくりかえされることがあるのは要注意だ。

約束事や契約というものがあまり意味をなさないお国柄。

それを見越して、こちらから二手三手先を読んで行動しないととんでもないことになる。


ボクはホテルやゲストハウスを長年やっているので、

中国人のお客さんも多い。

中国人のスタッフを置いたこともある。


だいたいのことは心得ているつもりだが、

現地の役人、公人の融通が利かないことは現地に行かなければわからないことが多い。


世界のリーダーはおろか、スタンダードにはなりえないなと確信した。



中国は・・・

2016年06月28日 | 熊本地震
久しぶりの中国だった。

ヤッパリ本質は変わらない。

いくら表向き着飾っても、人間性まで変えることはなかなかできない。

北京空港のセキュリティとひと悶着あったのは、
そんな体質の表れが原因だった。

必要以上にチェックが厳しいわりに、
そのやり方はずさんで、対応も無責任極まるものだった。

バッグの中身をわしづかみでかごに放り込むと、
ファスナーを開けたままスキャンにもどした。

ボクの注意も全く聞こうはしない。

というか、英語がわからないらしい。

挙げ句、荷物の中身をひっくり返す始末。

あとで調べたら中味が足りない。

その事を指摘しに戻ると、知らぬ存ぜず。

大声で強く主張すると、別の部署に連れて行かれた。

またもや拘束覚悟で、相手のミスを指摘。

そうすると、やっと袋にまとめられたバックの中味が返ってきた。

成る程、人の物も自分の物と平気で言い張る体質は
こういうところから来ているのか。

東シナ海も南シナ海も、同じ論理。

これはほんの一例にすぎない。

ま、拘束されなくてホッとしたが。


帰国の途へ

2016年06月26日 | 
2週間余りもあっという間に過ぎた。

帰りも中国(成都・北京)経由だ。

荷物の重量が心配。

エアチャイナ(中国国際航空)は、重量制限が国際線23K、国内線20Kとなっている。


苦しい資金繰りながら、何とか仕入れを済ませることができた。

買いだせばキリがないのでATMが使えなくて返ってよかったのかもしれない。


昨日の瞑想センターの敷地内では、ファーマーズマーケットが行われていた。



その合間に、コーヒーを飲みながら帰国後の構想を練る。



瞑想センター、瞑想カフェとして立ち上げるのに、

熊本大地震における小規模事業者持続補助金を申請するかしないかで

その方法・内容はかなり違ってくる。


平成28年熊本地震の影響で、顧客や販路の喪失という状況に直面した九州地方の小規模事業者が、

経営計画に基づいて実施する販路開拓等の取り組みに対し、

200万円または100万円を上限にする補助金(補助率2/3)が出る。

検討に値する。


瞑想修行も無事最終日程を終えた。


     瞑想も板についてきた


     シンギングボールもうまく音が出せるようになった


あれやこれや気をもむより、

まずは無事に帰国しなければならない。

トランジットとはいえ、

成都から、国内線を使って北京で一泊する必要がある。


ここは余計な疑いをかけられないように、

あの地震の日から伸ばしていたヒゲをきれいさっぱり落とした。


さあ、無事帰国すれば、また新たな挑戦が始まる。


よろしければクリックしてください。
にほんブログ村

カトマンズの恋人たち

2016年06月25日 | 
何か場違いなところに迷い込んで知ったようだ。

そこは花と若いカップルたちの楽園だった。

まるでイギリスの庭園を模したエレガントなたたずまいを見せている。

カオス的喧騒の中から異次元の世界にワープしたかのような気分になった。


そこではいたるところで恋人たちが思い思いに恋をささやき合っている。


       噴水のたもとで語り合うカップル


       寝転ぶカップル

      


悔しいから、ボクも一人で寝転んでみました。




ここで野暮なオジサンは、この光景を見ながらリスを相手にビールを傾けることにした。





夕陽が沈むまでロマンティックな気分に浸りましたよ。




よろしければポチッとしてくださいネ。
にほんブログ村

カトマンズの休日

2016年06月25日 | 
旅は歩け歩け、が信条。

一日10kは歩くだろうか。

歩けばいろんなものが見えてくる。

時には、アーミーに呼び止められ拘束されることもある。

それはご愛嬌。


あるいはこんなお祭りに出くわすこともある。



なにやら女性陣がたむろしている。


      こねる女性
     
どうやら女性たちが料理を作ってふるまっているようだ。


      揚げる女性


      焼く女性


     果物を切る女性


     お茶(?)を沸かす女性



     こちらは食べる若い女性

ヤッパリ、地べたで手で食べるんだね。


     食べ終わった女の子たち


     踊ってくれる女性

こんな陽気で愛嬌のいいおばさんも。


      こちらは威厳を放つ大御所(?)


       宴もたけなわ、談笑する女性たち


何か宗教の行事らしいが、

興味深い光景だった。

しばらく足を止めて見入ってしまった。


よろしければポチッとしてくださいネ。

にほんブログ村

まだ日本で消耗してるの?

2016年06月24日 | 
まだ日本で消耗してますか?

旅に出ませんか。

旅に出たら目先が変わるよ。

視野が広がるよ。


      カトマンズの瞑想センターにて


今いるところで、じっとしていくら考えても、いつまでたっても拉致は開かない。

堂々巡りするだけ。

もうあの地震から2か月以上も経って、

地震前に戻そうなんてどう頑張ったって戻るわけがない。


考え方が変わったんだから。

価値観が激変したんだから。

自分の頭も切り替えなきゃ。

古い頭のままじゃダメ。

目先をガラッと変えなきゃ。


どう切り替えるかだって?

それは人それぞれ違う。

やりたいことは一人一人違うのだから。


共通していることは、

好きなことをやりなさい、ということ。


目先のこと、儲けることばかり追い続けてもロクなことはない。

今までそうしてきた結果がこうして出ている(不景気や災害、息苦しさという形)のだから。


今こそ好きなことで生きていく覚悟をしなきゃ。

好きなことしてダメでも、まだあきらめは付くだろう。

いやいややってダメだったら、後悔ばかり。


もうこの先何も保障されてない。

今を生きなきゃ。

今やりたいことをやらなきゃ、いつやるの?

定年後?

お金を貯めてから?

それは今までの考え方。

これからは、すぐに行動に移さなきゃ。

思い立ったら即行動。


その中で考えるとするなら、

好きなこと、やりたいことと生活(生計)をどう結び付けるかということだろう。


      考えて考えて考え抜く

その仕組みさえわかれば、人生無敵。

それは、走りながら考えればいい。

じっと座ってネットでいくら調べても、

知識ばかりを詰め込んでも事態は動かない。

何の変化もない。


人生はヒットエンドランの繰り返し。

投げられた球を打たなきゃ始まらないし、

打った後はたとえアウトと分かっていても必死で走る。

凡ゴロでも相手がエラーするかもしれない。

そこは全力疾走しよう。

アウトだったら、息を整えてまたバッターボックスに立てばいい。

人生トライアンドエラー。


確かに、日本にはセカンドチャンスが少ない。

一回失敗すれば、二度とバッターボックスに立てない風潮がある。


だから、旅に出るんです。

そんな生きづらい日本に執着しても、いつまでも堂々巡り。

これからますます日本は生きづらくなる。


とにかく、どうしたらいいかわからなければまずは旅に出てみよう。

いろんな制約はあるだろうけど、

とにかく旅に出よう。


いろんな国の生活を見ていると、

日本の良いところ、おかしいところが見えてくる。

日本の当たり前は、世界では異常なことも多い。


きっと何かがわかるから。


選挙の結果だって、絶望的なものになりそうだし。

どうして日本人はこうも愚かになってしまったのだろうか。

資本主義に、アメリカに毒されてしまった結果かもしれない。


これからは、お金やモノが財産ではなくなる。

経験や心の持ち方が財産となる時代になっている。

それに気付く人、気づかない人で、

人生は大きく違ってくる。


まだ多くの人が気付いていない。

あるいは気づきだしているけど、実際切り替えができていない。

今までの生き方を変えることに臆病になっている。


自分の箱から抜け出さないと、いつまでも狭い思考の中で、

同じ意見の人たちとつるんでばかりいても、何ら根本的解決策は見つからない。


ぬるま湯につかっていれば気持ちいい。

だけど、じわじわと知らないうちに火がくべられ、

飛び出すタイミングさえなくした茹でガエルになってしまう。


机の前に前に座って、いくらネットで調べて知ったかぶりしても

それは本当の情報ではない。

生の情報ではない。


現場に行って、風にあたって、臭いをかいで、

暑さ寒さを感じなければ本当のことはわからない。        


人間は変化を嫌う。

変化にはリスクが伴うから。

良くなるかもしれないけれど、何の保証もない。

そこは賭けてみるしかない。


人生は賭け。

人生は挑戦。

さあ、勇気をもって。

覚悟を決めて。

自分を信じて。

これからはそういう生き方が求められる。



【追記】

日本でなきゃどこの国がいいのか。

どこの国でもいっしょだろう。


完璧な人間がいないように、

完璧な国なんてない。


まだ日本はましかもしれない。

そう思う人は日本にとどまればいい。


だが、外の状況も肌で把握してほしい。

ようは、どこでも生きていける、生き抜いていける力をつけることだ。

ボクも日本に帰る。

日本人だし、日本が好きだから。

日本をよくしたいから。


だからまた旅に出る。


よろしければクリックしてください。
にほんブログ村